↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
139/219

第百三十九話 倒れない棚の、逃げ足

「入会の課題は、これ」


 ヴァルドが作業台の上に陶器の杯を置いた。杯には半分ほど水が入っている。すぐ横には、脚の長さが違う木製の小棚が一つ。


「この棚に杯を載せて、私が台を揺らす。一滴もこぼさず十数えたら合格」


「脚を揃えたら終わりじゃない?」


 ペペが言うと、ヴァルドは棚を指で押した。脚は揃っていた。床板が柔らかく、踏むたびに傾くのだ。


「寮や温室の根は勝手に伸びる。ここで使える仕組みにして」


 研究会の正式な参加札を受け取って以来、ペペが工房へ来るのはこれが初めてだった。尽たちは見学者として奥の長椅子に座っている。ユーノだけは最初から棚の下をのぞき、許された範囲を確かめていた。


「見学者は手を出さないでね」


 ヴァルドに言われ、ユーノは椅子へ戻った。


「出しません」


「顔がもう出してる」


 ペペは薄い板と小さなばねを借りた。杯を載せる皿だけが水平を保つよう、棚の上に揺れる台を作る。三本のばねを取り付けたところで、リゼッタが首を傾げた。


「その台、手で触るとずっと揺れるわよ」


「揺れても杯は真ん中にいる」


「まず水を入れて試して」


 ペペは杯を載せ、指で棚を押した。皿が跳ねる。杯は落ちなかったが、水がきれいな弧を描いてペペの鼻先へかかった。


「一滴目」


 ミオが数えた。


「数えなくていい」


「何滴だったか記録した方が」


 ユーノが言いかけ、ペペの顔を見て口を閉じた。セレーネが布を差し出す。


 隣の作業台では、リュオが棚の脚を根で床へ縛っていた。ヴァルドが板を揺らすと、棚ごと床の一部が持ち上がる。


「棚は倒れません」


「床を直す当番になるよ」


 リュオは根を緩めた。机の向こうでナナが、動く棚の脚へ小さな靴を履かせている。左右の高さが違う靴だ。


「片方だけ厚くしたら、まっすぐ立つ」


「床が変わったら?」


「脱がせる」


 靴を脱がされた棚は、ナナを追いかけるように少しだけ滑った。彼女は嬉しそうに二歩下がる。


 ペペはばねを一本外し、皿の下へ布を挟んだ。揺れを殺せば、水は跳ねにくくなるはずだ。試すと杯は安定した。しかし台を傾けたとき、棚の脚がするりと床板から離れた。


「待って」


 棚が作業台の端へ向かう。尽が風で止めようと立ち上がるより先に、ヴァルドが片手で受け止めた。杯の水は半分ほど残っている。


「杯だけ守って、棚が逃げた」


「そこまで軽いと思わなかった」


 ペペは棚を抱えて戻した。ヴァルドは床板を一度押し、木が沈む量を見せる。


「棚を押さえる重りを下に置けば?」


「重くしすぎると、寮の木に嫌われる」


「寮へ持っていく予定?」


「いつか、部屋の杯を守るのに」


 ペペは言いながら、工具箱の底を探った。薄い金具を一枚取り出し、棚の脚に固定する。金具の両端は床に触れるが、釘を打ち込まない。根が伸びれば、金具は少し浮いて逃がす。


「それなら、床を傷めないね」


 セレーネが言った。


「ばねは?」


 尽が聞く。


「一本だけ残す。たぶん、今度は水が飛ばない」


 ヴァルドが棚を三度揺らした。皿は少し傾き、戻る。杯の水面に輪ができたが、縁までは届かなかった。


「四、五、六」


 ミオが声を出して数える。ペペは息を止め、ユーノは自分の膝の上で指を折っていた。


「九、十」


 ヴァルドが手を離す。杯は棚の中央に残り、水もこぼれていない。


「合格」


 ペペは両手を上げた。次の瞬間、皿の下に挟んだ布がゆっくりずれ、杯が一寸だけ傾く。全員が黙って見守った。水は縁に届かず、また真ん中へ戻る。


「十まで数えた後なので、合格は取り消さないでください」


 ペペが言う。


「取り消さないよ。使う前には、布を留め直すこと」


 ヴァルドは工房研究会の小さな札を渡した。ペペが外来研究生の札の隣へ付けようとすると、留め具が互いに引っかかる。


「二つ並べると音がする」


「もう一つ作れば、風鈴みたい」


 ナナが笑う。


 授業の後、ユーノはようやく作業台へ近づいた。棚の下を見てから、ペペへ紙を渡す。


「最初の図です。脚の長さが違うと思っていました」


「僕もそう思った」


「床の方が動きました」


「あれはずるい」


 ペペは図の端に、ヴァルドが床を押した位置を描き足した。そこへナナが寄ってきて、余白に靴を履いた棚を描く。ユーノは消さなかった。


 夕食へ向かう途中、尽はペペの胸で二枚の札が小さく触れ合う音を聞いた。ペペはその音が気に入ったらしく、階段を下りるたびに少し跳ねていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。