幕間――過去への祈り
「どうだっていいでしょう。そのくらいあなたたちでなんとかしなさい」
ミルダは苛立ちを隠しもせずに言い放つと席を立った。何もかもが馬鹿馬鹿しく思えて、付き合っていられなかった。
稟議を開いていた議事堂を出て向かったのは、ミルダの自室とは反対方向だ。ドレスの裾が乱れるのも構わず足早に歩く。
それに並ぶわけではないが、後ろからはミルダの護衛がきっちりついて来ている。姿を見ずとも気配でわかっているし、いつものことなので気にも留めない。基本的に、ミルダは単独行動を許されない。その存在自体が国の要であり、万一の不測の事態などあってはならないからだ。たとえ宮中といえど、その命を狙う者がいないとは限らない。特にミルダはすんなりと帝位についたわけではないので、彼女を推した者たちは過保護と言っていいほどミルダを護ることに砕身している。
しかし、このミルダが大人しく護られたままでいるはずもなく。
「ここから先は聖域です。護衛はここまでで結構。さがっていなさい」
振り返りもせずに護衛に告げる。ここまで黙ってミルダの後を付かず離れずついて来た護衛の男は慣れた様子で返す。
「かしこまりました。ではミルダ様がお出ましになるまでこちらに控えております」
「……」
さがれと言われて本当にさがるような間抜けな護衛は宮中にはいない。そんなことはミルダも百も承知だが、そんな当たり前の言動ですら癪にさわった。やはりいつもよりも気が立っている、と冷静なもう一人の自分が分析する。今はとにかく頭を冷やす必要がある。無意識にそう思っていたから、こちらに足を運んだのだ。
ミルダの言うところの聖域。その表現は間違っていない。この先は下りの階段になっており、下った先にあるのは代々の帝が祀られている廟だ。
聖廟は表向きには、都の山手側にある。表向きとはいっても、この国の礎を築いた帝たちを祀っている正式な社殿である。こちらは一般人が詣でるために造られたもので、時期が来れば祭礼なども行われる。廟の中には司祭が常駐し、眠れる魂に祈りを捧げている。
ただ、このように一般人が出入りする聖廟に現在の女帝であるミルダが足繁く通うわけにはいかない。そのため、当代の帝が祈りを捧げるための場所が宮廷内に設けられてらいるのだ。この、宮中の聖廟は皇族以外の立ち入りを固く禁じている。そもそも出入り口はこの階段しかなく、祭壇が造られた室のような部屋で行き止まりになっている。護衛でさえ立ち入りを禁じられたのは遠い昔のことだと聞いている。おそらく何か不都合なことが起きたのだろう。
ゆっくりと階段をおりる。この先は聖域。場を穢すような余計なものは一切持ちこむことを許されない。己の苛立ちのような負の感情さえも。生前の父、前帝から教わった数少ないことのひとつ。ミルダは自分に言い聞かせるように心の中で唱えながら進んだ。
一番下の段をおりる。中は暗く、何がどこにあるかを見あらわすのは難しいが、ミルダはもう慣れた様子で進み、何かを手にした。それは火を灯すためのマッチだった。手元も見えてはいないはずだが、感触だけを頼りに火をつける。一瞬でミルダの周りが少し明るくなった。その火を祭壇の蝋燭に移していく。ひとつ、またひとつと灯るたびに明るさを増し、その祭壇の全容が明らかになっていく。金や供物の鏡などが光を反射し、室の中は一種幻想的な雰囲気を醸し出す。全ての蝋燭を灯すと、中は見違えるほどに明るくなった。豪奢な祭壇は高さが三メートルほどあり、奥行きも室の三分の一を埋めるほどだ。いつかの宮廷に仕えた職人たちが丹精込めて造りあげたそれはまさに芸術だ。
その巨大な祭壇に、ミルダは一人で向き合う。幼い頃、父と並んで眺めたそれは、今となっては父そのものへの敬意を投影するものとなっている。目を閉じ、胸の前に左手をかざす。祈りを捧げる格好だ。
「私は、愛しいリトを……この国の未来の担い手を守ったのです。その行為に間違いなどあろうはずはございません」
それは、誓いであるようで、どこか懺悔のような響きをもっていた。神へ告白するように、しかしその相手は亡き父だ。
本当は、もっと教えを乞いたかった。若くして継いだ帝位など身に余る。だが普段はそんな弱音など微塵も匂わせない。周りには多少傲慢だろうと自信に満ち、迷いなどないように振る舞う。それが唯一父に報いることだと思っている。
帝位を争った母を離宮に追いやり、自分の夫さえも宮中には入れない。冷酷に見えても、それらはすべてこの国の安寧を保つため。そのために必要なことならば、手段など選んでいられない。だが人間の性か、不安にもなるのだ。できることならお墨付きが欲しかった。お前の選択は間違っていない、と。
そんな思案を大いに含んだ祈りを断ち切ったのは、意外な声だった。
「……母上」
「!?」
ギョッとして振り返る。そこには愛しい我が子が、所在なげに立っていた。
「リト、あなたもここへ来たの?」
声が震えた。まるであの日見た夢の続きを見ているようで、これが現実なのかどうかさえ判断がつかない。
「――――」
リトが何事かを口にした。だがその声を聞きとることはできなかった。ミルダの耳の奥にはゴゥ……という、強風が吹き荒れるような轟音だけが鳴り響いていた。




