第十三話 壊れた物より、困っている人を見ろ
四人の依頼人を前にして、尽は困った。
どれを直したいかと聞かれれば、全部だった。
どれを直せるかと聞かれれば、まだ一つも分からない。
抱えられた鍋には、底の近くへ細い亀裂。
手押し車は左輪が傾き、軸端の留め具がない。
鉱石灯は振っても叩いても光らない。
角の青年の義手は、中指と薬指が曲がったまま戻らない。
見た目で一番危険なのは義手だった。
だからといって、先に分解してよいわけではない。
尽はグランドーガを見る。
老人は四人を指し、次に作業台を一つだけ叩いた。
使える台は一つ。
作業時間も、双曜潮の鐘が鳴るまで。
全部を完全に直す時間はない。
一つ選べ。
そのように見えた。
尽は品物へ手を伸ばさず、単語帳を開いた。
ティムへ、壊れた物と人を交互に指す。
「いつから」
「何に使う」
「待てる」
覚えた現地語だけでは足りない。時計、仕事、食事、痛みの絵を追加する。
ティムが質問を言い直した。
最初は鍋の老女。
名はマルタ。
鍋は共同炊事場で使う。自分一人ではなく、同じ下層区画に住む七人分の粥を煮るらしい。
亀裂は二度前の双曜潮から。今は別の小鍋を二つ借りている。火床へ二つ載せるため燃料は余計に掛かるが、次の配食までは待てる。
尽は〈七〉と〈代わりあり〉を書く。
次は手押し車の獣人。
灰白の毛に、右耳だけ黒い。名はロウガ。
運んでいるのは食料ではなく、暖房用の熱石だった。治療区と幼児舎へ、一回に六箱。今は他の運び手へ荷を分けているが、次の赤光低下までに直らなければ、奥区画の配送が一便遅れる。
代わりの車はない。
押して運ぶ人手も足りない。
〈期限あり〉
〈代わりなし〉
三番目は鉱石灯の子供。
名はミナ。
灯りは学校で使うのかと思ったが、違った。母親が市場の清掃仕事を終える時間に迎えへ行くため、大隧道脇の暗い階段を通る。
現在は隣人と一緒に歩いている。
一人で行かなければ危険はない。
ただし隣人の仕事が変わる三回後までに直したい。
〈安全に関係〉
〈三回待てる〉
最後は角の青年。
名はセグ。
義手は仕事用だった。荷役場で結び目を締め、鎖を扱う。三本の指が動かないため、今は作業から外れている。
痛みはない。
しかし内部の小さな力石が、時々熱を持つ。
熱。
その一語で、グランドーガが動いた。
青年の腕へ触れる前に同意を取り、義手の外側にある赤い留め具を外す。力石へつながる細線を一本抜く。
曲がった指はそのまま。
だが、石の明滅が止まった。
修理ではない。
先に危険を止めた。
尽は、自分が四つから一つを選ぶ試験だと思っていたことに気づく。
一つしか直せなくても、四つ全部の危険を同じまま放置する必要はない。
義手は動力を切り、専門の義肢台へ移す。
鉱石灯には、工房の貸出灯を一つ渡す。
鍋の老女には、小鍋二つ分の余計な燃料札を工房が一時負担する。
残る手押し車には代わりがない。
完全修理を優先するのは、それだった。
尽はロウガを指し、作業台を指した。
グランドーガは何も言わず、双曜潮の砂時計を返す。
時間が落ち始めた。
手押し車を横倒しにする前に、積荷を確認する。
空だった。
車台の割れ。
右輪の摩耗。
左輪の傾き。
軸端。
留め具だけが落ちたように見えたが、軸の穴も片側へ広がっている。新しい留め具を差しても、荷重を受ければ抜ける。
車輪を外す。
軸表面に長い擦り傷。
左輪の内側には、黒い油と木粉が混じっていた。
潤滑不足で輪が固まり、留め具へ横向きの力が掛かったらしい。
尽はロウガへ、六箱の重さを尋ねた。
ティムが石を六組並べる。
一箱が十二重石。
合計七十二。
空車を回すだけでは、直ったか分からない。
荷重試験が必要だった。
軸を丸ごと交換すれば確実だが、期限までに新造できない。
広がった穴を一段大きく削り、薄い筒を圧入して元の径へ戻す。留め具は同じ一本差しではなく、軸端を貫く横穴へ通し、先を二つに開いて抜け止めにする。
地球の割りピンに近い。
尽が絵を描くと、ティムは工具棚から、よく似た二股留め具を出した。
また、すでにあった。
名前は違っても、車輪が抜けないよう考える人間はどこにでもいる。
問題は寸法だった。
既製の二股留め具は、軸穴より一段太い。
穴を広げ過ぎれば軸端が弱くなる。
尽は軸径を測り、外周から穴までの残り厚さを紙へ描く。ティムは炉環王国の荷車規格板を持ってきた。
六箱用なら、残す厚さは最低三印。
既製品を通すと二印半。
使えない。
細い留め具を一から作る時間も、ぎりぎりだった。
ロウガが自分の腰紐を外し、車輪を縛る仕草をする。
応急処置でよい。
そう言っているらしい。
尽は首を振った。
熱石を積んだ車輪が階段で抜ければ、ロウガだけでなく下にいる人も危ない。
間に合わないなら、配送を遅らせる方がよい。
グランドーガは砂時計を見ている。
助言はない。
尽は既製留め具を細く削る案を考えた。
強度が落ちる。
二本重ねる案。
穴の中で力が偏る。
別の位置に小穴を開ける案。
古い広がり穴が弱点として残る。
ティムが、壊れた水量計の普通黄銅試験歯車を持ち上げた。
材料として使うつもりらしい。
尽は歯車と軸を見比べる。
黄銅は留め具には柔らか過ぎる。
だが、穴を戻す筒には使える。
試験歯車の中心部を切り出し、薄い筒へ削る。赤、常態、碧で寸法が変わる普通黄銅だが、荷車は外気と炉前を行き来する。
変化を見込んだ隙間が必要になる。
双応黄銅を使えば安定する。
しかし高価で、民用荷車の修理代を超える。
普通黄銅で交換可能な摩耗筒を作り、定期点検札を付ける。膨らみが限界を超えたら筒だけ替える。
完璧ではない。
使う条件を決めた修理だ。
グランドーガが初めて頷く。
職人が歯車中心を切り出す。尽とティムが座って外径を整える。軸穴へ圧入し、細い既製留め具が通る径へ開け直す。
二股の先を開く。
車輪を戻す。
空車で十往復。
異音なし。
熱石と同じ重さの試験塊を六箱。
一往復。
左輪の温度を測る。
二往復。
軸端のずれを見る。
坂板を上り下りする。
四往復目で、左輪から小さな音が出た。
尽は止める。
筒ではない。
右輪との高さが半印違い、荷重が左へ偏っている。
古い右輪も摩耗していた。
左だけ新品状態へ戻したため、差が表へ出た。
右輪へ薄い当て輪を追加し、高さを揃える。
再び六箱。
十往復。
音は出ない。
最後にロウガ自身が押す。
獣人の歩幅と、工房の試験者の歩幅は違う。曲がるときに車台を強く傾ける癖もある。
三度目の曲がりで、右の当て輪が少し動いた。
固定を追加する。
再試験。
砂時計の最後の砂が落ちたとき、ロウガは六箱を載せた車を工房入口まで押していた。
配送には間に合う。
ただし修理札には、普通黄銅筒、赤碧変化あり、十二回ごとに点検、右当て輪確認と刻まれた。
ロウガは料金札を見る。
新しい軸一本より安い。
無料ではない。
彼は銅貨を払い、尽とティムへ片手ずつ差し出した。
尽は握手だと思って握る。
ロウガはそのまま尽を引き寄せ、額を軽くぶつけた。
獣人の礼だったらしい。
痛かった。
ティムは横で腹を抱えて笑っている。
鍋、灯り、義手はまだ直っていない。
それでも、待つ間の代わりと危険停止は用意した。
完全修理が一つ。
応急停止が一つ。
貸出が一つ。
燃料補助が一つ。
グランドーガは四つの記録札を並べ、尽の灰色札を外した。
老人は炉の前へ歩く。
小さな金床を一度叩く。
ティムが尽の肩を押し、前へ出させた。
左膝では跪けない。
尽が困っていると、グランドーガは床を指さず、椅子を蹴って寄越した。
座ったままでよい。
老人が自分の胸を叩く。
「グランドーガ」
次に尽を指す。
尽は現地文字で書いた名札を見せる。
「風間尽。ジン」
グランドーガは、灰色札を炉の熱へかざした。
表面の灰が剥がれ、その下から鈍い銅色が現れる。
槌一つ。
開いた目。
三本の試用線。
その裏へ、新しい印が刻まれた。
歯車と、空の四角。
ティムの弟子札とは印が違う。
ティムは槌が二つ。
尽は槌一つと空欄。
技量も権限も同じではない。
空欄は、まだ専攻が決まっていない印らしい。
工房弟子。
危険炉の単独使用は禁止。
武器と義肢の修理は監督付き。
依頼札を読めない間は受付を一人でしない。
賃金、食費、治療費、材料責任は試用時の契約を継続。
寝床は、メルダが退院を認めた後に工房上階の共同室。
滞在保証人はグランドーガ。
市民権でも、自由通行証でもない。
弟子として氷風城に留まる許可だけだった。
尽は説明を一つずつ絵で確認し、銅色の札を受け取った。
グランドーガは金床を二度目に叩く。
工房の職人たちが、それぞれの槌で机や金床を一度だけ鳴らした。
派手な魔法はない。
炎も空へ舞わない。
その音の中で、風間尽は異世界の鍛冶師の弟子になった。




