52.余談:武家屋敷もどきの居間にて(三人称)
真夜中。信の屋敷の居間にて。
その場には、陽と虹、明がテーブルを挟んで座っていた。三人とも夜目がきくため、明かりはつけられていない。
「用件はなんだ?」
明が問えば、憮然とした様子の陽がテーブルをコツンと苛立たしげに指で叩いた。
「なんだも何も、セリのことに決まってるよ」
コツコツコツとテーブルを叩く音に、不快そうに明が眉をひそめる。剣呑な空気がこの場には漂っていた。
「何も話すことはない」
「それで済むと思ってるの?」
「済めば良いとは思っていたな」
一瞬で居間限定に張られたのは、盗聴を防止するための術。
「正確なところは俺にもよくわからん」
「……明でも読めないってこと?」
少女姿の虹がテーブルを叩き続ける陽の手を止める。
「ああ、正確なところはな。だが、予測はついていた。セリが何かやったんだな?」
それは問いではなく確認だった。
「そう。でも、セリには自覚がない。教えなくていいの?」
あれほどのことをしていて無自覚。
それが周りにも、セリ自身にも良い方に作用すればいい。だが、今回のように必ず良い方に作用するとは思えない。もし悪い方に作用してしまったら……?
「知っていても何が変わるわけでもない。なら、知らない方があれにはいい。他にこの事を知っているのは信だけか?」
「私は信にしか話してないよ~」
「あの場には私達の他にもいたけど、それに関しては気づいていないと思うわ」
陽も虹も、その顔に浮かぶ感情は困惑だった。
「あんな力の作用、普通ならあり得ないわよ」
「……セリを協会と関わらせたままでいいの?」
虹がため息混じりに呟き、陽が眉をひそめながら明に問う。
「本当の意味であれを利用できる者など、この世界にはいないさ。そのためにも俺がいる」
苦笑混じりの答えは、問われた答えとは違うものだ。
「あれはあれのままでいい」
そう告げた明の顔は、とても穏やかなものだった。
その瞬間、一瞬だけ空気が固まった。
「……陽~。明なのに明じゃない別人がいる!」
「虹ちゃん。言葉がおかしいよ。言いたいことはなんとなくわかるけど」
陽の後ろに隠れるように、虹は移動していた。そこから顔だけ覗かせて明を見ている。
「丸くなったよね、明。前は表面では丸く見せてたけど、トゲトゲだったもの」
「そうか?」
心外そうに問い掛ける明に、陽も虹も頷く。
「セリのお陰か~」
「ま、退屈はしないな」
明の呟きに、陽が胡乱な顔になる。
「明。一つ聞いてもいい? セリは明の伴侶、だよね?」
「ああ。あれは俺の伴侶だ。だから、ここにいる」
その顔に浮かんだのは、艶やかな笑み。だが、そこにほんの少しだけ不穏なものが混じる。血に飢えた、肉食獣のごとき残忍さが。
それを見てしまった陽は本能的に危険を感じ取り、身体をぶるりと震わせ、虹は陽の背中に張りついて隠れた。
「……明はやっぱり明だったわ」
陽の後ろからひょこりと顔だけ出して、明の顔を再度確認した虹が呟く。
確かに容姿はずば抜けて良い。でも、これは中身をカモフラージュするための罠だ。甘い蜜に寄ってくる蝶は、何も知らないまま気づいた時にはどこにも行けなくなっている。そういう類いのものだと思えた。
「……その顔をセリが見たら、遁走すると思うよ」
セリとの付き合いは、まだ短い。それでも、陽から見てセリという者は、裏表のない人物だった。思わず手助けをしてあげたくなるような、そんな存在。だから、なるべく傷つくような事態にはなって欲しくないと心から思っている。
それでも、この目の前の男から守ってあげるとは言えない。これを敵に回すことは、己の死に直結するからだ。
「そうでもないさ。あれは鈍い」
セリのためを思っての忠告だった。それくらいは許されるだろうと思えたから告げたのだけれど、明の答えは陽にとって予想の斜め上をいった。
どうやら彼女の少しズレた性格は明にはちょうど良いらしいと考え直し。
「は? もしかしなくてもあの子、大物!?」
楽しそうに笑う明とすっとんきょうに叫ぶ虹の声を聞きつつ、陽は深く息を吐き出すのだった。
「セリの力に関しては他言無用だ。本人にも言うな」
真顔になった明が忠告する。
「言わないけど――」
「言ってもあんな不可思議なこと、実際に体験しなけりゃ誰も信じないと思うわ。でも――」
張本人が知らないままで本当にいいの? 陽も虹も、濁した言葉が示すことはそれだった。
「知ったところで何も変わらんと言ったはずだ。それに――」
言葉を区切った明が意味ありげに口の端を上げる。陽と虹がそろって首を傾げた。
「良くも悪くも、あれは才能ゼロだ」
「………」
愉快そうに笑う明の姿に、陽はため息を吐き、虹は不思議そうな顔で陽の服を引っ張る。
「な~に、虹ちゃん?」
「才能ゼロってなんのこと?」
陽が振り返って見れば、本気でよくわかっていないらしい虹の姿があった。
「セリは力が使えないってことらしいけど――あれだけのことをしていても、なの?」
前半は虹に向けて、後半は明に向けての言葉だ。
「あれは力が微塵も認識できないからな。本来の使い方はできないはずだ。だが、無意識で本来ならあり得ない大事を引き起こす。条件の予測はついているが、頻発するものでもないだろうさ。今回の事例で二度目だ」
その条件とは何か。
二度目だというけれど、それをもう二度もと取るべきか。まだ二度だけと取るべきか。
色々気になりはする。でも、何よりも――。
「一度目は何が起こったのよ?」
「その顛末は~?」
好奇心で訊く二人に、明は苦笑を浮かべる。
「さあな。結果はいずれわかるんじゃないか?」
答える気がないらしい明の返答に陽と虹は顔を見合わせ、お互いに思ったことを悟って肩を竦めた。
こういう態度を取る時の明は、答える気がまったくない。藪をつついて蛇を出すわけにもいかず、気にはなっても聞き出すことは無理そうだった。
「用はそれだけか」
「まあ、そうだね~」
訊きたいことが聞けたかといえば微妙なところだけれど、明相手では大体こんなものだ。頷いた陽に、明が立ち上がる。
「わかっているとは思うが、不確定要素の多いあれの力を利用しようとは考えるなよ。あれの望まないことを強いるというのなら、おまえ達であろうと容赦はしない。そう、信にも伝えておけ」
一瞬だけ放たれた殺気に、さすがの陽も生きた心地がしない。
最近はそれなりに穏やかな空気しかまとっていなかったので油断していたが、元から明はそういう存在だった。畏怖を振り撒く者。
その姿が消えたことに、思わず詰めていた息をほっと吐き出す。いつの間にか、盗聴防止の術も解かれていた。
「……念を押さなくたって、明の伴侶って時点でそんな気も起こらないわよ」
ぐてっとその場で伸びた虹がぼやけば、
「そんな命知らず、ここにいるわけないのにね~」
テーブルに突っ伏した陽が同意する。
「明は最強の盾か」
「でも、同じくらい最凶な諸刃の剣だよね~」
二人は顔を見合わせ、
「私ならごめんだわ」
「同じく~」
そろって笑い出す。
「おや? 明かりもつけずにこんなところでどうかしましたか?」
パッと明かりがついて、二人して入り口を見れば、そこには睦月が立っていた。
「睦月ちゃん。驚かさないでよ」
「睦月くん。……そっちこそ、どうかしたの?」
二人そろって同じように首を傾げれば、いつも通りほぼ無表情な顔で睦月が答える。
「朔良がそろそろ帰ってきそうな気がしたので、その前に準備をしておこうと思いまして――」
その言葉に、陽も虹も納得する。
「睦月ちゃんは相変わらず過保護だわ」
「朔良くんを甘やかすのも程々にね~」
母親のように、甲斐甲斐しい嫁のように、睦月が朔良の世話を焼くのは日常の光景だ。
「そうですか? セリさんの世話を焼く明ほどではないと思いますけど――」
「……睦月くん。言いたいことはわかるけど、前提が間違っているから」
陽が若干呆れたように突っ込めば、
「あんた達は兄弟でしょうが。しかも、双子の」
虹が更に追い討ちをかける。
「ええ。ですが、朔良の世話を焼くのは私の役目のような気がしていましたから、今更止める方が違和感が大きいです」
その顔にほんのりと苦笑らしきものを浮かべた睦月に、陽も虹もため息を吐く。睦月と朔良の事情を知ってはいるが、昔と今ではその事情も改善されている。
「朔良くんも今は普通の生活ができているのに……」
「朔良ちゃんはもう、あの頃の朔良ちゃんじゃないのよ?」
過去のどこかで睦月の時間は止まっている。
「ええ、そうですね」
二人の忠告に睦月は同意したが、どこまで言葉通りにとらえているかはわからない。
更に陽が何か言おうと口を開きかけた時、その場に話題の人物が現れた。
「どうしたんだ? 睦月はともかく、陽と虹姉がいるなんて珍しい」
入り口から入ってすぐのところで立ち止まり、驚いた様子で一同を見る。
「お帰りなさい。まだ、仕度できていませんよ」
「? ああ、別につまみがなくたって酒は飲めるからいいぞ」
台所へ酒を取りに行った朔良の後ろ姿を見送りつつ、睦月はため息を吐く。
「つまみもなくアルコールを摂取するのは、よくないんですけどね」
ぼやく睦月をちょんちょんとつつく虹。
「睦月ちゃん。朔良ちゃんのあの顔、どうしたの?」
「あの顔? ああ、無精髭を剃ったことですか?」
「そう。あの見事な無精髭。いつの間にかツルッツルになっているじゃない」
虹の視線は台所から缶ビール片手に戻ってきた朔良の顔に向かっている。
「あれは年齢を大幅に年上に見られたことが堪えたらしく、真面目に剃ることにしたようですよ」
同じく朔良の顔を見ながら、睦月が答えれば、
「熊五郎なおじさまって言われていたもんね~。あれは笑ったよ~」
その時のことを思い出した陽がクスクスと笑い出す。
「……笑うな」
憮然とした様子の朔良が台所へと行く睦月と入れ代わるように座る。缶ビールのプルトップを開けて、そのまま口に運んだ。
「そう言ったのは、セリ?」
虹が陽に問う。その顔は笑いを堪えているらしく、少し歪んでいた。
「そうだよ。なかなかぴったりな命名だよね~」
「……俺はまだ、おじさん扱いされるほど歳くってないんだよ」
ぼやく朔良に、顔を見合わせる虹と陽。
「そうかもしれないけど……もしかしてセリに惚れたとか?」
にやりと笑った虹が無邪気を装って問い掛ければ、
「虹姉、俺を殺したいのか!? 冗談でもそういう笑えない言葉は口にするな!!」
朔良が顔色を変えて虹に食って掛かる。その後、忙しなく辺りを見回すのは、明がいないことを確認するためだった。
明の姿がないことを改めて確認した後、朔良はほっと息を吐き出す。
「いっやだ~。ちょっとお茶目な冗談じゃない。もし聞いていたとしても、明だって本気だとは思わないでしょ」
朔良の過剰とも思える反応に虹はカラカラと笑ったのだけれど、その隣では陽が真剣な顔をしていた。そして、少し考えるそぶりを見せた後、陽は諭すように告げる。
「私も朔良くんの言い分の方が分はあると思うよ。虹ちゃんの言葉は冗談だとわかっていても笑って流せないから。セリに関しては明って物凄く心が狭いから、虹ちゃんはまず言葉に気をつけた方が良いと思うな」
「………」
唖然とした様子で言葉もない虹に、缶ビールを煽った朔良が告げる。
「虹姉はうっかり明の地雷を踏みそうだよな。あのお嬢ちゃんは問題ない。害はない。だが、明はわかっていると思うが凶悪だ。あんなのまともじゃなくても相手にできるか」
忠告するように虹の眼前に指を突きつけた朔良が、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。
「虹姉が自滅するのは自業自得だけど、それに俺を巻き込まないでくれ」
朔良の顔は本気だ。虹の動作が一瞬、完全に止まった。
「……陽ぅ~。朔良ちゃんが冷たい」
へにゃりと表情を崩した虹が隣の陽に泣きついた。陽がその頭をよしよしと撫でるも、
「私でも同じこと言うと思うけど~」
朔良の肩を持つ。
泣き真似を止め、顔を上げた虹が二人の顔を見回してため息を吐いた。
「あんた達、本当に冷たいわね」
ジト目で二人を見るが、顔を見合わせた朔良と陽はお互いの考えを読み取って同時に肩を竦めるのみ。
「お待たせしました」
お盆にちょっとしたツマミをのせて睦月が現れたのは、そんなタイミングだった。
「睦月ちゃん。朔良ちゃんと陽が冷たい」
「……虹さんが自業自得なことを言ったからだと思いますよ?」
先程までの会話を聞いていないと思っていたらしっかり聞いていたらしい睦月の発言に、虹は再びため息を吐く。
「あんた達はそろいもそろって……育て方を間違えたわ」
嘆く虹に、陽が呆れた声を上げる。
「虹ちゃんに育てられた覚えはないよ~」
「虹姉の面倒ならみたけどな」
「虹さんの起こす騒動には、よく巻き込まれましたね」
口々に反論する三人に、虹が苛立ちを隠すことなく立ち上がる。
「~~ぅ~~、もう! ふて寝してやる!!」
荒々しく足音を立ててその場を去った虹の後ろ姿を、見送った陽がため息を吐く。
「そういうところが危ないんだけど――。虹ちゃんは大人気ないんだから」
「と言いつつ、遊んでいるだろ?」
ビールを煽った朔良がにやりと笑いながら指摘すれば、
「朔良くんだってそうでしょ~?」
陽が意味ありげな笑みを浮かべながら言い返す。
「虹さんは素直ですから。でも、それが虹さんの良いところでもありますね」
そう締め括った睦月に、顔を見合わせた一同はお互いにわかりあった笑みを見せたのだった。




