第25話 ゴミあさりと実験
「ふぁぁぁー」
大きな欠伸を隠すことなく、ニールは人影の無い廊下を一人歩いていました。
現在、エルンの布団強制剥ぎ取りにあったニールは、眠気眼を擦りながら食堂に向かっています。
まだ朝食の合図のベルは鳴らされていないのですが、エルン達の食事を受け取るために少し早く食堂に行っていました。
今まではエスミットがエルン達の食事を運んでいましたが、食事前の時間はエスミットも忙しいので、ニールが申し出てエルン達の食事を運ぶようにしていました。
初日は合図があってから食堂に向かったのですが、すでに食堂は人で溢れ混雑しており戦場を駆け回る兵士のように働くエスミットを捕まえるのは困難を極めました。
他の人に声をかけてもいいのではないかと思うのですが、事前にエスミットから二人の食事はエスミット自身が責任をもって準備すると全力で言われていたので、それはできませんでした。
実際、過去にエスミットが担当できなかった時には、品数や量を減らされたり、届けられなかったりしたそうです。
結果、何とか二人分の食事を確保して部屋に戻ったときには、腹ペコで力尽きたエルンが床に落ちていました。
冷たい床の上にうつ伏せで倒れているエルンを見たときには何事かと思いましたが、顔を持ち上げ鼻をすんすんさせると、ニールの運んできた食事の匂いを嗅ぎつけたエルンのお腹は可愛い鳴き声を上げました。
クスリと笑うニールをエルンは恨みがましく睨みつけましたが、食事の乗ったプレートを机に置くと黙って食べ始めました。
それ以来、エルンは合図前にニールを起こし、食事を運ぶように促すようになりました。
多少打ち解けてくれたようで嬉しいのですが、ただ単に食事のためのような気もしないでもありません。
「おはようございます」
食堂に着いたニールは、比較的落ち着いている厨房の中からエスミットを見つけて声をかけました。
「ニールちゃん、おっはよー。いま準備するから、ちょっと待っててねー」
こちらに気がついたエスミットは挨拶を返すと、すぐに二人分の朝食を準備し始めました。
二人分の朝食ができるのを待っていると、少なからず忌諱の視線がチクチクと刺さるのを感じます。
視線の方を振り返るとサッと目を逸らしましたが、しばらくするとまたこちらを見ていました。
良くも悪くもチラチラと盗み見されるのは決して良い気分ではありません。
ウィム達はいつもこんないやな目にあっているのでしょうか。
若干腹立たしい思いをしていると、エスミットがやってきました。
「お待たせー」
「いえ、時間前に押しかけているのはこちらですので」
エスミットから食事の乗ったプレートを二つ受け取ると、ニコニコしていたエスミットの表情が曇ったことに気がつきました。
エスミットの表情で、初めて自分の言葉に険がこもっていたことに気がつきました。
「ごめんねー。たぶん本人達もは悪気は無いと思うんだー。だからって不快なのは変わらないんだけどねー。」
「ごめんなさい。こちらこそ、エスミットさんには関係の無いことなのに」
その後、苦笑するエスミットと二、三話をしていると、だんだん人が集まり始めたので話を切り上げて部屋に戻りました。
早く戻らないと、またエルンが不貞腐れてしまいそうです。
今日の朝食は、パンと目玉焼き、サラダにスープでした。
焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐります。
ちなみに、初日以降は毎日イーストの香りのするパンが食卓を飾っていました。
噂によると、あの日は新人がパン生地を全てダメにしたために、仕方なく膨らし粉を使って急ごしらえしたとか何とか。
なんとなく、その新人には心当たりがあります。
それにしてもいつも思うのですが、この食事ですが微妙に栄養価に配慮してある気がします。
パンに目玉焼き、サラダとサラダに添えられたアボカドや豆、それにスープです。
量はさておき、炭水化物やタンパク質、食物繊維にビタミン、脂質、その他諸々と考えられたバランスの良い食事のように思えます。
エスミットに聞いた話だと栄養なんて概念は無く、この世界の人々は食べたいものを食べるというのが基本スタンスのようですが、この屋敷で毎日の食事に使われる食材はウザーレからの指定で、指定されたものを使い切るという厨房ルールがあるようです。
あの人はいったい何者なのでしょうか。
考え事をしている間に部屋につきました。
部屋では、すでに世界の終わりといわんばかりの顔をしたエルンが椅子に座って朝食を待っていました。
エルンの前に朝食を置くと、未だベッドに座って起動準備中のぽわぽわとしているウィムに声をかけました。
ゆらゆらと揺れるウィムからは生返事が返ってくるだけで、まだまだ覚醒には程遠いようです。
ウィムのことはエルンに任せて、ニールも朝食のために食堂に戻りました。
食後は部屋に戻って二人分の食器類を回収すると、そのまま仕事に入ります。
食器を回収するときはいつもウィムに頭を下げられますが、なんだかこちらまで申し訳ない気になるので、あまり気にしないでくださいと伝えると、また頭を下げられてしまいました。
ウィムにはもっとエルンのような図太さを持って欲しいと思いま―――
「…………なに?」
エルンに睨まれてしまいました。
彼女は人の心を読めるのでしょうか。
「いえ、なんでもないです」
とまあ、そんなわけで、お仕事の始まりです。
お局様、もといメッツァから仕事を割り振られるのですが、初日の鏡磨きで目をつけられてしまったおかげで、明らかに六歳児にはこなせないであろう仕事量を押し付けられるようになりました。
べつにニールにとってはこなせない量ではないのですが、人がいるところでは本来のスペックを出せず、ノロノロと仕事をしていました。
すると、勘違いした女性達がこっそりと手伝ってくれるようになり、ニールの仕事は日々減っていきました。
それを知ったメッツァは仕事量を減らしたうえで、再び不人気仕事を押し付けるようになりました。
しかし、それはニールにとって都合の良い出来事でした。
ニールの押し付けられた不人気仕事は、ゴミ捨てでした。
食堂で出た生ゴミを厩舎で出たボロを捨てる肥溜めまで運び捨てるのですが、肥溜めは定期的に商人が回収に来るのみで、基本的には厩舎関係者しか立ち寄りません。
厨房を出てしまえばあまり人目につかないので、わざわざ疲れたふりやよろめくふりをしなくてもいいのでとても楽でした。
しかしいくつか難関があります。
厨房でエスミットに見つかると、六歳児にこんな重いものを一人で運ばせるわけにはいかない自分も手伝うと言って聞きません。
厨房に入る前に息を殺して意識して気配を消すと、すれ違う人はニールの存在に気がつき難くなりました。
気配を隠せているのを確認して厨房に入り込むと、忙しそうに働く人達はニールがそこにいることに気がつかず通り過ぎていきました。
ニールは目的の生ゴミの入ったバケツを持ち上げると、近くにあった食材を運搬するための台車に載せます。
台車はあくまでも見つかった時のカムフラージュなので、勝手口にたどりついたら重そうに持ち上げる演技をしてバケツのみ外に運び出します。
運び出したらこちらのものです。
あとは周囲の確認をして、誰もいないのを確かめたら鼻歌交じりに生ゴミの入ったバケツを運びます。
この仕事がニールにとって都合がよかった点は他にもありました。
生ゴミの中にはニールが求めているものが多量に混ざっていることでした。
この屋敷の食事の中には比較的暖かい国でしか育たないようなものが多いですが、それらは隣の国から運ばれてくるようです。
未熟な果実を収穫して追熟させるといっても、運搬途中で痛んでしまう果実は多いようです。
そのため、生ゴミの中には常に切り取られた多量の痛んだ果実片が入っていました。
ニールの求めている物の一つが傷んだアボカドでした。
アボカドは森のバターと呼ばれる程その果肉には脂質を含み、その量は20%近いそうで、その果肉を絞って抽出されるのがアボカドオイルです。
痛んでいるといっても、腐っているわけではありません。
ニールは『抽出』魔法でアボカドオイルを抽出すると、瓶に入れてアイテムボックスに保存しました。
他にも、生ゴミの中には少ないとはいえ食材の種もありました。
珍しいものが食事に出ると、その種が生ゴミの中に混ざっていないか楽しみになります。
しかし自分でも思いますが、生ゴミをあさるのが楽しいとは、どこのスラムの六歳児なのでしょうか。
さて、物色も終わり、肥溜めに到着です。
生ゴミを肥溜めに投入したらゴミ捨ては終了ですが、あまり早く戻ってもまたお局様に絡まれるだけなので、人知れず肥溜めを拝借して作った専用地下肥溜めで食料の増産でもしましょうか。
しばらく時間を潰したら、バケツを洗うために井戸に向かいます。
厨房にも水道の魔道具はあるのですが、流石に昼食を作っている隣で匂いのきついバケツを洗うわけにもいけません。
井戸では洗濯をする女性の他にも休憩中の男性の姿がありました。
ニールは井戸に到着すると先客に断りを入れてから、釣瓶を引っ張り上げて水を汲み、バケツの中に水を貯めました。
異臭を放つゴミ箱を近くで洗うのは申し訳ないので、少し離れたところで生ゴミ臭いバケツを洗いました。
中をゆすいだ水は排水溝に流します。
実はこの町には上下水道があるんですよ。
流石は王都ですね。
どういう理由か、丘の頂上にある王宮からは豊富な水が湧いているそうです。
それを普段は東西南北に走っている水路に流しています。
水路には所々に東屋のある水場が設けられており、人々は飲み水や生活用水をそこから汲んでいきます。
水路の末端は四層の農業地区にある溜め池になっており、全ての農業用水はこの水を利用しているそうです。
この屋敷は特別な許可が無い限り基本的には奴隷達が敷地外に出られないために井戸が掘られていました。
また、普段は水路に流している水ですが、一日に二回だけ地下の下水道に流し各家庭の汚物や生活排水を町の外まで押し流します。
当然、最終の処理場なんて物はなく、そのまま川に垂れ流すんだそうです。
もしも、この町の下流に位置する町に行くことがあったなら、水には十分に注意しなければいけません。
バケツを厨房に戻しに行くと、お局様が待っていました。
どうやら、まだ仕事があるようです。
その後、屋敷内のトイレ掃除をして、昼食、また生ゴミの片づけをして本日の仕事は終了になりました。
昼食を運んだ時にエルンとウィムが顔をしかめていました。
もしかしたら体に匂いがついていたのかもしれませんが、二人とも文句は言いませんでした。
仕事をしていたとはいえ、同室の住人に嫌な思いをさせるわけにはいきません。
やはり、石鹸の開発が急務のようです。
夜になりました。
授業の後、部屋でウィム達との勉強タイムを経てお風呂タイムです。
逸る気持ちを押さえ込み、一人でゆったりと浸かってから部屋に戻ると、ウィム達は既に寝ていました。
それでは、早速秘密の屋根裏部屋へゴーです。
真っ暗な部屋では作業ができないので『ライト』で照明を確保しました。
さて、石鹸作りですか。
そういえば、作り方は知っていますが、実際に作ったことはありません。
確か、油に苛性ソーダを加えて煮沸・攪拌し食塩を加えて塩析する、でしたか。
それでは、まず岩塩をアイテムボックスから取り出し、精製します。
やや赤みがかっていた岩塩の結晶から不純物が抜き取られ、脆くなった岩塩の結晶は力を入れると簡単に砕けました。
素焼きの器に精製した塩を集め、次の工程です。
次は苛性ソーダを作ります。
苛性ソーダは確か水酸化ナトリウム水溶液のことです。
ということは、ナトリウムを水に溶かせばできるのではないでしょうか。
ナトリウムの作り方は知りませんが、塩が塩化ナトリウムのことなので、魔法で塩素を抽出してやればできるはずです。
塩素は空気より重いので、床に作った風抜きの近くで抽出し風魔法で送り出しましょう。
まずは英石で作ったガラスビーカーに水を準備します。
なにやら、実験っぽいですね。
僕が学生の頃は座学ばかりで、こういう実験ってほとんどやったこと無いので、何だかワクワクしてしまいます。
それでは、先ほど作った塩から塩素を抽出し、ナトリウムを作りましょう。
『抽出』を使うと悪臭が漂いだし、すかさず風魔法『ブロー』で外に押し出しました。
先ほどまで塩があった器には、白銀色の金属がありました。
知識としては知っていても、実際に普段何気なく口にしている食塩から金属が取り出せると、何か変な感じがします。
それでは、早速水の中に入れてみましょう。
ニールは何気なく、素手でナトリウム金属を持ち上げました。
「熱っ、痛っ」
持ち上げた瞬間は何ともありませんでしたが、すぐに高熱を持ち始め、思わず離してしまいました。
ナトリウムはビーカーの水の中に落ち、ブクブクと激しく泡を発生させ始めました。
「びっくりしたー」
ナトリウムがこんなに熱い金属だとは思っても見なかったので、少し驚いてしまいました。
それにしても、すごいですね。
水に金属を入れただけなのに、こんな風になるんですね。
まるで沸騰しているようです。
素手でナトリウムを掴むという暴挙に出た失敗を反省するどころか、少し浮かれ気味のニールは好奇心に負けてビーカーに顔を近づけました。
バーン!!
…………爆発しました。
全身にガラス片が刺さって血がダラダラと流れて、濡れたところはピリピリとします。
今鏡を見たら、おそらくかなりのスプラッターだと思います。
驚きのほうが大きく、あまり痛みを感じませんが、すぐに手当てをしないといけないのは確かです。
回復魔法を唱えると、身体中に突き刺さっていたガラス片がズルズルと這い出してパラパラと床に落ち、傷はスーッと消えていきました。
「ふぅー、あービックリしたー」
溜息をついて一息つくと、袖で額を拭いました。
額を拭った袖は、血だらけになり、さらに何かで溶けたようにボロボロでした。
これは酷いです。
『修復』を使って服を直し、『抽出』で服に染みこんだ血液を取り出しました。
服を直したニールが、ガラス片を片付けようとすると、目の前に転がっていたナトリウムの接する床から火が出ていることに気がつきました。
や、やばいです。
このままでは火事になります。
こっそり作業ができる屋根裏部屋とか言いながら、速攻でばれそうじゃないですか。
いけません、こんな時こそ冷静にです。
火を消すにしても、水をかけたらまた爆発してしまいます。
どうしたらよいでしょうか、ガラス瓶に入れて密閉したら火は消えそうですが、どう保存していいかわかりません。
……保存?
そうです、保存ですよ。
一息ついて若干冷静さを取り戻したニールは、そっと手を近づけ燃えているナトリウムをそのままアイテムボックスに収納しました。
床は即座に消火し、『修復』で焦げた後すらも完璧に消し去りました。
水溜りはそっと何処かの森の上に転移させ、ビーカーは一度集めて作り直しました。
「よし。次は苛性ソーダを作りましょう」
気を取り直してもう一回です。
それにしても、先ほどは何が起こったのでしょうか。
順番に考えて見ましょう。
まずはナトリウムを水に入れました。
すると、気体がブクブクと出てきました。
この気体は水素のはずです。
そして、ナトリウムはなぜか高温になっていました。
おそらく、水と反応して熱を発したのでしょう。
つまり、発生した水素に引火しての爆発ですか。
知らずとはいえ、途轍もなく危ない実験をしていたのではないでしょうか。
気をつけましょう。
それでは、どうしたらいいでしょうか。
ナトリウムを水に溶かすのはとても危険だということはわかりました。
それでは、既に溶けていたらどうでしょう。
食塩水から塩素を抽出したら、苛性ソーダになるのではないでしょうか。
うん、なんとなくですが、いけそうな気がします。
それでは、ビーカーに塩を溶かします。
塩が完全に溶けたら『抽出』で塩素を取り出し、ついでに出てきた水素も危ないので一緒に外に放出します。
はい、苛性ソーダの出来上がり。
大変でしたが、何とか苛性ソーダができました。
それでは、次はアボカドオイルに香り付けでオレンジの皮から抽出したオイルを混ぜます。
ふむ、なかなか良い香りです。
次に、苛性ソーダを注いでかき混ぜます。
それから、加熱して――――
塩を入れて塩析して――――
……気がついたら完成していました。
これを取り出して切り分ければ……?
ニールは後ろを振り返りました。
あれ?
背中に視線を感じて振り向くと『消音』魔法のせいで音はしませんが、パタンと入り口の蓋が閉じた気がします。
再び石鹸の方を見ていると、再び背中に視線を感じます。
やはり気のせいではないようです。
石鹸をとるふりをして振り返ると、そこには頭の上に蓋を乗せたエルンとウィムが鼻から上だけを覗かせてこちらを見ていました。
………………。
……………………。
しばらく二人と見詰め合っていましたが、ニールが口をパクパクさせているのを見て、ウィムとエルンは首を傾げました。
ニールは、ふー、と溜息をつき、覚悟を決めました。
「見てた?」
ニールが尋ねると、『消音』魔法の効果で音は届いていないはずですが、ウィムとエルンは同時にコクコクと頷きました。
ばれました。




