第百七十六話 返送先の一行
商会の原本は、翌々日の午後に届いた。雨を吸った革鞄から出された封筒の角は少し丸くなっていたが、中の紙は乾いている。フィオナが机を空け、ナディアと商会の受付係が向かい合った。尽たちは立会人として、窓際の長椅子に座った。
「先に言っておきます。窓口で顔までは確かめていません」
受付係はそう言って、親指に残る青いインクを服で拭った。
「封に林務局の印があって、配達の料金も前払いでした。いつもの仕事だと思ったんです」
ナディアは原本の左下を見た。林務局の丸印には、縁の欠けたところまで彼女が知る形が出ている。すぐに偽物だとは言えない。一方で、局の発送簿にはこの依頼がない。印を使った者と紙を窓口へ持って来た者が同じかどうかも、分からなかった。
フィオナは写しを原本の横に並べた。写しには「北谷測量班への資材運搬」と、水車小屋を示す行先だけが載っている。原本の裏には、細い欄がもう一つあった。
「受領控えの返送先?」
リゼッタが身を乗り出す。そこには小さな字で、〈エルシリン高等魔法学院・温室地下保管庫〉と記されていた。
ペペが息をのんだ。谷の箱から出た濡れた紙片と同じ宛名だ。尽は記憶の中の、端が溶けた紙を思い浮かべた。あちらには宛名の一部しか残っていない。この一行だけで、二枚が元は同じ紙だったとは言えない。
「どうして写しにはないんですか」
「配達係に返送先は渡しません。受領印をもらって帰れば、事務所からそこへ控えを送る決まりです」
受付係が答えた。水車小屋で受領印をもらえなかったため、控えは作られていない。商会から学院へ送った記録もなかった。
「この宛名を書いた人を見ましたか」
セレーネが尋ねる。
「紙は封筒に入っていました。窓口に来た人は、林務局の使いだとだけ。灰色の外套でした。港じゃ珍しくありません」
受付係は少し考えてから、もう一つだけ付け加えた。
「封を置いたあと、受領控えは必ず返るかと聞かれました。私が『印をもらえれば』と言うと、返事をしないで帰りました」
ナディアはその言葉をそのまま記録させた。相手が控えを欲しがったのか、控えが残るのを気にしたのかは聞き取れない。受付係も声や背格好に確信はなかった。
「保管庫の宛名を知っている人間は、学院の中にも外にもいるわ」
フィオナが言った。
「ただ、森の運搬依頼に書かれた理由は調べられる。保管庫の受領簿と、あの時期に出した資材の控えを見ます」
セレーネは頷いた。谷の箱に入っていた紙片は、学院の封印の下にある。二枚の字を比べるにしても、まず保存担当を呼ぶ必要があった。
受付係が原本を戻そうとすると、ナディアが止めた。商会の保管簿と照合を済ませ、原本は封をして学院と林務局の双方が立ち会う場所に置く。受付係は渋い顔をしたが、フィオナが預り証を二通書くと、一通を丁寧に折って胸にしまった。
帰りの馬車で、ペペは膝の上の図に三つの場所を書いた。商会の窓口、水車小屋、温室地下。線を引く前に鉛筆が止まる。
「誰が頼んだかと、誰が箱を取ったか。まだ別だよな」
「うん」
尽は答えた。けれど、返るはずだった一枚の控えが、なぜ学院の地下を宛先にしていたのか。その問いだけは、馬車が学院の門に着くまで消えなかった。




