第百十五話 樹上配達部は、落とした手紙も届けた
樹上配達部の正式な見学は、昼休みの終わりに始まった。
ミオは部室の壁に貼られた地図を前に、配達札を三枚取り出す。
「一つ目は資料室。二つ目は温室。三つ目は寮の食堂」
「食堂の依頼は何?」
セレーネが聞く。
「スープのレシピ。寮監が借りたまま返していない」
「それ、急ぐの?」
「夕飯までに返さないと、寮監が自分で取りに来る」
ミオは真剣だった。
今日の見学者は尽、ペペ、セレーネの三人。ミオが配達の組み方を教える。荷物を受け取ったら札の番号を確認し、受け取り手の名を確かめ、届けた時刻を記録する。急いで運ぶのは最後だという。
「風術で飛ばせば早いのに」
ペペが言った。
「受け取った人がいない場所へ飛ばしたら、早くなくなる」
ミオは小さな封筒を尽へ渡した。
「これ、資料室のエルナ先輩へ」
尽は封筒の番号を札と照らし、宛名を読んだ。封は閉じている。地図では資料室は渡り枝の向こうにある。
ミオは翼を広げ、先に飛び立った。尽たちは階段と橋を使う。ペペは道の途中で工房研究会の部室を見つけ、ほんの少しだけ足を止めた。
「帰りに寄るから」
「配達が先」
セレーネが袖を引く。
資料室では、エルナが紙魚の食べかけた古記録を補修していた。尽は封筒を渡し、受け取り札に時刻を書いてもらう。
「ありがとう。遅れずに届きました」
エルナは封筒を開けずに書類棚へしまう。
「中身を確認しないんですか」
ペペが聞く。
「受け取る人が開けるものです」
「誰からの手紙か、気にならない?」
「気になります。でも、配達の人が読む理由にはなりません」
ペペは納得したように、空の手をポケットへ戻した。
二つ目の荷物は、温室の棚へ届ける小さな水差しだった。水差しにはふたがあり、横に「傾けない」と書かれている。ミオは荷札を見て、尽へ渡した。
「これは歩いて運んで」
「飛ばさないの?」
「水差しだから」
ペペは横からのぞき込む。
「中身、何」
「聞いてない」
「聞こうよ」
温室までの橋には、昼の風が吹き抜けていた。尽は水差しを胸元で抱え、セレーネが前を歩く。ペペは後ろから、揺れないように両手で支えた。
橋の半ばで、ミオが上から声をかけた。
「右の蔓を掴んで」
右側の蔓は、橋の外へ伸びていた。
「そっちは落ちる方」
「今日は風が強いから、橋が揺れる」
ミオは先へ飛び、橋の支えへ結ばれた紐を確認した。
「蔓は持たない。真ん中を歩いて」
「先に言ってよ」
ペペが叫ぶ。
「今言った」
橋は少し揺れたが、四人は水差しをこぼさず温室へ着いた。受け取りに来たミレイアは、中を確かめて頷いた。
「風苔の水です。決まった量だけ使います」
「飲み水じゃないんだ」
「飲みたかったの?」
「気になっただけ」
ペペは水差しから一歩離れた。
最後のレシピは、寮の食堂へ届けるものだった。配達札の宛名にはサラナ寮監とある。ところが渡り橋を二つ越えたところで、風が吹き、封筒が尽の手から抜けた。
ミオがすぐ翼を広げた。封筒は枝の間を滑り、風苔の鉢を置いた窓辺へ向かっている。
「尽、風を弱めて」
彼女が叫ぶ。
尽は封筒を追い越す風を細くした。強く押せば、紙は枝の奥へ飛んでいく。封筒の下側にだけ風を当て、窓辺の棚へ滑らせた。
そこに置いていた風向記録器の針が、北東へわずかに動いた。
ペペは封筒を拾い、まず表の宛名を確かめた。
「破れてない」
「中も見ない」
セレーネが言う。
「分かってる。番号を確認する」
番号は配達札と合っていた。尽は受け取り欄へ、落下した時刻と場所も書き加える。届け物は無事だったが、配達記録には小さな寄り道が残った。
食堂では、サラナが封筒を受け取った。
「遅かったわね」
「途中で落としました」
尽は正直に答える。
「それでも届けた。落とした場所と時刻も書いた。よくできました」
ミオは意外そうに瞬きをした。
「叱らないの?」
「次に風の強い日は、封筒を紐で留める。失敗を隠すより、その方が配達部らしいでしょう」
サラナは食堂の戸棚から、焼き菓子を小皿へ載せた。
「見学のお礼です」
ペペが一つ手に取る。
「これ、何味ですか」
「食べてから考えて」
ペペは慎重に一口かじった。
「甘い」
「よかったわね」
リゼッタが言った。
部室へ戻る途中、尽は風向記録器の紙へ、配達中の時刻と針の向きを書いた。今日の北東風は短く、温室の風と同じかどうかはまだ分からない。
「記録官へ渡す?」
セレーネが聞く。
「授業の記録と一緒に。落とした場所の記録も残してある」
「配達の失敗まで?」
「風で飛んだ時刻が分かるから」
ミオは、尽の紙を見て笑った。
「配達部に向いてる。落とした物の記録が丁寧」
「落とす前に届ける方がいいと思う」
「それもそう」
その日の最後の授業は、精霊歌の復習だった。教師のリュシアは三つの合図を吹き分けるよう、学生を一人ずつ呼んだ。
ペペの笛は、また少しかすれた。
廊下の四本足の椅子が、遠くで一度だけ鳴いた。
「椅子が返事をした」
ナナが言う。
「偶然です」
ユーノは記録紙を閉じた。
授業が終わると、ミオは部室の地図に小さな札を付けた。
〈橋の上では封筒を持ち直す〉
尽は風向記録器の紙を、風苔の観察日誌へ挟んだ。配達の遅れも、今日はちゃんと役に立った。




