第19話 獣人とお姉ちゃん
書けない時には書けない。
そんなもんかなー。
なんて思っていましたが、まさかこれ程とわ。
神様、目の前にあんなにもすばらしいものがあるのにもかかわらず、なぜ私には触れることが許されないのでしょうか。
ニールが打ちひしがれて、部屋の片隅でキノコが生えそうな勢いでジメジメしていると、部屋の外からベルを鳴らす音が聞こえてきました。
あのベルは何かの合図でしょうか?
「あれ?…えーっと、君はお風呂に行かないの?」
ベルの音が何か分らずに扉の方を見ていると、ウィムが小首を傾げている。
なんで途中で詰まったのかわかりませんでしたが、よく考えてみたら、自己紹介していませんでした。
「ごめんなさい、自己紹介がまだでしたね」
これはいけません、挨拶は大人のマナーです。
お風呂についても聞きたいところですが、まずはビシッと挨拶です。
僕はできる限り最高の笑顔をつくります。
「はじめまして、僕はニールです。六歳になりました。えーっと、素敵なお耳ですね」
えーーー。
なに素敵なお耳ですねって。
全然ビシッと出来てないですやん。
しかも、差し出した手は完全耳をロックオンしてるし。
もう、自分にガッカリデス。
恐る恐る視線を上げていくと、ウィムが目を見開いて驚いていた。
ほらー、ウィムも呆れて言葉が出ないじゃないですか。
しばらく無言の二人だったが、少し表情を柔らかくしたウィムが口を開いた。
「お褒めにいただき光栄です。ニールちゃん。獣人族以外の人に耳を褒められるなんてはじめてで、お姉さんビックリしちゃった」
ウィムはクスクスと笑いました。
なにやら、結果オーライのようですよ。
椅子から腰を上げて近づいてきたウィムは、自分の耳に向いていた手を握って軽く振りました。
ウィムの手はすらりと長く染み一つ無い美しい手でしたが、まだ少女と言ってもおかしくないウィムの手には似つかわしくないくらい節くれだっていた。
何でしょうか、ペンダコにしては出来る場所が違いすぎる気がします。
しかし、節くれだっていても柔らかいですね。
ウィムの手は少しも脂肪がついているようには見えなかったが、ニールの手を優しく包み込むように握る手はとても柔らかかった。
肉球でしょうか?
これは要チェックですよ。
ニールは軽く握り返す振りをしてウィムの柔肌の感触を確かめた。
これは肉球ではありませんね、女性特有のしなやかさという奴でしょうか。
ウィムの手に肉球が無いことに人知れずショックを受けるニールだった。
「私はウィム、17歳よ、よろしくね。それで、この子がエルン。9歳よ。普段はこんなんじゃないんだけど、ゴメンね、ちょっと人見知りな子なの」
肉球チェックをして独りでにへこんでいるニールの手をやんわりと解いたウィムは、自分の背中にしがみついているエルンの頭の上にそっと手を置いた。
ウィムは自分の後ろから出てこないエルンを見て苦笑いした。
ウィムの視線を追うとエルンと目が合った気がしたが、すぐにそらされてしまった。
エルンからは人見知りと言うより、何かこちらを恐れているようにも見えた。
しかし、考えていても仕方ありませんね。
気を取り直して、ニールも笑顔を浮かべる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。それで、今のベルは何かの合図でしょうか?」
「あれは、湯浴みの準備が出来た合図よ」
「…お風呂があるんですか?」
「そうね、王族や貴族でもないただの商館に、ましてや、奴隷のためにお風呂があるなんて普通は驚くわよね。それにしても、お風呂なんてよく知っているのね」
まさか奴隷の身分で風呂に入れるとは思ってもみませんでしたが、まさか風呂自体が高貴な身分しか入ることが出来ないとは思ってもみませんでした。
入浴習慣が無いせいでしょうか、一般市民に至っては風呂すら知らない人も多いようです。
「…前に冒険者の人に聞きました。でも、まさか自分がお風呂に入れるなんて思ってもみませんでした」
「それじゃあ、急いだ方が良いわよ。一度沸かせたらそれっきりだから、だんだん冷たくなっちゃうの」
「…あのー、ウィムさんたちは行かないんですか?」
「あー、私たちは獣人だからねー」
ノーマ達も獣人という言葉に恐れに近い感情を抱いていたようだが、この愛らしい耳を持つ女の子のなにが問題なのだろう。
ニールにはまったく理解できなかった。
「獣人だと何か問題があるんですか?」
ニールの言葉にウィムは苦笑した。
ウィムの話によると獣人というのは、人間と獣の中間のような存在で、種族によって鳥人や魚人なんてのもいるようだ。
また、人族は十人に一人の割合で魔法を使えるが、彼ら獣人は一部例外を除いてまったく魔法を使えない代わりに、身体能力がおおむね人族の三倍はあるらしい。
獣の性質ももつがゆえに人族よりも本能に忠実なものも多く、その強靭な力でもってちょくちょく問題を起こすらしい。といっても、その原因となっているのが獣人への偏見であり、獣人ばかりの問題とはいえないのだという。
しかし、種族によっては温厚な者も多く、結局は悪い奴も良い奴もいるのは人族と何ら変わらないみたいだ。
もっとも、獣人の国に近い国や、獣人の多い土地ではそこまで獣人に対する偏見も少ないのだが、プラテリア王国は獣人に市民権を認めておらず、獣人を見たことのある人自体が少ないため、尾びれがついた想像の中の獣人は、より狂暴により醜悪で、中には不幸を運ぶなんていう人間もいるようだ。
というのが、ウィムがウザーレから聞いた内容だった。
そのため、ウィムたち獣人は商館内であっても、スキルを磨くための仕事を与えられることも無く、不要な諍いや争いを避けるために部屋から出ることは滅多に無いのだという。
食事も奴隷達が食堂で一斉に食べているときに、獣人の所には食事当番が扉の前に置いていくのだそうだ。
それで僕が来たときに、エルンは扉の外に人の気配を感じて、食事と勘違いしてしまったようだ。
後から聞いた話だが、奴隷には一日に朝昼二回の食事しかないようだ。
エルンはいったい何を思って夕食がもらえると思ったのだろうか。
当然、風呂も一緒に入ることは無く、みんなが入り終わった後にお湯を分けて貰い、部屋で体を拭くのだという。
「わざわざ部屋までお湯を運ばなくても、皆が入った後なら、お風呂に入ればいいじゃないですか」
疑問に思ったニールが聞くと、またウィムは困った顔をした。
どうやら、ウィムたちが入った後には、結構な抜け毛が残るらしく、風呂を使おうとすると嫌な顔をされるらしい。
主に風呂掃除をしている奴隷から。
ウィム達が他の奴隷達が入った後の冷めた残り湯で体を拭いているだけなんて許せませんね。
もしも、風邪を引いてあの猫耳がしおれてしまったらどうするつもりだ……いや待てよ、シュンとしおれた猫耳もそれはそれで良いのではないだろうか。
いやいや、いけません。
いくらしょんぼり猫耳に新たな魅力を感じたとしても、ウィム達が病気になるのはアウトです。
ここは、僕が一肌脱ぐしかありませんね。
「じゃあ、僕が暖かいお湯を貰ってきてあげます」
ニールは鼻息を荒げて、胸を張った。
そんなニールを見て、ウィムは眉をひそめた。
いつの間にかエルンの頭を撫でていた手も止まっている。
「……ニールちゃんは怖くないの?」
「何がですか?」
「その、ほら、だからね、獣人は人族よりも力があるから、ニールちゃんに危害を加えようと思ったら簡単に出来ちゃうわけで、それに、不幸を運ぶとか……ね」
ウィムの言葉は尻すぼみで最後まで聞き取れなかったが、事情を知ったら自分もウィムたち獣人を避けるのではないかと考えたようだ。
そう思うのなら、言わなければ良いとニールは思うのだが、ウィムにはそれが出来ないようだ。
確かに自分よりも力強く狂暴な人が近くにいたら恐ろしくもなるだろう。
だからといって獣人と比べても化け物としか言いようが無いニールからしたら、獣人の力が人間より多少強いくらいではなんら問題が無い。
それに、たとえ獣人が狂暴だったとしても嫌われるのではないかと今にでもプルプル震えだしそうな少女を見て嫌うことなんて出来るはずがなかった。
まぁ、不幸なんてものは今更何を言ったところで関係ないくらい長い付き合いだ。
むしろ自分の力を知られたら、自分の方こそ化け物扱いされるだろう。
他者より優れているものが疎まれるのはどこの世界も一緒みたいですね。
世知辛い世の中です。
心の中で世の不条理に溜息をついた。
「ウィム達は、僕を叩くの?」
「っそんなわけないよ」
ニールの言葉にウィムは肩を怒らせ、こちらを睨みつけた。
「なら、問題ないよ」
「でも、」
部屋の入り口に向かうニールの背中にウィムが声を投げかけるが、何も問題ない、とニールはウィムの言葉を遮った。
「それに、家族から売られて奴隷になっちゃった時点で、不幸なんて友達みたいなものだよ」
ニールは振り返ってニッコリ笑って見せた。
自分が不幸なのはいつものことだしね。
その表情からは諦めにも似た感情が窺えたが、だからと言って人生に絶望した人間が見せるそれではなかった。
「ニールは大人みたいね」
「え、なに?」
ニールの表情から何かを感じ取ったウィムの呟きはニールには届かなかった。
困惑するニールの顔を見てクスリと笑ったが、その円らな瞳はわずかに潤んでいるように見えた。
僕は何かおかしなことを言ったでしょうか。
「ウィムお姉ちゃんでしょ」
ウィムは頬を可愛らしくプックリと膨らませて、私は怒っているぞアピールをしているが、細く艶やかな黒尻尾はゆっくりと、しかし大きく揺れていた。
頬を赤く染めながら強がる姿に、ニールは頬が緩みそうになるのを感じたが、今笑ってしまったら目の前の少女の自尊心をどれだけ傷つけてしまうのだろうか。
今喉をくすぐればゴロゴロと音を立てだすのではないだろうか、なんとなくニールは幼い頃に近所の神社に住み着いていた野良猫を思い出した。
ニールは顔がにやけそうになるのを隠すのに必死だった。
「じゃあ行って来るね。ウィムお姉ちゃん」
そう言うと、手を振って扉の外に出た。
今までの何倍もの時間をかけてこの文量ですよ。
次話はもう少し長い文章になるといいなー。
拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございます。




