第百四話 仮の札は、朝の光で本物の緑になった
翌朝、尽たちは授業の鐘より早く学院長室の前へ集まった。
早く来たと言っても、落ち着いて待てたわけではない。ペペは廊下の窓から中庭を三度見下ろし、ユーノは仮滞在札の期限を何度も確かめている。リゼッタは椅子へ座っていたが、靴先だけが小さく床を叩いていた。
尽も、自分の札を掌の上へ置いた。
七日間だけと書かれた緑の札。森の客として守られ、授業へ出て、記録を取った。昨日の温室当番まで終えた今、返される答えがどちらでも、ここに留まる理由を自分たちで作ったことだけは変わらない。
「入ってください」
学院長オルディアの声がした。
部屋には学院長、フィオナ、ナディア、そしてミレイアがいた。机の上へは七日分の観察日誌、谷の木箱の写し、地下保管庫の貸出記録が積まれている。ペペの最初の日誌だけ、紙の端に赤い印が一つ多かった。
「まず、報告します」
オルディアは言った。
「温室地下で見つかった根菜と白糸は、学院の管理下に置きました。研究会名義の貸出記録、谷の木箱、港の商会の荷札には、関連を示す点があります。しかし、ソラヴェイン王家やレオハルト王子が関与した証拠は、まだありません」
尽は頷いた。知りたい答えではある。けれど急いで名前を結べば、また誰かの話を一つに決めてしまう。
「エルシリンは、ソラヴェインへ返書を出します」
フィオナが続ける。
「四名は森で起きた密猟未遂の目撃者であり、学院資料の照合に協力している。現時点では引き渡しに応じない。その代わり、調査の経過は正式な記録として共有する」
「王子の使者は、納得するでしょうか」
ユーノが聞く。
「納得するための書状ではありません」
フィオナは答えた。
「手続きを残すための書状です」
ナディアが、四枚の新しい札を卓へ置いた。昨日までの仮滞在札より少し厚く、葉の紋の縁に銀の線が入っている。
「学院長、記録官、衛林隊の三者で決めました」
彼女は一枚ずつ、尽たちの前へ滑らせた。
「三十日間の外来研修生として受け入れます。授業への出席、温室と記録室の補助、外出時の届け出。地下保管庫は、フィオナの立会いがある時だけ入れる」
ペペが札を持ち上げた。
「三十日」
「短いですか」
ナディアが聞く。
「長い。僕、昨日まで七日で追い出されると思ってた」
リゼッタが札を指で撫でた。
「研修生なら、成績も付くの?」
「付きます」
ミレイアが即答した。
「温室当番の記録は、すでに始まっています」
ペペの顔が少し曇る。
「根っぽいって書いたの、やっぱり減点ですか」
「減点ではありません」
ミレイアは日誌を一枚持ち上げた。
「書き直しです」
部屋の中で、セレーネだけが笑いをこらえきれなかった。
尽は新しい札を受け取った。朝の光が窓から差し込み、札の葉の紋が少しだけ明るくなる。王都で持っていた学生証とは違う。ここへ逃げ込んだから渡されたものでもない。調査と授業と、守るべき規則が書かれた札だった。
「ありがとうございます」
尽は言った。
「期待に応えます」
「期待は、立派な答えより記録で返してください」
オルディアが言う。
「分からないことを分からないまま書ける者は、資料室に向いています」
学院長室を出ると、廊下でセレーネが待っていた。彼女は四人の札を見て、目を細める。
「おめでとうございます。これで同じ学院の学生です」
「セレーネさんは、前から学生です」
「そうです。だから先輩です」
彼女は少し得意そうに言った。
ペペが札をひっくり返す。
「先輩は、寮の木に工具箱を取られない方法を知ってますか」
「寝る前に片付けることです」
「それ以外」
「ありません」
午前の授業は、各実習班が次の月に育てる植物を選ぶ時間だった。温室の中央へ、先生が五つの鉢を並べる。香りを出す草、夜だけ花を開く蔓、風へ反応する苔、小さな実を付ける根菜、そして触ると眠る葉。
「班で一つ選び、三十日間、記録をつけます」
ミレイアが言った。
ナナはすぐ眠る葉へ駆け寄った。
「これがいい。寝てるところを見たい」
「毎日寝ているだけでは、記録が増えません」
ユーノが言う。
ミオは風へ反応する苔を指した。
「尽がいるから、これ」
リゼッタは小さな実を付ける根菜を見た。
「食べられるなら、こちら」
「地下の根菜ではありません」
ペペが先に言った。
ミレイアが短く咳払いをする。
「栽培用の根菜です」
尽たちは相談の末、風へ反応する苔を選んだ。昨日育てた苔より少し青く、葉の先が細い。弱い風で揺れ、強い風には丸く縮む。
「名前は」
ナナが聞く。
「班の名前ですか」
「植物の名前」
「風苔」
ユーノが札を読んだ。
「つまらない」
「名前は元からあります」
ペペが鉢を覗き込む。
「じゃあ、あだ名は魚」
「苔です」
「夜市の魚は成功した」
リゼッタは鉢の横へ小さな札を立てた。
〈風苔 別名:魚〉
ユーノはそれを見た後、何も言わず観察日誌の最初の頁を開いた。
放課後、尽は記録室へ呼ばれ、フィオナから一通の封を渡された。ソラヴェインへ出す返書の写しだった。そこには王族襲撃という言葉と並んで、谷の罠、外来研修生、資料照合中という事実が書かれている。
「内容を確認して」
フィオナが言う。
「あなたたちの話を、こちらで勝手に整えないためです」
尽は紙を読んだ。怖かったことも、逃げたことも、ここで調べていることも、短い文章の中にある。
「これでいいです」
署名欄へ、尽は自分の名を書いた。
窓の外では、ペペが風苔の鉢を抱え、ミオから「落とすな」と言われている。セレーネはナナと、鉢に魚の絵を描くかどうかで話していた。
三十日間の研修は、観察日誌一頁目から始まった。




