第29話 初めての
その日の朝は珍しくエルンよりも先に目が覚めました。
いつもならエルンに布団を剥ぎ取られて強制的に起こされるのですが、今日はしばしのまどろみを楽しむ余裕がありそうです。
朝起き抜けの布団の中のなんと気持ちの良いものでしょう。
まさに春眠暁を覚えず、ですね。
いえ、あれは朝になっても気がつかずに寝続けることでしたか。
いつまでもグズグズと布団の中にいるのとは別物ですね。
それに春でもないですしね。
そんなくだらないことを考えていると、エルンが起きる気配を感じました。
ふと、悪戯心が芽生えました。
いつも布団を剥ぎ取られるだけでは面白くありません。
たまにはエルンを驚かせるのもよいかもしれません。
エルンが布団に手を掛けた瞬間にこちらから飛び起きてやりましょう。
そうです、それが良いです。
そうこうしている間に、エルンがこちらのベッドに近づいています。
目を開けたらばれてしまうので、寝たふりをしながら気配を探ります。
二段ベッドの梯子を上るときの軋む音が聞こえてきました。
すぐそばにエルンの気配を感じます。
さあ、もうすぐです。
すぐそばにエルンの気配を感じます。
すぐそばにエルンの気配を感じます。
…………エルンの気配を感じます。
?
一向に布団を剥ぎ取られる気配がありません。
どうしたんでしょうか。
状況を確認するために薄目を開けようとしましたが、急に頭を撫でられて体がビクッと反応してしまいました。
頭を撫でる手は止まりましたが、そのまま動くことはありませんでした。
意を決してそっと目を開けると、目の前にいたエルンはこちらに手を伸ばしたまま驚愕を浮かべて固まっていました。
「…………おはようございます」
朝の挨拶をしても反応がありません。
やがて、顔を真っ赤にしてぷるぷる震え始めました。
あー、これは一撃来るな、と覚悟を決めて目を瞑りましたが、一向にその気配がありません。
恐々と目を開けると、こちらの困惑をよそにエルンは黙ってベッドから降りていきました。
「お、起きているのなら、は、早くおりてきなさい」
「……ハイ」
もしかして、毎日布団をはがされる前に寝顔を観賞されていたのでしょうか。
うわー、ものすごく恥ずかしいです。
むしろ、こっちが赤面してしまいますよ。
エルンさん、あんた何してくれてるんですか。
コンコンコン。
なかなか布団から出られず、悶絶していると部屋の扉がノックされました。
ウィムをゆさゆさと揺すっているエルンはノックが聞こえていても動く気配を見せず、当然布団の中で惰眠を貪っているウィムは起き上がるはずもありません。
仕方なくベッドから降りて扉を開けると、そこにはカメリが立っていました。
「おはようございます」
こちらを確認するとカメリは深々と頭を下げました。
「あ、おはようございます」
「皆さん起きていらっしゃいますか?」
つられるように挨拶をすると、カメリは部屋の中を覗きこむようなはしたない事はせずに訊ねました。
「えーっと、ウィムがま」
「おはようございます、カメリさん。何か御用でしょうか」
ウィムがまだ起きていないと伝えようとしたら、件のウィムがいつの間にか後ろに立っていました。
自分はわりと気配には敏感な方だと思っていますが、全然気が付きませんでした。
いえ、思い返してみればここ最近の失態の数々。
思っていたほど自分は気配に聡くは無いようです。
少し切ない気分にはなりましたが、そんなことは置いておいて今はウィムです。
背後に立っているウィムは、彼女のあの普段の寝起きの悪さからは想像も出来ないさわやかな笑顔まで見せています。
今までのあの寝起きの悪さは演技だったのでしょうか、否、あれはそんなぬるいものではありません。
それはまさに日々がウィムとエルンの戦いだったともいえます。
もしアレが本当に演技だったのだとしたら、自分は例えウィムが大女優だと言われたとしても納得することはあっても疑うことは無いでしょう。
「はい。ウィムさんとエルンさん、ウザーレ様がお呼びです。本日の朝食はウザーレ様とご一緒してください。それと、ニールさん。リスト様がお呼びです。朝食後、執務室の方まで顔を出してくださいとのことです」
カメリの言葉を聞いていたウィムの表情は一瞬だけ険しくなりましたが、ウィムを見上げていた自分と目が合うといつものようなやわらかいお姉さんの顔に戻りました。
「……わかりました。それじゃあ、エルン行きますよ。ニールもまた後でね」
奥のほうでゴソゴソとしているエルンを待って、三人はウザーレの待つ部屋へ向いました。
いったいどうしたというのでしょうか。
食堂へ向いながらいろいろと考えてみましたが、どんなに頭を捻ってもわからないことはわかりません、それより自分も呼び出されていましたね。
昨日の今日でリストから呼び出しなんて嫌な予感しかしません。
朝から若干憂鬱ではありますが、嫌な顧客のところほど先に回れと言うのは先達から脈々と受け継がれている格言の一つと言えましょう。
考えようによっては悶々と考えるよりも嫌なこと面倒くさいことが早く終るというのはそう悪いことではないですね。
悩んでいても仕方がありません、早く朝食をいただくことにしましょう。
朝食を食べ終わり、ウザーレの執務室に向いました。
コンコンコン……。
「どうぞ」
ノックをすると、扉の向こうから渋いリストの声が返ってきました。
「失礼します」そういって開いた扉の向こうにはリスト一人だけがいました。
ウザーレの執務室なので彼がいてもおかしくないのですが、まだウィムやエルンと食事が終わっていないのかもしれません。
それにしても、何故急に朝食を一緒することになったのでしょうか。
もしかしたら、ついにあの二人にも何か仕事が振られるのかもしれません。
二人とも日中はいつも部屋の中にこもっているだけの生活のためか、たまに中庭で働く人たちをなにか眩しい物を見るかのように目を細めて見ていることがありました。
可愛そうなので仕事があるのなら二人にとってもいいことだと思います。
二人にはどんな仕事が振られるのでしょうね。
まあ、厨房の仕事だけは二人とも無理でしょうね。
ウィムは朝起きられないし、エルンは味見をしている間に無くなってしまいそうです。
「どうかされましたか?」
「い、いえ、何でもありません」
変なことを考えていたら、いつの間にかにやけてしまっていたようです。
「それより、僕に何か御用でしょうか。カメリさんから執務室に来るようにおおせつかったのですが」
「それなのですが、私達は本日手が離せなくなりまして、お使いに行って来て欲しいのです」
リストは机の上に置いてある、メモの書かれた板切れと丸めた羊皮紙、手提げカバン、首飾りを示しました。
「買うものはこちらのメモに記しておきました。それとこの発注書を四層南区にある酒蔵のルモーネに渡してください。なにやら厨房の方で新たな試みを試すのだそうですよ」
リストは訳知り顔でこちらを見下ろして言いました。
まあ、身長差があるので見下ろすのは仕方のないことなのですが、この人はいったいどこからどこまで知っているのでしょうか。
「それからこの首飾りが身分証明になります。ニールさん達が一人で壁を越える為に必要になりますので決してなくさないようにしてください」
そして懐からチャリチャリと音のする硬貨の入った袋を取り出しました。
「御代はこちらになりますので、なくさないように十分注意してください。それでは、行ってらっしゃいませ」
「……あの」
「どうかいたしましたか?」
「奴隷はこの屋敷から出られないのではないのですか?」
「ああ、はい。それは大丈夫です。今回はウザーレ様からの指示で外にでることになるので、それについては問題ありませんよ」
ということは、母や姉に会いに行くこともできますね。
会いに行ったら二人は喜んでくれるでしょうか。
それとも迷惑に思うのでしょうか。
本当はみんなに疎まれて売られたのではないでしょうか。
会いたい気持ちはありますが、少し怖くもあります。
「ただし、町の外に出ることはできませんので。正確には四層の外壁よりも外ですね。他には何かありますかな?」
やはりそんなにうまく行きませんね。
落胆と同時に何故か少しホッとしている自分に驚きました。
「……地図とかはありますか?迷子になるといけませんので」
「地図ですか……」
リストは自前の髭をもてあそんで考え込んだ。
「流石に高価なものになりますので貸し出すわけには行きませんが、簡単なものでよろしければ私が描きましょう」
「よろしくお願いします」
リストはメモの裏に地図を描き始めた。
「それにしても地図を知っているとは驚きです。この町に住む大半の人が見たことが無いのではないでしょうか。それに知っていたとしても、大陸中を旅するような人でもない限りそれが何を表すのかわからない人がほとんどでしょうね」
またやってしまいました。
よく考えたら、この世界の大半の人間が生まれた町や村を一生出ることなく生涯を終えることも珍しくはないのです。
そんな世界で地図が一般レベルで普及しているはずがありませんでした。
気をつけているつもりでも、未だに前世の常識で物事を計っていたようです。
「えーと、以前に冒険者の方に出会って、その時に見せてもらいました」
「そうですか。それなら納得です。……はい、描けました」
地図を描き終えたリストが板切れをこちらに差し出しました。
「ありがとうございます。……何だかすごいですね」
「いえいえ、大したことではありませんよ。これくらいは執事の嗜みの範疇です」
何とか誤魔化せたようですが、この地図すごいですね。
リストから手渡された地図は見事に俯瞰で町を描いてあった。
屋敷から目的地の間だけの地図だとはいえ、細やかに情報が書き込まれ、端の方にはデフォルメされたリストが町の解説を施している挿絵まで書き込まれていた。
これが、執事の嗜みでしたら、絵心の無い自分には一生執事は務まらないでしょう。
というより、おそらくほとんどの人には難しいのではないでしょうか。
それくらいの完成度でした。
渡された物を全て手提げ袋に入れ、改めてお礼を言って部屋を出ました。
首にかかる首飾りはまるでドッグタッグのようで飼い犬にでもなった気がしてあまりよい気分ではないですが、初めて自由に歩く町です。
ワクワクが止まりません。
地図によると商館は丁度町の南東にあるようです。
夜は人で賑わう盛り場も日中は静寂に包まれていました。
酔いつぶれたのか店の外に転がっている人を何人か見ましたが、女達の姿も色香に誘われた男達も見当たりません。
歓楽街を西に抜け、南大通りに向います。
次第に槌を振る音や馬の嘶きも聞こえるようになり、少しずつ行きかう人影が増えてきました。
町並も変わり、様々な形の看板が目印の個人商店が立ち並んでいました。
剣に盾、鎧、瓶、本、鋏、壷、服。
それぞれの店舗が趣向を凝らしているのがわかります。
外から薄い玻璃越しに中を覗くといろんなものがありました。
中には見たことも無いような物もあり、どうやって使うのか想像もできない物も多くありました。
メモを見ると購入リストにはインクと羽ペンと記されていました。
裏に描かれた地図によると目的の店はこの通りの一角にある雑貨屋のようですが、まだまだ距離があります。
時間はありますし、少し見学でもしていきましょう。
あっちふらふらこっちふらふらと興味の向くままに店を見てまわっていると、横道から飛び出てきた人影に気がつかずにぶつかってしまいました。
その人影はかなりの勢いでぶつかってきたため、踏ん張りきれずに尻餅をついてしまいました。
「てめぇ、どこ見て歩いてやがんだ!」
「すみませんでした」
怒鳴られて反射的に謝ってしまいましたが、よく見るとそれは自分と大して年の変わらない少年でした。
こちらも不注意だったとはいえ、横道から確認もせずに飛び出してきた少年の方にも非はあるのではないでしょうか。
なんでもかんでも謝るのは日本人の悪い癖ですね。
「気をつけろガキ」
子供にガキと言われてしまいました。
普通は腹を立てるシチュエーションなのかもしれませんが、大人ぶりたい子供を見ているようですこしほっこりしてしまいます。
あまり腹が立たないのはやはり自分が老人で相手が子供だからでしょうか。
お尻を叩いて埃を落としながら立ち上がると、手元に手提げ袋が無いことに気がつきました。
あ、あれ?
周囲を見回すと、手提げ袋は少し離れたところに落ちています。
どうやら、ぶつかった衝撃で飛ばされてしまったようです。
いけませんね、少々浮き足立ってしまっていたようです。
手提げ袋を拾い上げると、少し違和感がありました。
なにやら少し軽くなった気がします。
メモよし、発注書よし、お金の入った袋……無し。
中身を確認してみると、お金の入った袋が無くなっていました。
いつ落としたのでしょうか。
やはり、先ほどの少年でしょうか。
しかし、その時点で財布が確実にあったかと訊かれたら自信がありません。
いろいろな珍しいものに気をとられているときに盗られていた可能性もありますし、あの少年と決め付けるのはいかがなものでしょうか。
しかし、どうしましょう。
お金がありません。
会社勤めでしたらミスは直ぐに報告して最小限の被害に留める為に対処するのが定石です。
といっても自分にとってはそれすらも命取りでしたし、不幸中の幸いと言っては何ですが自分一人の手には余るような重要な案件が回ってくることは無かったので、取り返せるミスは影でこっそり対処する物だと思っていますが。
はたして奴隷の場合はどうなのでしょうか。
自分の記憶では主人の物を失くしたり盗んだりした昔の奴隷の刑罰といったら、鞭打ちや再び盗みができないように斬手などがあったように思います。
ウザーレやリストでしたら酷いことにはならないような気もしますが、リスクは少しでも背負うべきではありません。
少し臆病すぎでしょうか。
無かった事にできるのでしたらそれにこしたことは無いのではないでしょうか。
お金が無いのでしたら稼げばいいのです。
それにしてもよくよく考えてみても前世、今生含めて生まれてこのかた労働の対価以外の金策なんてした事がありません。
借金を背負うことが無かった今までが恵まれていたといえばそうなのかもしれませんが、おかげさまでどうしたらよいのかさっぱりわかりませんね。
お金を作る方法ですか。
まずは、労働の対価として賃金を得る方法ですが、時間的にそんな余裕はありませんし、職を斡旋しているような場所も知りません。
他には銀行や金貸しから借りることですが、身分証明書は持っていても、それが示す身分が奴隷では貸してはくださらないでしょうね。
そもそも銀行なんて金融システムがあるのかどうかもわかりません。
あとは、質屋に質物を預けてお金を引き出すくらいですか。
アイテムボックスの中にはいろいろなものが入っていますし、何とか必要な額を引っ張ってくるくらいは何とかなりそうな気がします。
が、ざっと見回してみてもそれらしきものはありません。
ところで、質屋あるんですかね。
一瞬だけ見えた光明もすぐに消えてしまいました。
やっぱり一度戻るしかないのでしょうか。
立ちすくんでいると一台の馬車が通り過ぎ、一軒の店の前に止まりました。
馬車から降りた青年は、巌のような大男を連れて盾の形の看板を掲げている店に入っていきました。
なんだか慌てているようでしたが、何かあったのでしょうか。
気になって店の外から店内の様子を窺いました。
野次馬ではありません、旺盛な好奇心がそうさせるだけです。
「何故だ!!彼の英雄ヒロ様に使えたフェブル様が使っていたという由緒正しい鎧だぞ!!それが、銀貨2枚とはどういうことだ!!」
先ほど馬車から降りてきた壮年の男が、恰幅がよいを通り越してドラム缶のような体型の小男を怒鳴りつけていました。
「いや、じゃからこれでも十分に色をつけとるといっとるんじゃ。スキルも無いただの革鎧にこんだけの値段をつけた奴は他におらんかったじゃろ?そうでもなきゃお前さんらがわざわざこんな場末の防具屋なんかにこんじゃろ。違うか?」
「だから物を知らない庶民は嫌なんだ。言われたとおりに黙って金貨5枚出せばそれで良いんだ!!」
「そりゃー無理ってもんじゃ。ゴミをそんな大金で引き取る阿呆はおらんじゃろ。もしそんな阿呆おったら見てみたいもんじゃな。これ以上は無駄じゃな。ほれ、帰れ」
目から鱗が落ちる勢いで、小男の面倒くさそうな声と男の怒声を聞いていました。
店って買い物だけではなく、売ることも出来るんですね。
物を売ることが出来るのはリサイクルショップだけだと思っていました。
またも思い込みが邪魔をしていました。
ものを知らないよりも、間違った知識を持っていることの方が何倍も厄介だと思います。
意図して忘れることは不可能ですので、現状を打破しようとおもったら、この世界の知識を身につけて前世との折り合いをつけていくしか方法は無いのでしょうね。
「ックソ!鍛冶屋風情が馬鹿にしやがって!!俺が本気を出したら、こんな店いつだって潰せるんだからな。覚えてろ!!」
「そりゃー怖いのう。毎日怯えながらその日を待っておるよ」
棒読みで怖がる小男に青年は顔を真っ赤にして出てきました。
「何見てんだ糞ガキ!邪魔だどけっ!」
青年が突き飛ばそうと伸ばした右手を、サッと避けて道をあけると青年は忌々しそうにこちらを見てから馬車に乗りこみました。
青年が乗り込むと革鎧を運ぶ部下を残して馬車は走り出しました。
馬車の中から聞こえる怨嗟の怒声と、馬車を追いかけながら叫ぶ男の声がしばらく響いていました。
「で、そこの坊主。お前さんも冷やかしかな?」
「い、いえ、違います」
はい、といえば済んだものを、咄嗟にとはいえ否定してしまいました。
条件反射って怖いですね。
「ほう、ではどんな用かな?」
目を細めた小男はゴムで縛れそうなほどにもっさりとした顎鬚をなでました。
小男は思った以上に背が低く、自分よりも20~30cm高いくらいで150cmあるかないかでしょう。
体型がもっと細かったら、遠目には子供にしか見えないかもしれません。
小麦色に焼けた健康的な肌の小男は、酒を飲んでいるかのように真っ赤な顔についている、縮れてボサボサの髭を触りながらこちらを見下ろしていました。
お金が無いので買い物をすることは出来ませんし、何か売れるものなんてあったでしょうか。
アイテムボックスの中身を思い出そうとしましたが、さっぱり思い出せません。
ステータスからアイテムボックスを見れば在庫の確認は出来るのですが、普段から使うものは限られているので、ここ最近在庫の確認なんてした覚えがありませんでした。
えーっと、売れるもの売れるもの……。
そうだ、解体用のナイフがあったはずです。
多少の愛着はありますが、アレくらいでしたらすぐに作れますし惜しくはありません。
右手を袋の中に突っ込み、何かを探すふりをして何も無い空間からそっとナイフを取り出しました。
「……えーっと、このナイフを買い取って欲しいのですが」
「……坊主。本気で言っておるのか?」
ナイフを見る小男の円らな目が一瞬だけ光ったような気がしましたが、そんなことは無かったかのように元に戻っていました。
商人は腕を組んで首を傾げました。
あれ?
何かおかしかったでしょうか。
先ほどの青年も物を売りに来ていましたし、おかしくはないと思ったのですが、やはり子供が売りにくるというのがおかしいのでしょうか。
「ど、どうしてですか?」
「坊主、この店が何の店かわかっておるのか?」
そう訊かれて、薄暗い店内を見回しました。
鎧、甲冑、革鎧、帽子、兜、ヘルメット、盾、鍋の蓋?、靴、ブーツ、手袋、籠手等々。
そういえば、防具しか売っていません。
「……防具の店ですか?」
「そうじゃ、うちは防具屋じゃな。じゃから、普通の防具屋はある程度の武器の良し悪しはわかっても、武器屋程ではない。それに、防具屋では武器を売り出すことが出来ん以上は何の旨味もないしのう」
「防具屋さんでは、武器を売れないのですか?」
「そんなことをしたら、武器屋の奴らに吊るし上げをくらってしまうからの。小さな町なんかでは万屋のような奴らもいるのじゃが、ここは王都じゃ。互いの住み分けがあるんじゃよ」
「そうですか。では、武器屋さんの方に行ってみますね」
「まぁ、待て」
ありがとうございました。と頭を下げて店を出ようとしたら、商人に引きとめられました。
「本来なら買い取りはしておらんのじゃが、坊主のナイフには金属を扱う者としては興味がある。ちょっと見せてはくれんかの」
差し出された小男の手は節くれだちごつごつとしていました。
その手はウザーレのか細い手とは違い過ぎて、こんな手をしている男がただの商人だとは思えませんでした。
「ふむ、片刃のナイフとはあまり見ない形じゃが、飾り気は無いが実用性が高くて手入れもしっかりされておる。無骨じゃが、なかなか良い物じゃな」
商人はじっくり隅々までナイフを検分していました。
恥ずかしいです。
素人がなんとなくで作ったなんちゃってナイフなので、そんなにまじまじ見ないでください。
「じゃが、ちと柔いな。普段使いは問題なくとも戦いには使えんじゃろう。坊主、これがなんで出来ているか知っておるか?」
「えーと、鉄だと思うのですが」
「ふむ、やはりそうなのかの。じゃが、こんな鉄は見たことが無いのじゃ。純度の違いなのじゃろうな」
「……商人さんは、そんなこともわかるんですか?」
「…………商人?このわしが?がはは。坊主面白いことを言うの」
「違うんですか?」
「わしはただの鍛冶屋じゃ。自分で作った作品を自分で売っとるだけじゃ。商売はしておるが商人ではないのじゃ」
「えーっと、じゃあ、鍛冶師さんがここにある商品全部作ったんですか?」
「鍛冶師さんって……なんじゃかむず痒いもんじゃな。わしの名はファブリークじゃ」
ファブリークのナイフを持っていないほうの腕が差し出されました。
小柄なファブリークの腕は丸太のように太く、普段から槌を振り下ろしている姿が容易に想像できました。
こうなると、どうして初めに見たときに商人だと思ったのかわからないくらいです。
それにしても、この世界でも自己紹介のときに握手をするのはスタンダードなのでしょうか。
「どうも、僕の名前はニールです」
「…………」
差し出された手を握ると、ファブリークに握り返されるまでには少しのタイムラグがありました。
どうやらファブリークはこちらの手を握る間際に奴隷紋を見ていたようです。
こちらの視線に気が付くとほんの少しだけ苦い顔をしていましたが、何も無かったかのように振舞うように決めたようでした。
握られた手は大して力を入れてはいないつもりなのでしょうが、万力で締め付けられているようでした。
「ちょ、痛い」
思わず声が漏れると、ファブリークはガハハと笑って頭をかいた。
「悪い悪い。あーと、さっきの続きじゃが、ここにある品物の多くはわしの作品じゃが、中には装備を買い換える時に下取りしたものをわしが修理した物もそれなりにあるの」
なにか誤魔化そうとしているのは見え見えですが、なるほど確かにいくつも鎧を持っていても、着られないものは邪魔になるだけですもんね。
それで、不必要なものは売ってそのぶん良いものを買ったほうが得策ですね。
なるほど、なんて感心してみましたが、何か忘れているような気がします。
あぁ、そうです、ナイフの鉄の純度の話です。
「それで、さっきの話なのですが、純度がどうとか」
「あぁ、あれはな、鉄には多かれ少なかれ混ざり物が混ざっておる。混ざり物が多すぎれば脆く、適度であれば硬い。そして純度が高くなれば柔らかくなるがその分粘りがあって折れにくくなるのじゃ」
ファブリークの話しを聞いて一つ思い出したことがあります。
日本刀や包丁は純度か違う鉄をサンドイッチにして鍛造するそうです。
そのときに何度も折り返すことで、鋼に層が出来て丈夫になるのだとか。
何処かは忘れましたが、美術館かどこかで読んだうろ覚えな説明なので正しいかどうかは知りませんが。
なるほど、だから自作の刀はのっぺりした仕上がりだったのかもしれません。
……もしかして、あの刀、折れないにしても簡単に曲がるのではないでしょうか。
やはり、餅は餅屋。
どんなに頑張ったって素人は素人、その道のプロには敵いません。
「で、じゃ。このナイフに使われておる鉄は長年鍛冶仕事をしておるわしでも見たことが無いほどの純度なんじゃ。武器としての評価はイマイチじゃが、研究の材料としては興味が尽きん。どうじゃ、坊主。わしならこのナイフに銀貨5枚出すが、坊主の主はなんと言っておるのかな?」
「なんのことですか?」
思わず聞き返してしまうと、ファブリークは眉をひそめました。
「これは、坊主の主の持ち物ではないのか?」
「いえ、これは自分のものです。でなければ、売りに来るはず無いじゃないですか」
「……それじゃ、何処かで盗んできたのか?」
ファブリークは少し考えると、蔑むような目でこちらを見た。
「馬鹿にしないでください。奴隷の身に落ちたとはいえ他人の物を盗むほど落ちぶれてはいません」
ファブリークの言葉にカッと顔が熱くなるのを感じました。
勝手に他人の物を売り払うわけ無いじゃないですか、ましてや他人のものを盗むなんてもっての外です。
馬鹿にしています。
まったくもって心外です。
中っ腹です。
本当に業腹ものです。
襤褸は着てても心は錦です。
たとえこの身が奴隷に落とされたとはいえ、心まで落ちぶれたつもりはありません。
「疑って悪かったのじゃ。許せ、坊主」
こちらの怒り心頭ぶりにファブリークは少し申し訳なさそうにしました。
「じゃが、奴隷の人間との取引は認められておらんのじゃ。その意味が坊主にはわかるか?」
「……奴隷は人にあらず、ですか」
「違うの。基本的に奴隷に落ちた人間は多くのものを奪われるのじゃ。尊厳、権利、その他諸々。そして、その中には当然所持品も含まれることになるの。勿論奴隷にも最低限の権利は認められておるし、奴隷の衣食住は主人が確保する義務がある。じゃから、街中で服を脱がすなんて馬鹿げた事も出来んしやってはいかん」
尊厳や権利が無い人間を、はたして人間と呼べるのでしょうか。
少なくとも道具として扱われても文句が言えないとおもうのですが。
それにしても、全ての権利が奪われるのに最低限の権利は認められているというのは矛盾しているきがしますが。
「少し話しがそれたの。つまりじゃ、何も持っておらんはずの奴隷が何かを売りに来たら、それは主人の物か他人の物ということじゃ。じゃから、主人の許可無く奴隷の者と売買をすることは許されておらんのじゃ」
「……わかりました。それではそのナイフは買い取っていただけないということですね」
「まぁ、そういうことじゃの」
ファブリークは申し訳なさそうにした。
どうやら買い取っては貰えないようです。
少し埃っぽいカウンターの上におかれていたナイフに手を伸ばすと、横からゴツゴツした手に腕を掴まれた。
自分の細い腕が太い手に掴まれている様子は、まるで大木から生えた枝のようだった。
その太い腕の持ち主を見上げると、ファブリークは今までに無い真剣な顔をしていた。
「本当に盗んだものじゃ無いんじゃな?」
まだ自分は疑われているのだろうか、そう思うと腸が煮えくり返る思いだったが、ファブリークを正面から睨みつけた。
「盗んでなんかいません。出自は言えませんが、確かに僕のものです」
暫し視線を交わすと、ファブリークが表情を和らげた。
「わかった」
ファブリークはカウンターの裏まで行くと、小さな麻袋を取り出して目の前で銀貨を5枚入れた。
「ここに、一本のナイフが落ちておる。わしはこのナイフに銀貨5枚分の価値を見出した。わしはこのナイフが欲しいのじゃが、ただそれを拾って持ち帰るわけにはいくまい。わしは泥棒ではないからの。じゃから、わしはそのナイフの代わりに銀貨5枚の入った袋とメモを置いておくことにするのじゃ。もしも不服があったら店を訪ねて欲しいとな。持ち主が訪ねてくるようなことがあれば無論ナイフは銀貨5枚と交換するのじゃ」
ファブリークはカウンターの上に銀貨の入った袋を置いて、こちらに両目を瞑る不細工なウインクをしました。
自分でも似合っていないのがわかるのでしょう、ファブリークはすぐに苦笑いを浮かべました。
そんなファブリークは割と嫌いじゃないです。
「そうですね。もし異論があったのなら、きっと持ち主はあなたの店を訪ねることになるでしょうね」
ファブリークに付き合うことにして銀貨の入った袋を掴むと、ファブリークは悪戯が成功した子供のように笑いました。
「じゃあの、坊主。また何かあったら来るのじゃ」
「そうですね。何か不服があったらまた訊ねることにしましょう。それでは、また」
ニヤリと笑うファブリークに軽く手を振って店をあとにしました。
手元の袋には銀貨の他にもいくつかの銅貨が混ざっていました。




