第百六十七話 宿場に届いた鑑定書
西門を出てしばらくは、誰も第七灯の話をしなかった。馬車の窓から見える畑には刈り残した麦が立ち、車輪が石を踏むたび、ペペの膝に載せた包みが跳ねた。エウリスからもらい直した焼き菓子だった。
「先生、結局食べなかったな」
ペペが包みを開ける。菓子は割れていたが、皆で分けるにはかえって都合がよかった。ナディアは御者台にいるので、セレーネが一片を紙に包んでおく。監査官は最初、要らないと言った。馬車が次の坂を越える頃には、自分の分を受け取っていた。
その晩の宿は、往路にも使った街道沿いの公営宿だった。宿帳に監査官が通行許可の番号を記し、ナディアが馬車を裏庭へ回す。尽たちは食事を済ませると部屋へ上がった。窓の下で、旅人が北へ向かう荷馬車の車軸を直している。声は聞こえたが、尽には行き先まで分からなかった。
二日目の昼、国境手前の宿場で馬を休ませていると、王都の紋をつけた騎手が到着した。監査官を探しているという。汗をかいた馬を水場へ連れていく間に、監査官は封書の宛名と封印を確かめ、宿の食堂の端を借りた。
「鏡板の粉の予備鑑定だ」
フィオナが椅子を寄せる。書面には、王立鑑定所で受け取った封の状態と、採取した粉の量が先に記されていた。分析に使われたのは王国側の小片だけで、精霊学院へ運ぶもう一方の封は開かれていない。
鏡板の白い線から採った粉には、古い調合記録にある術式保護材と同じ反応が二つ出た。比較に使った未使用の鏡板からは、その反応は出ていない。鑑定官は「同種の保護材が内縁に残留した可能性が高い」と記していた。
「じゃあ、あの瓶の中身が残ってたんだな」
ペペが声を上げかけ、リゼッタに袖を引かれた。
「材料の種類までよ。瓶がどれかは書いてない」
監査官も頷く。同じ調合の保護材は、十二本のほかにも作られている。今回の試験で貸し出された一本と、北門へ運ばれた九本を、粉だけで見分ける方法はない。鑑定書の末尾には、採取量が少ないため製造時期も特定できない、とあった。
尽は紙の上にある「内縁」という二文字を見た。イルマは翌朝、灯の見えるところを拭いている。その手が届かなかった場所に、薄い被膜が残っていた。昨日の話と今日の結果は、そこで初めてつながる。
「試験の時についたものだと、言えますか」
ユーノが尋ねた。
「試験簿には、保護材をこの鏡板の縁へ塗ったとある」
フィオナは写しを開いた。「場所も材料も合う。ただ、塗布した当日の被膜か、その後に同じものが重なったのかは、これだけでは決められない」
セレーネは鑑定書を読み終えると、未開封の小箱を膝へ置いた。中には、採取の時に分けた精霊学院側の試料がある。王立鑑定所とは別の手順で調べるためのものだ。箱を馬車に置いたまま降りることさえ、ナディアは許していない。
「戻ったら、こちらも調べます。結果が一致するか、まずそこを見たい」
「向こうで出なかったら?」
尽の問いに、セレーネは箱の封蝋を指した。
「採った場所も、運び方も、調べ直す。違う結果には、違う理由があるはずだから」
監査官は鑑定書の写しをフィオナへ渡した。エウリスは学院で研究会の保管記録を引き続き調べるという。棚から消えた瓶について、新しい出庫の記録はまだ見つかっていない。レオハルトへ清掃の報告をしたイルマの証言も送られたが、王子本人への再確認はこれからだった。
食堂を出ると、騎手の馬は水桶から顔を上げていた。監査官は彼に王都への短い返書を託し、尽たちと同じ馬車へ戻る。通行許可に記された道は、宿場の先で国境の橋へ続いていた。
橋の手前で、ナディアが一度だけ馬車を止めた。往路と同じ番所で許可の残りを確認するためだ。尽が窓から振り返ると、王都から来た騎手はもう別の街道へ曲がっていた。ペペが菓子の包み紙を小さく畳み、座席の隙間に落とさないよう鞄へしまう。
「あの棚、空のままなんだよな」
「うん」
尽は答えた。鏡板に残ったものの名が分かりかけても、瓶の行き先は分からない。番所の係員が封印を返し、ナディアが馬を進ませた。橋の板が車輪の下で順に鳴った。




