第百八十八話 温室の古い水路
王宮からの写しを読み終えても、尽は「受取人」の空欄へ指を置いたままだった。カルヴォスは六号箱を動かし、水車小屋まで行った。そこから先を、別の男の手に渡したと言う。
「男の名を知っているのに書かないのか、知らないから書けないのか」
ペペが言う。ナディアは首を振った。
「本人が答えるまで、その二つも決められない」
フィオナは写しを伏せた。商会の運搬依頼には、受領控えの返送先として温室地下保管庫が書かれている。カルヴォスは依頼を手配したと認めたが、返送先を誰が指定したかはまだ聞き取れていなかった。
「地下の名を使った理由は、別に調べられます」
ミレイアが立ち上がる。尽たちが入学して間もない頃、苔の鉢から白糸が出て、根菜に似た小さなものが排水管の脇で見つかった。糸の術式は谷の網に似ていたが、弱かった。古い隔離区画は封鎖されたままだ。ミレイアは当時の図面を保管庫から持ってきた。
地図の隅に、赤い印がある。
「ここ、前にも見た」
尽は古い隔離区画の名を読み上げた。普段使う温室地下保管庫からは棚を二つ隔てた奥だ。フィオナは、谷の箱から回収した紙片に書かれた宛先と地図を並べる。
「宛名は保管庫。でも水路は、こちらにも通っています」
ミレイアが指した細い線は、排水管から隔離区画へ曲がり、紙の端で切れていた。図面が古すぎて、現在の出口は分からない。ナディアは森守二人を呼び、学院側の許可札と一緒に地下へ降りた。学生四人には最初の柵まで、と念を押す。
「分かってます」
ペペが答えた。前に根菜へ手を伸ばしたのが彼だったので、ミレイアはそれ以上言わずに目だけ細めた。
地下の水路には、天井の根から落ちた雫が溜まっていた。ユーノは鏡板を水面へ向ける。谷で採った網の記録を重ねても、あの日ほど強い黒針の揺れは出ない。代わりに、曲がり角の手前で白い細糸が二本、水の流れに逆らって立っていた。
「これ、古い糸ですか」
「採らずに位置を書いて」
ミレイアが言う。尽は板に二本の間隔を記した。前に見つけた糸は苔の鉢へ入り込んでいた。今日の二本は、隔離区画の柵の下から出ている。いつ張られたのかは、見ただけでは分からない。
ナディアは柵の錠前を調べた。封鎖札は破れていない。ただ、札の裏にもう一枚、薄い紙が挟まっている。
「点検の控えかしら」
フィオナが屈む。水を吸った紙には日付の一部と、二つの丸い穴が残っていた。彼女は触らず、保存板を持ってこさせる。商会の複写用紙にも同じ二つの穴がある。間隔はまだ測っていない。
ミレイアは柵の前に立ち、隔離区画の鍵を腰から外した。扉の向こうは乾いた棚ばかりだと思っていた。足元の細い水路では、二本の糸が流れと逆向きに揺れている。
「今日は開けない」
ナディアが止めた。保存担当と学院の管理者を呼び、札と紙の状態を記録してから開ける。尽は頷き、柵から一歩下がった。ユーノの鏡板には、二本の白糸の影が細く残っていた。




