第22話 夜の授業
夜になると、カメリさんに呼ばれ、商人棟にある一室に通されました。
通されたのは書斎のようで、室内には本棚が並び、何かの革で製本されたゴツイ蔵書が所狭しと並んでいます。
本に規格がないのか大小様々な大きさの本が無造作に並んでいるのを見ると、何だかお尻がムズムズするようで落ち着きません。
室内は三つの発光石が吊るされ、十分な明るさがありました。
部屋には先客がいました。
立派な机に向かっている二人の男と、そんな二人から離れ部屋の隅っこに手持ち無沙汰で佇む女性の三人でした。
ニールの姿を見た三人の反応は様々でした。
机に向かうウィムと同じくらいの年かさの男はニールを一瞥しただけで手元の本に戻っていき、女性はこちらを伺い苦笑を浮かべました。
そして、エルンと同じくらいの少年はニールを見ると歩み寄ってきました。
「やあ、君は新入りかい? 僕はノーイッシュ・アーシャだよ」
「初めまして、僕はニールです。昨日からここでお世話になっています」
アーシャと名乗った男の子が差し出した手を軽く握り、握手しました。
アーシャは僕の右手の甲にあった印に気がついたのか、奴隷印を一瞬だけ見ていたような気がしましたが、気にしたそぶりを見せずこちらに微笑みました。
ノーイッシュということは、ウザーレの血縁者でしょうか。
物腰も柔らかいですし、なんとなく面影があります。
弟でしょうか。
アーシャに手を引かれ、もう一人のいる机の方に連れて行かれました。
「僕は今、算術と商いについて学んでいるんだ。君は何を習うんだい?」
「えーっと、僕は読み書きを習う予定です」
アーシャは少し呆れたようにこちらを見ていました。
「へぇー意外だなぁ。ここに来たばかりでここに通されるんだから何かしら出来るんだと思っていたんだけどなぁ」
「ここは奴隷風情が来るところじゃねえんだ。さっさと部屋にもどんな」
期待はずれで、ややがっかりしたようにこちらを窺うアーシャの後ろから、男が汚いものを見るような目をこちらに向けた。
「ちょっと兄さん、奴隷の人にも敬意を払えって、いつも父様から言われているでしょう」
「はぁ? 何言ってんだお前。奴隷如きに敬意なんざ払う必要無えだろ。俺等が頭を下げるのは、二束三文で自分の子供を売りに出すバカな親と、奴隷どもを高値で買い取ってくれる金を持った奴らだけだ」
「それは流石に言いすぎですよ。売る側にも止むに止まれぬ事情が在るのですし、買い手も必要があって買ってくださるのですよ。僕たちはそこにたずさわらせていただき、利益を得ているのです。感謝をするのは当然のことです。それに、そこに奴隷の意思は無いものとされますが、人間を商品として扱う以上、彼らに敬意を示し、彼らにとって少しでも良い環境を提供するのために最大限の配慮をするのが私たちの仕事ではないのでしょうか」
「夢見てんじゃねえぞ。どんなにきれいごとを並べても俺達の仕事は人買いだ。金の無いえ奴らから安く人間を買い付け、金のある奴らに売り払う。それだけだ。奴隷は人間じゃ無え、ただの商品だ」
「ちょっ」
「うるせえ。見解の相違だ。これ以上囀るな」
ドンと男が机を拳で叩くと、アーシャも口を噤みました。
重苦しい空気が部屋中に立ち込めました。
男から少し距離をとると、アーシャが頭を下げました。
「ごめん、不快な思いをさせた」
奴隷が会頭の血縁に頭を下げさせるなんて、何も知らない他人に見られたらどうなるかわかりません。
ニールは焦って苦々しげに頭を下げるアーシャの頭を上げさせます。
「気にしていませんので、頭を上げてください。むしろ今までが良すぎたんだと思います。ここに来るまでは、僕はもっとひどい目にあうものだと思っていましたので。むしろ、一般的な世間の反応が見られて逆に良かったのかもしれません」
確かに人間を物と同じ扱いということには腹が立ちました。
しかし、何を言ったところで現状マイナスになることはあっても、プラスになることなんてありえません。
結局、奴隷商人が奴隷を商品として扱う以上、どんなにきれいごとで飾ったところで、あの男が言ったように、奴隷は商品でしかないのです。
今は、皆少しでもスキルを上げてより好条件な主人にめぐり合える努力をするしかないのですから。
「否、しかし」
「もしも僕が許さないと言ったら、僕は奴隷から解放されるんですか?」
「いや、それは……」
いつまでも引き下がらないアーシャに問うと、口ごもってしまいました。
ここで「偉そうに」とか「子供のくせに」とか言って癇癪を起こしてくれた方が距離感が生まれて後々のことを考えると楽そうだったのですが、アーシャにはどうやら子供らしからぬ分別が備わっているようでした。
「でしたら、これ以上は詮無いことです」
黙りこんでしまったアーシャに「失礼します」と声をかけて、ニールは部屋の隅にいた女性の方に向かいました。
女性は我関与せずと終始見ているだけでしたが、ニールが近寄ってくると手を軽く上げて苦笑しました。
「やっほー、ニールちゃん。大変だったねー」
「そう思うんでしたら、助けてくださいよ。エスミットさん」
背中に突き刺さる視線を感じながら、ニールはエスミットにしか聞こえないような小声で返した。
「いやー、あたしには無理だわー。あたしも所詮は奴隷だからねー。見習いと言えど商人様には何も言えないのだよ。むしろ、あそこできっぱりと言っちゃうニールちゃんに驚きだー。ニールちゃん、あんた本当に六歳かい?」
今度はニールが苦笑する番でした。
「いえいえ。何もわからない子供だからこそ言えたんじゃないでしょうかねー」
「んー。まーそーゆーことにしといてあげるよ」
二人はノーイッシュ家の二人に聞こえないように笑いました。
エスミットも読み書きの勉強をしているようです。
初めは読み書きの勉強は無かったようですが、エスミットの料理スキルを知ったウザーレに勧められて始めたようです。
それでも初めは乗り気ではなかったようですが、遠い国の見知らぬレシピが書かれた本を読んだり、自分が完成させたレシピを書き残し伝えたりするためにも読み書きは必要だと諭され、この勉強会に参加するようになったようです。
しかし、あの二人の喧嘩を日々見せられるどころか、巻き込まれることもしばしばのようで、うんざりしていたところにニールが現れたことを感謝されました。
エスミットと話している中で、一番驚いたのは、あの二人がウザーレの子供だということでした。
どう見ても二十前にしか見えないウザーレですが、実は四十代であの二人の他にも息子と娘が二人ずついるらしいです。
ニールが驚いていると、執事のリストがやってきました。
どうやらリストが講師を務めるようです。
リストは黒板と白墨を僕とエスミットに渡し、手書きの教本を配りました。
こうして、夜の授業が始まりました。
この国の文章は、日本と同じ表音文字と表語文字を使って構成されていました。
表音文字は、ひらがなやカタカナのような一文字では意味を成さず、音を表す文字のことで、表語文字は漢字などのそれ単体で意味を表す文字のことです。
つまり、ニールはこの国の言葉をしゃべれるため、表音文字に至っては五十音表のようなものを見て、自分の発音に当てはめていくことで文を書くことが出来ました。
同様に照らし合わせることで読むこともでき、時間はかかりますが絵本のような簡単な本は読むことが出来るようになりました。
しかし、問題は表語文字です。
表語文字については暗記するほかありませんでした。
人並みに年を取ってくると、物覚えも悪くなり、暗記ということに苦手意識が先行してくるようになりました。
正直、暗記は苦手です。
ストーリーや何かとの関連付けがあっての学習にはそんなに苦ではないのですが、ひたすら暗記しろといわれると、拒絶反応が起きてしまいます。
若い頃には特に苦も無く出来たはずなのですが。
四の五のしているとリストと目が合いました。
悪いことをしているわけではありませんが、咄嗟に教本に目を走らせていました。
遠い昔の自分も教師を前にしてこんなことをしていたのでしょうか。
むー、昔のこと過ぎて思い出せませんね。
まあ、なんにしてもやるしかないのです。
とって食われるわけでもありません、諦めて取り組みましょう。
あれあれあれ?
思わぬ誤算がありました。
どうやら、この体は脳味噌も新品のようです。
見たもの、書いたものがスーッと渇いたスポンジが水を吸収するように頭の中に入ってきます。
流石に記憶や知識の詰まった脳味噌は流用だとばかり思っていましたが、侮っていました、神の技術に脱帽です。
今なら、ぱーそなるこんぴゅーたーもいんたーねっとも使いこなす自信があります。
いや、もちろん昔だって使いこなせていたのですが、それ以上に使いこなすことが出来るという意味です、ハイ。
まあ、物覚えがよくなったといってもまったく見たことも無い文字を相手にすぐにマスターとはいかないのですが、それでも、思いのほか早く覚えられそうでした。
今まで気にしていませんでしたが、『神の指南書』に和異辞典、異和辞典なんてあるんですね。
集中しすぎていたようでエスミットに肩をゆすられて我に戻りました。
すでに部屋にはリストとエスミットしかおらず、いつの間にか学習時間は終わっていました。
時間オーバーしてしまったことを謝り頭を下げると、リストは好々爺しい笑顔を浮かべるだけでした。
子供が必死に勉強に励む姿というのは、この世界でも変わらず微笑ましいもののようです。
リストのことを騙しているようで、なんだか申し訳ない気持ちになりました。
本当は子供じゃないんですということが出来たらどんなに気が楽なのでしょうか。
部屋に帰る前に、リストから簡単な本をいくつか貸してもらいました。
どの本も革で表装され、中にはやや分厚い紙に手書きで文字や挿絵が書き込まれていました。
やはり、この世界には印刷の技術も無いようです。
貸してもらった本を片手に部屋に戻ろうとすると、リストとエスミットが発光石に明かりを灯しているのを見て、自分が発光石を持たずに出てきていたことに気がつきました。
リストには怪訝そうな顔をされましたが、発光石が部屋に見当たらなかったと適当な言い訳をすると、やや申し訳なさそうな顔をして明日余っているのを渡すと約束してくれました。
まったくリストの落ち度ではないので、そんな顔をされると心が痛いです。
嘘をついてゴメンなさい。
心の中で謝っておきました。
部屋までの道はエスミットが送ってくれました。
エスミットにはお風呂に誘われましたが、今日は疲れたと言って断っておきました。
「おかえりなさい」
部屋に戻ると、ウィムが窓辺から声をかけてくれました。
「……ただいま」
咄嗟に声の出ないニールを見てウィムは微笑みました。
「お勉強はどうでしたか?」
「覚えることばかりで大変ですが、面白いです。早くいろんな本が読みたいですし」
ウィムのいる窓辺まで近づくと、ニールは小脇に抱えた本を見せました。
「それは良かったですね」
ウィムはニールが持っていた本を一冊手に取ると、月明かりの中でパラパラとめくりました。
興味深そうに目を通すウィムの姿がとても印象的でした。
「ウィムお姉ちゃんは本が読めるんですか?」
ウィムはパタンと本を閉じると、ゆっくりと左右に首を振りました。
「獣人語なら少しは読めるけれど、人語は読めないわね」
獣人語と聞いて首を傾げていると、ウィムが教えてくれました。
この世界には、人族、獣人族、魔族、妖精族があり、それぞれの言葉と文字を持っているようです。
しかし、過去の戦争により、北の大陸では魔族語が、南の大陸では人語が使われるようになったそうです。
妖精族については別の世界に住んでいるという話もあり、滅多に見ることはありませんが、魔法の詠唱に使われる言葉は言葉自体に魔力が宿りやすい妖精族の言葉のようです。
魔道具や魔法陣といったものに使われているのも、ルーンと呼ばれる妖精族の文字のようです。
それにしても、六年とはいえこれまで生きてきた中でまったく聞いたことの無いようなことを、なんでウィムはそんなにも知っているのでしょうか。
「へぇー、初めて知りました。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
ニールが頭を下げると、ウィムも頭を下げて笑いました。
そんな中で、一瞬だけウィムの目が本に向けられていたことにニールは気がつきました。
あの眼差しは完全に本を愛する人の目でした。
本を愛する気持ちは僕にも十分に理解できます。
一日中こんな部屋に閉じ込められて、運よく大好きな本を目の前にしたのに、読めないというのはどんな拷問でしょうか。
「それでは、ウィムお姉ちゃんも一緒に勉強しませんか?」
「え、えーっと、それは、ほら……ね」
ウィムは言葉を濁しました。
「それは、ウィムお姉ちゃんが獣人だからということですか?」
直球なニールの言葉にウィムは目を丸くし、口ごもりました。
「じゃあ、僕がウィムお姉ちゃんの先生になります」
ウィムは少しだけ驚いていましたが、ニールの頭をそっと抱きしめ、耳元で「ありがとう」と囁きました。
あの、柔らかいものが顔に当たっています。
鼻も口も柔らかいもので塞がれて苦しいのですが、鼻腔にはウィムのほんのりと甘い香りが届きました。
ウィムが離れると、少し名残惜しくもありましたが、背中に突き刺さる視線に気がつきました。
振り向くと、膨らんだ布団の中から期待のこもった双眸がこちらを見ていました。
「もちろん、エルンも」
エルンに声をかけましたが、返事も無く、布団の中に引きこもってしまいました。
あ、あれ?
何か間違ったでしょうか。
もしかして、エルンが期待していたのはサンドウィッチだったのかもしれません。
しかし、ウィムもいますし、目の前で出すわけにもいきません。
うんうん唸っていると、布団の中からエルンが顔だけを出しました。
「………………うん。」
それだけ言うと、エルンは再び布団の中に戻っていきました。
エルンを微笑ましく見ていたウィムが立ち上がりました。
「それじゃあ、私はお湯をもらってきますね」
「あ、それなら僕も一緒に行きます」
僕がここにいたら二人が体を拭けませんしね。
そう続けようとしたのですが、いつの間にかエルンが布団から飛び出し、ウィムを守るように両手を広げて立ちふさがりました。
ウィムも少し困ったようにこちらを見ていました。
昨日のことがまだ後を引いているようです。
自業自得とはいえ、心が痛みます。
「えーっと、あの、僕がここにいたら二人が体を拭けませんし、その間にお風呂に入ってこようかと思ったんですが」
話を聞いたエルンは顔を真っ赤にしてニールに顔面狐パンチを食らわせました。
えーー、なんで?
なぜ殴られたのかわからないニールは、ウィムに謝られながら起こされました。
エルンはすでに布団の中に戻って引きこもっています。
はぁ。
溜息が出てしまいました。
名誉挽回には程遠いようです。
せめて、役に立って点数を稼ごうと思います。
部屋の入り口にあった石ころを手に取ると、何も考えずに魔力を込めました。
ピカッ。
め、目がーー。
強烈なフラッシュが起こり、目の痛みにニールとウィムはうずくまりました。
痛みがおさまったときには、目の前には先程よりも深い暗闇が広がっていました。
強烈な光を受けて、未だに目が眩んでいるようです。
トントンと肩を叩かれ振り返ると、見事な狐アッパーカットがニールに炸裂しました。
辛うじて見える視界の中には、青筋を立てた狐様が僕のことを見下ろしていました。
全力で二人に謝ったニールの手の中には、砕け散った発光石が残っていました。
どうやら、発光石が流し込んだ大量の魔力に耐え切れなかったようです。
己の短慮さにへこみながらトボトボとウィムの後をついて風呂場まで歩きました。
ウィムは慰めてくれているようでしたが、あまり頭には入ってきませんでした。
脱衣所で服を脱いでさらに落ち込みました。
何で僕は女性用の下着を着けているのでしょうか。
そして、これは誰のものなのでしょう。
思うところはいろいろありましたが、これ以上は精神衛生上よくありません。
疑問は全て振り払い、ゆっくりとお湯に浸かることにしました。
大分ぬるかったですが、火魔法で暖めました。
やはり、熱いお湯に一人でゆっくり浸かるのがいいですね。
ふーっと息を吐き出したニールの鼻に獣臭がとどきました。
しかし、このひどい臭いの石鹸はどうにかならないものでしょうか。
風呂から上がると、脱衣所に洗濯して置いてあった自分のパンツを穿き、一緒に置いてあった子供服に袖を通しました。
部屋の前で魔法を使い、ウィムとエルンがベッドにいることを確認してから部屋に入ります。
自分のベッドの中に入り込み、今日あったことを思い返しました。
何かを期待するような視線が向けられているような気もしましたが、おそらく気のせいのはずでしょう。
なにやら、いろいろありましたが、明日も頑張りましょう。
目を瞑ったニールは一つのことを考えながら眠りにつきました。
石鹸を作るとしたら、誰にも見つからない部屋が必要ですね。
誰にもばれず、怪しまれない場所がどこかに無いでしょうか。
思考は次第に溶けてまどろみの中に消えていきました。
難産でした。
なかなか投稿できず申し訳ありません。
様々な人がくださる批評やコメントを見てしまうと、続きを書くことで多くの人に不快な思いをさせてしまうのではないかと怖くなってしまい、筆が止まってしまいます。
大変申し訳ありませんが、勝手ながらしばらくはコメントは受け付けないまま進めさせていただければと思います。
さて、私事ではございますが、週明けから引越しでしばらく投稿は出来そうにありません。
まさか、西日本と東日本ではNTTでも会社が違うとは。
当分は出来る限りで書き溜め、ネット環境が整い次第順次投稿できればと思います。
読んで下さっている皆様、大変申し訳ありません。




