第百十二話 記録官は、風より先に昼休みを守った
翌朝、尽たちは風向記録器と競走会の記録紙を持って資料室へ行った。
フィオナは机に積まれた書類から顔を上げ、記録器を一度見た。
「自作ですか」
「工房研究会と一緒に作りました」
ペペが答える。
「釘は飛びません」
「何度か確認したのですか」
「一度飛びました」
フィオナは少し黙ってから、紙へ目を落とした。
競走会の風向き。開始時刻。教室の窓の状態。温室地下の封鎖時刻。尽たちは昨日のうちに、覚えていることをそれぞれ書いてきた。
「北東の風は、何秒ほど続きましたか」
「十秒くらい」
尽が答える。
「紙が滑って、風苔が東を向いた」
「窓は閉じていた?」
「閉じていました」
ミレイアが後ろから言った。
「競走会の途中で確認しています。窓を開けると、別の班の鉢が風を受けすぎるので」
フィオナは記録紙を重ね、細い定規で線の位置を比べた。
「この記録だけで、地下から風が出たとは言えません」
尽は頷く。
「でも、温室の方から異常な流れがあったことは残せます」
「その通りです」
フィオナは新しい封筒を出した。
「温室管理室と衛林隊へ写しを送ります。地下の封鎖を解く判断には、今朝の時点で使いません。観察を続けてください」
ペペが記録器を抱えた。
「僕たちも地下を見に行く?」
「行きません」
フィオナは即答した。
「記録を出した人が、そのまま危ない場所へ入る必要はない。管理室が確認します。皆さんは授業へ」
セレーネが少しだけ笑う。
「昼休みの前に終わってよかったです」
「大切です」
フィオナは真顔だった。
「昼食を抜いた学生は、午後の記録で時刻を間違えます」
資料室を出ると、ペペが首を傾げた。
「記録官って、思ったより食堂のことを気にするんだね」
「正しい記録には、食べることも必要なのよ」
リゼッタが言う。
「あなたは、そこだけ同意が早い」
午前の授業は、魔力の流れを紙へ写す基礎術だった。教師は透明な石を机へ置き、学生に細い光の線をなぞらせる。
「流れを見たら、きれいな線にしようとしない」
教師のローデンは言った。
「曲がった流れは、曲がったまま書く。途中で消えたなら、消えたところまで書く」
尽は昨日の記録器を思い出した。北東へ振れた一本の線は、短くて頼りない。それでも、なかったことにはできない。
ナナは紙の上へ青い光を走らせた。線は途中で小さな魚の形になり、ローデンが眉をひそめる。
「ナナさん。流れは魚ではありません」
「でも、泳いだ」
「泳ぎません」
ペペの光は、途中で二つに分かれた。ユーノは定規を当て、細い線を三本書き直している。リゼッタの光はまっすぐすぎて、紙の端まで突き抜けた。
「強いですね」
ローデンが言う。
「整っているでしょう」
「紙から出ています」
尽は笑いそうになり、手元の光が少し揺れた。
昼休み、食堂の前には長い列ができていた。今日の献立は、歌う泉の近くで採れた夕暮れ草のスープと、木の実パン。ペペは昨日の採集実習を思い出したのか、パンを受け取ってから慎重に匂いを嗅いだ。
「今日は甘い」
「朝から記録が終わったからでしょう」
セレーネが言う。
「フィオナさんに褒められたからかも」
「褒められた?」
ペペが聞く。
「昼休みを守った」
ナナが言う。
昼食の途中、ミオが翼を畳んだまま椅子へ滑り込んできた。
「温室の近く、今朝から入れない」
「管理室が見てるの?」
尽が聞く。
「たぶん。根の周りに黄色い札が増えてた」
尽はスープを一口飲んだ。地下のことは気になる。けれどフィオナは、観察を続けろと言った。
窓際の風苔は、今日も小さく葉を揺らしている。風向記録器の針は、午後の風に合わせてゆっくり南を指していた。
ユーノはパンを食べ終えると、観察紙を広げた。
「次の記録は、放課後です」
「休みの日も?」
ペペが聞く。
「三十日間です」
リゼッタが言う。
「研修生の札、返さなくてよかったでしょう」
ペペは少し考え、最後のパンを口へ入れた。
「返さなくてよかった」




