第百九十三話 橋の上で名を呼ばれる
〈返りなし〉の三文字を見て、ユーノは鏡板の古い記録を出した。角獣を網から外した時、黒針の揺れは尽の風に巻き込まれ、糸の中でほどけている。王宮の帳面と、少なくともその一点は合った。
「届かなかったんだ」
尽が言う。ユーノは頷いた。最初に角獣が網へ触れた時の揺れは、水車小屋の糸へ伝わっているかもしれない。だが、誰がどこで読み取ったかは、巻き枠の現物を調べなければ分からなかった。
その日の午後、王宮の監査官から別の便りが届いた。四人に、ソラヴェイン魔法学院で行う正式な聴取への出席を求めるものだった。王子の訂正、カルヴォスの供述、そして第七結晶灯の試験記録を同じ場所で照合する。エルシリン側からはセレーネとナディアが立ち会う。
フィオナは文面を読み、四人の新しい通行証を机に並べた。王国への入境とエルシリンへの帰還を一往復、期限は十二日。聴取を終えた後の滞在先は魔法学院の指定宿舎と記されている。セレーネとナディアには精霊国側の立会札がある。以前の二日間の許可を延ばしたのではなく、今回の用務のために発行された別の札だった。
「今度は、荷台に隠れなくていいのね」
リゼッタが言った。ペペは答えかけてやめる。あの幌の下で、彼女がどれだけ眠らずにいたか知っていた。
出発の朝、ミレイアは温室の鉢を一つずつ見て回り、尽へ留守中の水やり当番表を押しつけた。
「戻ったら、空欄を埋めて」
「僕がいない間の分まで?」
「帰ってから読めば分かるでしょう」
ペペが笑い、ユーノは当番表を濡らさないよう書類鞄の外側へ挟んだ。セレーネは先に馬車へ乗り、席を一つ空けて待っている。ナディアの荷物は武器よりも証拠目録の方が重そうだった。
国境の橋では、門番が通行証を一枚ずつ受け取り、名前を声に出した。
「風間尽。リゼッタ。ペペ。ユーノ」
尽の肩が固くなる。前にここを通った時は、老商人の古い外套を被り、幌の奥で息を殺していた。今は門番の目の前に立っている。追跡札が外されたことを示す王宮の印も、通行簿の脇に押されていた。
「書類、返してください」
門番は札を渡し、次の馬車を呼ぶ。尽が歩き出すと、背後から聞き覚えのある声がした。
「今日は荷台が広く使えるな」
あの老商人が果物の箱を積んで待っていた。幌は新しくなっているが、荷台の木枠には見覚えのある傷がある。ペペが駆け寄ろうとすると、商人は先に小さな梨を四つ差し出した。
「代金は取るぞ」
「前に借りた分も払います」
尽はあの日渡された小さな革袋を出した。使った硬貨を補い、口を結び直してある。商人は袋の縫い目を親指でなぞり、梨の代もきっちり受け取った。
「返す時は真っ当な身分で、と言ったな。遅かったぞ」
「すみません」
商人は笑って荷馬車を進めた。リゼッタは梨をひとつ受け取り、尽の分を彼の鞄へ入れた。橋の向こうの道は前と同じなのに、四人は誰も荷台へ潜らなかった。
数日後、ソラヴェイン魔法学院の実習棟に着く。エウリスが入口で待っていた。彼は皆の顔を確かめ、尽の肩へ軽く手を置くだけにした。
「第七灯の部屋から始めよう」
扉を開けると、壁には新しい灯が掛けられていなかった。砕けた結晶のあった場所に、二本の金具だけが残っている。尽は梨の入った鞄を足元へ置き、エウリスの後を追った。




