第百三十三話 紙舟は曲がり角で待っている
翌朝、ペペの名札には花が七つ咲いていた。
「数えたの?」
尽が聞くと、ペペは首を振った。
「寮の木に数えさせた。僕が見たときは六つだった」
枝先には、名札と同じ色の花粉がついている。サラナ寮監に見つかれば、扉を汚したとして掃除当番を増やされそうだった。ペペは布で枝を拭こうとしたが、枝がするりと引っ込む。
「昨日、仲直りしたんじゃなかった?」
リゼッタが笑った。
「仲直りと掃除は別の話らしい」
二限の風路実習は、学院を横切る浅い水路で行われた。生徒は小さな紙舟に一通ずつ伝言を載せ、曲がり角の向こうにいる相手へ届ける。舟を直接持って走れば失格。風の魔法だけで押しても、水路の途中にある枝の下で転覆する。
担当のローデンは水路の脇に立ち、伝言の封を指で押さえた。
「中身を読むなよ。受け取った相手が返事をするまでが実習だ」
「何を書いたんですか」
「着いてからのお楽しみだ」
生徒たちは二人一組になった。尽とセレーネ、リゼッタとミオ、ユーノとエルナ。ペペの相手はナナだった。
「私、向こうで待つね」
ナナは身軽に石橋を渡った。ペペは舟の折り目を二か所直してから、水に浮かべる。
「そこまで補強する必要ある?」
リュオがのぞき込んだ。
「ある。僕の伝言は水に弱い」
「みんなのも弱いよ」
一本目の舟が進むと、見物していた生徒たちが声を上げた。ミオの舟は翼のように張った帆でぐんぐん進み、最初の曲がり角で岸の草に突っ込んだ。リゼッタが水面を指で叩き、流れを作って引き戻す。
「そっちへ強く吹かないで!」
「私、まだ吹いてない!」
ミオの羽ばたきで草の葉が揺れていた。彼女は両腕を背中に隠し、足だけで舟を追う。リゼッタの笑い声が、向こう岸から聞こえた。
尽は自分の舟をすぐには放さなかった。水路の上は穏やかでも、枝の下だけ空気が湿って重い。風を押し込めば舟は進む。たぶん、帆ごとひっくり返る。
「あの石まで、流れに任せよう」
セレーネが言った。
尽は頷き、舟を水面に置く。小さな白い三角が、苔のついた石へ寄っていった。そこから先はセレーネが枝の葉を一枚持ち上げ、尽が帆の横を細く吹いた。舟は枝先をかすめ、曲がり角でいったん止まる。
「動かない」
「もう少し待って」
セレーネの足元の水草が、ゆっくり流れを変えた。舟は向こう岸へ向かい、待っていたリュオの手に収まった。
「宛先、僕じゃない」
リュオは封に書かれた名前を見せた。セレーネ宛てだった。
「僕ら、送る側も受け取る側も同じところにいる」
尽が言う。
ローデンは笑いをこらえた顔で頷いた。
「組み合わせを決めたのは私だ。舟を届ける前に、宛先を見れば気づいたな」
セレーネは頬を赤くして封を受け取った。中には「次の舟を送り返せ」とだけ書いてある。二人は最初の石へ戻り、今度は役割を入れ替えた。
ペペの舟はまだ出発地点にいた。補強した角が重く、水を吸って沈みかけている。
「改良の余地がある」
「浮かぶところからね」
ナナが橋の向こうから叫んだ。
昼の鐘が鳴る前に、全員の伝言が届いた。ペペの舟だけは途中で引き上げられ、伝言を新しい紙に包み直した。水路に浸かった元の舟は、教室の窓辺で乾かされている。
昼食後、フィオナとの打ち合わせは閲覧室の小卓で行われた。明日の原簿照合で確認する箇所を、四人は写しに番号を振って提出する。
ユーノの紙には、同好会名義から研究会名義へ変わる前後の貸出日が並んでいた。リゼッタは仲介商会の印が押された位置を写し、尽は森で見つけた荷札に記された風見塔の送り先と、帳簿の送り先の欄を照らした。
「港を通ったことと、誰が森へ運んだかは別ですね」
尽が言う。
「ええ。原簿に荷受け人の控えが綴じられていれば、そこを確認します」
フィオナが答えた。
ペペは自分の紙の端に、小さな舟を描いていた。フィオナが目を落とすと、慌てて指で隠す。
「これも必要なんです。途中で荷が持ち替えられたら、送り主だけ見ても分からないから」
「図で説明してみてください」
許可された途端、ペペは舟を三つに増やした。港、商会、風見塔。それぞれの間に矢印を引く。
「ここまでは写しにある。こっちの矢印は、まだ空白」
「その通りです」
フィオナは空白の矢印に丸を付けた。
「明日は、この先を勝手に埋めないように」
打ち合わせの後、尽はソラヴェイン宛ての返書を一行だけ書き足した。エウリス教授へ送る報告は、原簿の確認が済むまで封をしない。机の脇には、学院の外ではまだ使えない外来研究生の札が置いてある。
窓辺の乾いた紙舟を取りに来たペペが、尽の手元を見た。
「明日、変なものが見つかったら?」
「フィオナさんに見せる」
「そのあと?」
尽は答える前に、封の開いた手紙を裏返した。
「教授にも、見た通りを書こう」
ペペは舟を持ち上げた。乾いた紙は少し歪み、机に置くと片側だけ浮いた。
「これも見た通りだと、沈んだ舟だな」
「次は補強を減らせば?」
「それも書いておく」
ペペは名札の七つ目の花を避けながら、紙舟を工具箱の上へ載せた。




