第27話 酸と卵と油
久々の投稿です。
凄く間が開いてしまい、申し訳ありません。
あれからしばらく。
いくつか変わったことがあります。
まずはウィムとエルンとの距離が少し近くなった気がします。
呼び方もニールちゃんから、ニールと呼び捨てになりました。
未だに尻尾も耳も触らせてはもらえませんが。
今までよりもずっと近く、そう、家族のようになった気がします。
特に、エルンです。
エルンの方から話しかけてくるようになったのです。
朝起きると、眠気眼を擦りながら「……おはよ」と自分から挨拶し、仕事を済ませて戻ってくると「今日は何をしてたの?」と聞いてきたりもしました。
たまに自分のことをお姉ちゃんと呼ばせようとしてきますが、一度断ってしまうとなんとなく意見を翻し難い、というのは建前で見ているだけでほっこりするのでそのままです。
機嫌を損ねて、ぷくーっと膨れる頬はまるでお餅のようでした。
まぁ、その後のご機嫌取りは大変なのですが、どうしてもの時は最終手段でおやつを出したら一発で機嫌が直るというのは可愛らしいものです。
なんだか最近はそのために怒っている気もしないではないのですが、ウィムによるとお姉ちゃんと呼ばせたいのは本音のようでした。
次に屋根裏にはいくつかの改装がされました。
二人が体を拭くだけで我慢しているのに、自分だけ毎日風呂に入っているというのはどうにも落ち着きません。
そこで、床を一部タイル張りにして木を組み合わせて作った大きなタライのような浴槽を設置しました。
もちろん温水が出る蛇口型の魔導具も完備です。
シャワーにしようかとも思ったのですが、こんな狭い部屋の中でシャワーなんて使ったら水浸しになることは請け合いなので止めました。
本当は浴室自体を増設しようとしたのですが、ウィムに全力で止められたので浴室の増設は止めました。
ついでに湿気対策で換気扇も取り付けました。
自然に空気が流れる通風孔はすでにありますが、入浴時にでる湿気が部屋にこもってしまい対策無しでは部屋中がかびてしまいそうでした。
本来なら日常生活で使えるような消費魔力の少ない魔導具はその都度自分で魔力を供給しながら使うのですが、ウィム達は魔力を魔導具に供給することは出来ないので、魔石を電池代わりにして使えるようにしました。
前にオーク達から剥ぎ取った魔石をはめ込んで、ボタン一つの簡単操作です。
今は初夏なのでこれでもよいですが、冬が近づいてきたら寒さ対策なども考えなければいけませんね。
まぁ、いずれ拡張するのも良いでしょう。
工事中は二人に退出していただき、完成してから招き入れました。
はじめは遠慮していたウィムも浴槽と自動で出てくるお湯に感動していました。
エルンは説明だけ聞くと、さっさとニールを追い出しました。
その反応には製作者としては腑に落ちないところもありましたが、喜んでくれるのならよしとしましょう。
風呂が完成した翌日に事件が起こりました。
ニールを風呂に送り出した後にウィム達は風呂に入ったのですが、ニールは石鹸を持っていくのを忘れたことに気がついて部屋に引き返しました。
先ほどウィム達に分けたときに出したままになっているのを忘れていました。
部屋に戻って、石鹸の置いてある机にたどりつくと、天井にある入り口が薄っすらと開いており、その隙間からエルンのものと思われる双眸がこちらを見ていました。
「……あの、石鹸を忘れて」
石鹸を持ち上げて見せたのですが、その隙間は何の返事も無く静かに閉まりました。
完全なる冤罪です。
自分の名誉を守るためなら、徹底抗戦の構えです。
風呂から帰って来たウィムとエルンに全てわかっていると言わんばかりに静かに見つめられ、まるで針の筵に座っているような状態で釈明をしましたが、懸命の釈明も暖簾に腕押し、ぬかに釘、馬耳東風で最終的にはやましい事は無いのに頭を下げる以外に道は残されていませんでした。
満員電車で痴漢の冤罪をかけられた人の気持ちが少しわかったような気がしました。
その日の晩、覗き未遂という不名誉な称号と共に、入り口の内鍵を取り付ける仕事を拝命することになりました。
他には夕食を三人で食べるようになったことくらいでしょうか。
夕食といっても、毎日、パン、ベーコン、ウインナー、卵、野草、野菜を組み合わせただけの夕食になります。
なんとなく醤油や味噌を使用することは躊躇われて、二人にも未だに見せていません。
日本の固有の物という印象が強すぎるからでしょうか。
それ以上の物もたくさん見せているような気もしないでもないのですが、人の心理というものは不思議ですね。
まぁ、この先どうなるのかは分りませんが、いずれは見せることにはなるのだと思います。
そういえば、前に作った石鹸なのですが、こっそりと風呂場に置いてみたところ、反応は上々だったようです。
もちろん、使用中の反応を直接見たわけではありません。
女性の間で少し噂になっていました。
少し目立ちすぎかとも思いましたが、自分が屋敷に来てからしばらくたちますし、その間も奴隷の出入りは多々ありましたので疑われる可能性は少ないでしょう。
もし、犯人探しが始まるようでしたら、そのときは何か対策を考えなくてはいけませんが。
それにしても、風の噂で男性棟でも部屋に空きがあると聞いたのですが、自分はいつまでこの部屋にいるのでしょうか。
いえ、決してウィム達に不満があるわけではないのです。
それに、折角屋根裏部屋も作ったことですし、むしろ好都合では在るのですが、ほら自分も一応男なわけで。
そんな時、重大な問題が発生しました。
いえ、すでに起こっていたと言った方が適切でしょうか。
明らかにウィムやエルンの毛並みが悪くなっています。
艶は無くなり、ボサボサになっています。
そういえば、最近は毛づくろいにかける時間が増えているような気がします。
いつからでしょうか。
思いつく原因は唯一つ、風呂に入り始めたことです。
以前は漱ぐ事も出来なかったために石鹸を使うことも無く、お湯で体を拭くだけでした。
それが風呂に入るようになり、必要な油分まで落としてしまっているのかもしれません。
男ゆえに気にしていませんでしたが、確かに自分の髪もギシギシしています。
いやいや、風呂に入るだけなら自分はずっとしていたではないですか。
となると、原因はアレですか。
石鹸。
高品質になったが故の弊害でしょうか。
そういえば、石鹸はアルカリ性のため弱酸性の髪にはダメージを与えてしまうと聞いたことがあります。
うっかりしていました。
しかし、これは重大な過失ですよ。
さて、どうしたものでしょう。
正直、美容にはまったく興味が無かったために知識がありません。
一度よく思い出してみましょう。
まずは脱衣所で服を脱ぎます。
浴室に入ったら、掛け湯をします。
頭を十分に濡らしたら、シャンプーを手にとって頭へ。
爪で地肌を傷つけないように、指の肌で地肌まで綺麗に洗い、お湯で流します。
洗顔で顔を洗い、石鹸で体を洗い、お湯で流します。
あとは湯船に浸かって…………。
経験が何も役に立ちません。
自分はシャンプー一本あれば事足りたので、他に気にしたことがありませんでした。
そういえば、嫁がいた時にはリンスを使っていましたっけ。
女はいろいろ大変だな、なんて思ったものです。
あとは、ホテルなんかのアメニティーもたくさんありましたね。
えーと。
シャンプー。
リンス。
コンディショナー。
トリートメント。
全然分りません。
リンスとコンディショナーとトリートメントの違いは何でしょうか。
リンス=すすぐ。
コンディショナー=調節、調える。
トリートメント=治療、待遇、取り扱い。
和訳するとこんなところでしょう。
結果、髪に良さげなことをするという以外に分りません。
そういえば、昔トリートメントのCMで卵を髪の毛に塗りたくるのを見たことがあります。
何のためにやっていたのかはわかりませんが、卵といえば栄養補給でしょうか。
ムキムキな外人さんが生卵をジョッキで飲む姿には衝撃を受けたものです。
それにしても、髪の毛は死んだ細胞だと聞いた記憶もあるのですが、栄養補給したところで吸収するのでしょうか?
何かしら行動を起こしてみないことには始まりません。
えーと、結論から言うと、弱酸性の維持、栄養の補給、髪の毛に油分の補給の三つでしょうか。
とりあえず、試してみましょう。
まずは酸性を示す物ですが、これは果物を使うことにしましょう。
林檎に似た果実は色は違えど、味が同じなら林檎酸のようなものも含まれているはずです。
林檎モドキを絞った液体は素晴らしいほどの赤で、まるで血液のようでした。
卵は、森に住んでいた両翼広げると1mを越えるボスケバードという鳥の卵です。
卵は直径10cmほどの大きさになります。
全体的に黄身が大きく、その黄身は濃厚で栄養価も高い物でした。
ボスケバードは魔獣ではないので魔石は持っていませんが、自分よりも小さいものに対しては無駄に好戦的な鳥でしたので、森を散策しているときはよく襲われたものです。
卵は絶品なのですが肉はイマイチなので、ボスケバードに出会っても狩ることはせずに撤退の一択でした。
その後、姿を隠して追跡し卵をいただくのが一番うまいのですよ。
ちなみに、理由は分りませんがボスケバードは自分よりも大きなものに対しては絶対に襲い掛かりません。
卵を混ぜても林檎モドキの血のような赤が和らぐことは無く、赤々としていました。
もしかしたら、この林檎モドキには食紅のような物が含まれているのでしょうか。
とりあえず、酸性と栄養はこれでクリアではないでしょうか。
残るは油分ですね。
林檎モドキエキスと卵の混ざった真っ赤な液体に、アボカドオイルを入れていきます。
卵がつなぎになりオイルは見事に乳化して滑らかなクリーム状になりました。
鮮血のような赤で色味は違いますが、内容的にはこれはアレですよね。
少し気になった赤色も、手にとって水で流すと綺麗に落ちたので染料としての効果は薄いようです。
それはそれで少し残念な気もしますが、エルンの髪が赤毛に染まることはなさそうなので安心です。
それでは実験あるのみです。
結果、なんちゃってトリートメントは成功でした。
あまりにも見違えてつやつやするものですから、使用を控えるようにいったのですが、二人ともトリートメントに魅了されてしまっているようで、聞き入れてもらえませんでした。
曰く、獣人族の毛並みに興味がある人なんていない、だそうです。
いえいえ、二人の毛並みには十分興味を持っている人間が近くにいるではないですか。
成分が生物なので、常にアイテムボックスで保存してあるのですが、お風呂タイムになると毎日二人の獣娘たちにおねだりされて、ついつい渡してしまいます。
女性におねだりをされて、ついつい貢いでしまう男の気持ちが、二度目の人生にして始めて理解できました。
この娘達のキラキラと輝く瞳に抗うことはたぶんできないのだと思います。
結局渡してしまう自分が一番悪いのかもしれませんね。
ある日の晩、屋根裏部屋で作業をしていました。
といっても、ここ最近は何も知らない人が見たらあきらかに不審な研究を日々続けていました。
初めは興味津々だったウィムも今では慣れたものです。
なんとなく実験を見学したり、本を読んだりして時間を潰し、興味があることは手伝うこともありました。
しかし、普段はそっけないエルンの方が、実験には興味津々でした。
今日もエルンが興味心身で近寄ってきます。
ちなみにウィムは下で読書しています。
「……何やっているの」
「ちょっとした実験です」
「ふーん」
いつも通りのそっけない態度で近づいてきましたが、その尻尾の暴れ様では説得力がありません。
それにしても、今日はいつも以上の食いつきですね。
まぁ無理もありませんか。
原因は実験に使う材料でしょうね。
今、エルンの前には実験に使う材料、もとい食材がありました。
豆、卵、塩、酢、そして、生ゴミから見つけ出し栽培・増産に成功した胡椒がありました。
先日のなんちゃってトリートメント作りの時から考えていたことを実行に移したいと思います。
これらを使ってできるもの。
そうです。
マヨネーズを作りたいと思います。
通常、酢と油は混ざり合うことはありませんが、卵を触媒にすることで乳化して混ざるようになります。
そこに調味料で味を調えて完成します。
油ですが、アボカドオイルの増産は続けているのですが、流石に生ゴミから抽出したオイルを食することには抵抗がありました。
そこで、今回は豆を絞って油を抽出します。
豆から抽出した油は癖が少ないので、マヨネーズ作りには向いています。
まあ、この豆の搾りかすでもちょっとやりたいことがありますので、ついでですね。
エルンは豆から油を抽出するのを興味深そうに見ています。
「……これ、なに?」
「これは油ですよ」
「なんで豆から油が出来るの?」
普段食べている豆から油が取れることが不思議なようです。
エルンは小首を傾げていました。
「豆には油分が含まれているので、それを絞ると取れるんですよ」
「なんで、豆の中に油があるの?」
「うーん、なんででしょうね。考えたこともありませんでした。でも、豆が大きくなるのに油が必要なのかもしれませんね」
「……いっぱい油を飲んだら、エルンも大きくなる?」
「それは、どうでしょう」
思わず笑ってしまいそうになりました。
「まぁでも、バランスよく食べることが大切ですよ」
「……バランス?」
「そう、バランス。いろんな物をほど良く食べましょうって事かな」
「わかった」
そう言いながらも、エルンは抽出したばかりの油を指で掬って舐めました。
「……おいしくない」
「それは、そうですよ」
「じゃあ、なんで?油なんているの?」
「?」
初めはエルンの言っている意味が分りませんでした。
油の利用法といえば、食用、燃料、潤滑油です。
そういえば、この世界に来てから食べた料理といえば、生、焼く、茹でる、煮るだけでした。
もしかしたら、炒める、揚げる、そして蒸すという調理方法が無いのかもしれませんね。
明かりは魔法を使えばよいですし、機械もありません。
こうなると、油の用法って限られていますね。
「まぁ、色々です」
マヨネーズを食べたらエルンはどんな顔をするでしょうか。
今から楽しみで仕方ありません。
油を絞ったらマヨネーズ作りの開始です。
マヨネーズ作りの最大の難関といえば混ぜる作業です。
この作業がなかなかの重労働なことなのです。
しかし、幸いここには食欲魔人がいますので、食べ物だと伝えればおそらく労力を惜しまないはずです。
「エルン、少し手伝ってくれませんか?」
「……お姉ちゃんって言ったら手伝ってあげます」
見るからに興味心身なのにこの人はブレませんね。
「エルンが手伝ってくれたら、きっと美味しい物が作れると思うのですが」
「仕方ないですね。お姉ちゃんの私が手伝ってあげます」
エルンは腰に手を当てて胸を張っていました。
お姉ちゃんと呼ばせることと食べ物を天秤に掛け、一瞬で食を優先させました。
顔がにやけるのを必死にこらえながら、ボールとビーターをエルンに渡しました。
初めて見る道具に困惑していましたが、使い方を教えるとやる気を見せてくれました。
まだ何も入っていませんよ?
まずはボールに酢を入れ、塩と胡椒で味を調えます。
エルンは酢のツンとする匂いに顔を引きつらせ、涙目になっていました。
獣人の嗅覚に酢の匂いはきつ過ぎたようです。
「大丈夫ですか?」
「……こんなの大したこと無い」
涙目で虚勢を張っている姿を見ていると、何だか胸の奥にグッと来るものがありますね。
心の中でエールを送っておきます。
続いて卵を割り入れ、しっかりとかき混ぜます。
これで、少しはにおいも収まるでしょう。
ここでポイントです。
マヨネーズ作りで重要なことは酢と油が直接混ざり合わないことなので、酢と卵がよく馴染むまで混ぜます。
そうしたら、次は油を少しずつ混ぜいれます。
エルンは先ほど舐めた油の味を思い出したのか、少し嫌そうな顔をしました。
そんな顔をせず、ガンガンかき混ぜちゃってください。
はい、完成です。
なんちゃってトリートメント作りの時も思いましたが、やはりなかなかの重労働ですね。
流石のエルンもクタクタになっていました。
完成した未知の物体に興味を引かれつつも戸惑うエルンの目の前で、人差し指でマヨネーズを掬い上げ口に含みました。
うん、初めてにしては上出来ではないでしょうか。
実は、自分も作ったことはありませんでした。
だって、普通に買えたら作る必要がないですし。
「まあまあですね」
こちらがマヨネーズを口にするのを見ると、エルンも人差し指で掬い上げて口にふくみました。
エルンは目をまん丸にしていました。
まさか、あんなに臭い物と不味い物を合わせたら、こんなにもおいしい物が出来るとは!!現在のエルンの心の中はこんな感じでしょうか。
そして、しばらくしてもう一掬いし、口に運びました。
今度は顔をほころばせています。
どうやら気に入ってもらえたようですね。
そして、さらに一掬いしようとしたところでエルンの腕を掴みました。
これは調味料であって食材ではないのです。
マヨネーズを直接飲む人もいますが、自分には許容でるものではありません。
まあ、人それぞれなのでいいのですが、少なくてもエルンにはそうなって欲しくはありませんね。
驚いてこちらを見つめるエルンに無言で首を横に振ると、エルンの耳は垂れ下がり、驚愕からの絶望が見て取れました。
ウィムは見張り兼務で下で読書をしているのでご飯には出来ませんが、ちょっとした間食でしたら問題ないでしょう。
あとでウィムにも作ってあげればよいでしょう。
アイテムボックスからパンを取り出し、薄くカットしました。
パンを取り出すとのを見たエルンの尻尾がブンブンと揺れました。
薄くカットしたパンにマヨネーズを塗り、野菜とベーコンを乗せて即席サンドウィッチの完成です。
キラキラと目を輝かせるエルンの前に差し出すと、腕ガッチリと掴まれ手ごと食べられそうな勢いでかじりつきました。
咄嗟に手を引かなければ、もしかしたら食べられていたかもしれません。
エルンの目は再び大きく見開かれ、くりくりとした眼がこぼれ落ちるのではないかというほどでした。
たぶん、床には見えない鱗が落ちているはずです。
気が向いた人は探してみてください。
マヨネーズは酸化しやすいので、なるだけ空気に触れないように小壷に小分けしてしまいました。
エルンが幸せに浸っているうちに、残りの仕事を片付けてしまいましょう。
豆の搾りかすを炒って、石臼で挽きました。
ウィムに呼ばれて下に行くと、もうじき授業の始まる時間でした。
屋根裏部屋は、外が見えないので時間が分らないのが難点です。
時計って無いんですかね。
食べ足りないのかエルンが何も言わずこちらを見ている気がします。
後ろ髪を引かれる思いで授業に向いました。
読み書きの学習は大分進展し、専門書等で無い限りは読むぶんには不足がないほどになっていました。
まだ書く方は慣れていない感がありますが、大分ものになってきたのではないでしょうか。
上達の早さはなかなかのようで、リストの覚えはめでたいようでした。
そのおかげか気がつけば、リストの勧めで算術も学ぶことになっていました。
といっても、やはり算術のレベルは前世の方が上のようでした。
問題よりもわからないふりをするほうが難しく、時々リストが不可解な表情をしているところを見ることがあります。
何かおかしいところがあったのでしょうか。
その日の授業も恙無く授業が終わり、部屋に戻ります。
今では、自分も発光石を持ち歩くようにしていますが、相変わらずエスミットが部屋まで送ってくれます。
「最近ウィム達の毛並みがねー、遠目でもわかるくらい良いようにみえるんだけどー、ニールちゃん何か知ってるー?」
ドキリとしました。
普段、窓から外を見ているだけのウィムを窓越しで見ただけで毛並みのつやが分るとは、女性恐るべし。
やはり、女性というのは美に対して敏感なのですね。
「そうですか?いつもと変わらないと思いますが」
「そんなことないよー。いつもよりもサラッサラでツヤッツヤのキラッキラだよー。みんな噂してるもーん」
「いえ、全然気がつきませんでした」
「もー、ニールちゃん。女の子の変化に気がつかないなんてー、男の子失格だよー」
「……気をつけます」
「うんうん。わかればいーんだよー」
分るだけでいいそうです。
「それじゃーねー、早速問題でーす。今日のあたしはいつものあたしと違いまーす。さて、どこが違うのでしょーか」
いやいや、いつもと寸分たがわず同じにしか見えないのですが。
そばかすの数が増えた?
髪が伸びた?
否、昨日と違うと言うのですから、全く違うところがあるということでしょう。
腰に手を当てて胸を張るしぐさは、いつも以上に凛々しく見えます。
凛々しく?
凛々しくといえば、あの立派な眉毛でしょうか。
確かに、そう思ってみれば、いつも以上に整って凛々しい気がしてきました。
少し形を変えたのでしょうか。
「いつもよりも凛々しい眉毛で――――」
脳天に拳骨を落とされました。
拳を落としたエスミットの顔はいつものようにニコニコと笑っているのに、米神には青筋が浮かんでピクピクしていました。
「ニールちゃーん。女の子が気にしていることを言っちゃうのはー、とてもいけないなことなんですよー?」
どうやら気にしているようです。
「ごめんなさい」
「うんうん。男の子は素直が一番だよー」
頭をさすりながら謝ると、エスミットはうんうんと頷いてから笑いました。
「でー?」
問題はまだ続いているようです。
どうしましょう、さっぱり分りません。
外見で変えられるとしたら服か装飾品ですが、服は支給でいつも同じですし、装飾品といったら髪を結んでいる革紐くらいしかないですよ。
……そういえば、あの革紐、今は真っ赤な一本の紐ですが、前は編んであったような気がします。
そうです、きっとそうに違いありません。
僕の記憶もなかなか捨てた物ではありませんね。
「わかりました。その革紐ですがかた――――」
「せーかーい。答えは革紐の色が変わったでしたー。ニールちゃんはーやれば出来る子だーねー。……どしたの?」
「……何でもありません」
思わず赤面してしまいました。
咄嗟に手で覆って顔を隠したので、エスミットにはばれていないはずです。
何でもありません。
ちょっとだけ恥ずかしいだけです。
「そーかい?じゃあ、髪ツヤの真相よろしくねー」
いつの間にか部屋の前まで来ていたようで、エスミットは手を振って自分の部屋に向っていきました。
一度深呼吸して顔の熱さが引いてから自分の部屋に入りました。
部屋に戻ると、エルンとウィムの勉強タイムです。
ニールが借りてきた絵本を書写し、わからない文字はニールが先生になって教えます。
他の部屋の人たちが風呂から上がる頃まで勉強タイムは続きます。
いつもは集中して取り組むエルンがチラチラとこちらを見てきます。
最初は分らないところがあるのかとも思いましたが、いつもならわからないところがあれば不機嫌そうに尋ねるか、分らないところをウィムが代わりに聞いてくれるように促します。
そういえば、部屋に戻ったときからチラチラ見ていた気がします。
あれは、完全に邪念がこもったチラチラですね。
……無視しましょう。
我慢を覚えさせるのも大人の義務でしょう。
そんなこんなで勉強タイムも終了です。
他の女性達が風呂から上がったのを確認して風呂場に立ち入ります。
当然、エルンとウィムは屋根裏で風呂に入りました。
ゆっくり浸かって出てきたつもりでしたが、二人はまだ風呂から上がっていませんでした。
どうして分るかといえば、二人が先に上がった時には、窓を開けて涼んでいるからです。
それにしても、ヘアケアセットをプレゼントしてから、風呂時間が目に見えて延びています。
いつも通り、本を読んで二人の風呂タイムが終わるのを待つことにします。
今読んでいる本は、今日書斎の片隅でたまたま見つけた本です。
本を選んでいたら違和感がある本棚の一角がありましたので、なんとなく本を引き抜いたら、奥に隠すように本が一冊あったので持ってきました。
興味本位で持ってきた本でしたが、これがまた、読み出したらなかなかに面白いのです。
タイトルは『執事が行く』。
過去の人物がモチーフなのか、現在存在するあの人がモチーフなのかは分りませんが、悪徳商人を巧みな話術で看破し、不当な契約を破棄させるところは、老人ながらに胸がスカッとする思いでした。
本に夢中になっていると、風呂から上がったウィムが屋根裏からニールを呼びました。
屋根裏に行くと、まだ少し風呂を使った湿気が残っています。
少しムッとしますが、換気扇を回していればすぐに湿気もなくなることでしょう。
自分の尻尾を毛繕いする二人からは風呂上りの良い匂いがしました。
……しかし、またですか。
二人の髪や尻尾は生乾きでした。
一応、ニールが風呂場から持ってきたバスタオルのようなものはあるのですが、二人はどうも動物のように体を震って水を飛ばす癖がありました。
一度注意したのですが、これは獣人族の習性だそうです。
ニールは溜息をつくと、魔法で温風を出して二人を乾かします。
相変わらずお触り厳禁ですが。
はじめは無詠唱の魔法に驚いていた二人も、今では気にしません。
しばらく温風に吹かれて乾くと、二人はボサボサになった毛並みを整えています。
今度、櫛でも作ってあげましょう。
それでは夕食の準備をします。
普通は風呂が終わると就寝時間になるのですが、それは奴隷達に特にやることが無いためで、実際はまだ8、9時くらいだとおもいます。
早速マヨネーズを使ったサンドウィッチとポテトサラダを作りました。
エルンは大喜びし、ウィムはその見た目から戸惑いを見せていましたが、一口食べて驚き、そしてウィムにしては珍しくエルンのようにがっついていました。
二人とも完全にマヨネーズの虜になったようです。
マヨネーズの入った壷をエルンが狙っているは知っていましたが、あと少ししか入っていなかったのでそのまま放置しました。
それくらいは多めにみてあげましょう。
ただし、今日だけですよ。
二人は行儀悪く手についたマヨネーズやパンくずを舐め取っていましたが、まだ少し物足りない様子でした。
そこで、ニールは鍋を取り出し、オイルを注ぎます。
加熱したら、小振りのパンを入れました。
カリッと揚がったら、粉をかけて出来上がりです。
そうです、これぞ給食の定番、揚げパンです。
牛乳が無いのは残念ですが、無い物ねだりしていても仕方がありません。
二人は不思議そうに見ていましたが、ニールはあえて何も言いませんでした。
二人は熱々の揚げパンを恐々と齧りました。
熱かったのか一瞬目が見開かれ、ハフハフしていましたが、無言で食べきりました。
やはり最後に手についた粉を舐め取るのは異世界でも共通のようです。
こちらも気に入ってくれたようでした。
きな粉も成功のようですね。
こうなると、次はあんこが欲しくなります。
お腹を満たして満足した二人は部屋に戻っていこうとしましたが、そんな二人の肩を掴みました。
「歯磨きしようね」
ニールがニッコリと笑うと二人は心底嫌そうな顔をしました。
この世界にも歯を磨くという習慣はあるのですが、獣人たちにはあまり浸透していませんでした。
二人の手に水の入ったコップと木の枝の先を叩き潰して作った歯ブラシを渡しました。
夕食を振舞う条件に食後の歯磨きが含まれていたため、二人はしぶしぶと歯を磨きます。
歯磨きは大切です。
虫歯になっちゃいますからね。
三人そろって歯を磨き、二人が適当に済ませないように見張りながら食事について思いを馳せます。
食料はあるのですが、何処かの腹ペコさんに急かされていつも簡単な物になってしまいます。
それに、何かを作ろうとすると、大抵一つ二つ材料が足りないというジレンマ。
何処かで食料を調達できると良いのですが。
うがいを済ませて三人ともベッドに潜り込みました。
満腹のためかすぐに心地よい眠りが訪れました。
その夜。
食堂には一つの人影がありました。
テーブルには何かが入った小さな壷と板切れに書かれたメモが置いてありました。
転職したはいいものの、月の残業時間が100時間を越えるとは思っても見ませんでした。
休みは日曜と祝日のみ。
話を考えても文章にできない現状です。
また少し間があくかもしれませんが、月一で投稿できるよう頑張ります。
ありがとうございました。




