幕間――侍女の思惑
最近、ミルダの機嫌はずっと悪い。側近たちは一体何が悪いのかわからず困惑していた。稟議においても彼らが何を言っても気に入らないようで、結果何もまとまらないまま終わってしまうことが最近続いている。周りはざわざわしているが、侍女はいつものように素知らぬ顔をしている。
侍女からすれば、ミルダの不機嫌など今に始まったことではない。些細なことで癇癪を起こし、侍女に当たることもしばしばだ。少しは私の苦労を知るといい。そんな風に思って放っておいている。
目下、侍女の興味は皇子の体調に注がれている。あれから順調に快復し、そろそろ表に姿を現すのではないかと密かに噂されている。侍女はそうした噂話に聞き耳をたてては一人悦に入っているのが日課となっていた。ただミルダに仕えているだけなら知り得ないような情報にも、だからずいぶんと詳しかった。そのように聞かれているとは思ってもいない側近たちは、侍女の姿が見えたとしても声を潜めることすらしない。おそらく馬鹿にしているのだろう。そんな話をしたところで、侍女風情が理解することも、それを元にどうこうすることもできないだろう、と。だがそれは大きな間違いだ。侍女はいつかその噂話を、己の処遇を有利にするために利用しようと心に決めているのだ。身を危うくしたくなければ、この侍女の前で聞かれてはいけないようなことを話してはならない。もう手遅れかもしれないが。
さて、皇子の体調に話を戻す。現在国を率いているのは女帝である母親のミルダだが、彼女が退位すればその後を継ぐのは皇子のリトだ。皇族しかその名を呼ぶことを許されない、ミルダの唯一の子息。一時は命も危ういと言われていたが、今はもうその心配はないほどに快復している。これで国の未来は安泰だと、側近たちの気は緩んでいる。これでミルダの機嫌もよければ言うことなしなのだが、宮仕えというのはそれほど甘くはない。もちろん侍女もそんなことは承知しているが、どうしても期待してしまうこともある。
現在、リトの身辺の世話は宮廷医師のジンクという男と、それに仕える看護のための使用人が担っている。病人だったのだから今まではそれでよかったが、通常の生活に戻るのであれば身辺の世話を担う人間が必要となるはずだ。侍女は今その席を狙っているのだ。
もちろん、空きがなければ諦めていただろう。しかし今、リトにつく専属の侍女はいないはずなのだ。
他でもない、その侍女の命によって、リトの命は繋がれたのだから。
「命の取り引き」と呼ばれる、古の呪術がある。人の命で人の命を継ぐというまじないだ。それはこの国の黎明期、まだ混乱の最中にあって皇帝の支配が定まっていないような頃に使われていた。当時は多くの呪術師たちが暗躍していた。皇帝についていた者もいれば先住民側についた者もいた。皇帝が国を平定すると、先住民についていた呪術師たちは姿を消してしまった。呪術を捨てて市井に下ったか、皇帝側に寝返ったか、あるいは暗殺されたか。何にせよ、これらは表向きに国の歴史としては語られていない時代のことだ。はっきりとしたことはわからない。先に述べた呪術も倫理観に照らして表向きは禁呪とされ、使われていた祠も封印されていたはずだった。しかし禁呪は密かに、宮中の奥の奥でずっと受け継がれていたのだ。
リトに対してその術が使われたと、はっきりとわかる証拠は何もない。侍女にしても、側近たちがささやく噂を統合して結論づけたに過ぎない。だがおおよそそれが真実であろうと思っている。事実、リトについていた侍女は姿を消している。
「私ならもっとうまくやっただろうにな。かわいそうに」
そんなことは露ほども思っていなさそうな顔でひとりごちる。
リトについていた侍女のことも見かけたことはあった。何度か短く挨拶程度の会話を交わしたこともある。この宮中で生きるには、あまりにも素直でいとけない娘に見えた。はじめからその役目を見込まれていたと思わずにはいられない。ただし、同情などはしない。それがこの宮中で生きていくための最低限必要な能力だ。
「私があのお方の侍女になったら……」
一人の夢想は続く。それがかなうのかかなわないのかは、今はまだ些細な問題にすぎない。




