第24話 作業部屋
貧民から奴隷にランクダウンしてから、はや一週間がたちました。
読み書きの取得は順調に進み、普段の生活では困らないくらいにはなりましたが、まだまだ本を開けば知らない文字がたくさん出てきます。
まだまだ書斎にある本の大半が辞書無しでは読める気がしません。
勉強後は、部屋で復習がてらウィムとエルンの読み書き練習も始めました。
初めは、表音文字の練習からです。
二人ともニール手製の手本を見て、黒板に石灰の棒を使って書き写します。
意外だったのはウィムよりもエルンの方が先に覚えてしまったことでした。
食欲だけではないのですね。
少し見くびっていました。
ウィムもそれほどかからず表音文字の読み書きができるようになりましたが、表語文字の方はあまり順調とはいえませんでした。
文字を学ぼうとしたらニールが持って帰って来た本を読むか、ニールが一文字ずつ書いて教えるしかないのです。
なぜなら、文字を目にする機会がないです。
前世でしたら室内でもどこかそこかには文字があり、部屋だけでなく家中、町中に文字で溢れていました。
しかし、この屋敷内で文字を探そうと思ったら、書斎にある本か商人達の書いた資料しかありませんでした。
初めはニールが一文字ずつ教えていましたがなかなか捗らず、一日にして教本のありがたさが身に染みました。
ウィム達は「新しく本を借りてきたら、また教えてね」と言っていましたが、教える側としては歯がゆくていけません。
自分の過去を振り返って参考にしようと思いましたが、いったい自分は五十年以上も昔にどんな方法で読み書きを習ったのでしょうか。
まったく覚えていませんでした。
昔のこと過ぎてあまり覚えていませんが、唯一つ、当時は娯楽も無かったため貰った教科書を何度も何度も読み暗唱ができるほどに読み込んだ記憶だけはありました。
これは教える上では参考になりませんね。
とりあえず、当分は簡単な文で書かれたいろんなジャンルの本を持って帰りましょう。
夜の授業が終わってから部屋に戻ろうとすると、いつも風呂上りの女性と出会いました。
すれ違う女性達は皆よい香りがしましたが、若干獣臭さも混ざっていました。
獣臭さの原因は、あの水を含んでふやけたような柔らかさの臭い石鹸なのは間違いないのですが、香水なんて高価なものを持っているはずも無いのになぜあんなによい香りがするのでしょうか。
僕なんか、日々獣臭くなっている気しかしないのですが。
いったいどうしてでしょう、エスミットに聞いてみましたが、彼女は首を傾げるだけでした。
エスミットはあまり鼻が利かないのでしょうか。
そういえば、鼻が利く人なら部屋に二人もいるじゃないですか。
部屋に戻る歩みが、いつもより少し速くなっていました。
部屋に戻ったニールがウィム達に同じ事を尋ねると、二人はあからさまに嫌そうな顔をしました。
少し考えてみたら、考えるまでも無く獣人に獣臭いとか何とかって話題は禁句以外の何ものでもないのではないでしょうか。
いや、そういうことではなくて、女性の放つ良い香りにですね、なんてしどろもどろになってしましました。
必死の弁解もむなしく、エルンの狐ドロップキックがお腹に炸裂しニールは床にキスをすることになりました。
倒れ行く途中でエルンが見事なとんぼ返りで綺麗な着地を決めたのをみて、思わず拍手をしそうになりました。
結局女性の秘密は謎のままですが、やはり石鹸は欲しいですね。
石鹸作りをするためには、ある程度の材料や機材が必要になります。
そうなると、どこから持ってきたかわからないような道具を見られるのはうまくありません。
第一条件は人に見つからない場所です。
しかし、作業が見つからなくても、人気の無い場所を頻繁に歩いていたら怪しまれる可能性が高いです。
第二条件はそこにいても怪しまれない場所ですね。
とりあえず、この条件で屋敷内の清掃中にこっそり探しましたが、よい場所は見つかりませんでした。
やはり村にいた時のように地下室を作るしかないのでしょうか。
確かに中庭の一角に死角になっている場所はあるのですが、中庭には常に人がいるため、夜中を作るのは無理そうです。
しばらくして、そもそも前提条件に漏れがあることに気がつきました。
自由に活動できるのが夜しかありません。
屋敷での仕事は強制ではありませんが、仕事をしていなければ部屋にいるのが普通であり、その間に作業しようにも、ニールの部屋には常に二人の同居人が待機しています。
仕事を放っておいて作業をしたら、探されることは眼に見えていました。
こうなると、部屋の住人が寝静まった夜にしか活動ができませんでした。
さて、どうしましょうか。
夜間に窓から外に出て地下室を作りましょうか、しかし、イレギュラーでウィム達が起きた時に、すぐに部屋に戻れないのは困ります。
せめてここが一階ならベッドの下に入り口を作るのですが、困ったことにここは二階でした。
腕を組んだまま背中からベッドに倒れこむと、視界には天井が広がりました。
下がダメなら、上はどうでしょうか。
そうです、その手がありました。
屋根裏部屋です。
秘密基地、ツリーハウスに継ぐ、幼い頃に誰もがあこがれた場所のひとつではないでしょうか。
かくいう僕も、そんな子供のうちの一人でした。
まさか、六十過ぎてもこんなに心が躍るものだとは思いませんでしたが。
否、今は六歳でしたね。
さて、思い立ったが吉日です。
早速今晩から屋根裏部屋作りを始めましょう。
まずは、ベッドの移動からです。
現在は二段ベッドの下を使っているので、上の布団と入れ替えて上の段に陣取りました。
ウィムにはいきなり何があったのかと聞かれましたが、エルンが羨ましくなったと適当な嘘をついてやり過ごしました。
エルンさん、「やっとでわかったか」みたいな顔しないでください、これには理由があるんです。
ウィムさんも、そんなに微笑ましくこちらを見ないでください。
さて、いつもより早いですが、就寝時間です。
二人が寝静まってから行動するために少し仮眠を取っておきたいのですが、なかなか眠りにつくことができません。
年甲斐も無く興奮しているようです。
布団に入ってしばらくすると、二つの規則正しい寝息が聞こえてきました。
どうやら、ニールが眠りにつく前に獣娘達は眠りに落ちたようです。
これは結果オーライですね。
ニールは息を殺し、二人が確実に眠っていることを確信するや行動に移りました。
まずは『消音』『消臭』魔法をかけます。
これで、多少派手に作業をしてもばれないはずです。
ニールは魔法で天井に四十センチ四方の穴を開けました。天井裏は意外と広く、一番高いところで三メートルはありそうです。
屋敷内は緻密な細工が施されていたりと繊細な印象がありましたが、屋根裏に入って目に付いた剥き出しな骨組みは、立派な柱と梁で支えられた頑丈な造りでした。
天井に使われていた板も厚みがあり、補強しなくてもそのまま床として転用しても問題無さそうでしたが、念には念を入れましょう。
屋根裏に部屋になる予定の範囲を指定して『消音』魔法をかけました。
アイテムボックスから角材を取り出し、梁に架かるようにして一メートルおきに並べます。その上に新たに床板を並べ釘を打ちつけて固定しました。
しかし、それで終わりではありません。
さらに角材を並べ床板を張ります。
こうすることで、板と板の間に空気の層ができ防音効果が現れます。
同様に壁も三重にし、ついでに天井も三重にしました。言うなればこの部屋は、部屋の中に箱を置き、さらにその箱の中に箱を置いた状態になっています。
気がついたら、この部屋の高さは二メートル無くなってしました。正直やりすぎた感は否めませんが、後悔はありません。納期に追われていない限りは慎重すぎて問題が起こることは無いと思いますゆえ。
これで、こぢんまりとした八畳間の屋根裏部屋のスペースができました。
次は換気のための風抜きを作らないといけませんが、基本は外から目立たずしかし、水が入らないようにしないといけません。
屋根裏部屋の床と天井から、軒の下の見えないところに繋がるいくつかの風抜きをあけました。
これで多少ガスが発生しても大丈夫なはずです。
あと足りないものは何でしょうか。
水は魔法で出せばいいとして、排水が必要ではないでしょうか。
では、流しを作りましょう。
木材を加工して流し台を作ると、表面を鉄でコーティングしました。
キッチンの流しはステンレスのイメージで鉄は錆びるイメージを持つ人も多いと思いますが、混ざり物のない純鉄は簡単には錆びないそうです。
流し台の排水口から鉄パイプを伸ばします。
配水管は床下を通り、壁材の中を通し地中まで伸ばしました。
ちなみに、鉄パイプを通した空洞は、空間魔法の『転移』で例の森の上空数十メートルと交換したので新鮮な空気で満たされていました。
運悪く壁材の落下地点に誰もいないことを切に願います。
しかし、流しを作ってしまうと水道も欲しくなりますね。
アイテムボックスを探りましたが、前に作った試作品しかありませんでした。
そういえば、突然のことだったので地下室に魔道具の蛇口と熱線コンロ、風呂の温水器を取り付けたままでした。
今人生で初めての夜更かしで興奮しすぎていたのかも知れません。あまり覚えていませんが、気がついたら流しには魔道具の蛇口と熱線コンロが取り付けられていました。
窓が無いので外の様子はわかりませんが、大分時間がたったような気がします。
いい加減眠気も襲ってきて、この体の活動限界が近づいているのもわかりました。
「さて、そろそろベッドに戻ってふかふかの布団で寝ましょうか」
しかし、ベッドに戻ろうとして屋根裏に入ってきた方向を見ましたがなにもありませんでした。
「そういえば、入り口、作っていませんでした」
屋根裏部屋への隠し扉を作り終えニールがベッドに入った頃には、すでに窓の外は白みはじめ、小鳥のさえずりが聞こえていました。
ベッドに潜り込んだニールは瞬く間に深い眠りに落ちていきました。
エルンに布団を剥ぎ取られ、夢を見る間もなく現実に引き戻されたのは、それから半刻もしない頃でした。




