第百四十二話 北門で一瓶だけ戻った
二日後、ナディアが学院へ来た。森の警備隊の外套を着たまま、食堂の前で一年生たちに道を聞いている。
「記録室なら、こっちです」
セレーネが声をかけると、ナディアはほっとした顔をした。
「案内札が、私を食堂へ連れていく。朝から何も食べていないのが分かるのか」
「行き先を声に出すと、言うことを聞きます」
「記録室」
葉の矢印は右へ向いた。ナディアは一度だけ食堂を振り返り、書類の入った筒を抱えて歩き出した。
フィオナの部屋には、尽たち四人とミレイアも呼ばれた。ナディアが持参したのは、北門検札所の受領帳を写した紙と、森で押収した木箱の印を写し取った薄い布だった。どちらも警備隊の封がある。
「原本は検札所と警備隊の保管庫に残す。ここで見せるのは認証写しだけだ」
ナディアは紙を机へ広げた。
「二年前、港の商会の車が風見塔から北門に着いている。申告は九瓶。検札所が受け取ったのは八瓶だ」
ペペは先日書いた十二と九の数字の下へ、八を足した。紙の上で、数が一つずつ減っていく。
「残る一瓶は?」
「封蝋が割れていた。門の規則で受け取らず、運搬係へ差し戻したとある」
ナディアが受領帳の端を指す。〈封切れ一瓶、車へ返す〉。門番の署名と時刻が添えられている。荷物を受け取る側の記録なので、返された瓶がその後どこへ行ったかまでは載っていない。
「壊れて中身が出たわけでは?」
リゼッタが尋ねる。
「そこまでは書かれていない。封が割れていた、という記録だけだ」
尽は港から届いた第六二号の表面と、北門の写しを並べた。日付は同じ。塔を出た翌朝、北門で一瓶が戻り、八瓶が門の内側へ入った。港の写しには、北門での差戻しがまだ反映されていなかった。
「表と裏で数が違うかもしれませんね」
ユーノが言う。
「商会には裏面も求めています。運搬係が受け取った記録があれば、そこを確認します」
フィオナが答えた。
ナディアはもう一枚の布を出した。森の罠の近くで拾った箱の底を、傷つけずに写したものだ。三本の波線の下に、前は土で見えなかった小さな丸がある。
「洗えば印まで削れる。湿らせた布を当てて、盛り上がりだけ写した」
「港の運搬係の印と似ています」
セレーネが言った。
「同じ道具で押した印かどうか、警備隊の資料係が比べている。丸は商会が担当を分けるための印だそうだ。誰の手かは、商会の内部帳がなければ分からない」
ペペは箱の写しを透かした。波線の端は欠け、丸も完全な形ではない。
「二年前の荷箱を、今も使っていたのかもしれない」
「別の荷へ同じ印を押した可能性もあるわ」
リゼッタが言う。
ナディアは二人の意見を聞き、箱の発見場所を書いた札を布の横に置いた。森の北側、閉鎖中の林道から外れた谷。門からそこまでの道筋は複数ある。今、誰かがその瓶を運んだと示す足跡は残っていない。
「現場へ行って、もう一度探したい」
尽は言った。すぐに、北の林道に赤い線を引いた地図が頭へ浮かぶ。
「気持ちは分かるが、道はまだ開けられない。罠の残りを隊で調べている」
ナディアの声は静かだった。
「お前たちが最初に見つけた印は、報告に入れてある。新しい採取物も、学院へ写しを送る」
尽は頷いた。セレーネが机の下で彼の袖をつまんでいる。引き止めるほどの力ではない。返事を待っていたのだろう。
「北門に入った八瓶の行先は?」
ユーノが受領帳の次の欄を見た。
「ここでは門内の一時倉庫までです。その先は、門の搬出簿を調べる」
ナディアは持参した書類筒の蓋を閉めた。
話が終わると、ペペが食堂の方を指した。
「昼なら、まだ温かいものがあります」
「案内札に教えてもらったから、今度は迷わない」
ナディアはそう言って廊下へ出た。ところが矢印の前で「食堂」と口にした瞬間、葉は学院の厨房裏へ向いてしまう。朝の配達係が使う入口だ。
「そっちは職員用です」
セレーネが慌てて呼び止め、正面の扉まで案内した。ナディアは戸口で外套を脱ぎ、食券を握ったまま列へ並ぶ。
列の後ろに、尽が道案内した一年生がいた。ナディアの外套を見て、「北の道はいつ開きますか」と尋ねる。寮から故郷へ帰るには、いまは南回りの馬車を使うしかないという。
「日を決めて教えられたらいいんだが、まだ網を外し終えていない」
ナディアは食券を指に挟んだまま答えた。
「週末の便は、警備隊が南門まで付き添う。寮監には連絡してあるよ」
一年生は少し安心した顔になったが、次に「馬車で寝過ごさないようにします」と真面目に言った。ペペが後ろで吹き出すと、ナディアまで笑った。
午後の授業まで、尽は受領帳の写しを鞄へしまわずにいた。八瓶と差戻しの一瓶。そこへペペが新しい紙を置く。十二から枝分かれする数字を、珍しく絵を描かずに書いていた。




