第十九話 地図を回すと、店が逃げる
集荷所への外出は禁止された。
代わりに、グランドーガは尽へ地図を十枚渡した。
同じ氷風城。
同じ工房。
同じ中央市場。
なのに、十枚とも向きが違う。
尽は一枚ずつ机へ並べた。
地球の地図なら、特別な理由がなければ北が上だ。
この地図には北を示す矢印がない。
縁の一方が赤。
反対側が緑。
中央を白い太線が横切り、そこから枝分かれした通路が炉、倉庫、市場、城門へ伸びている。
赤い縁を上へ向ける。
ティムが地図を横へ回す。
緑を上へ。
フィオは地図を壁へ立て、掲示場所の赤導光窓と縁の赤を合わせた。
バルクは、そもそも地図を見ず、床の溝を指した。
三人とも方法が違う。
尽は頭を抱えた。
氷風城は、山の中に何層も積み重なっている。
上へ行けば赤極、下へ行けば碧極、というほど単純でもない。隧道が曲がり、昇降機が層を飛び越え、古い坑道は新市街の下へ潜る。
持ち歩く地図は、見る者が立っている場所の掲示印に合わせて回す。
赤縁と緑縁は方角ではなく、各出口がどちらの光域へ通じるかを示す。
さらに、通路の端に小さな記号がある。
炉風。
水音。
荷車軌道。
赤導光。
碧鉱脈。
目印は壁の形だけではない。
音、風、光、床の振動まで含む。
フィオのように上層通路を飛ぶ者は、天井の梁印を使う。
バルクは炉の匂いと床溝。
ティムは掲示札と通路番号。
同じ町でも、身体によって読み方が違った。
グランドーガは地図の一枚へ、小さな銅札を三つ置いた。
工房。
水量計のある共同水場。
ミナの暗階段。
今日の課題は、その二箇所へ点検記録を届け、工房へ戻ること。
外出範囲は同じ層と一層下まで。
集荷所とは反対方向。
メルダの許可内。
一人では行かない。
同行者はフィオだった。
ティムでは、間違える前に正解を教えてしまう。フィオは地図の読み方が違い、尽が何を誤解したか確認しやすいらしい。
尽は杖を持つ。
荷物は点検札二枚だけ。
痛み記録は丸。
工房入口の掲示印へ地図を合わせる。
赤導光窓は右。
地図の赤縁も右。
共同水場は、白い主回廊を二つ進み、炉風印で左。
尽は地図を折らず、木板へ挟んだ。
最初の分岐。
正面から温かい風。
左から水音。
右に赤い光。
地図では炉風印で左。
尽は温風の来る正面を炉風だと思った。
フィオは止めない。
正面へ進む。
作業炉の排気管が並ぶ通路へ出た。
地図にない。
正確には、修理関係者用の細道として点線で描かれていた。尽は点線を壁の亀裂だと思っていた。
最初の分岐で間違えた。
フィオが笑う。
尽は、地図を逆に持ったのではないと抗議した。
問題はそこではなかった。
〈炉風印〉は、風が吹いてくる道ではない。
天井に三枚羽根の金属札がある道だった。
記号と現象を勝手に結び付けた。
尽は分岐へ戻り、地図の記号へ小さな札の絵を足す。
水音のする左へ。
共同水場へ着いた。
十二戸の代表が、新しい水量計を囲んでいる。
人間の女。
灰髭の矮人。
耳の長い老人。
小さな角の夫婦。
十二人ではない。
三人が複数戸を代表している。
水量計は、赤光低下前の確認を終えたところだった。
指針の誤差は許容線内。
尽が届けたのは、次の碧光増加時にも同じ試験を行う記録札。受取人は内容を読み、署名する前に、水壺十二杯の印、双応黄銅、条件付き使用の三箇所を指した。
尽も同じ箇所を読めた。
受取署名をもらう。
一つ目。
水場の女が、尽へ小さな杯を渡した。
礼の飲み物かと思い、一口飲む。
酸っぱい。
塩気もある。
冷たい漬物汁だった。
杯ではなく、漏れがないか匂いを確認してほしかったらしい。
フィオが翼を震わせて笑う。
「先に言うてくれ」
尽は飲み込んだ。
吐けば余計に格好が悪い。
匂いは強いが、金属臭はない。水量計の下へ漏れもない。
確認札に、鼻の絵を加えた。
次はミナの暗階段。
水場の掲示印に合わせ、地図を半回転させる。
尽は地図の上にある道を選んだ。
フィオが、今度は翼で道を塞ぐ。
上へ描かれているから、上層へ行く道とは限らない。
地図の層番号を見る。
ミナの階段は一層下。
昇降符号の横に、下向きの短線が二つ。
尽は階段を選び直す。
手すりを使う。
一段。
二段。
途中で痛みが三角へ近づく。
休む。
通行人が後ろへ並びかけ、フィオが片翼を広げて反対側へ誘導する。
尽は申し訳なくなる。
早く歩こうとして左脚へ力を掛ける。
痛みが増す。
かえって長く止まる。
急いで道を空けようとすることが、道を塞ぐ原因になった。
休むなら最初から端へ寄る。
次の踊り場で、尽は先に壁際の座石を見つけた。
暗階段の二灯は点いている。
上段。
下段。
目で見れば、ほぼ同じ。
ミナの母親と通路管理人が待っていた。
赤い故障片は落ちていない。
上、中、子供の高さの警告窓も異常なし。
中古返流石の初回点検札を渡す。
管理人は、十二双曜潮ではなく六と読み上げた。
尽は首を振る。
中古品は十二ごと。
しかし取付直後の最初だけ六。
札には両方ある。
管理人は最初の六だけを見た。
尽も最初は、十二だけを覚えていた。
二人で札を読み直し、初回六、その後十二の順に番号を付ける。
受取署名。
二つ目。
帰路には、許可された短い買物時間があった。
尽の地球製ノートは、すでに半分近く埋まっている。使い切れば、単語も測定値も残せない。
フィオが案内したのは、階段脇の紙屋だった。
木ではなく、洞窟菌の繊維と古布を漉いた灰白紙。表面が粗く、鉛筆では線が途切れる。羽根筆と墨を使う前提らしい。
一束十二枚。
値札には小銅貨三枚の印。
尽は弟子仕事で受け取った銅貨を出す。
店主は二枚だけ取った。
尽が値札を指すと、店主は銅札、負傷札、弟子札を順に見る。工房弟子への材料割引かと思った。
フィオが説明する。
三枚は持ち帰り価格。
古紙を十二枚返せば二枚。
尽は古紙を持っていない。
店主が指したのは、工房から届けた点検札の裏紙だった。役目を終え、保存期限もない紙札を回収して持参すれば割引になる。
勝手に裏返して使うのではない。
保管不要の印を確認し、依頼人が返却へ同意した物だけ。
尽は二枚を受け取った点検控えのうち、一枚には保存印があることに気づく。
もう一枚にはない。
保存印のない方も、今日は工房へ持ち帰る契約だった。途中で紙屋へ渡してよいとは書いていない。
割引は使わず、三枚払う。
店主は一枚を返そうとする。
尽は首を振り、値札と契約控えを示した。
フィオが訳すと、店主は少し驚き、それから灰白紙を一枚余分に入れた。
贈り物なのか、試し紙なのか。
尽は確認する。
返却不要。
追加料金なし。
ようやく受け取った。
異世界で初めて買った物は、剣でも魔石でもなかった。
十三枚のざらざらした紙だった。
工房へ戻ったら、地球製ノートは原本記録、灰白紙は単語練習と図の下書きに分けることにする。
紙一枚にも用途と保存条件がある。
グランドーガの教えが、工房の外まで追いかけてきた。
帰り道は、来た道を地図で逆に辿らなかった。
階段入口の掲示印へ合わせ、もう一度回す。
工房は赤縁側ではなく、炉風札と荷車軌道の交点。
尽は赤い光だけを目印にしそうになり、止まる。
赤導光は、複数の通路へ引かれている。
軌道の振動を靴底で探す。
杖にも低い震えが伝わる。
天井の三枚羽根札。
次に油の匂い。
地図と現場の三つが合う。
工房へ戻った。
迷った回数、一。
飲んだ漬物汁、一杯。
休憩、三回。
未配達、ゼロ。
グランドーガは地図へ丸を付けなかった。
尽が間違えた排気通路、休んだ座石、読み直した点検周期を記録させる。
正しく着いた経路だけでは、次の人が同じところで迷う。
フィオは、〈炉風〉の文字の横へ三枚羽根の絵を大きく描き直した。
尽の誤解は、地図側の改善にもなった。
ただし、集荷所へ行く許可は出ない。
グランドーガは氷風城全図を広げ、赤縁側の集荷所を指す。
次に、よく似た白輪倉庫を碧縁側で指す。
一つ間違えれば、目的地と反対の光域へ向かう。
尽は自信を持って赤縁側を示した。
地図が、上下逆だった。
フィオが机へ顔を伏せた。
グランドーガは全図を取り上げる。
許可まで、まだ遠かった。




