第百三十五話 九輪咲いた名札の行き先
午後の植物術へ着くなり、ミレイアはペペの胸元を見た。
「その花、今日の実習に連れてきたの?」
「名札です」
「花にも見えるわ」
ミレイアがそう言う間に、教室の隅の鉢が一つ動いた。土から二本の細い根を伸ばし、椅子の脚をよけてペペの方へ来る。
「見えるだけじゃなかった」
ペペが後ずさった。
今日の課題は根歩き鉢の植え替えだった。鉢の中身は日差しの好みに合わせて場所を移るが、一度気に入った匂いを見つけると、そこから動かなくなる。生徒たちは鉢の好みを観察し、新しい棚へ案内する。
ペペの足元で、根歩き鉢が九つの紫の花を見上げていた。
「これ、僕を棚だと思ってる?」
「あなたに付いていけば日当たりがいいと思ったのかも」
セレーネがしゃがみ、鉢の葉に触れる。葉は彼女の指から離れて、また名札へ向いた。
「名札を外せば?」
尽が言う。
ペペが外すと、鉢はその紙を追った。右へ一歩。左へ一歩。ペペが手を上げると、鉢も根を伸ばして背を高くしようとする。
「案内できるじゃない」
リゼッタが笑った。
「案内先は僕じゃない。棚だよ」
ミレイアは棚の配置図を黒板へ貼った。西側は午前だけ日が入り、南側は午後に温かくなる。根歩き鉢には各々好みがあり、水を欲しがるものも、湿った土が嫌いなものもいた。
「無理に持ち上げると、来週まで拗ねます。まず話を聞いて」
「鉢の?」
「葉の向きと根の動きよ」
ナナは一番小さな鉢とすぐ仲良くなった。自分の青い火を低く浮かべると、鉢は二本の根でその後ろをついて行く。ところが棚の前で火を消した途端、鉢はぴたりと止まった。
「着いたよ」
ナナが声をかけても、動かない。
「移動式の灯りが好きだったみたい」
ユーノが観察帳に書く。
「帳面に書く前に、手伝って」
隣ではミオが翼で大きな鉢を扇いでいた。涼しい風を好むと見てのことだったが、鉢は葉を畳んで床に伏せる。
「寒い?」
「強すぎたんだよ」
リュオが言うと、ミオは翼を半分だけ開いた。鉢の葉が一本立つ。彼女は急に慎重になり、羽の先をうちわ代わりにして歩き始めた。
尽の班に来た鉢は、どういうわけか水差しばかり見ている。リゼッタが水を一滴落とすと、鉢は喜んだように根を鳴らしたが、その場に座り込んだ。
「飲ませすぎた?」
「一滴よ」
セレーネは鉢の下をのぞいた。
「根が床の溝に入ってる。引っかかっているだけ」
尽は風を止めた。魔法で押せば動きそうだったが、細い根が切れる。ペペから借りた薄い木片を溝へ差し込み、リゼッタが鉢を少し傾けた。根が抜けると、鉢は何事もなかったように水差しへ歩き出した。
「お礼は?」
ペペが鉢へ聞いた。
「水をくれた人の方へ行った」
ユーノが言う。
ペペの鉢は、ようやく南の棚まで来ていた。彼は花の名札を棚の上へ置く。鉢は棚板に根を掛け、よじ登ろうとして途中で止まった。名札が近すぎて、上を見るしかなくなったらしい。
「今度はそこが悪いの?」
「花を一つ、棚の奥へ移してみて」
ミレイアが言う。
紙に咲いた花は根がなく、爪でつまむと簡単に外れた。ペペは一輪だけ棚の奥へ置く。鉢はそれを追い、ようやく正しい場所へ収まった。
「残り八輪、どうするの」
ナナが尋ねる。
「もう名札としては使えないし」
ペペは紙を見つめた。最初に咲いた花は端が少し乾いている。昨日増えたものはまだ柔らかく、触ると紫の粉が指についた。
「寮の木に見せる。あいつ、最初に拾ってくれたから」
「また取られますよ」
ユーノが言う。
「取られても、今度は場所が分かる」
授業が終わるころ、ミレイアは全員の鉢を見回った。棚にたどり着いたもの、途中で昼寝を始めたもの。リュオの鉢だけは、本人の靴へ根を結びつけている。
「観察が足りなかった?」
リュオが聞く。
「好かれたのね。帰る前に靴紐をほどいてあげて」
笑いながら鉢を離そうとするリュオを、ミオが手伝った。
夕方、フィオナが清書を受け取った。港の商会とソラヴェインへの照会状は、学院長の印を待っている。尽がエウリス教授へ書いた手紙も、一緒に出すことになった。
「返事は、すぐには来ません」
「分かっています」
尽は封筒の裏に、この一月の宛先を書いた。エルシリン学院、外来研究生寄宿舎。途中で筆が止まると、セレーネが横から部屋番号を教えてくれた。
寮へ戻ったペペは、花の名札を枝の前へ差し出した。
「一輪は授業で使った。八輪はここにある」
枝は紙を取らず、名札の空いた端を指でつつくように触れた。ペペがそこへ新しい墨で名前を書き直すと、枝は扉を開けた。
「これで覚えた?」
返事の代わりに、枝先がペペの鼻へ紫の花粉を落とした。




