↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
147/219

第百四十七話 雲の靴は舞台裏に

「雲って、靴を履くの?」


 ペペが台本の一行目を読んだところで、リュオは木箱の蓋を閉めた。


「そこから聞くなら、先に最後まで読んでよ」


「最後の頁にも履いてるって書いてない」


「なくしたから探す話だもの」


 放課後の小劇場は、乾いた絵の具と古い幕の匂いがした。リュオが低学年の学生に見せる短い芝居を用意したものの、役者のうち二人が風邪で休みになった。尽たちは手伝いを頼まれ、道具箱の周りに集まっている。


 芝居の題は『雲の靴屋』。山へ雨を運ぶ雲が片方の靴をなくし、森の住人に尋ね歩く。最後は靴屋の看板の上で見つかるという。全部で十五分もかからない。


「ペペが雲。ミオが鳥。セレーネは靴屋のおばあさん」


 リュオは紙に名前を書き込んだ。


「私、おばあさん?」


「前の役者の台詞を一番早く覚えたから」


「やるよ。でも、この杖は長すぎる」


 セレーネが道具箱から出した杖は、舞台の天井近くまであった。ペペが持ち上げようとして、途中で照明の紐に引っかける。幕の裏に吊った小さな星が一斉に揺れた。


 ユーノは台本を受け取り、語り手の席へ座った。声に出して最初の二頁を読み、句読点の位置だけ鉛筆で直す。ナナは雨の音を担当することになった。水の粒を器へ落とすと、短い雨音がよく響く。


「尽は風ね」


 リュオに言われ、尽は幕の裏へ回った。台本には、雲が山を越える場面で「風が背を押す」とだけある。


「どれくらい押せば?」


「雲が歩きやすいくらい」


「ペペが入ってるんだよね」


「うん」


 尽は幕の隙間から、雲の衣装を広げているペペを見た。丸い布に綿を縫いつけたもので、両脇には腕を出す穴がある。衣装の幅は舞台の裏口よりわずかに広かった。


「入る時、横を向いてね」


「分かった」


 ペペは返事をしながら正面から裏口へ進み、左右をつかえさせた。


「いま横を向くところだった」


 彼を引き戻すのに三人かかった。リゼッタはその間に道具の置き場所を床へ小さく書いた。看板、靴、杖。最後の靴だけ、台本どおり看板の上に載せると落ちやすい。


「紐で結んでおけば?」


 セレーネが言う。


「見えてしまう。上の釘へ掛けるほうがいいわ」


 リゼッタは靴の踵に細い輪をつけ、釘へ引っかけた。軽く揺らしても落ちない。彼女が位置を確かめている間、ペペは舞台の向こうから「ぼくの靴を知りませんか」と三度声を張っていた。


「知ってるけど、まだ教えられない」


 リゼッタが答える。


「お客さんには聞こえないくらいで言って」


 リュオが慌てて振り向いた。


 通し稽古では、尽の風が最初から強すぎた。雲の布が膨らみ、ペペの顔まで綿に埋まる。彼は台詞を言おうとして、綿を一つ口から吹き出した。


「顔、見えてない」


 ミオが肩を揺らしている。


「雲だから見えなくてもいいだろ」


「靴を探してる顔が見えないと困るよ」


 リュオに言われ、尽は風を弱めた。今度は雲がしぼみ、衣装の端が床を引きずる。


 セレーネが幕の隙間から手を出した。


「上だけ送って。裾はそのまま」


 昼の実習で小さな鈴を鳴らした時と似ていた。尽は衣装の上部に縫いつけた綿を見て、そこだけに風を当てる。布が少し浮き、ペペは足元を見ながら歩けるようになった。


「それなら転ばない」


「転ぶ予定はないよ」


 彼はそう言った直後、舞台の段差を踏み損ねた。幕の裏だけの出来事で済み、リュオは台本の余白へ何か書き足した。


 翌日の昼休み、客席には低学年の学生が二十人ほど座った。前列の子たちは、幕の下から見えるペペの靴を指している。本人は丸い雲の中で聞こえないふりをした。


 ユーノの語りで芝居が始まる。ミオは鳥の羽を頭につけて舞台を横切り、ナナの雨は小さな器の中で降った。セレーネが杖をついて出てくると、前列から「おばあさん、走れる?」と声が上がる。


「靴屋は走らないよ。靴を直すんだから」


 セレーネが芝居の声のまま答えた。客席はそれで納得したらしい。


 雲が看板へ近づく。ペペは落ち着いて台詞を言い、看板の上を指した。


「あっ、あれはぼくの靴!」


 リゼッタが裏から靴を外そうとする。踵の輪が釘に食い込んで動かない。ペペは指を上げたまま待ち、セレーネも杖を置かずに待った。客席の一人が先に靴を見つけ、「右だよ」と教えてくれる。


「ありがとう。右の、どこだろう?」


 ペペが問い返すと、今度は十人ほどが一斉に右を指した。尽は裏から看板を少し傾ける。輪が釘から外れ、靴がリゼッタの手へ落ちた。


 靴屋が雲に靴を渡す場面で、セレーネは片方の靴紐を結ぶふりをした。台本にはない。ペペもしゃがみ、丸い衣装ごと前へ傾く。尽が上部の綿へ風を送り、雲がほんの少しだけ弾んだ。前列の子が拍手をし、後ろの子も続いた。


 幕が閉まると、リュオは台本を抱えて走ってきた。


「最後、あのほうがよかった。靴紐を結ぶところ」


「看板の釘は直したほうがいいわ」


 リゼッタが靴を持ったまま言う。踵の輪はまだ釘の形に曲がっていた。


「そこも書いた」


 リュオが余白を見せる。字の小さな注意書きが増え、台詞より長くなっている。


 片づけの最中、ペペは衣装を脱がないまま道具箱を運ぼうとした。また裏口につかえた。今度は誰も引っ張らず、皆で彼が横を向くまで待った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。