第二百一話 西の欠片と三番標
王家の記録庫へ入る前、ペペは門前の菓子屋へ目をやった。帰りに寄ると約束してから、ようやく許可札を番人に渡す。番人は四人の名と保管担当の署名を読み、セレーネの札も同じ順に確かめた。
比較品は、緑の布を敷いた浅い箱に入っていた。尽の風晶片より一回り小さい。角の一つが丸く磨かれ、反対側に細い欠けがある。番人は二つを別々の硝子容器へ移し、蓋の隙間を同じ幅に調整した。
「一つの配置につき、風は一度だけ。動かなければ、そこで止めます」
保管担当が尽に言う。尽は木枠を挟み、昨朝と同じ細さで風を送った。先に動いたのは自分の欠片だった。青い光が容器の東の縁をなぞる。もう一方も遅れて滑った。
「そっちは西だ」
ペペが声をひそめる。番人は二つの位置を紙へ写し、容器を置き換えた。尽が再び風を送ると、小さい方は西、風見塔の欠片は東へ寄った。置く場所を変えても向きは変わらない。ユーノの鏡板にも、左右へ離れる青線が二本残った。
番人はそこで比較品の古い札を表へ返した。〈西境・渡し道の測風標より収蔵〉。受け入れは四十年以上前で、当時の試験帳にも「西へ戻る」と三度記してある。長く箱にしまわれていた間、その記録が正しかったかは誰も再試験していなかった。
「向こうの標へ戻ろうとしているのかな」
尽が言う。番人は小さい欠片の丸い角を指した。標に嵌められていた面だという。だが、磨き方で力の通り道が決まる可能性もある。風見塔の欠片に東の出身地があるとは、この比較だけでは言えない。
リゼッタは試験票の裏に、二つの容器の位置を描いた。番人が古い札を閉じようとすると、セレーネが手を上げる。
「西の品は、どこで作られたか記録がありますか」
「採った場所は分かりません。渡し道の標から外し、ここへ持ち帰った者の名だけです」
セレーネは名を写した。標が西にあったから西へ動いたのか、初めから西へ向く品をそこに選んだのか。古い受入帳には、その順序が抜けている。
帰りかけた時、ユーノが棚の下の薄い引き出しを見た。番人の許しを得て開ける。そこには同じ時期に回収した測風標の修理票が並んでいた。西境の一枚は、欠片の交換を頼む文の裏に、東側の標の番号を小さく書いている。〈東路三番、予備片は未着〉。
「東路三番?」
「城から東の旧道にあった標です。もう使っていません」
番人は修理票の表裏を写すことを許した。東路三番に予備片が届かなかった理由も、風見塔の欠片と関係があるかも分からない。尽は番号を試験票へ書き足す。明日、学院の地図室で旧道の位置と、標を撤去した年を調べようと決めた。
門を出ると、菓子屋はまだ開いていた。ペペが一番安い焼き菓子を六つ買い、保管担当の分まで包んでもらう。尽が受け取った袋の底には、熱で少し透けた油紙が貼りついていた。
*
翌朝、地図室の大きな巻き図に、ペペの焼き菓子の欠片が一つ落ちた。エルナが紙を傷めない細い刷毛で払う。ペペは謝り、残りの菓子を鞄の底へ押し込んだ。
東路三番は、城から東へ続いていた旧道の脇にある。川の流れが変わって道は使われなくなったが、標の台座は森守の地図に残っている。学院から歩けば昼過ぎに着ける距離だ。フィオナは風晶片の保管票に持出し時刻と帰着予定を書き、保存担当に携行箱を渡した。尽たちの外出届にはセレーネと、森道案内部のリュオが同行者として記された。
午前の森は、雨の後の葉がよく光った。リュオは旧道へ入る角で一度立ち止まり、倒木に結んである森守の赤紐を確かめる。道を外れかけたペペの襟を、リゼッタが引いた。
「三番はこっち。お菓子の匂いの方じゃない」
「そっちには店がないだろ」
昼を少し過ぎた頃、腰ほどの石柱が見えた。上半分は失われ、苔の下に〈東路三〉の刻みが残る。台座の一面には、風晶を嵌めたらしい細長い窪み。反対面には西を示す短い矢印が彫られていた。
「帰る時の向きね」
セレーネは旧道を振り返った。西は城の方だ。王家に残る西境の欠片も、かつて渡し道で西を向いた。東路三番の石がどんな風晶を使ったかは、修理票だけでは分からない。
保存担当は石柱から離れた平らな岩に携行箱を置いた。封の番号を読み上げ、細い風を通す窓だけ開ける。尽が木枠で風を絞ると、風晶片は昨日までの東から、北寄りへ滑った。ユーノが鏡板に線を取る。箱を岩の反対側へ移しても、同じ方向だった。
「道から外れてる」
リュオが枝で北の斜面を指した。雑木が詰まり、足元は古い落石で見えない。尽は試験票に方位を写す。学院の中庭で測った線と重ねれば、二本はこの斜面のどこかで交わりそうだった。ただ、風の幅も測定位置も粗い。斜面全体を指すほどの太い交点だ。
指輪が胸元で少し温かくなった。尽は息を止め、首の紐を引き出す。金属は確かに熱を帯びている。昨日、王家の記録庫では冷たいままだった。
「どうしたの」
リゼッタに指輪を見せる。保存担当は箱の封を確かめ直し、時刻と尽の申告を別々に記した。指輪の温かさは尽の感覚だけで、風晶片の向きとの関係は測れていない。尽もそれを試験票へ書いた。
リュオは斜面へ上がる前に、石柱の裏で白い石段を二段見つけた。草を払うと、三段目は土の中へ続いている。森守の現行図にはない道だ。ナディアに位置を知らせ、通れるか確かめてから進もうとセレーネが言う。ペペは踏み出した靴を戻し、代わりに石段の幅を測った。
帰り道、尽は何度か胸元へ手をやった。森の外れまで来ると、指輪はもう冷えていた。学院へ戻ってから、保存担当は携行箱の封を確かめ、実際の返却時刻を保管票へ書いた。




