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第十四話 弟子の初日は魔法より文字

弟子になった翌日、尽は魔法を教えてもらえなかった。


金属も触らせてもらえなかった。


渡されたのは、十二枚の木札だった。


危険。


停止。


熱。


毒。


依頼人確認。


監督者必要。


未検査。


使用可。


使用条件あり。


廃棄禁止。


記録棚。


避難。


ティムが一枚ずつ読み、尽が繰り返す。


発音を間違えるたび、木札が机へ戻る。


〈熱〉と〈期限〉の音が似ていた。


尽は三度間違えた。


期限切れの鍋を熱い鍋と呼ぶ程度なら笑い話で済む。


毒粉の処理期限を熱処理の指示と読み違えれば、人が傷つく。


グランドーガが、文字を読めない間は受付を一人でさせない理由だった。


尽は音だけでなく、札の形を部品のように分けた。


〈危険〉と〈毒〉には同じ左側の印。


〈停止〉と〈避難〉には足を止める横線。


〈使用可〉と〈使用条件あり〉は上半分が同じで、下に小さな鍵印が増える。


漢字の偏と旁に似ている。


共通部分を単語帳へまとめると、覚える数が少し減った。


ティムは逆に、日本語の〈未〉と〈末〉を見て首を抱えた。


「そっちは一本の長さや」


尽が鉛筆で差を示す。


ティムは、そんな危険な文字を使う民族が他人の言語へ文句を言うな、という顔をした。


文字試験が終わるまで、工房奥へ入れない。


尽は十二枚を並べ直す。


一度目。


〈期限〉を間違える。


二度目。


〈使用条件あり〉を〈使用可〉と読む。


三度目。


全部読めた。


今度はグランドーガが札の位置を変え、逆さにし、煤で一部を隠した。


尽は二枚で止まった。


読めない。


無理に答えない。


老人は煤を拭き、もう一度見せた。


正解を当てる試験ではなく、読めない札で作業を止められるかの試験だった。


尽の銅札へ、小さな点が一つ増えた。


次に任されたのは、前日に失敗した水量計だった。


双応黄銅の材料片。


歯形板。


歯割り盤。


普通黄銅の試験歯車。


失敗記録。


全部が同じ箱へ入っている。


失敗作も、捨てられていなかった。


ティムと加工を分担する。


今回は最初から交代表を作った。


尽が測定と一枚目から六枚目。


ティムが七枚目から十二枚目。


一度検査。


尽が十三から十八。


ティムが十九から二十四。


最後に相互確認。


同じ人が作って同じ人が確認すると、同じ見落としをしやすい。


その説明を絵にするのが難しかった。


尽は、自分で書いた三角を自分で見落とす人の絵を描く。


ティムが、目を閉じた尽の顔を足した。


腹が立ったので、尽は眠ってやすりを持つティムを描き返した。


グランドーガが二枚とも作業記録へ貼った。


冗談まで保存する必要はない。


新しい歯車は、前より時間が掛かった。


双応黄銅は白筋部分だけ硬さが違う。やすりを同じ力で押すと、黄色側が先に削れる。


尽は回数を揃える方法をやめ、歯形板との隙間を毎回見る。


工程を同じにすることと、結果を同じにすることは違う。


二十四枚を仕上げ、軸穴を通す。


水量計へ組む。


常態光。


石壺十二杯。


針は十二。


赤い鏡箱。


十二杯。


十二より、線一本分だけ先。


碧い暗箱。


十二杯。


十二より、線一本分だけ手前。


半目盛りあった誤差は、小さくなった。


ゼロではない。


工房の許容板を当てる。


赤も碧も、限界線の内側。


ティムが成功の丸を描こうとする。


尽は止めた。


一回ずつでは足りない。


三条件を順番に入れ替え、各三回。


赤の直後に碧へ入れると、最初の一回だけ誤差が大きい。材料の温度か魔力膜が落ち着くまで時間が要る。


実際の水量計は、赤光から碧光へ急に箱ごと移されない。


それでも、双曜潮の前後には変化する。


尽は取付札へ、光が切り替わる時刻の前後で一度ずつ確認する印を追加した。


完成。


ただし条件付き。


グランドーガが〈使用可〉ではなく〈使用条件あり〉の札を選ぶ。


今朝覚えた文字だった。


読めなければ、この違いを依頼人へ伝えられなかった。


水量計は、十二戸の代表が立ち会う検査へ送られた。


尽の仕事はそこで終わらない。


材料箱を戻す。


削り粉を種類別に分ける。


歯形板の摩耗を確認する。


作業台の油を拭く。


普通黄銅試験歯車と新造品の記録を並べる。


異世界の弟子生活は、七割ほど片付けだった。


残り二割が文字。


最後の一割だけが、尽の想像した鍛冶に近い。


その一割も、槌を振るより測っている時間の方が長い。


昼食の粥を食べていると、ミナが貸出灯を返しに来た。


昨日の壊れた鉱石灯も一緒だった。


正式な修理順が回ってきたらしい。


グランドーガは鉱石灯を尽へ渡さず、赤い札を付ける。


未検査。


尽は読めた。


次に監督者必要の札。


それも読めた。


老人はティムを指す。


二人で検査しろ。


鉱石灯の外殻には割れなし。


力石は淡く光る。


光を外へ導く乳白板も曇っていない。


底蓋を開くと、内側へ細い銀線が一周していた。途中の一箇所だけ、線が黒く切れている。


電線の断線に見える。


尽はすぐ金属でつなごうとして、手を止めた。


銀線の横には、読めない小文字がある。


ティムも首を傾げる。


二人とも読めない。


作業停止。


グランドーガを呼ぶ。


老人は小文字を見て、別の札を持ってきた。


〈返流〉


灯りへ入った魔力の余りを、力石へ戻す道。


ただの導線ではないらしい。


金属だけで短絡すれば、力石へ一度に戻り、割れる可能性がある。


銀線の切れ目には、薄い黒石片が入っていた。抵抗か緩衝器の役目を持つ部品。


見た目は焦げ屑でも、不要物ではなかった。


尽は、子供の頃に残った二枚の螺子を思い出す。


用途が分からないことと、不要であることは同じではない。


黒石片を同じ材質の薄片へ交換する。銀線を低い熱でつなぐ。力石を最小の明るさへ合わせ、灰箱の中で点灯試験。


白い光が一度だけ揺れ、安定した。


最大にはしない。


中、低、消灯。


返流部の温度。


三回。


条件内。


ミナへ渡す前に、グランドーガが依頼札を読み上げる。ティムが補い、尽は自分で分かる文字を追う。


暗階段。


携帯。


子供使用。


落下あり。


最大光は禁止。


修理代は小銅貨二枚。貸出灯の料金は、返却されたため一枚戻る。


ミナは灯りを点け、低い光を手で覆った。


笑った。


尽が初めて直して誰かへ返した、この世界の道具だった。


山を削る力より、ずっと小さい光。


けれど、その子が暗い階段を一人で落ちずに歩くには、こちらの方が役に立つ。


作業終了後、メルダが左膝を診た。


腫れは減っている。


固定板は、長いものから短いものへ交換された。


走るのは禁止。


重い物を持つのも禁止。


階段は手すり付きで一層まで。


工房上階の共同室へ移る許可は、次の双曜潮以後。


完治ではない。


少し生活範囲が増えただけだった。


その夜——と呼べる暗さは、やはり来なかった。


赤光の細い時間、尽は治療区の寝台で自分の荷物を確認した。


家の鍵。


止まった腕時計。


十円玉三枚。


母が選んだ鞄。


白紙の一頁。


薯片は隔離庫にあり、ここにはない。


白紙を赤光、碧光、鉱石灯へかざす。


何も出ない。


指輪も温かくならない。


弟子にはなれた。


氷風城に留まる場所もできた。


それは、神戸へ帰る道が見つかったこととは違う。


父は、壊れた電話亭を見ただろうか。


母は、途中で切れた通話のあと、どれほど待っただろう。


学校では、三浦が科学部の古いパソコンを調べているかもしれない。


今まで考えなかったわけではない。


考え始めると動けなくなるから、目の前の歯車と粉へ逃げていた。


尽は白紙へ書こうとして、鉛筆を止めた。


これは電話亭の旧冊から残った一頁だ。


書き込めば、手掛かりを壊すかもしれない。


別のノートを開く。


〈氷風城。工房弟子一日目〉


日付は分からない。


到着から数えた双曜潮と食事回数を併記する。


その下に、家族へ向けて書いた。


〈生きている。帰り方はまだ分からない〉


届かない記録だった。


それでも、分からないから空白にしておくよりはよかった。


尽はノートを閉じ、家の鍵と一緒に鞄へ戻した。


帰れないと決めたのではない。


今は帰り方が分からない。


その二つも、同じではなかった。

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