第17話 ドナドナ奴隷と奴隷商人
揺れる檻の中から、ただ流れていく景色を僕は眺めていました。
耳の中では聞こえるはずの無いドナドナが流れています。
まさか、自分が子牛のように売られる日が来るとは思っても見ませんでした。
しかし、これが現実なんですね。
所々錆が出ている鉄檻は頑丈そうですが、おそらく僕なら逃げ出すことも可能でしょう。
しかし、ここで逃げ出せば家族のところにしわ寄せが行く可能性も0ではありません。
折角手に入れた銀貨を取り上げられる父だった男の顔は見てみたいような気はしますが、自分の為に泣いてくれた母や姉のことを思うと、行動には移せませんでした。
銀貨を取り上げられるだけならまだしも、最悪、姉まで奴隷にされる可能性だって在るのです。
あの男ならやりかねませんね。
ニールの葛藤をよそに、彼を乗せた荷馬車は次の集落に向かった。
商人の荷馬車には、食料や香辛料、塩、布、鍋などの生活雑貨が詰まれ、いくつかの集落を巡ります。
祝いの日は各集落で違うようだが、大体の時期は同じようで、準備をしている集落もありました。
本当なら、自分もあそこにいるはずだった。
そう思うと、やりきれない気持ちが襲ってきます。
気がつけば3、4村を巡る間に3人同乗者が増えていました。
10歳前後の少年が2人と15歳くらいの少女が1人です。
中には、己を売れと商人に詰め寄る老婆もいましたが、流石に老婆では買い取り手がないのでしょう、丁重に断られていました。
己の境遇を悲観する者、あっけらかんとしている者と差はあったが、総じて痩せ細っていました。
商品を大方さばいた荷馬車は、いつしか東門の前に到着し、壁の内側に入るための列にならびました。
すでに太陽の位置は傾き始めています。
門の前には門番にチェックを受ける冒険者や商人でごった返しています。
こちらに来てからはじめてみる活気のある光景だったが、ニールの目には全てが色あせて見えた。
数刻すると、やっとで順番が回ってきました。
数人の門番は役割があるようで、一人が商人と話している間に、もう一人が荷馬車の中を確認しています。
荷馬車を確認する男は、檻の中のニール達を物の良し悪しを見るように眺め、何かを手元の板に書き込んでいく。
男が商人と話している門番に板を渡すと、商人は門番に数枚の貨幣を渡しているのが見えた。
門番と商人の話し合いが終ると、荷馬車は再び動き出し、すれ違った門番は憐憫のこもった目でこちらを一瞥したが、すぐに業務に戻っていった。
門を抜けると、入り口に兵士の立つ建物があり、その先は露店が立ち並んでいた。
露店の向こう側には広大な農地が広がり、いくつか集落も見えました。
集落の建物は同じ農村でありながら、ニールの住んでいたあばら家とは比べようの無い全くの別物でした。
いろいろな臭いが立ちこめ、痩せ細った檻の住人の腹を刺激します。
よく考えたら、朝食を食べたっきりで何も食べていません。
アイテムボックスの中には、肉や果物が入っていますが、ここで取り出すわけにもいきません。
グーグーと異議申し立てをする腹を無視し、初めて入った壁の内側の風景を眺めます。
露店が多かった大通りは次第に酒場や宿などの建物が増え、入ってきた門が小さく見えなくなってきた頃、次の門にたどり着きました。
こちらの門では、特に調べられることも無く、商人が何かの板を見せただけで通過できた。
二つ目の門を抜けた先は、先程までとはまた違った雰囲気だった。
大通りには人が溢れ、活気があることには変わらなかったが、荒くれた感じが少なくなり、少しだけ落ち着いたような印象だ。
すでに黄昏時を迎え、暗くなった町並みは、見る見るうちに表情を変える。
武器や鎧を売るような店は、店じまいし、外まで笑い声が漏れる酒場や宿の明かりが町を彩る。
この光景に目を奪われたのはニールだけではなかった。
他の奴隷達も同様のようで、初めて入った門の内側の光景を食い入るように見ていました。
荷馬車は少しずつ人通りが少なくなる大通りからはずれ、少し細くなった横道を走る。
大通りの裏には、大きな商会の倉庫が並び、商人が慌しく荷物を運んでいます。
荷馬車同士がぶつかったのか、荷物が通りに散らばり商人と思われる男同士が良い争いをしていましたが、小間使いのような少年が恐縮するだけで、周りは気にしていないようです。
日常茶飯事な光景なのでしょう。
倉庫街を通り過ぎると、大通りには店舗を構えることができない町商人の個人商店が並んでいる。
すでに店じまいをした店も多いため、何を扱っているのかは分らないが、剣や槍、鎧や盾、何かの小瓶や本など、各店主の想いが詰められているであろう看板が所狭しとひしめいている。
人の喧騒は遠のき、次第にトントンカンカンと槌を篩うような音が聞こえるようになる。
町並みも、おしゃれなものから、質実剛健な石造りに変わり、煙突から煙がモクモクと上がっている家もあった。
そんな家からは普通の明かりとは違う熱のこもった光が漏れ出している。
ここら辺は、工房が集まっているようだ。
次第に槌を振るう音も遠のき、再び違う種類の喧騒が戻ってくる。
町並は大通りとは違い、落ち着いた明かりが灯されているが、どの店舗もこれまでになく華美に装飾されていた。
町角には、胸元を大きく開け露出が激しい服を着た女性が立つ。
なんでもないようにボーッと立っているように見えるが、通り過ぎる人を何気なく見ている。
女の色香に惑わされ、男達が群がる。
興味がなさそうに振舞いながらも、その目には何か獲物を物色するような光が見え隠れしていた。
見事に美しい蝶を捕まえることに成功した男は、見栄を張るようにいかにも高級そうな店に消え、勇気がない男と冴えない男がその場に残される。
そして、残された男達に、また熱い視線が注がれる。
そう、ここは歓楽街。
他の地区とは違う種類の欲望が渦巻き、静かな戦いが繰り広げられる。
ここには現実に疲れた者や一仕事を終え気分が高揚した者、金を持つものが一時の夢を見に来る。
今日も夜の街でハンター達が獲物を狙っている。
そんな、華美な建物が並ぶ地区の一角に、周囲の雰囲気にはそぐわない落ち着いた雰囲気の屋敷が建っていました。
その木造の屋敷の前でニール達を乗せた荷馬車は停まった。
その立派な門構えに他の三人は目を奪われているようですが、前世の記憶と照らし合わせるとそこまで驚くようなものではありません。
商人が檻の鍵を外し、扉を開けた。
ニール達はその場に並ばされ、商人だけが屋敷の中に消えます。
周囲に人影はないが、ニールには複数の人間が潜んでいるのがわかった。
姿は隠れてはいるが、ちょっとした衣擦れや息遣いが聞こえる。
魔物が跋扈する森で息を潜めて動物を狩り続けたニールには、その身の潜め方が雑に感じた。
森で魔物から逃れ生きる動物は、もっと気配に敏感でした。
このクオリティーでは森では生きていけないでしょう。
ニールが心中で潜伏している人間を批評していると、周りを確認して勘違いした少年の一人が逃亡を計る。
少年が駆け出すと、初めは呆気に取られていた他の二人も、何かに弾かれるように別方向に駆け出した。
ニールは、少しだけ止めようか考えたが、その時にはすでに三人とも捕まり地面に押さえ込まれていた。
悔しがる者、泣いて謝る者、放心する物。
三者三様であったが、すでに逃げられないことを共に悟ったようだ。
わざと隙を見せることで逃亡を促し、いつでも捕まえられると見せ付けることで心を折るようですね。
こうすることで、常に逃亡を計るリスクは軽減し、奴隷も大人しくなる。
この商会の主はなかなかに頭が切れるようです。
縄で縛り上げられた三人とニールは、ナイフを見せつけるように手に持った男達に連れられて、屋敷の中に入る。
扉の向こうは吹き抜けのエントランスになっており、壁際には数人の商人のような男達が談笑し、二階の廊下には落下防止の手すりに体重をかけてこちらを眺めるものもいた。
決して派手ではないが、目の届かないような細かいところまで繊細な細工を施してある屋敷内はとても趣味がよかった。
男達は初めに連れられていった三人を見てニヤニヤと笑い、後ろから歩いてきたニールを見て、ほうと息を漏らした。
まるで品物を見定めるように向けられる目が、遠慮無しにニールに向けられる。
動くこともできなかった臆病者か、何も考えていない無能か、はたまた何かに感づいた感の良い者か、見極めようとする視線は、一人の優男が現れるまで続いた。
重たそうな正面の扉が開き、小柄な青年とそれに従う長身の女性が現れた。
「ようこそ、我が商会へ」
小振りな丸レンズの眼鏡をつけた青年は、開いているかどうか分らないような細目でこちらをみた。
「僕がこの商会の会頭のウザーレだよ」
「会頭の補佐を勤めておりますシュクレです」
行き成り現れた優男は、自分を会頭だと名乗り、会頭の補佐を名乗る浅黒い肌の女性は、奴隷に頭を下げました。
奴隷と奴隷商人の関係なんて、前世においても知らないし、教科書の絵に描かれているような奴隷が鞭で打たれるようなイメージしかありませんでした。
自分は鞭で叩かれ肉体労働に励むのだとばかり思っていたせいで、トップからの自己紹介という不意打ちを受けて反応ができなかった。
しかも、補佐とはいえ、奴隷を商品として扱う人間の仲間がその商品に対して頭を下げたのだ。
おそらく他の三人も同じなのだろう、現状の理解が及ばずポカンと口を開いていた。
自分は何とか表情に出すことは無かったが、内心では驚きを隠せなかった。
ウザーレは腰を屈め、覗き込むように三人の驚く顔を順番に見まわし、次にニールの無表情を見て少し驚いた顔をした。
何か、その眼鏡をかけたウザーレの表情に違和感を覚えたが、長身のシュクレに「下品です」と窘められ、謝る姿からは何も感じなかった。
「驚いたかい?」
悪戯の成功した子供のような笑顔を浮かべたウザーレは嬉しそうに尋ねるが、三人は糸の切れた人形のように立ち尽くすだけだった。
「…えぇ、まぁ」
他の三人がまともに機能していないのをみて、何かを返そうとしたのだが、咄嗟のことでどうも煮え切らない返事になってしまった。
「そうかい、それは良かった」
ウザーレはニールに視線を固定すると、にっこり笑う。
「それでは、そちらの名前も教えてくれるかな?」
ただ首を傾げただけだったが、そこには有無を言わせない見えない圧力があった。
生憎、機会に恵まれることは少なかったが、それでも昔に出会ったやり手と言われる社長達を、なぜか思い出した。
凡人には理解の到底及ばないような構想を描き、しかも、それを凡人達をうまく使って実現させる。
凡人達は手のひらで踊らされ、やっとで全体像が見えてきた頃には、すでに違うものを見ている。
そんな人たちは、なぜか自分に絶対の自信を持っていて、周囲を従わせるカリスマ性を持っていた。
ニールは、ウザーレの中にそんな人達と同じものを見た気がした。
「失礼しました。僕はニールです。今年で6歳になりました」
軽く会釈したとき、ふとサラリーマン時代を思い出して苦笑いした。
「わ、私はノーマです。じゅ、15歳です」
「…俺は、ソロンだ。10になった」
「ぼ、ぼ、ぼぼ、ボクは、コロードデス、9歳でしゅ」
口を開けたままになっていた、そばかすの目立つ少女は、ニールが名乗ると慌ててノーマと名乗った。
続いてソロンが、虚勢を張るように尊大に、最後のコロードは過度の緊張からかどもってしまった。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
ウザーレは、真っ青になりダラダラと脂汗を流すコロードの肩に手を置いて優しく話しかけた。
ウザーレは身長160cmくらいの小柄な男だったが、9歳の少年の前に立つとそれなりの身長差があるのだ。
コロードはウザーレを恐々と見上げるが、人の良い笑顔を見せるウザーレがガシガシと頭を撫でると、次第に引きつっていた表情は弛み、真っ青だった頬に少し朱がさした。
「僕達は貴方達を鞭や鎖で押さえつけるつもりはありません。もちろん商品として扱う以上は逃亡されては困るので、奴隷紋はつけさせていただきますが、来客時以外は基本的に屋敷内であれば自由にしていただいてかまいません。当然いくつか立ち入ってはいけない所もありますが」
思ってもみなかった待遇の良さに三人は驚いた。
三人も奴隷に抱く印象は自分とそこまで変わらないのだろう。
「あ、あの」
「なんでしょう」
ウザーレの話が一区切りすると、ノーマが恐々と口を開いた。
「えっと、あの、私達は鞭で叩かれたり、ご飯をもらえなかったりとか…その…」
「それは、ありません」
ウザーレはノーマの言葉を遮った。
「商人が自ら商品の価値を落とすことなんてありません。貴方達にはしっかり食事を与えますし、暴力を振るうこともありません。もちろん、働いて頂くこともありますが」
ウザーレの言葉を聞いたノーマの顔には、喜悲交々、複雑な思いが滲み出ていた。
「確かに、僕達は貴方達を商品として扱い利益を得ています。しかし、これは貴方達にとってチャンスなのだと考えてください。もし貴方達が奴隷として売られることが無かったら、貴方達は一生貧しいまま終ったかもしれません。しかし、ここで多くを学び身につけることができたら、貴族の屋敷で働く事だってできるのです。日々餓えることを心配することは無くなり、新しい服が支給され、自分の部屋が与えられ、賃金を手にすることも不可能ではありません」
力強く語るウザーレの言葉に、ノーマ達の表情は耀き始めていた。
当然、そうならない可能性だって十分に在るのだが、そんなことは話さない。
一生を貧民街で終える可能性があった自分達を違う世界へ引き上げてくれたのだ、三人の奴隷達の中で、ウザーレの存在が大きく姿を変えていく。
「もちろん、そのために必要なことはお教えします。微力ながら助言することもありましょう。貴方達が望むことを身に着けるお手伝いをし、貴方達の力を必要とする人達に紹介する。それが私達奴隷商人という人間の仕事なのです」
語り終わったウザーレの顔に痛いほどの視線が突き刺さる。
落ちたな。
教祖を崇める信者がそこにいた。
「ウザーレ様、私達はきっと貴方様の善意に報いてみせます」
恍惚とウザーレを見る三人の目は、尊敬というより崇拝という色が見て取れた。
家族ですら平気で裏切る世界で、ウザーレの言葉は優しすぎた。
おそらくは、スキルや能力を底上げしてより高く売り出すつもりなのだろう。
どんな裏が在るのかは知らないが、甘言ばかり吐き続けるウザーレの言葉は信用に値しない。
ニールが胡散臭げに見返しても、ウザーレは気にすることなく笑い返すだけだった。
「それでは、これからどうするか決める前に、それぞれどんなことができるか教えてくれるかい?」
すでに己のやりたいことに想いを巡らせていたのか、三人はキョトンとしていた。
「もちろん君達がやりたいことを尊重するよ。けれど、この屋敷にいる間は何かしらの仕事をしてもらうこともあるからね。どんなことができるのか知っておきたいんだ。それに、そこから自分の未来に繋がることが見つかるかもしれないからね」
三人は己の失敗を恥じるかのように襟を正し答える。
「私は、子守ができます。いつも集落の子供たちの世話をしていました。それと、材料が無くて作れるものは少なかったですが、料理が好きです」
「俺は、農作業ができる。いつも家の仕事してたから。あとは雨漏り直したりとか…板打ちつけるだけだけど」
「ぼ、僕は、ど、ど、動物の世話ができます。あ、あと、弓が少しだけ。小さい頃、うちの村で育ててる家畜が魔物に全部食べられて…それで、練習しました」
いつの間に順番が決まったのか、ノーマ、ソロン、コロードの順で答えた。
三人が答えると、ウザーレがこちらを見て促すが、はたしてどうしたものか。
できることと聞かれたら、ステータスにいつの間にか増えていた錬金や調合、土木、弓術など、できることは多いのだが、6歳児がこれをできるというのは障りがありすぎる。
剣術や弓術と言ったところで、貧民街の子供が何を戯言をとなるだろう。
そうなると、無難に…「料理か…」と呟いたところで、隣にいたノーマから鬼の形相で睨まれた。
「え、なんだい?」
幸いノーマ以外には聞こえていなかったのか、ウザーレが聞き返してきた。
別に料理ができるのは本当なので、そう答えてもよかったのだが、それを口に出すのは嫌な予感しかしない。
コロードも言っているし、貧民だって狩りはするのだ弓術でもおかしくは無いはずだ。
「…弓を使えます」
ニールが答えると、誰かが鼻で笑うのが聞こえた。
笑いの主を探すと、ニールをここまで運んできた商人が立っていた。
男はシュクレに睨まれ黙ったが、笑いが隠せなかった。
ニールと言う子供は今年6歳になったばかりなのだ。
奴隷として売買できるのは、働ける6歳以上で、それ以前は奴隷商が買い取るか拾ったとしても、奴隷商人自身が育てなければいけない義務があった。
そのため、基本的には例外を除き6歳以上しか買い取ることはしないのだが、6歳になった途端に売られるような子供が、何かを習熟しているわけも無い。
それに、たとえ子供でも大銀貨2枚が相場だが、この少年の父は年齢の数と同じ銀貨6枚を提示すると、喜んで息子を差し出した。
あれだけ父から疎まれている子供が、いったいどんな方法を使えば弓術など身につけられるというのだろうか。
まったく大きく出たものだ。
身の程を知らない馬鹿者め。
男は心の中で嘲り笑った。
「そうですか。ノーマさんは料理に興味があるのですね。それでしたら、明日から食事の準備を手伝っていただきましょう。食事の準備は料理ができる僕の部下と貴方達の先輩が行いますので、いろいろ教えてもらうといいですよ。見たことの無い食材もあると思いますのできっと楽しいですよ」
「はいっ!ぜひ」
目を輝かせたノーマは、ブンブンと千切れそうな勢いで首を縦に振った。
「ソロン君は、手先が器用そうですね。何か作ったりとかはしてみたくありませんか?」
「……うん、やってみたい」
ぶっきらぼうだったソロンが少しだけ子供らしい顔をみせた。
「知り合いの職人が手伝いが欲しいと言っていたので、少しお手伝いをしてみましょうか。もしかしたら、気に入られたら、そのまま下働きということになるかもしれません。がんばってください」
「はいっ! 俺、がんばります」
「コロード君は、そうですね…」
名前を呼ばれてコロードはビクっとした。
ノーマもソロンも商館に着いた時とは打って変わってよい顔をしていた。
自分も、という期待と、自分は、という不安がコロードの中を激しく暴れ周り、緊張でどうにかなりそうだった。
少し考えてウザーレは頷いた。
「そうですね、コロード君には当商会の馬のお世話を手伝っていただきましょう。商人にとって馬は一緒に仕事をする大切な仲間です。大変なお仕事ですがお願いできますか?」
「は、はは、は、はいっ!! 命をかけてやらせていただきます!!」
「ははは、そんなに気負わなくても大丈夫だよ」
コロードの頭をポンポンと軽く叩いてニールを見た。
奴隷商というより終身雇用の派遣会社のような気がしてきた。
「ニール君は弓が得意ですか…流石にここではどうしようもありませんね……」
ウザーレは腕を組んで少しの間、考え込んでいた。
「ニール君は、読み書きはできますか?」
「…いいえ」
ニールが答えると、ニヤリと笑った。
「そうですか。それでは、読み書きと計算の勉強をしましょう。それ以外の時間はこの屋敷の雑用をしていただきます」
ニールは言葉は話せても、読み書きはできなかった。
そもそも、この世界に来てから文字が使われているのを見たことが無かったため、『神の指南書』の中に異世界語辞典があっても開く機会が無かったのだ。
いずれは覚えようと思っていたニールにとって、これは渡りに船だった。
「お願いします」
頭を下げると、ウザーレはうんうんと頷いた。
「はい、決まりだね。それじゃあ、みんなの部屋を決めるからね」
ウザーレは拍手を打って空気を切り替えた。
「部屋は基本的に、男女別々に分かれているんだ。いろいろ間違いがあったら困るからね」
悪戯っぽくノーマを見ると、ノーマは耳まで真っ赤に染め上げた。
「でもね、今はちょっと空きが足りなくて申し訳ないんだけど。…ああ、空き部屋自体はあるんだよ。ただ、ちょっとした事情があって使えないんだ」
男と同室になる可能性を考えて、ノーマはギョッとした。
「…あの、どうしてその空き部屋は使えないのでしょうか」
断固として回避するべく、ノーマが動いた。
「………まあいいか。どうせすぐ分るしね」
少しだけ考えてウザーレは答えた。
「今、獣人が何人かいるんだ」
ニールを除く三人の顔が引きつった。
「?」
ジュウジン? 何だそれ?
獣人が何なのかよく分らず、ニールは顔が強張った三人を不思議そうに見るだけだった。
そんなニールをウザーレは見逃さなかった。
「そうか、ニール君は特に獣人のことを気にしないみたいだね」
三人は不思議なものを見るようにこちらを見ていた。
「それじゃあ、ニール君には獣人の子たちと同じ部屋にしてもらうよ。どちらにせよ、男の子達の中から一人は女の子の部屋に行ってもらうつもりだったから丁度いいね」
ウザーレがもう一度拍手を打つと、二人の使用人が現れた。
一人は50歳過ぎくらいの男だった。
背筋がピンと伸び、華奢な体格だが身長はウザーレよりも頭一つ分くらい高かった。
黒い燕尾服のような服を着た、真っ白な白髪を全て後方へなでつけ油でまとめたオールバックの男は、主の前に立つと軽く一礼する。
その所作には一部の無駄が無く、この世界の礼儀なんて何も知らないニールから見ても洗練された動きだとわかった。
その佇まいは、若い頃に行った海外出張で宿泊した高級ホテルのコンシェルジェのようだった。
もう一人は30前後の女性だ。
給仕服のようなものを着て、男の斜め後ろを控えめに歩いてきた。
給仕服といっても、仕事で秋葉原に行った時に駅前で見たフリルがふんだんにあしらわれた装飾過剰なものではなく、シンプルな黒のワンピースに清潔感のある白いエプロン、髪の毛が落ちないように帽子を被った実用性のあるスタイルだった。
「それじゃあ、みんな利き手を出してね」
男からインク壷のようなものを受け取ったウザーレはニール達に利き手を出させる。
「痛くないから安心してね」
にっこりと微笑むウザーレは人差し指にインクをつけると、差し出した四人の手の甲にインクを垂らした。
その後、インクを拭き取った指先にナイフで傷をつけると、垂れたインクのうえに自分の血を垂らして何かを唱える。
ニール達の手の上に垂らされたインクと血は、混ざり合い、小さな紋章を描いた。
「これで、奴隷契約は完了だよ。仮だけどね。もし、勝手に逃げ出そうとしたり、僕や僕の部下に手を出そうとしたらその奴隷印が働いて身体中に激痛が走るから気をつけてね。しばらくはこの館から出ることもできなくなるけれど、君達次第でもっとゆるくするかもしれないから、がんばって欲しいな」
流石に微妙な顔をする四人に気を止めること無くウザーレは男の方を見た。
「それじゃあ、みんなを部屋に案内してあげてね」
「「かしこまりました」」
使用人が深々と頭をさげると、ウザーレとシュクレは扉の向こうへ引き返していった。
扉が閉まり主の姿が部屋から消えたのを確認して二人は頭を上げた。
「私はこの屋敷の執事を勤めさせていただいております、リストと申します。そして、こちらが屋敷内の雑用を一手に引き受けております、カメリです」
「カメリです。皆様のお世話をさせていただいております。何かありましたら何でも遠慮無くお聞きください」
リストは四人に軽く会釈し、カメリは深く頭を下げた。
「私は主にウザーレ様の補佐と屋敷の管理がおもな仕事になります。屋敷内の雑務の方はカメリの管轄になりますので、彼女に従っていただくことになります。仕事の方は決して強制ではありませんが、それが自分の価値を高め、ひいては将来のためだと思って励んでいただけると幸いです」
リストはにっこりと、好々爺然とした笑みをみせた。
「それでは、ソロンさんとコロードさんは私が、ノーマさんとニールさんはカメリが案内します」
リストはノーマとニールに会釈し、ソロンとコロードがついてくるのを確認し、さり気なく彼らの歩調に合わせて歩いていった。
「それでは、私達はこちらです」
カメリが歩き出すと、ニール達もついて行く。
エントランスホールには階段が二つあり、左右の二階廊下に伸びている。
弧を描くように二階に伸びる階段は、下は四人の大人が両手を伸ばして足りないくらいの広さだったが、二階に向かうほど狭くなり半分くらいになっていた。
リスト達は右の階段を上り突き当りの扉を開けると、奥へと姿を消した。
ニール達はカメリの案内で左の階段を上り突き当りの扉をくぐる。
扉の向こうは長い廊下があり、相向かいに部屋の扉が並んでいた。
扉の間隔は狭く、少ない空間を極力利用しようという意図が見え隠れする様子は、日本のビジネスホテルを思い出させた。
三つ目の扉の前で止まると、カメリはノックをした。
元気な返事がして、しばらくすると中からノーマと同じくらいの女の子が現れた。
「エスミット、この子はノーマです。今日からこの部屋を使いますので、仲良くしてあげてください。それと、明日から貴方達と一緒に働くことになりますのでお願いしますね」
エスミットは、カメリに紹介されたノーマに右手を差し出してにっこりした。
「あー、りょーかいです。私はエスミットだよ。よろしくねー」
「あ、あの、わ、私、ノーマです」
どもりながら、何とか名前だけを述べることに成功したノーマだったが、エスミットに右手を掴まれて強引に握手されると少しだけ表情が柔らかくなった。
「それでは、あとはお願いしますね」
「んー、まかせて」
エスミットは、少しはにかんでカメリに手を振った。
エスミットと目が合ったが、ニールは軽く会釈をしてすでに歩き出していたカメリを追いかけた。
カメリの後ろをついていくと、途中で数人とすれ違った。
すれ違うのはみんな女性だった。
初めの分け方で、なんとなく気がついてはいたが、ここは女性専用の建物らしい。
しかし、なぜ僕はこんなところにいるのでしょう。
子供だから九歳までは女湯に入れる温泉ルールが適用されていたとして、同室になるジュウジンというのはノーマも驚いていたし女性ではないのだろう。
ジュウジンっていったい何なんだ?
そんなことを考えていると立ち止まったカメリの背中にぶつかってしまいました。
どうやら、いつの間にか突き当りまで来てしまっていたようだ。
「ごめんなさい」
ぶつかってしまったことを謝るが、カメリは何か難しそうな顔をしてこちらを見ていた。
何かを言おうか言うまいか葛藤しているようだったが、しばらくして決心がついたのか、口を開いた。
「…商品に傷をつけることだけはなさらないようにお願いいたします」
「?」
何を言っているのか理解ができず小首を傾げると、カメリの表情はいくらか和らいだ。
「分らないのでしたら、それでよいのです」
よく分らないが、それでいいらしい。
「それでは失礼いたします」
カメリは、ノーマの時とは違い部屋の住人と引き合わせることなく去っていった。
扉の向こうにはいったい何がいるのだろう。
ノーマもソロンもコロードも顔を引きつらせ、カメリですら顔を合わすことなく去って行った。
ジュウジンってなんなんだろう?
どうしたらいいのかわからず立ち尽くしていると、目の前の扉がゆっくりと開いた。




