第百三十話 風苔の植え替えは、鉢より人を試した
研修終了まで二日。朝の温室で、風苔の根が鉢底の穴から顔を出していた。
「昨日はなかった」
尽が鉢を持ち上げると、白い根が一本、棚の木目に沿って伸びている。土は湿っているのに、買ったばかりの湿度札は薄い灰色のままだった。
ミレイアは葉と根を順に見た。
「鉢が小さくなりました。今日の授業で植え替えます」
「一か月、同じ鉢で育てる課題だったのでは」
ユーノが観察日誌を開く。
「植物が一か月待つ約束はしていません」
教師は大きな鉢を作業台へ置いた。ペペは先日買った運搬用の布を広げ、リゼッタは新しい土と古い土の量を帳面に書く。ナナは風苔の札に描いた魚が新しい鉢にも付けられるか、先に心配していた。
「札は持っていけます」
ミレイアが言う。
「よかった」
最初に難しかったのは、鉢を棚から離すことだった。
細い根が棚の割れ目へ入っている。ペペが工具を差し込もうとすると、尽が止めた。
「根を切りそう」
「じゃあ、棚を少し持ち上げる」
「棚ごとは無理よ」
リゼッタが手を貸した。
セレーネは根元へ指を寄せ、ほんの少し水を垂らした。根が湿った木から離れ、布の上へゆっくり戻ってくる。
「木も、鉢を借りたかったのかも」
ナナが言う。
「貸出札は出していません」
ユーノの返事に、ミオが吹き出した。
布の四隅を持って運ぶ役は、尽、ペペ、ミオ、セレーネになった。たった一鉢を四人で囲んで歩くので、温室の通路が急に狭くなる。
「右へ」
ミオが言う。
「僕の右?」
「鉢の右」
「鉢はこっちを向いてない」
ペペが立ち止まった。
結局、リゼッタが前に立ち、床へ進む方向を指した。布は一度も傾かず、新しい鉢まで届いた。
古い鉢から風苔を出すと、土の下の根は思ったより広く伸びていた。尽は小さな風で余分な土を飛ばそうとしたが、ミレイアに手を止められる。
「土を落とす量は、根を見てから決めます。今日は古い土も使う」
尽は風を収め、ユーノが根の長さを測る間、鉢を支えた。
新しい土を底へ入れ、古い土を周りへ戻す。リゼッタは水を少しずつ注ぎ、湿度札の色が灰色から淡い青へ変わるところで止めた。
「もっと水を欲しがっているように見える」
ペペが言う。
「葉は開いています」
セレーネは鉢の縁を見た。
「少し待ちましょう」
一刻ほど経っても、葉はしおれなかった。新しい鉢の上で、風苔は小さな風を受けて揺れている。ペペは風向記録器を置き、湿度札の色と同じ時刻を紙へ書いた。
「植え替え完了」
ミレイアが言う。
「でも、観察は今夜も続けてください。鉢を替えた日は、葉の様子が変わることがあります」
授業が終わると、フィオナが温室へ来た。手には学院間の封筒と、別の薄い書類がある。
「ソラヴェインから、調査状況の照会に返事がありました」
尽たちは作業台の手を拭いて集まった。
エウリス教授の証言は、学院側の記録として受理された。王子の実習室に残った鎖の痕と、壊れた結晶灯も保全されている。一方で、王宮が出した手配は取り下げられていない。双方が同じ資料を確認するための立会いの日取りも、まだ決まっていなかった。
「教授は無事ですか」
尽が先に尋ねた。
「返書に、引き続き学院で授業をしているとあります」
フィオナは答えた。
尽は息を吐いた。手紙で聞いていたことでも、正式な返書にあると少し違って聞こえる。
「戻る時期は」
「決まっていません。エルシリンからは、森で見つかった荷札と資料の写しを共同で照合するよう求めています。回答を待ちます」
フィオナは薄い書類を机へ置いた。
「皆さんが外来研究生として残る場合、こちらでできる照合は続けられます。港の仲介商会の古い貸出記録も、学院の許可を取って調べる予定です」
「王子が使った名義か、前からあった同好会の名義か」
ユーノが言う。
「日付と署名を確かめます。推測は、その後です」
フィオナは頷いた。
午後、四人は寮の小部屋で申請書を広げた。研究の目的、在籍期間、担当教員、守る規則を書く欄がある。尽は最初の欄へ「風見塔と森の荷札の照合」と記した。
ペペは申請書の余白を見た。
「工房研究会にも通える?」
「授業への出席は続けると書いてあります」
ユーノが答える。
「部活は?」
「担当教員が認めれば」
ペペはすぐヴァルドの名を書きかけ、リゼッタに止められた。
「本人へ聞いてから」
セレーネは窓辺の新しい鉢を見た。
「明日が、研修の最後の日ですね」
「そうだね」
尽は申請書を半分だけ書いたまま、筆を置いた。
風苔の湿度札は、夕方にも淡い青だった。葉は新しい鉢の縁へ少し広がり、棚から伸びた根は戻ってこない。
尽は観察日誌へ、植え替え後の様子を書いた。申請書の残りは、明日の朝に書くことにした。




