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幕間――階上にて

「あの、せめて誰ぞかお連れに……」

 慌てるジンクを振り返ったリトは綺麗に笑ってみせる。

「いらない。あと、くれぐれも母上には言わないように」

「そ、んな。あぁ……どうかご無理はなさりませんよう」

 もうリトは振り返ることなく部屋を出ていく。こうなってしまうと、ジンクにできることは祈ることくらいである。どうか容体が急変しませんように。そして他でもなくミルダに見つかることのないように。どちらにしてもジンクの首が一瞬で飛ぶ案件だ。

 自分の意見を曲げないところは母譲りのリトだった。どことなく面影に似たところのある瞳はまだ若く、まっすぐに清らかに前を見つめている。病床にあった間にも身体は成長しており、幼かったころとは勝手が違うためにただ歩くだけでも戸惑いを感じてしまう。それでも調子はとても良い。己をこの長い間苦しめてきた病が身体から抜け去ったことは間違いない。

 宮廷医師たちにも、なかば諦められていたのだ。小康状態を抜けられないまま、やがて衰弱して命を落とすだろう。その予測が大勢だった。そして、そうした予測をうっかり口にしてしまった医師たちは皆、いつの間にかこの華楼から姿を消していった。最後に残ったのがジンクだった。

 さて、リトが出た扉はミルダの執務室に続く長い廊下に出るものではない。この部屋にはもうひとつ、小さな扉があるのだ。本来皇族が使うものではないため、警護の関係で重厚ではあるが、装飾は最低限に抑えられている。

 部屋を出たところにあるのは、上りの長い螺旋階段だ。窓がないため、出てきた扉が閉まってしまえば足元が覚束ないほどに暗い。石造りの壁は螺旋階段に沿うように円柱状に上へ続いている。天井近くからわずかに外光が差している。

 懐かしさを感じながら、リトはその決して緩やかではない階段を登る。怒られるかもしれない、と思ってどきどきしながら登ったのは幼少の頃だ。今より身体が小さかった分、一段一段がもっと急に感じていた。そういう意味では登りやすくなっているはずだが、病み上がりの身にはきつい。ずっと寝たきりで意識もほとんどなかったリトは、動けるようになったのもつい先日のことだ。この歳ならついているはずの筋肉は全く動いていなかったから当然ついていない。リハビリもろくにしていない今、果たしてこの階段を登りきれるのか、リト自身にも未知数だった。

 それでもリトは今、この階段を登らなければならないと思った。ちょっとした冒険心からこの空間に彷徨いこんだ幼かった自分はもういない。むしろ今は、脅迫観念に囚われたように粛々と進む。

 外光がだんだん近づいてくる。一番上まであと少しで辿り着く。リトは膝に手をついて荒く息をした。心臓が破れそうに痛い。目一杯息を吸っているはずなのに、肺が空気を拒否しているかのように一向に楽にならない。あと少し、と思って気が急いたのがよくなかった。結局その場で息が静まるまでしばらく立ち止まることになった。

 ようやく動けるようになると、今度は焦らないようにゆっくりと登る。最後の段まで登りきると、安堵のため息が出た。

 そこは昔、この国がまだ不安定だった頃には物見櫓として使われていた場所だ。この華楼の中でも一等高い尖塔で、都を一望することができる。身長が変わったためか、以前よりも遠くまで見通すことができた。

 いつかはミルダから帝位を継ぎ、この国の要となることを運命づけられているリト。幼い頃にはただ無邪気に見渡していた景色は、今や責任という重圧を伴って目前に迫っている。だが今リトの眉を曇らせているのはそれだけではない。

「私の病を連れ去ったのは、あなたなのか……?」

 静かな声で呟く。この場にいるのはリトだけで、それは誰かへの問いかけではない。

 リト自身、自分が助かることはもうないと、長い悪夢にうなされ続けるような年月のなかで思っていた。それがある日を境に嘘のように快復していった。まるで誰かが身代わりとなって、その恐ろしい病を連れ去ってしまったかのように。

「私は、本当は死ぬはずだった……そんな重い事実を抱えて、これから生きていけるのか。生きていて、いいのか……」

 リトの独白を聞き咎めるものは誰もいない。それは、この国を守り賜う神への告白のようだった。

 風は凪、日は強く差している。それでもリトの目の奥には、真冬の真っ白な嵐の光景が焼きついて離れなかった。

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