第百十四話 風の検査は、笛の音で一度だけ止まった
温室管理室から返事が来たのは、翌日の午後だった。
フィオナは資料室へ尽たちを呼び、風向記録器の紙を机へ広げた。紙には二本の線が残っている。競走会の時より短く、授業中に鳴った時のものだ。
「温室地下の排水管を調べました。水位に変化はありません。封鎖札にも異常なしです」
「風が出た場所は分かりましたか」
尽が聞く。
「温室の東側にある通気路で、空気の流れが一度だけ逆になっていました」
フィオナは学院の見取り図を広げた。
「根が通気路の一部を塞ぎ、風が別の穴へ押し戻されたようです。地下の異常物と関係があるかは、まだ分かりません」
ペペが記録器を見た。
「これが見つけたんですか」
「記録器と、管理室の測定を合わせて分かりました。道具一つの記録だけでは決められません」
「それでも役に立った」
フィオナはペペへ紙を返した。
「次の観察にも使ってください。ただし、音が鳴っても授業を止めないこと」
「先生にも言われました」
「授業中に鳴る時は、特に」
ペペは記録器へ新しい札を付けた。
〈音が鳴っても、まず授業〉
「今度は分かりやすい」
ユーノが言う。
「前の札は」
「魚が多かった」
ナナが答えた。
午後は、精霊歌の基礎授業だった。尽たちの研修課程では選択授業に近かったが、セレーネが「森の学院らしい授業を一度受けてみてください」と勧めた。
教室は吹き抜けの円形劇場で、床の木目が渦を描いている。教師のリュシアは、学生たちへ小さな笛を配った。
「今日は森の合図を吹きます。短く二度なら集合。長く一度なら待機。三度なら、先生を呼びなさい」
「三度は、先生が来るんですか」
ペペが聞く。
「来ます」
「すぐ?」
「できるだけ」
ナナは笛を受け取るなり、長く一度吹いた。音はきれいに伸び、窓の外の枝が一斉に揺れた。
「待機の合図です」
リュシアが言う。
「待機している」
ナナは胸を張った。
「吹く前に待機してください」
次はペペだった。彼は短く二度吹こうとしたが、一度目がかすれ、二度目が妙に高くなった。教室の隅に置かれていた四本足の椅子が、きいと鳴いて走り出す。
椅子は譜面台の周りを一周し、ペペの足元で止まった。
「集合の合図に聞こえたのかな」
「椅子は授業を受けていません」
ユーノが言った。
リゼッタの音は、短く鋭かった。二度目が少し強く、窓辺の風鈴がまとめて鳴る。
「音量を半分に」
「笛が小さいのよ」
「音量を半分に」
リュシアは同じ言葉を繰り返した。
セレーネは笛を両手で包み、目を閉じた。息を吸う前に、教室の外から聞こえる風の音を待つ。彼女が吹いた二つの音は静かで、離れていた学生たちが自然に顔を上げた。
「良い合図です」
リュシアが頷く。
「音だけで、急がなくていいと分かります」
尽は笛を口へ当てた。最初の音は出た。二つ目を吹く前に、記録器の鈴が鳴った。
教室の後ろで、針が北東へ動く。
皆が一斉に振り返った。
「まず授業」
ユーノが小声で言った。
尽は笛を吹いた。二つの短い音が、円形の教室へ響く。
リュシアは満足そうに頷いた。
「今の間の取り方を覚えておきなさい。合図は、音だけでなく、吹く人の落ち着きも伝えます」
授業が終わってから、ペペが記録器の紙を外した。線は前日より短く、途中でかすれている。
「逆向きの風が、また来たのかな」
「同じとは限らない」
尽が答える。
「時刻と方角を書いて、フィオナさんへ渡そう」
「それから?」
「それからは、先生たちが調べる」
ペペは一度口を尖らせ、すぐに紙へ時刻を書いた。
夕方、セレーネが森道案内部から戻ってきた。手には小さな笛が二本ある。
「今日の授業、どうでしたか」
「椅子が集合した」
ペペが答える。
「笛の音に反応したの?」
「たぶん、ペペの音に」
リゼッタが言った。
セレーネは笑い、笛を机へ置いた。
「森道案内部で使う合図笛です。授業で習った音とは少し違いますが、吹いてみますか」
ペペは一度だけ吹いた。
音はかすれた。
遠くの廊下で、四本足の椅子がきいと鳴いた。
今度は全員が、椅子の方を見た。
「集合の合図だったのかも」
ナナが言った。
「椅子は授業を受けていません」
ユーノは、まだ譲らなかった。




