44.魔除け? 護符? いえ、普通の人間です。
私の日々はあれから何か変わったかといえば、そんなことはありませんでした。明さんの過保護度も、態度も今までと特に違いはありません。
……あの夜の出来事は幻だったのでは、と最近は思っているくらい平穏そのものです。
週五日は協会本部と同じ土地にある建物内の職場に通い、残り二日はお休みをいただくという週休二日制の勤務です。
子供達のお世話をすることが私の仕事のはずなのに、ここの子達もせっちゃんと同じくあまり手が掛かりません。私がやることは、主にお昼ご飯の支度とお昼寝の支度と喧嘩の仲裁くらいです。そして、情けなくもありがたく逆にお世話をされていたりします。主に常識面で――。
そうして仕事をしていく内に知ったことは色々あります。
なんとなくですが、ユズさんのこともわかってきました。ユズさんは口調が男勝りで性格が破天荒なところはありますが、その内実は子供達のことをしっかりと考えてくれているやさしい方だと、今では理解しているつもりです。
ただ、やはりヘビースモーカーでした。どうしても止められないのか、室内禁煙のここでスパスパ吸っています。煙が子供達の方にいかないようには気を配っているようですが、ユズさん自身の健康にもよくないことは間違いないです。
「ユズさん。今日はもう、一箱消費しています。吸い過ぎです」
お節介かと思いましたが、特に今日はいつもよりもペースが速かったのでつい口を出してしまいました。
「ああ、煙かったか」
ユズさんがハッとした顔で斜向かいの椅子に座る私を見て、少しバツの悪そうな顔をしました。
「確かにいつもよりも煙いですけど、そうではなくて何か気に掛かることでもあるんですか? 心ここにあらずな顔をしています」
ここはサラリと流して大丈夫ですと答えるべきかもしれませんが、私はもともと煙草の煙も臭いも苦手ですし、ユズさんもそのことを知っていますので大人気なくも正直に答えました。
モコモコさん達はお昼寝の時間ですから、モコモコスタイルで団子になって眠っています。人型になれる子となれない子の数はほぼ半々で、その中でも人型でいるよりもモコモコスタイルでいる方を好む子の方がここには多いそうです。
そういうことなので、今はちょっとした休憩時間でした。
モコモコ団子をたまに崩しつつ(下の子に負担がかかりすぎないように、です)、その寝姿に癒されつつ、まったりとしたお茶の時間と化しています。
私のお勉強の時間でもあるので、図書室から借りた本を読んでいたんですけど――。
最近、ユズさんの様子が日に日におかしくなっていっているような気がします。そして、それに比例するように煙草の消費スピードが上がっているんです。
ストレスが溜まると煙草の量が増えるとか言いますから、何か気になることがあるんだろうという予測はつきました。
「私でよければ相談にのりますよ?」
ものすごく頼りない相談相手となるでしょうけど、他人に話すことで気が楽になったり糸口が見つかったりすることも皆無ではないですからね。
「相談?」
不思議そうな顔で、吸いかけのタバコを携帯灰皿に押しつけたユズさんが私を見ます。
「何か悩み事でもあるのかと思ったのですが、違いましたか」
……もしや空気を読み違えたのでしょうか。
確かにそういうことはあまり得意ではないですけどね。今回は確信があっただけに、ちょっと自信喪失です。
「ワタシは悩んでいるように見えたか?」
苦笑するユズさんの顔色が良くないことに、そこで初めて気づきました。
「悩んでいるといいますか、迷っているといいますか、何か抱えているように見えます。でも、顔色も良くないですし、もしかして体調が悪いんですか? 無理は駄目ですよ。それに煙草も、です。吸わない方が良いのは確かですが、我慢も身体にはよくないですし――。でも、日に日に煙草の量が増えています。少し休んでください。ここのことなら、しばらくは大丈夫ですから」
モコモコさん達は現在お昼寝中ですし、起きたとしてもユズさんの手を煩わすほどの大事になることはあまりないです。私一人でもなんとかなりそうなくらいには慣れましたし、何より皆、素直な良い子ですから――迷惑を掛けるのは、どちらかというと私の方かもしれません。
「いや、体調は悪くないよ。休むほどでもない。でも、そうか。セリにはそう見えたのか、参ったな」
新たに取り出した煙草に火をつけることなく箱に戻したユズさんは、お茶の入ったカップを手に取って口に含みます。
「単に寝不足なだけだから、大丈夫さ。これでもワタシも医者のはしくれだから、自分の状態くらい自分でわかる。心配をかけたね」
ユズさんはそう言って笑い飛ばしましたが、私の目には私を安心させるためだけに浮かべられた作り笑いにしか見えませんでした。
「今、抱えている研究が山場を迎えているものだから、つい根を詰めてしまったんだ。今後は気をつけるよ」
でも、ユズさんがこれ以上この話題を続けたくなさそうなのは、その言葉からも態度からも伝わってきます。本人が望んでもいないのに、余計なお節介をするのは私も気が進みませんし――ということで、この日はもうこの話題を出すことはしませんでした。
そうして更に数日が過ぎました。
ユズさんの状態は一見改善されたかのようにも見えましたが、よくよく気にして見ているとそうではないことがわかります。
ユズさんは私が気にしているので、あえて今までと同じように意識して行動しているだけです。それに顔色も相変わらずよくありません。むしろ、悪化しているように見えます。
ですが、私がそのことを指摘しようとすると、その気配だけで察したユズさんがさりげなく、それでも私がそのことを口にできないような話題に変えてしまうんです。一、二回ならまあそういうこともあるかなと流せますが、そう何度も続けば鈍い私でもこれは故意だとわかります。
だから、それに気づいてからはこのことに触れる話題を、私も口にしないようにしました。
そうしてユズさんの様子を観察するだけの日々が続いていたのですが――。
「ユズさん!」
案の定というべきか。さもありなんというべきか。
ユズさんが倒れました。そのまま床に昏倒すれば二次被害でどこか怪我をする可能性もありましたが、室内に局地的な風が吹いてユズさんの身体を支えます。そのままユズさんはそっと床に横たえられました。
「グッジョブです、紬ちゃん」
そんな奇妙な風が偶然吹くわけもありませんから、この風を作ったのは通称、風熊の紬ちゃんとしか考えられません。
余談ですが、風熊とは正式な種族名ではないそうです。でも、正式な種族名よりも風熊という通称の方が知られているのだとか。確かに、そのものズバリを示された名称の方がわかりやすくて定着するのは当然ですよね~。
「これも、お姉さまの側にいるからですわ」
倒れたユズさんの傍らに駆け寄る私に紬ちゃんはそう告げ、私の隣でユズさんの顔を覗き込みます。
私の側だとどうしてだか力が安定して使いやすいようなことを言っていましたから、そういうことなんでしょう。自分ではよくわからない、理解の範疇外である魔術的な部分は総スルーすることにしています。
「ユズは大丈夫ですの?」
そう訊かれても、専門家ではなく知識も乏しい私にわかることなんて少ないのが現状です。
ユズさんの意識はないようですが、普通に呼吸はできていますし脈拍も正常のような気がします。でも、顔色はよくありませんし、呼び掛けても目覚める気配がないです。そして、表情が少し苦しそうで、寝不足を物語るように目の下の隈がひどい有様でした。
「私には正確なところはわかりませんが、このままというのは論外ですし、朱さんに連絡を取ってみます」
本当はお医者さんに診てもらうのが一番良いのでしょうが、私が知っているここのお医者さんはユズさん一人です。そして、まだまだこの広大な協会本部敷地内の一部にしか足を運んだことのない私では、土地勘も人脈もありません。むしろ迷子になって、余計に迷惑を掛けそうです。
幸い、朱さんと連絡はつきます。困ったことがあったら遠慮なく言って欲しいと、連絡先を教えてくれました。
とはいっても、朱さんは忙しい方ですし、ユズさんはけして面倒見の悪い方でもなかったので、使うことはないかと思っていました。でも、何が幸いするかわかりませんね。
「紬。くそ医者をこっちに寝かせろ」
ユズさんの異変に気づいた絢くんが、他の子達を指揮して自分達がお昼寝用に使っている布団をユズさんの側まで引きずってきました。
口は悪い絢くんですが、その内実は色々と気配りができる良い子です。
「わかりましたわ。うっかり飛ばされないように、少し離れてくださいませ。ああ。お姉さまはそのままでお願いします」
絢くん達が一斉に少し離れた位置に移動します。
せっかく引っ張ってきた布団まで飛ばされることを危惧してか、その布団に絡まる蔦がありました。どこから生えている、という突っ込みをしてはいけません。謎は謎なままの方が平和なんですよ~。
この蔦は、森人族の由良くんが形作っています。コレで動かせる重量は、今のところ三十キロが限界だそうです。
私がユズさんを布団の上まで安静に運べれば本当は良かったのでしょうが、ここにいる者達の中で一番身長が高いのはユズさんです。ユズさんは痩せ形ですが、それでも体重は私よりあるはずです。
意識のない方を運ぶのは、意識がある方を運ぶよりも骨が折れる作業だという話を聞いたことがあります。もし運べたとしても、私では引きずってしまうでしょう。
ユズさんのことは紬ちゃんに任せておけば大丈夫でしょうから、私は朱さんに連絡を取ることにしました。
エプロンのポケットから薄緑色がかかった透明な板を取り出して操作します。大きさといい、操作性といい、携帯電話を思い出させる仕様です。これが、明さんが私専用にと作ってくれた通信機でした。
理由は私がこちらの世界の人間でないからな気がしますが、こちらの一般的に使われている通信機を私が使えないとわかって、そのことを明さんに告げた次の日にくれたものです。こういう時、明さんの太っ腹さを感じます。
それは私専用に調整してあるので、私以外は使えないとのことでした。使い方も他の通信機とは違いますし、こちらの世界の方達からすればずいぶんと風変わりな代物だと思います。
通信を開始してさほど待つこともなく、朱さんとは繋がりました。忙しい方ですから、繋がらなかったらどうしようかと思いましたが、不幸中の幸いです。
ユズさんの様子を聞いてすぐに来るということだったので、少しだけ肩の荷が下りたような気がしました。いえ、まだ安心している場合ではなかったですね。
ユズさんの状態は――ッと。
「何をやっているんですか、蓮ちゃん?」
ユズさんの身体が揺らめく青白い光に包まれています。その手は水人族の蓮ちゃんの手と繋がれていました。となれば、必然的にこの現象は蓮ちゃんが起こしていることになります。
「蓮の特技ですわ。回復を促すように自らの力を注いでいるんですの」
紬ちゃんが説明してくれました。
その言葉から察するに、ゲームでいうところのヒールとかでしょうか。なんてうらやましい能力でしょう。
「失敗すると大変なことになりますから、お姉さまはまだそこから動かないでくださいね」
傍でじっくり見ようと思い、動こうとしていたところを紬ちゃんに釘を刺されました。
「お姉さまが動くと場のバランスが崩れますから」
理由も説明してくれましたが、さっぱりです。それでも紬ちゃんが忠告することですから、私が動くとまずい事態になることはなんとなく理解できました。
門外漢な私は紬ちゃんの言葉に従って、その場で待機します。少しすると紙のように白かったユズさんの顔色に変化が起きて、ほんの少しですが頬に赤みが差しました。
ユズさんを取り巻く青白い光が消えます。それと同時に、蓮ちゃんの身体が人型から鳥の姿へと代わりました。それは大きさこそ小さいですが、形はアヒルにそっくりです。彼女は水人族の中でも、主に川や湖を生息地にしている部族に属しているそうです。
「もういいぞ」
ユズさんの状態を傍で観察していた絢くんが、私に声を掛けて手招きします。
「とりあえずセリはくそ医者の手を握っておけ」
傍に寄って状態を見直すために座れば、絢くんに意味があるのかないのかよくわからないことを言われました。
「セリは魔除けだ」
「……は?」
ポカンとした気持ちで、絢くんをマジマジと見ます。
「呆けてないで、早くしろ」
そんな私を苛立たしげに絢くんは急かし、舌打ちしました。
せっかくの可愛い三歳児姿が台無しです。そんなことをつい考えていたら、今度は絢くんに睨まれました。
「お姉さま。ユズのことを思うなら、今は手を繋いであげてくださいな。お姉さまは最強の護符ですわ」
紬ちゃんにも促され、同じく意味不明な言葉をもらいましたが、頭に疑問符を浮かべながらもユズさんの手を握ります。
私は魔除けでも護符でもなく、普通の人間なんですけどね~。
「二人とも、ユズさんがこうなった原因を知っていますか?」
そう問えば、二人して首を横に振りました。
「残念ながら、そこまでは」
「だが、くそ医者は何かの干渉を受けている」
二人は至って真面目な顔です。でも、私にはどうにも言葉の示すところが理解できません。
「干渉、ですか?」
「そうですわ。ですから、お姉さまは護符代わりなんですの」
……疑問は、先程の疑問にまたぶち当たりました。
「こうしてユズさんの手を握っていることで、私は役に立っているということですか?」
右手ではユズさんの手を握り、左手では彼女に掛けられた綿毛布を掛け直します。布団と一緒に綿毛布まで持ってくるんですから、本当によく気が利く子達です。
私がここにいる意味って……。
深く考えると沈みそうになる思考を、今は追い払いました。落ち込んでいる場合ではないです。
「お姉さまは存在するだけで最強ですわ」
自信満々に答えてくれた紬ちゃんが大きく首を縦に振りました。その姿はとっても可愛いです。でも、なぜそんな風に私が断言されているのか、その理由がわかりません。
「あの、紬ちゃん?」
困惑して紬ちゃんを呼べば、
「なんですか、お姉さま?」
キュルンとした純粋でまっすぐな瞳を向けられました。傾げられた首と不思議そうな顔をした、その姿がとっても可愛いです。
本当になんですか、この可愛い生き物は!
「セリ」
絢くんが妙に嫌そうな声で私を呼びました。
「どうしたんですか?」
紬ちゃんに笑い掛けてから、絢くんの方を見ます。
「……くそ医者の手をしっかり握っていろ」
声の感じ同様、その顔は眉間に皺が寄ったしかめ面でした。
「すみません。ありがとうございます。でも、絢くん。その表情は似合わないですから、止めた方がいいですよ?」
うっかり放しそうになっていたユズさんの手を握り直してから、絢くんに忠告しました。
いけませんね。のんきに自分の感情に流されている場合ではなかったです。修正してくれた絢くんには、これでも心から感謝しています。
ユズさんの状態は初めよりは良さそうですけど、相変わらず目は覚めそうにないんですよね、困ったことに。
「大丈夫でしょうか?」
今は寝ているようにしか見えませんけど、倒れたのも事実です。握った手も血流が悪いのか、初めは冷たかったですし。悪い病気でなければいいんですけどね。よく言うじゃないですか、医者の不養生って。
「……とりあえず起きるまで寝かせとけって、紗菜が言ってる」
絢くんの背後には、いつの間にか紗菜くんがいました。モコモコさん姿で、まるで絢くんの背中にお手をするような感じで手をついています。でも、その姿は猫科の生き物を連想させるものです。
私にはモコモコさん姿の時の声は聞こえないので絢くんが通訳してくれたのでしょうが、その言葉だと紗菜くんは何か知っているような感じもしました。
「紗菜も原因はわからないと言ってるぞ。ただ、倒れたのは寝不足のせいとも言ってる」
私が問うよりも前に、絢くんが紗菜くんの言葉を通訳してくれます。もしかして、明さんみたいに私の駄々漏れ思考がそのまま伝わっているとか――。
そんな場合でもないのに、浮かんだ考えに冷や汗が背中を伝っていきました。
いつの間にか駄々漏れ思考が拡大していたなんてことになっていたら、これから他人様との付き合いをする上でも大変なことになります。非常に困った事態です。
「……お姉さまは考えていることが顔に出やすいのですわ」
ぼそりと呟く紬ちゃんの声が聞こえました。
顔、ですか。
ユズさんと繋いでない方の手で、自分の頬を触ります。
そう言われてみれば、確かに。明さんと脳内会話をすることが多くて、あまりにも駄々漏れ思考だったために、うっかり顔に感情が出ていることを忘れていました。
いえ。意識している時は、しっかりと取り繕われているはずですけどね。慣れって恐ろしいです。




