46.呪いを解くあては身近にありました?
あれから一時間もしない内に目が覚めたユズさんですが、短時間だろうとぐっすり眠れたことがよかったようです。戻ってきた香さんが施した処置も良かったのでしょう。
目の下の隈は消えていませんし、顔色も良好な状態とは言い切れませんが、倒れた当初からすればずいぶんと違いました。
ですが、起きてすぐ自分の研究室に走り込もうとしたことには驚きましたよ。どこまで研究好きなんですか。
朱さんがカンカンでした。それを真っ向から受けても受け流せるところがユズさんのすごいところです。少しは反省してくださいと思わないでもないですが。
結局、朱さんの怒りの方が持続しなかったようで、彼女は疲れた顔でため息を吐いていました。なんだか朱さんの姿が不憫に見えましたが――。
新たにわかった新事実に、色々なモノが吹っ飛びました。
こうなる可能性をあらかじめ見越した上で、呪いの掛かった本を開いた。と、ユズさんがさらりとなんでもないことのように白状したからです。
……今回のことは、自業自得ですか。研究に一つしかない自分の命まで掛けないでくださいよ。心配する者の身にもなってくださいと、心からそう思いました。
「あなたにその本は開けなかったはずですよ?」
「ああ。それでも、どうしても見たかったから彩里のじぃさんに解いてもらった。まさかここまで凶悪なモノを見せられるとは。さすがに予想外だったな」
こんな事態になっても笑えるユズさんの大雑把さがすごいです。これを豪胆と言わずしてなんと言うのでしょう。でも、方向性が大いに間違っています。
当然の如く、朱さんの怒りは再燃しました。
ユズさんが告げた名前は、以前にも聞いたことがあります。確かユズさんの前にモコモコさん達の面倒を見ていたという、とんでもなく大雑把だろう方の名前でした。
その時、話題になった抹殺計画は実行されずに済んだようです。それは何より、なのですよね? もしもその時に抹殺されていたらこんなことには、とかちょっと物騒な考えが浮かんでしまいましたが、それはともかく。なんとも迷惑なご老人という認識は、私の中で確定事項となりました。
「あなたは、まったく……。人間は人外の者より弱くて脆いと自覚してください。いくらあなたが人間にしては稀有なほど力を持っていて珍しい能力があったとしても、あなたは人間でしかないのです。自分の力を過信してはいけませんよ」
朱さんが沈痛な面持ちでユズさんに訴えます。
「そうだな。ま、ワタシは長サマよりは確実に脆いだろうさ。でも、弱いとは思っていないよ。それにワタシの研究はヒトを生かすためのものだ。諦めることも立ち止まることもするつもりはない」
そう告げて晴れやかな笑顔を見せるユズさんに、朱さんはため息を吐きます。
「……そう思うなら、もう少し自分の身体も大切にしてください。それに、まだ何も解決していません。心配するこちらの身にもなってください」
その言葉は私も同意です。ですが、朱さんの言葉にクスクスとくすぐったそうに笑った後のユズさんの次の言葉には度肝を抜かれました。
「ま、そうだけど。なんとかなるさ。心配しすぎだよ、お母サマはさ。昔っからだけど」
「まったく。あなたほど世話の掛かる子はいませんよ」
へ?
……は?
…………ほへッ!?
「親子ですかぁ? え? ぇえ!? ユズさんは人間ですよね? それもある意味驚きですけど、朱さんとユズさんは失礼ですけど全然似ていませんよ?」
外見上、二人の年齢差はほぼないと言ってもいいです。
和やかな会話に突っ込むのもどうかとは思いましたが、我慢できませんでした。衝撃が強すぎて、改めて二人の顔をマジマジと見比べます。
親しい仲だとは思っていました。朱さんとユズさんの関係は友人、親友の類いだと思っていたのですが、親子ですか?
やっぱり似ている要素を発見できません。そもそも顔の造りが違います。朱さんは洋顔ベースの着物美女ですが、ユズさんは日本人的なアジア系の、少しきつめの顔立ちをしています。
しかも、二人は種族が違うことになります。確か、朱さんは竜族の先祖返りだと露さんが言っていました。
いったい全体、どういうことでしょう。
「親子で種族が違うということがないわけではないですが、私とユズが似ていないのは当然です。ユズは私の養子として引き取り育てた子ですから」
「セリは知らなかったのか。協会は親元で育てられない子供を引き取って育てることもあるのさ。特に、人間の親から生まれた異端な力を持った子供は、普通の人間でしかない親には巨大なお荷物、厄介者にしかならないからな。だから、そういう子供は協会の子として育てられる。大体は長が里親となるんだが、本人を交えてその親と話し合いした結果次第では、養子縁組することもあるんだよ」
ユズさんはサラリと他人事のように説明してくれましたが、内容はそれなりにシビアです。二人の言葉を合わせれば、ユズさん本人もそういう子供だったということになります。
知らなかったこととはいえ、聞いてはならない部分に踏み入ってしまいました。でも、ここは謝るところではないはずです。それをしてしまえば、それらの選択をして生きてきたユズさんを貶めることになってしまいます。
とはいえ、この場でどう返せばいいのか、私にはわかりませんでした。
「気にしなくていいさ。ワタシは今の自分も悪くないと思っているからね。それで、現状、ワタシはどうなっているのかな?」
私と繋がれた手を振って見せ、ユズさんが苦笑しながら問い掛けます。
ええ、そうです。私はまだ、ユズさんと手を繋いだままです。そして、香さんはといえば――。
「香がチビ共に遊ばれているね。ま、いいけどさ」
私はユズさんについているので、どうしてもモコモコさん達を構ってあげられません。基本的に暴れたり、いきなり怪奇現象を発動したりする子はいないのですが、やはり、いつまでもじっとしていることが苦手な子はいます。
そこをユズさんに呪い避けの魔術を施し終えた香さんが、自分から相手をしていようと申し出てくれたんです。その代わりユズさんが目覚めるまで私が再び手を握っていてくれればいいと。
でも、本当にあれで大丈夫ですかね。ユズさんはあの光景を見てもさらりと流してしまいましたし、朱さんは初めからわかっていたのか気にもしていません。
そして、私は口を挟めませんでした。どうしてかって、それはもう、見ない振りをした方が我が身のためのような気がしたからです。
変ですね~。私にはとても親切で優しい、大人しい子達ですけど――香さんが笑っていますから良いとします。たとえその身体が空中を飛びっぱなしで、あっちにこっちにとボールのように弾かれていたとしても。水玉がひっきりなしにぶつかって弾けていようとも。
実害はないです。
水浸しの心配も、建物への被害も、こちらに飛び火してくることも。ここはそういう保護が施された部屋なのだと聞いていますし、実際、その通りの状態です。
それに、モコモコさん達も喜んでいますしね~。
「ええ、あれはどうでもいいことです。ユズ、あなたに掛かっている夢魔の呪いですが、わかっているでしょうが現状で解けていません」
ユズさんも朱さんも、香さんの状態についてはどうでもいい扱いですか。
私も他人様の発言をとやかく言えないようなことを思いましたけど、ちょびっとだけ香さんが不憫に思えました。本人がまったく気にしていない様子なので、ほんのひとつまみくらいですけど。
それは置いておくとして――。
朱さんが淡々とユズさんに現状を説明しています。
「香が呪い避けを施しましたが、考えていたよりも効き目が弱かったのです。なので、今もセリさんにその呪いを防いでもらっています。予想以上に強力な夢魔が掛けた呪いです。今、その夢魔を探させていますがあてがない状態です。あなたの研究室にあった、呪いの掛かった本から形跡をたどることは不可能でした。これらのことからもわかるように、呪いを解くにはとても時間が掛かります」
「夢族ではなく夢魔族が掛けたものか。なるほど。道理で最悪な夢ばかり見ると思った」
「この話を聞いた後に言うことがそれですか……」
そう思ったのは私も同じです。ユズさんはまるで他人事のように苦笑しています。
朱さんの言葉に対し、おどけたように肩を竦めて見せたかと思えば、
「まあ、夢族だろうと夢魔族だろうと、あいつらがなかなか捕まらないのは同じことだ。ワタシの気力が尽きるのが先か、夢魔族が捕まるのが先か、呪いが自然消滅するのが先か、賭けだな」
完全に他人事な発言をしました。良く言えば冷静なのかもしれませんが、心配している身としては当事者にそんな風に言われてしまうとその思いの行きどころが無くなってしまうと言いますか――複雑です。
「賭けなんて言うな。命の使いどころを間違うな。周りにどれだけ迷惑を掛けていると思っている。ユズ、反省しろ」
唐突に朱さんの口調が変わりました。
「お母サマ、言葉遣いが地に戻っているよ? ここは協会本部。職場だよ、職場。業務中は敬語を使うって決めて――」
ユズさんがそれに初めてまずったといった感じの表情を浮かべました。朱さんにジロリと睨まれて、言葉尻はモゴモゴと口の中に消えていきます。
これが朱さんの地の言葉ですか。となると、ユズさんの言葉遣いが男らしいのは朱さんの影響ですね。これなら納得です。
「それがなんだ? 私はおまえに反省を求めたはずだが、言葉で言っても無駄か。仕方ない。身体に教え――」
「反省しているから。海原よりも深~く反省しているから、とりあえずそれは許して。今、お母サマにそんなことされたら、確実に止めだから。ね? それで、ワタシとセリが手を繋いでいる理由は?」
朱さんの言葉を遮って謝り倒したユズさんは、話題転換をはかろうとしたようです。その様子に朱さんはため息を一つ。
「まったく。本当に反省しているのですか?」
「している。ワタシの読みが甘かった。ごめんなさい」
朱さんの言葉遣いが丁寧なものに戻り、ユズさんがしおらしい態度で項垂れています。
「仕方ない子ですね。事がなんとかなった後に、方々にはあなた自身がお礼とお詫びをなさい。それで、セリさんがあなたの手を握っている理由ですが、そうすることで夢魔の呪いが完全にあなたから弾かれています。セリさんの力を無効化する特異な体質(?)は触れた者にも作用するようです。香の呪い避けでは完全にとはいかなかったのですよ」
ユズさんはマジマジと繋がれた手を見つめ、その後に私を見ました。
真剣な視線とかち合ったと思ったら、その顔がふっと苦笑に変わります。
「ごめん、セリ。結局、面倒を掛けたみたいだね」
その言葉に私は首を横に振りました。
欲しい言葉は謝罪ではないです。面倒だとも思っていません。
「もっと自分の命を大切にしてください。死んでしまったらそこで終わりです。ユズさんという存在は、一人しかいないんですから」
自分の命を軽んじたことを反省してください。まだ短い付き合いですけど、ユズさんを失いたくはないんです。
「ごめん」
ユズさんがまた、謝りました。先程の言葉よりも心のこもった、重い響きがあるように感じました。きっと、それは私の言葉に対するユズさんの想いで、そう聞こえたんだと思います。
だから、私はそれに頷いて答えるだけに留めました。
そうして残りの就業時間もほとんどユズさんと手を繋いでいた私です。どういう作用かはわかりませんが、ユズさんに触れていないと私が夢魔の呪いを弾くことはできないようで、ある程度、お互いの自由を確保する意味でも手を繋いでいることが妥協点でした。
そうこうして過ごしているうちに、私の就業終了時間がきました。当然の如く、明さんの姿が――。どうやら今日もお迎えにきてくれたようです。
送り迎えは必要ないと何度も訴えたのですが、明さんがその訴えを聞いてくれる気配は今のところ微塵もなさそうです。
普段の就業時間は終了となりましたが、ユズさんはこんな状態です。だから、残業の申し出をしてみたのですが、ユズさんに断られました。とても大丈夫そうには見えない顔で、それでも大丈夫だと言い張るんです。
方々に指示を出しつつ朱さんもこの場に留まったままでしたが、彼女も同意見のようです。そうなってくると無理に残るとも言えずに、明さんに連れられて帰ってきたのですが――やはり気になります。
「明さん。夢魔の呪いを解くのは、それほど難しいことですか?」
私には呪いとかよくわかりません。現代日本では、呪いなんて非科学的なものは迷信の類いで片付けられてしまいます。私も、そういうものとは無縁で生きてきました。
ですが、ここは異世界のような並行世界です。この世界には魔術がありますから、呪いがあってもおかしくないです。
ただ、それがユズさんの命を蝕んでいるという現状は、そういうものに無縁な私には実感も想像も難しいものがありました。
「夢魔の呪い? 掛けた夢魔族にもよるな。夢族よりは夢魔族の方が面倒だが、一番簡単な対処方法は呪いに掛かる前に潰すことだ」
唐突に問い掛けた私に、明さんは訝しげな顔をしつつも答えてくれました。この世界の住人である明さんは、やはり知っているようです。しかも、その返答の感じだとそれなりに詳しいのでしょう。
「そんなものがおまえに掛かるはずはないと思うが――どうかしたのか?」
沈む夕日を背に私の歩幅に合わせながら歩いてくれていた明さんが立ち止まりました。明さんの言葉の意味も気になりますが、今は――。
「私でなくて、ユズさんです」
一歩遅れて私も立ち止まり、明さんを振り向きます。
「ユズ?」
「……白衣を着ていた、長い黒髪の女性ですよ」
逆光が眩しくて明さんの顔がはっきりとは見えません。でも、声の雰囲気から誰だかわかっていないことはなんとなく伝わってきましたから、呆れた思いを隠さずに説明しました。
私を送り迎えしている明さんは、その過程でユズさんにも何度か会っています。軽い会話もしていましたよね、挨拶だけでなく。なのに、名前を知らなかったんですか?
「ああ、あの封印師か。夢魔に呪いを掛けられるほど弱いとは思っていなかったが――道理で妙な状態だと思った。今日は特に、死相が濃かったな」
さらりと。本当にさらりと。
明日の天気の話題のような何気無さで、明さんが爆弾を落としました。
「……明さん。ユズさんが変だって気づいていたんですか?」
「いや?」
「え? だって今、今日は特にって――」
「ああ、少し前から死相がうっすら掛かっていたのは知っていた。だが、その原因は興味がないから見なかった。俺にしてみれば、別におかしくもない。生きている以上、誰だって死ぬ。遅いか、早いかの違いだけだ」
言葉だけなら、突き放した冷たくも感じるものです。けれど、そう告げる明さんの声には、どことなく苦いものが混じっていました。
そこに私は明さんとの隔たりを感じます。
きっと、明さんは多くの別れを経験してきたんでしょう。死という別れを。そして、長命だという明さんはいつも置いていかれる立場だった。
「助けたいか?」
私の思考を遮るように明さんが問い掛けます。
「え?」
物思いに沈みかけていた私は、問われた意味を瞬時に判断できずに首を傾げました。
「あの封印師を助けたいか?」
再び明さんが問います。それに私は頷きました。
「明さんは呪いを解くことができるんですか?」
「できる。が、俺はやらん。人間に干渉することは、基本的に禁じられている。だが、俺がやらんでも、おまえが頼むなら陽がなんとかするはずだ」
それだけ告げると明さんは再び歩き出しました。私もそれにならうように慌てて歩き出しますが、頭は更なる疑問符だらけです。
人間に干渉することは、基本的に禁じられているってなんですかそれ?
私も人間ですよ。明さん、私にガッツリ関わっています。干渉しています。というか、お世話してくれていますよね~。
それは良かったんですか?
問いたくても、明さんの背中がそう問うことを拒絶していました。
それに、どうしてここで陽さんが出てくるんでしょう。確か、陽さんは夢族だと――ん? そういえば夢族と夢魔族の関係ってなんでしょうね。なんだか一緒くたに出てきつつも、別々の扱いをされているみたいですし。
あ~、もう。わけがわかんないです。
説明。誰か、私にも理解できる説明、プリーズ。




