第28話 策と罠
遅くなりました。
ごめんなさい。
最近エルンの様子が変です。
食事前にわくわくそわそわと落ち着かないのは以前と変わりないのですが、食事を運ぶと飛びつくように近づき食事内容を見て少しガッカリしていました。
まあ、少しすると食事を始めるのですが。
まるで何かを期待しているようです。
はて、エルンは一体何を期待しているのでしょうか。
尋ねてみても何も答えてはくれませんでした。
そんなある日の勉強時間のことです。
書斎に行くと目の前には本の山がありました。
文字通りの本の山です。
乱雑に積み上げられた本は伝記から旅行記、物語、哲学書など統一性が感じられないラインナップでした。
それにしても困ったものです。
人類の宝たる書物をこうも乱暴に扱うなんて、人の風上にも置けません。
「うぅぅぅぅぅ」
昂る感情を押さえ込み山になった書物に手を伸ばすと、山の中からうめき声が聞こえてきました。
聞き覚えのあるうめき声ですね。
山の中には誰かがいるようですが、書物を乱雑に扱った罰が当たったのでしょう。
自業自得です。
しかしこれ以上本を傷めるのは本意ではありません。
……本だけに。
……コホン。
何にしてもこのままではいけません。
慎重に本を退け始めました。
半分ほど本を撤去したところでうめき声が聞こえなくなり少し焦りましたが、耳を傾ければ弱弱しいながらも息遣いは聞こえています。
まだ大丈夫でしょう。
……おそらく。
少し作業ペースを上げようと手を伸ばすと、本の隙間から飛び出した白い手に掴まれました。
びっくりしたなーもう。
心臓が飛び出るかと思ったじゃないですか。
手首を掴んでいる指を一本ずつ引き剥がすと、獲物を見失った白い手はプルプルと震えています。
ふぅ、思わず溜息が漏れてしまいまいました。
仕方なくその手を掴み引き上げることにしました。
その手は水仕事の為かささくれ立ちガサガサとしていましたが、何故か柔らかく母の手を思い出す働き者の手でした。
母は元気にしているでしょうか。
姉はメープルシロップが尽きて泣きべそをかいていないでしょうか。
今まで考えないようにしていた事が、ふと頭に過りました。
少し感傷的になってしまいましたね。
気を取り直してあきらかに自分の体よりも大きなそれを引っ張ると、それは本の海の中から姿を現しました。
血走った目の下にはくっきりとクマをつくり、ボサボサの髪には艶が無く(これは自分のせいですね)、白い肌にはそばかすが散りばめられていました(これは元からですね)。
本の海から釣りあがったのは、器用に頭に本を乗せたエスミットでした。
そういえばエスミットは最近調べ物ばかりしている気がしますが、一体何を調べているのでしょうか。
片っ端から手に取ったような規則性の無い書物からは皆目検討も付きません。
ただ調べ物がうまくいっていないのだけは見たらわかります。
頭の上に乗っていた『100万回食された豚』というタイトルの本を取ろうとすると、エスミットは頭を重たそうに持ち上げてこちらを見ました。
「ねー、ニールちゃん。マネヨーズって知ってるー?」
何か一縷の希望にすがるような目でこちらを見ています。
それにしても、マネヨーズですか。
語感的にはマヨネーズの親戚でしょうか。
自分と同様にこちらの世界にやってきた人間がいるのでしたらそれもおかしいことではないのかもしれません。
もしそうだとしたら、この世界にもそれっぽい物があるということなのですが。
「いえ、聞いたことありませんが」
「そうだよねー。やっぱり知らないよねー」
エスミットはガックリと肩を落としました。
「それで、そのマネヨーズがどうかしたのですか?」
「この前ねー、朝食の支度のために食堂に行ったらー、そのメモと何かが入った小さな壷が置いてあったのよー」
エスミットはポケットから一枚の板切れを取り出してこちらに差し出しました。
その板切れに書かれた文字には見覚えがありました。
メモの内容も先日作ったマヨネーズのレシピで間違いありません。
どうしましょう、その板切れにもその文字を書いた人物にも心当たりがあります。
どう考えても犯人はあの食欲魔人しかいません。
あの小壷にはすでにパン一枚に使うくらいしか入っていなかったので、その場で舐めてしまったものだとばかり思っていたのですが思っても見ない使い道があったものです。
食に関しては貪欲ですね。
思わず感心してしまいました。
おそらく、理由は夕食だけではなく朝食と昼食にもマヨネーズを普及させたかったというところではないでしょうか。
少なくとも、そこには美味しい物をいろんな人に伝えたいとかそんな微笑ましい感情は一切無かったと断言できます。
しかし、マヨネーズをマネヨーズと書いてしまうとは。
このまま訂正しなかったら、マヨネーズはマネヨーズとして広まっていくのかもしれません。
エルンにはまだまだ勉強が必要です。
「みんな不審がって捨てようとしたんだけどねー、一緒に置いてあったメモを見る限りでは食べ物っぽかったしー、やっぱ気になるじゃなーい?厨房を預かる者としてはー」
「……で、そのマヨネーズ味見したんですか?」
すでに夜でも暖かい今日この頃、いくら酢が入っているといっても生卵が材料に使われている物を常温で一晩放置した物を食べるなんて危険すぎます。
厨房で働いていればそれくらいは分りそうなものですが。
そう考えると、エルンにも同じことが起こる可能性があったのですね…………まぁ、あの食欲魔人なら大丈夫でしょう。
「マヨネーズ?」
「あーと、マネヨーズでしたか」
間違えました。
「それでー味見してみたんだけどー」
あー、やっぱり味見したんですね。
「それで、どうでしたか?」
「うーん、不思議な味だったかなー。脂みたいなんだけどなんでかさっぱりしてて、あとは酸味があったなー。でも、果物みたいな酸味ではなくて、うーん」
エスミットは頭の中でその味を再現するように口をもぞもぞさせながら首を傾げていました。
確かに酸味はある物ですが、そんなに気になるほどの物でしょうか。
「……それは、腐っていたんじゃないですか?」
「あー、うーん。みんなもそう言うんだけど、あの酸味はそういう酸味じゃなかったんだよねー。お腹も壊さなかったしー」
エスミットは人差し指を顎に当てて思いを巡らせているようだった。
「それにねー。酸味もあったんだけどー、それだけじゃなくてもっとこう複雑な味わいがあってねー、興味深い味だったんだー。アレがあればー、もっと料理に幅が広がる気がするんだー」
そう語るエスミットは、物思いに耽り熱っぽい瞳で虚空を眺めていました。
その表情はまるで恋する乙女のように艶がありましたが、もぞもぞと動く口元が全てを台無しにしていました。
「……そうですか。それは是非食べてみたい物です」
「そーなんだよー。ニールちゃんにも食べさせてあげたいんだけどねー。どうにもこうにも肝心の材料が分らないんだよねー」
「材料ならこのメモに全部書いてあるんじゃないですか」
「そーなんだよねー。書いてはあるんだけどねー」
エスミットはメモの書かれた板切れをひらひらと振って机の上に落とし、再び机に突っ伏した。
机の上で跳ねた板切れは、机の上に留まりきれず床に落ちました。
エスミットは拾う気力も無いようで、代わりに拾いあげます。
「油、卵、酢、塩、胡椒。何かおかしいですか?」
材料工程に抜けも無ければ名前以外には別段おかしなことも無いようですが。
メモに書いてある材料を読み上げると、突っ伏していたエスミットの体がガバッと起き上がりました。
「え?」
何かおかしなこと言いましたか?
「え?」
君、知ってるの?
同じく発した「え?」でも含む意味合いは全然違いました。
こちらはキョトンとする草食動物。
あちらは得物を見つけた肉食動物。
そんな視線をお互いに交わしました。
精気の抜けかけていたエスミットの瞳がギラリと光ったような気がします。
身の危険を察知して咄嗟に後ろに下がろうとしたのですが、気がついたときには手を掴まれていました。
「ニールちゃーん」
「……なんでしょうか」
「酢って知ってるー?」
あー、なるほど。
酢はこの世界には無いのですね。
墓穴を掘りました。
「…………。」
やめてください。
目が怖いです。
そんなに詰め寄らないでください。
「ちょっとお姉さんとお話しよっか♪」
眼前にはニッコリと笑うエスミットがいました。
しかも、いつの間にか腕を組まれてガッチリとホールドされています。
これでは逃げようがありません。
それに、いつもと口調が違いませんか?
いつもはもっとやる気の感じられない無駄にゆったりとした話方なのに、今は覇気というか、有無を言わせない強引さが備わっているような気がします。
「……わかりました」
エスミット自身が己で選んだこととはいえ、エルンに振り回されているエスミットを放ってはおくわけにもいけません。
エルン、このつけは必ず何処かでかならず返してもらいますよ。
心の中でエルンに請求書を作成しておきます。
当然迷惑料込みの割増料金です。
最近やられてばかりなので、自分から仕掛けることを想像すると少しワクワクします。
「わかってくれればいいんだよ♪」
「それで、『酢』なのですが――――」
「うんうん、うんうんうん」
「実はそんなによくは知らないんです」
エスミットは少し落胆した表情を見せたが、すぐに元に戻っていた。
その必死さからは、まるで手に入れた手がかりをどんなに小さなものでも逃がすもんかという決意のような物が透けて見えた。
「それでもいいよ。どんなことでも良いから聞かせて」
醸造については作り方も原理も実際に知っているのですが、顕微鏡すらもなさそうなこの世界で説明することは難しいように思えますし、何よりそんな危ないこと話せるわけがありません。
ここは一つ、昔聞いた嘘か本当かわからないような昔話をアレンジして聞かせてあげましょう。
「わかりました。それでは――――」
少し前に出会った冒険者たちの話。
勇猛果敢な男。
寡黙で誠実な男。
陽気だが冷静沈着な男。
そして、とても優美で美しい異種族の女。
ある時、男の持っていた酒から異臭がした。
長い道のりを持ち歩いていた結果、酒は腐りツンとする刺激臭を放っていた。
男は諦めきれず口に含んだが、酸っぱくなっていて飲めた物ではなかった。
男は諦めて腐った酒を捨てようとしていたところ、仲間の女に止められた。
どうやら、女の故郷では腐って酸っぱくなった酒を調味料として使っているらしい。
女曰く、それは腐っているわけではなく発酵しているだけだと。
その発酵した酒を女曰く、酢というのだと。
昔に体が柔らかくなるなんて触れ込みで流行った黒酢なんかはアルコールと酢酸菌を甕に入れて蓋をし、半分地面に埋めるそうです。
そうする事によって、上部や側面は日光で温められ、逆に下部は冷やされます。
この温度差によって中身が滞留します。
酢酸菌は液面に被膜を作るのですが、対流によって混ざることで酢酸発酵が進むのだそうです。
昔話の酒も、持ち歩くことによって中身が常に対流して同じような効果があったのかもしれません。
いやまぁ、詳しいことは知らないんですけどね。
それにしても、よくもまあこんなにスラスラと嘘がつけるものです。
最近、咄嗟の作り話が得意になっている気がします。
……あ。
なんとなく思いつくままに話してしまいましたが、この話って日本酒の話しだったかもしれません。
まあ、いいや。
適当に話しすぎたことへの若干の自己嫌悪に陥ってしまいそうになりましたが、終わってしまったことは仕方がありませんね。
人間切り替えが大切ですよ。
そんな葛藤を知るわけも無く、話を聞き終わったエスミットは再び黙考していました。
時たま「酒を腐らせる、ですか」などと呟いていますが、あくまで発酵で腐敗ではないのですが。
といっても、実際には発酵も腐敗も同じ物なのですよね。
人体にとって有用な物であれば発酵。
人体にとって有害な物であれば腐敗。
人間サイドから見たら似て非なるものでも、菌サイドからみたら同じものなわけで。
自分の世界に入り込むエスミットの隣で、そんなミクロの世界に思いを馳せていると、入り口の扉が開いて木材が現れました。
普段は特に何も持たずに現れることも多いリストでしたが、今日は自らが隠れてしまうほどの板を持っていました。
流石にウザーレの息子達も大きく目を見開いて驚いています。
テスト問題を事前に木の板に木炭などで書いて配る事は今までにもあったのですが、多くても1人2枚がいいところでした。
それがどうでしょうか、長身の部類に入るリストの姿が隠れるほどの高さがありました。
紙を使えば大した量ではないのですが、紙は存在するものの製法が秘匿されているのかなかなか出回らないようです。
取引の契約書や執務でも普段は羊皮紙などを使うのですが、王宮の書庫や商館の資料なんかは、嵩張らないように多少高価でも紙を使うそうですね。
そんな高価なものを子供の授業程度で持ち出すなんてありえませんね。
「先生、それは一体どうしたのですか」
真っ先に手を上げて聞いたのはウザーレ息子兄の方でした。
手を挙げたところで視界ゼロのリストからは見えないと思うのですが、意外と律儀ですね。
「今持ってきたということは、当然今使うということではないですか?コムーネさん」
ウザーレ息子兄はコムーネというそうです。
普段は一人でモクモクと勉強しているため、今更ですが初めて知りました。
「そうですね。失礼しました。」
そう言うと畏まって頭を下げるコムーネですが、その顔が若干青ざめているように見えました。
隣にいるアーシャもいつもの笑顔が少し強張っているように見えました。
「もう時間は始まっていますよ。いつも通りそれぞれの学習にかかって下さい」
「……ハイ」
そう声をかけたリストは返事はしたものの恐る恐るチラチラと盗み見るコムーネとアーシャを通り過ぎ、何故かこちらに向ってきました。
あれ?
ドサッ。
目の前に立ったリストは何の躊躇いも無く机の上に積み上がった板を分けて置き、次いで予備の木炭を置きました。
その板の一枚目に書かれていたのは、加減乗除が入り混じった算数の問題でした。
「……あの、」
「何でしょう」
躊躇いながら声を出すと、リストからすぐにレスポンスが返ってきました。
リストはにこやかにこちらを見ていますが、その後ろからはアーシャの憐憫がこもった視線と、コムーネのニヤニヤとした視線が送られています。
「これは?」
「問題です。算術は繰り返し問題を解くことが重要です。わからないところは後で教えて差し上げますので、気にせずに飛ばしてしまってください。さあ、時間がありませんよ、頑張って解いてください。」
それは大量の問題が書かれた紙で全てが自分用でした。
出来ないところは飛ばしてもいいので、時間内にやってしまえということらしいです。
どの紙も加減乗除の簡単な問題がランダムに混ぜられています。
そういえば、割り算なんてまだ習っていないと思うのですが。
とりあえず、割り算は全て飛ばしましょう。
あとは、難しそうな掛け算も飛ばしですね。
なにはともあれ、時間が無いそうですので、とりあえず頑張りましょう。
ちょっと二人ともいつまで見ているつもりですか。
エスミットも助けてください。
隣を見ると、エスミットは何かに没頭し、ぶつぶつと呟きながら自分専用の板切れに何かを書き込んでいました。
こっちはこっちで怖いです。
「どうかしましたか?」
「……何でもありません」
自分には針のむしろで問題を解き続けるしかないようです。
諦めて問題を解き始めます。
それを見ていたリストは目を細めました。
いやいや、まだ文字を書いてすらいないのですが、どうかしたっていうんですか。
もう疑心暗鬼です。
何をしてもリストは興味深そうに何も言わずにこちらを見ていますし、他の二人もチラチラ見てきます。
問題自体は簡単なのですが、そんなにスラスラと解くわけにもいきません。
だからといって、問題を解く手を遅くすればよいと言うわけでもありません。
リストさん、何でずっと隣にいるんですか?
なんとなく悩んだふりをして時間をかけて解いていきます。
見られていると思うと、心的プレッシャーもすごいです。
チラッと周りを見ると、ウザーレさん家の息子さんがこちらを見て手を上げています。
初めはニヤニヤと笑っていたコムーネもリストがこちらにかかりきりなのが気に入らないのか、イライラとしているようです。
リ、リストさん一度振り返ってみてください。
鬼の形相でこちらを見ている人がいますよ。
コムーネの額には青筋が浮き上がっているようにも見えます。
やめてください、完全に不可抗力なんです。
リストは息子さん達に教えている間も、こちらから目を離すことはありませんでした。
一体全体何ていう拷問ですかこれ。
コムーネの質問に答えている間もリストは終始こちらを見ており、教え終わると再び優雅にこちらに戻ってきました。
やめてください、コムーネさんすごい睨んでいるじゃないですか。
心の中で「奴隷如きがー」って叫んでいるのがわかるくらいには怒っていますよ、アレ。
額から変な汗が滲み出てきました。
とりあえず、さっさと終わらせてこの拷問から逃げ出しましょう。
いつの間にか演技することも忘れて、問題を解き続けていました。
三十分ほど続けて、やっとで最後の一枚にたどりつきました。
「終わっ――――」
ドサッ。
板に書かれた問題を全て解き終えたと思ったら、いつの間にかリストの手には追加の板の束が持たれていました。
……どこから出したんですかソレ。
もしかしたらリストは空間魔法かアイテムボックスが使えるのかもしれません。
結局、学習時間が終わっても全ての問題を終えることは出来ませんでした。
リストが終わりを告げましたが、自分だけ居残りを言いつけられました。
兄はニヤニヤとして退出しました。
その姿を見ていると「調子に乗ってるからそうなんだよ」昔、上司から言われた一言が頭の中にリフレインしました。
少し嫌な気分にはなりましたが、何故でしょう、あまり気になりませんでした。
その後も弟は哀れんでは退出し、次いでエスミットは何かの本を胸に抱えてそわそわしながら足早に退出ました。
リストはニールの解いた問題の束を見ていました。
「ニールさん。この問題ですが、こちらでは解けているのに、こちらでは解けていませんね。どうしてですかな?割り算なんか教えていませんが、どうしてか何問か解けているのもありますね?聡明なあなたのことです、偶然なんて陳腐な言葉で片付けたりはしないですよね?」
不覚でした。
そういえば、こんなテストを過去に受けたことがあった気がします。
一体いつのことだったでしょうか。
確か一度だけ受けたことがありますが、心理検査の一つの手法ではなかったでしょうか。
無駄に大量の質問・問題を繰り返すことで疲れさせ、ボロを出させると言うものです。
もしかして、嵌められましたか?
おずおずとリストを見上げると、リストはニッコリと笑いました。
「さて、ここには今、私とあなたの二人しかいません。もう、猫を被る必要もありませんよ?」
確実に何かを隠しているのはばれていますよね。
しかし、それを認めたところで、なんて説明したらいいんですか。
「嫌ですね、猫なんて被っていませんよ。それに、あれは、その、えーと、あの、その、偶然です。たまたまです。奇跡が起きたのでしょうね」
「ふむ、しかし、解き方も知らないはずの問題が解けるとは不思議なものですね?」
「えーっと、それは、前にアーシャ様が同じ問題を解いているのを見たことがあって、それでですよ。僕、意外と記憶力いいみたいですね」
「左様ですか。それでは、まったく同じの問題を解けたり解けなかったりというのは不自然ではないですかな?」
「それは、そのー、何かの間違いですよ、きっと。たまたま書いた数字が偶然正解しただけですよ」
「……なるほど。あくまでも偶然と言い張るのですね」
「えぇ、まぁ、それが事実ですので……」
「まぁ、良いでしょう。今日のところはそういうことにしておきます」
あれ、やけにあっさりと引き下がりましたね。
それにしても、嘘をつき続けるということが、これ程辛いこととは。
過去に謝れば済むような一つの些細な失敗を隠すために嘘をつき、嘘を隠すためにさらに嘘を重ねて続けて、仕舞いには会社を辞めてしまった人がいましたが、今になってその気持ちがわかります。
彼には一体どんな理由があったのでしょうか。
決して嘘をつきたい訳ではないのですが、自分の状況がそれを許しません。
いえ、もう全てを洗いざらいしゃべってしまえばよいのではないでしょうか。
そうです、なぜ隠す必要があるのでしょうか。
そうです、本当のことを話したところで大した問題は無いはずです。
そうですね、ここで全てを話したとしましょう。
可能性一。
正気を疑われて、病院送り。
ずっと監視、監禁され、一人寂しく病室の隅で誰にも見取られること無く生涯を閉じる。
そもそも、病院なんてあるのでしょうか?
可能性二。
異世界の知識を求められ、保護の名目で監禁。
知識を吸い取られるだけ、吸い取られたら、情報の機密のため危険人物として処分。
万が一処分を免れたとしても、一生涯を監禁され、監禁部屋の片隅で誰にも見取られること無く生涯を閉じる。
可能性三。
戦力としてかり出され、戦場の最前線に送り出される。
肌の色の違う人たちと、銃を突きつけあい、仲間の兵士と友情を深めるが、一瞬の隙を突かれて隣にいた仲間の頭が吹き飛ぶ。
勇気を振り絞って戦いを続けるが、十分な食料も持たされていないため餓死するものも現れる。
敵との死闘の果てに、戦場で散る。
万が一、散ることは免れたとしても、その後、捕虜となり一生労働力として使われる。
言葉の通じない異国で、生涯の幕を下ろす。
可能性四――――。
……どれも遠慮願いたいです。
やっぱりダメです。
どんなに考えても、打ち明けることでのメリットが見つかりません。
そもそも、自分は何処かの小さな農村で晴れた日は畑を耕し、雨が降ったら本を読み勉強する、晴耕雨読の生活を送りたいのです。
裕福でなくても、誰に憚ることなく気ままに生きて生きたいのです。
こんなところで目立ったりして、名前が知られるようになることははっきり言って本意ではありません。
リストが引いたので、さっさと去るに限ります。
「それでは、失礼します。ありがとうございました」
部屋から出ると、溜息がでました。
何だか、どっと疲れました。
部屋に戻ると、エルンとウィムが話をしていました。
二人はそろってこちらを見ましたが、こちらの様子に気がついたエルンが近づいてきました。
「どうかしたの?」
小首をかしげるエルンを見ていると、何だかホッとします。
荒んだ心が癒されていきます。
「なんでもありません。ありがとうございます」
気遣ってくれるエルンに声をかけると、気がついたら手が伸びていました。
真っ直ぐに伸ばした手はエルンの小さな頭に届き、柔らかい髪を撫でていました。
無意識だったせいかエルンも反応が遅れ、初めてエルンの毛並みに触れることが出来ました。
理解が追いつかず、ポカンとしていたエルンでしたが、少しすると顔を真っ赤に染めながらも腰が入った一発を鳩尾に叩き込んできました。
綺麗にきまった一発は肺の中にあった全ての空気を吐き出させる威力がありました。
御嬢ちゃんなかなかいいもの持ってんね。
咄嗟に冗談の一言でも言おうと思いましたが声が出ませんでした。
うずくまって苦しむこちらを振り返ることも無く、プンプンと聞こえそうなほど肩を怒らせたエルンはウィムの元へ戻っていきました。
そんなやり取りを見たウィムは口元を隠してクスクスと笑っていました。
月一投稿間に合いませんでした。
申し訳ありません。
次こそ一月以内に投稿できるよう頑張ります。
お付き合いありがとうございました。




