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幕間――白い世界

 その夜、ミルダは夢を見ていた。夢はよく見るほうだが、たいていは昼間に考えていたことの続きを夢の中でも考えているような、ひどく現実的なものだ。それゆえに朝目覚めてからしばらくは、どこまでが夢でどこからが現実なのかわからなくなることがしばしばあった。

 ところが、その日の夢は少し様子が違った。まず、なぜか随分寒い。今はむしろこれから暑くなってくるはずの時期なので、この冷気がどこからくるのか見当もつかない。着ている服は今の時期に合わせた薄手のものだったので、慌ててショールを引っ張りだして肩にかけた。

 廊下へ出ると寒さはさらにひどくなった。無駄に広くて長い廊下は実際、冬には床や壁が凍っているのではないかと思うほど冷える。ミルダは寒いのは嫌いだった。脳の血管まで縮こまってしまったかのように、判断力が鈍るからだ。仕えている者たちまでそんな調子になるから、稟議を開いたところで何ひとつまとまらない。外の景色までまるで街が死んでしまったかのように真っ白に染まってしまうから、気分も萎えてくる。

「あぁ、嫌だねぇ」

 夢の中だとわかりながらも呟かずにはいられなかった。

 さて、わざわざそんな寒い廊下を歩いているのは、他でもないリトの居室を訪ねるためだ。生まれたときから身体が弱く、寝ついていることが多い愛する我が子。病にとりつかれる度、自分が代わってやれたらと思う。熱に浮かされ、辛そうな顔で布団に埋もれているのを見ているのはいたたまれなかった。できることなら、もっと丈夫な身体に生んでやりたかった。しかしこればかりはどうしようもない。

 そんな最愛の息子の部屋の両開きの扉を開ける。しかし、そこにリトの姿はない。奥のベッドで横になっているのだろうか。

「リト?どこにいるの?またどこか具合が悪いの?」

 不安な気持ちを紛らそうと、あえて明るい声で言いながらベッドへ向かう。布団に埋もれるようにリトは……寝ていなかった。

「リト?どこにいるの?」

「ここだよ」

「!?」

 背後から声が聞こえて、ミルダは驚いて振り返った。なぜ後ろから現れたのだろう。部屋の入り口からここまで、隠れていられるような物陰はないというのに。

「まぁ、リト。あまり驚かさないで頂戴」

 そしてもう一つ奇妙なのは、今目の前にいるリトが幼いことだ。実際のリトもまだ成人はしていないが、身体はもっと成長している。ずっと床に伏せていたので定かではないが、もうミルダと変わらない背丈があるはずだ。だが今ミルダが見ている姿は、数年遡ったような幼いものだ。夢の中とはいえ、過去に遡ることはほとんどないため、ミルダは不思議な気分だった。

 目の前のリトはそんなことは気にしない様子で、幼いがゆえの無邪気さで走り回っている。リトのこんな姿を、果たして自分は見たことがあっただろうか。それともこれは、ミルダがこうあって欲しいと望んだ姿なのだろうか。

「母上、こっち」

 無邪気なリトが誘うのは、部屋の隅にある扉。廊下ではなく、物見櫓につながっている、もう使われなくなって久しいはずの扉だ。困惑しつつも、ミルダはリトについて行く。先導するリトが開けた扉の奥は暗く、石造りの急な螺旋階段が上に向かってとぐろを巻いている。こんなところを登るのか、とミルダは目を白黒させた。危ない。引き留めたいのだが、リトは既に手をつかなければ登れないようなその階段にとりついている。ゴウ……とどこからか風の音がする。ふいに寒さを思い出した。ミルダは慌てて自分の肩にかけていたショールをリトにかけた。その瞬間、リトがフフッと笑った気がした。こんな笑い方をする子だったろうか。

「母上は、まだ知らないんだ」

 一生懸命に登り、息があがっているリトが心配で仕方がない。それでも、この子がそこまでして誘うからには、何か理由があるのだとも思えて、結局こうしてついてきている。これは、リトに関する何かの啓示かもしれないのだ。病状は回復に向かっているとはいえ、かなり危ない橋を渡っていることは確かなのだ。

 そのために、禁忌とされる術に手を出したのだから。

 思えば、その提案を呑んだのもこんな底冷えのする日だった。嫌なことを思い出してしまった。

 ついに天辺まで登ってきてしまった。物見櫓だから、そこは屋根こそあるもののほとんど吹きさらしだ。なんと、真っ白な雪片が吹きこんでいる。吹雪いているのだ。

「ねぇ、リト。戻りましょう。風邪をひいてしまうわ」

 夢であることも忘れて本気で心配してしまう。リトのことに関してはひどく弱いミルダだった。だがリトは。

「母上は、知っておいた方がいいよ。自分がしたことの意味を」

 幼い姿のままのリトは、その容姿にしては大人びた口調で言う。ミルダは段々混乱してきた。

 促されるまま、ミルダは櫓へと出た。雪が吹きつけてきて、服から出ている肌の部分に当たって痛い。目を開けているのも辛いが、そこに見えたのは真っ白に染まった都の姿だった。

「あの日から、ある部分では時間の流れが止まって、ひずみができてる。異変は、いろんな場所でもう起き始めてるんだ」

 ミルダは息を呑んだ。あの日というのは、その術を実行した日のことではないか。リトはゆっくりミルダを見た。もうわかっているよね、と暗に念押しするような目で。

「この流れを止めることは、もう誰にもできない」

 まるで最後通牒とでもいうように、幼いリトが告げた。

「嵐が、来るよ」

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