61 渦中へ
――お姉ちゃん。
これは、ユナの声……?
――お姉ちゃん、私は……。
声がひどく遠い。とても聞き取ることなどできない。でも、聞かなければ。何か重要なことを言われている気がするのに。
ユナ、待って。もっとゆっくり、はっきり伝えて。
ユナ……!
ゴウ……という渦巻く風の音が耳の奥に響く。頬に叩きつけられているのは、風で飛ばされてきた雨粒か。ユウリはゆっくりと目を開けた。自分は一体何をしていたのだろう。ここはどこだ?状況がわからない。服が何かに引っかかっていて上に引きつれていることだけはわかる。
「目を、覚ました?」
「!?」
そのときふいに頭上から聞こえた声にギョッとして顔を上げる。無理な体勢になってよく見えないが、人がいるのは明らかだった。
そこでようやく思い出した。ヒュウゴウに攫われ、途中で空中に放られたことを。今、足は地面を捉えていない。宙にぶら下がった状態なのだ。
「意識あるなら、こっちに手、かけて」
どうやら服は引っかかっているのではなく、上から話しかけているその人に掴まれているようだ。つまり、落ちかけているのを留めてくれているのだ。
ユウリは指示された通り腕を伸ばし、手すりと思しきものを掴む。力はほとんど入らないが、その人の加勢もあってなんとか身体を引き上げる。手すりを超えた先の床に足から降りることは叶わず、背中から転がり落ちた。辛うじて受け身をとれたので、頭は打たずに済んだ。
瘴気にあてられたせいか意識がまだはっきりせず、状況がうまくのみこめない。ヒュウゴウに落とされたのは確かなはずだが、ここは一体どこなのか。
「危なかった」
そう呟いたのはユウリではなく、引き上げてくれた人物だった。顔を上げて真正面からみると、青ざめた顔の男がいた。少年から青年へ足を踏み入れたばかりというような年頃の若い男。背はユウリと同じほどだが、歳のわりに肉付きはよくないように見える。
「あの、ありがとうございます。助けてくれて」
「いや、誰だってこうするでしょ。空から人が降ってきたら。本当、ギリギリだったけど」
男の方も息を切らしている。その細い腕で人ひとりを引き上げたのだから無理もない。ユウリもすぐに立ち上がることはできそうもないので、二人してしばらく座りこんでいることになった。
落ち着いてくると、今いる場所のことが気になった。屋根はあるものの、ユウリが越えた手すりより上は吹きさらしになっていて、強まりつつある風が絶えず吹きこんでくる。座っている床は石でできていて冷たい。今までにはあまり見たことのない造りだった。
「君はどうして空から降ってきたの?」
息切れがおさまったのか、男が訊ねる。ユウリはどう言ったものかと考えながら、
「ヒュウゴウに攫われて、それで途中で落とされて」
「ヒュウゴウ?」
途切れ途切れに説明すると、男は不思議そうな顔をした。ヒュウゴウの姿は見なかったのだろうか。妖鳥であることを説明すると、難しい顔で考えこんでしまった。
「そのような存在が、この場所まで入りこんでくるなんて」
それは独り言のようだった。ユウリのことなど気にも留めていないかのようだ。
「あの、ここは一体どこなんでしょう」
ユウリが訊くと、男ははっとしたように顔を上げた。
「そうだ。君のことをなんとかしなきゃいけないんだった」
「え?」
男の言葉にはどこか不穏な響きがあった。今目の前にいるこの男は何者なのだろう。薄ら寒い思いで身構えていると、男は手を差し伸べてきた。
「立って、自分の目で見てごらん」
男の意図するところはよくわからなかった。でも目の前に差し出された手を取らないわけにもいかなかった。恐る恐る手を重ねると、思ったより力強く引き立たされた。瞬間、ゴォッという強風の吹き荒れる音が聴覚のほとんどを奪った。
「これは……」
しかしそれよりも、そこから見える景色に目を奪われた。
眼下に広がる街並み。遠く霞む山々。一体今どこまで見渡せているのか見当もつかない。
「ここからは都を一望できる。そのように造られた場所だから」
呆然と見渡しているユウリに男が言った。
「ここは、宮廷に造られた物見台だよ」




