第百三十七話 借りたものは夕食前に返す
掲示板の前で、ペペが急に立ち止まった。
「今日、借り物競走だって」
「出るつもり?」
リゼッタが尋ねると、ペペは掲示の一番下を指した。優勝した組には、食堂の夕食で小皿を一品追加する札が渡される。
「出る」
「理由が早いですね」
ユーノが言った。
放課後の中庭には、机が二つ並べられていた。一つには籤の入った箱、もう一つには借りた品を確かめるための白い布。ローデンが審判で、ナナは手伝いをしている。
「二人か三人で一組。籤に書かれたものを持ち主の許可を得て借り、ここへ持って帰ること。人を連れてくる籤もあるから、その場合は本人に来てもらえ」
「どこまで探していいんですか」
尽が聞いた。
「学院の中だけ。保管庫と厨房の奥は立入禁止。借りたものは夕食前に返す」
ペペがリゼッタとユーノの腕を引き、先に一組になった。尽はセレーネとミオと組む。ミオは籤箱の周りを一周してから、妙に重そうな紙を引いた。
「『朝の鐘より早く起きた人』」
「人を借りる方だ」
尽が言う。
「寮監なら確実じゃない?」
「仕事中のサラナさんを競走に連れ出すの?」
セレーネが笑った。尽は昨日、風の教室へ案内した一年生を思い出す。北の林道を迂回して到着し、初めての授業を気にしていた子だ。
「今朝も早く起きたって言ってた」
「どこにいるか知ってる?」
「昼に水路で見かけた。授業が終わっていれば、食堂かもしれない」
三人は食堂へ走った。ミオが翼で近道を取ろうとして、ローデンに呼び止められる。
「飛ぶのはいいが、屋根を越えて隣の区画へ行くなよ」
「走ります!」
ミオは翼を畳み、尽たちを追い抜いた。
ペペたちの籤には〈雨で花が咲く紙〉とあった。
「僕の名札だ」
ペペは胸元から紙を出した。昨日、寮の木へ見せた八輪の花がまだ残っている。新しく書き直した名前は、花に囲まれて窮屈そうだった。
「借り物競走で自分の物を使っていいの?」
リゼッタが尋ねる。
審判のところへ戻りかけたペペを、ユーノが止めた。
「持ち主から借りる競走です。あなたが持ち主なら、誰かへ一度預けてから借り直しても、言葉の上では成立します」
「その説明、審判が聞いたら怒るわよ」
リゼッタは近くのベンチで本を読んでいたエルナに声をかけた。名札を一時預かってもらえないかと頼むと、エルナは顔を上げずに言った。
「紙を保管するなら、折らないでください」
「預かってくれる?」
「保管はします。競走の抜け道には使わせません」
ペペは名札を差し出す前に引っ込めた。
「聞こえてたんだ」
「すぐ後ろです」
三人は本物の借り先を探しに温室へ向かった。ナナが祭りの案内に使った花咲く紙を何枚も持っているという話を、リュオから聞いたのだ。
食堂の前で、尽たちは例の一年生を見つけた。食器を返し、友達二人と廊下へ出てくるところだった。
「今朝、鐘より早く起きた?」
「はい。目覚ましが鳴る前に」
「ちょっと中庭まで来てくれる? 借り物競走で」
一年生は友達を振り返った。二人は面白がってついて来る。途中、ミオが「急げ」と叫んだせいで、一年生まで全力で走り出した。尽はその後ろを追い、セレーネの方が先に中庭へ戻った。
「連れてきた!」
ミオが宣言する。
ローデンは一年生に時刻を確かめた。
「朝の鐘より前に起きた証人は?」
「同じ部屋の二人です」
追いかけてきた友達が揃って手を上げる。ローデンが札に印を押し、一年生は照れくさそうに笑った。
「借りられたの、初めてです」
「夕食前に返すことになってる」
尽が言うと、ミオが肩を叩いた。
「もう友達のところへ戻していいよ」
ペペたちは少し遅れて帰ってきた。持っているのはナナの紙だった。上には昨日の案内係の名前が書かれ、水を含ませると端から黄色い花が咲く。
「借りてきた。本人の許可もある」
ペペが胸を張る。
「証拠に、ここで咲かせて」
ローデンが水差しを渡した。リゼッタが一滴落とすと、黄色い花が一つ。続けてペペが二滴落とし、紙の隅に三つ咲いた。
「一滴でよかったのに」
「せっかくだから」
札に印を押そうとしたローデンの手が止まる。紙に書かれた案内係の名前を見たのだ。
「これ、ナナの?」
「そうです」
「ナナは籤を用意した手伝いだよ。自分が貸せる物を混ぜたのか」
中庭の端で、ナナがそっと籤箱の陰に隠れた。
「誰かが借りに来ると思った」
「そういうものを入れたら、来るだろうな」
ローデンは笑いながら印を押した。ただし、次から籤を作る手伝いには、自分の持ち物を紛れ込ませないよう言い渡す。ナナはしょんぼりしてみせたが、ペペが紙を返しに来るとすぐ花の数を数え始めた。
優勝は、最初に戻った尽たちの組だった。夕食の小皿は三つ。セレーネは根菜の焼き物を選び、ミオは甘い木の実、尽は見慣れない緑の和え物を取った。
「それ、苦いよ」
セレーネが言うのは、一口食べた後だった。尽が顔をしかめると、隣の席の一年生たちが笑う。ペペは自分の皿から焼き芋を半分差し出した。
「優勝賞品の交換じゃないからね。普通に貸す」
「食べたら返せないよ」
「じゃあ、あげる」
尽が芋を受け取ると、ペペは空になった自分の皿を見た。リゼッタが黙って木の実を二つ載せる。ペペは礼を言う前に、また一つ口へ放り込んだ。




