第百八話 工房の釘は、飛ぶより先に謝った
工房研究会の部室は、学院で一番うるさい場所だった。
金槌の音、やすりの音、小さな爆発の音。扉を開けた途端、ペペは立ち止まり、目を輝かせた。壁には歯車、古い術具、羽根を動力にした扇風機、なぜか四本足で歩く椅子が並んでいる。
「来た」
工房研究会の上級生、ヴァルドが作業台の向こうから手を振った。掲示板の前でペペを勧誘した少年だ。今日は額に煤がつき、片手には曲がった釘を持っている。
「見学者は三人までのはずでは」
ユーノが聞く。
「六人来た方が、片付ける人が増える」
ヴァルドは言った。
ペペはすぐ作業台へ近づき、並んだ工具を見回した。
「これ、使っていい?」
「最初に言う。置いた場所へ返す。火術は炉の前だけ。勝手に動く物へ、勝手に名前を付けない」
ナナが四本足の椅子を指した。
「あれ、名前ある?」
「ない」
「じゃあ、走る椅子」
椅子が、きいと鳴いた。
「今のは、褒められた?」
ペペが聞く。
「怒ったんだと思う」
ヴァルドは椅子へ布をかけた。
今日の見学課題は、風を受けると針が動く小さな記録器を作ることだった。温室当番で尽が書いていた風苔の観察を見て、ヴァルドが思いついたらしい。
「風苔は毎回持ち歩けないでしょう」
彼は木の板へ円を描いた。
「だから、風向きと強さを紙へ残せる道具を作る。名前はまだない」
「風の記録器」
ユーノが言う。
「そのまま」
「分かりやすいです」
ペペは小さな羽根と細い銅線を受け取り、すぐ組み立て始めた。手つきは慣れている。留め具を選び、板へ穴を開け、針を支える金具を曲げる。
尽は風を少し送って、羽根が回るか確かめる役になった。リゼッタは炉の火を管理し、ユーノは紙へ刻む目盛りを作る。ミオは羽根を吊るす高さを見て、ナナは針が通った場所へ色を付ける。
「赤は強い風」
ナナが言う。
「青は」
「眠い風」
「眠い風は測れない」
ユーノは言った。
「夜の風は眠い」
ナナは譲らない。
ペペの一台目は、羽根が勢いよく回った。針も動く。ところが針が紙の端まで行くと、急に跳ね返り、銅線ごと宙へ飛んだ。
釘が一つ、ヴァルドの前掛けへ刺さる。
部室が静かになった。
「釘が飛んだ」
ペペが言う。
「見れば分かる」
ヴァルドは釘を抜いた。
「釘は飛ばない」
「今、飛んだ」
「飛ばした」
リゼッタが炉の火を消しながら言う。
ペペは首を傾げ、壊れた記録器を見た。銅線の巻き方が強すぎたらしい。針を戻すための力が、羽根を回す力より大きくなっている。
「やりすぎた」
「分かったなら、次は紙へ書いてから組む」
ヴァルドは新しい板を渡した。
ペペは少し不満そうだったが、今度はユーノの隣へ座った。二人で針の動く距離、銅線の長さ、羽根の角度を紙へ書く。数字が増えるほど、ペペの眉間に皺が寄った。
「作る前に、こんなに書くの?」
「壊した回数を減らせます」
「壊した方が早く分かる時もある」
「今日は、釘が飛びました」
ユーノは静かに言った。
ペペは紙に新しい欄を作った。
〈釘を飛ばさない〉
二台目は、ずっと静かだった。羽根が回ると針が紙の円をなぞり、風が弱くなると中央へ戻る。尽が息を吹きかけると、針が小さく東を指す。リゼッタが炉の近くから熱い風を送ると、針は赤い線へ伸びた。
「動いた」
ペペが言う。
ナナは青い色を、赤い線の外側に少しだけ足した。
「夜の風の場所」
ユーノは止めようとしたが、目盛りを壊していないので何も言わなかった。
ミオが部室の窓を開ける。外から風が入ると、羽根がゆっくり回った。針は北東を指し、紙に細い線を残す。
尽はその線を見て、温室当番の日の記録を思い出した。雨の後、風苔が東を向いた時刻。昨日、樹上で帽子を取った時の風。
「これ、温室へ置いてもいい?」
尽が聞く。
ヴァルドは少し考えた。
「研究会の貸出簿へ書くなら。返すこと」
「もちろん」
ペペがすぐ答えた。
「返す前に、木に取られないように」
ヴァルドは笑った。
「それは君が一番気をつけろ」
帰り際、ペペは二台目の記録器へ、小さな金具を一つ付けた。
「何」
尽が聞く。
「針が飛びそうになったら、鳴る」
「また飛ぶ前提?」
「飛ぶ前に教えてくれる」
尽が風を送ると、記録器はきちんと東を指した。少し強く吹かせても、針は紙の上を滑るだけで、釘は飛ばない。
ナナが記録器を覗き込む。
「名前、決めた?」
ペペは少し考えた。
「飛ばない釘」
「道具の名前ではありません」
ユーノが言った。
最後には、風苔の鉢の横へ置くことになった。
札には、ユーノの字でこう書かれている。
〈風向記録器 一号機〉
その下へナナが、青い小さな魚を一匹描き足した。




