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43/58

43.私、きっと幸せなんです。

 明さんの顔を見て告げるにはあまりにも情けない言葉で、徐々に視線は下がって顔は自然と俯きました。膝の上できつく握られた拳を見つめる私の顔には今、自嘲の笑みが浮かんでいるはずです。


 あれが、私がこれ以上傷付かないために選んだ自己防衛の手段です。

 無い物強請りに希望を持ち続けられるほど忍耐強くもなく、できるだけ楽をしたくて苦しみも苦労も避けたくて逃げているだけだと知っています。それでも、そうしなければ私は私を保っていられなかったんです。


「それだと矛盾する。なら、なぜあの時死を選ばなかった。いくらでもその機会はあったろうに、セリはいつでも生きようとしていた。いくら苦しくても」


 明さんの淡々とした指摘する声が聞こえてきました。そこから明さんが何を考えているのか、私には読み取れません。ですが、その言葉は私にとってはかなり心外な言葉でした。


「言っておきますけど、私に自殺願望はまったく無いですよ。死にたくないです。なら、生きるしかないでしょう。当たり前のことです」

 痛いのも嫌ですし、苦しいのも嫌です。それに死んだらそこで終わりです。

「生きる者は必ず死ぬのにか?」

 ええ、そうですね。それを言ったら身も蓋もありません。

 でも、だからって自ら死を選ぶ必要がどこにありますか。どうせいつかは必ず訪れる死です。その時まで生きていたっていいじゃないですか。

 私は死が救いだとは思えません。自ら選ぼうとする死に安らぎがあるとも考えていません。そこに希望を見出す気もないんです。

 それに――。


「約束したんです。いえ、正確には約束とは違うのかもしれません。でも、決めていたんです」

「何を、誰と?」

「生きるってことを。親よりも長生きするってことをですよ。なんにもできない私ですから、せめてそれくらいは守りたいんです。それが私の親孝行です。たとえ住む世界が違ってしまっても。たとえもう二度と会えないとしても」

 そのためにも、私は私の生を全うする必要があります。


 ……自分でも、その考えはどうかと思う時はありますよ。単なる自己満足でしかないのかもしれません。でも、これが私の偽らざる本心でした。

 顔を上げて明さんを見れば、その顔はしかめ面です。

「……そこで笑うのか」

 ぼそりと呟かれた言葉に、今、自分が笑っていることを知りました。でも、これでいいんです。


「嘆いて泣くより、笑っていた方がいいじゃないですか」

「泣きたい時には素直に泣いた方が俺はいいと思うが?」


「私、泣きたいなんて思っていませんよ。それに――涙は嫌いです」

 泣いても笑っても結果は同じなら、私は笑う方がいいです。

「他人のためには泣けても、自分のためには泣けないんだな、セリは」

 淡々とした口調でしたが、どことなく責められているような気分になりました。


「そんなことはないと思います。でも、誰かの前で泣くのは嫌ですし、自分を憐れんで泣くような、そんな涙はいらないんです」

 それなら私は笑います。そう思うことは駄目ですか?


 やっぱり明さんが言いたいことがよくわかりません。それにこんな押し問答を繰り返しても、どちらも自分の意見を変える気がなければ平行線になるだけです。

 どうにも結末の見えないやり取りに、私の心はささくれ立ってきていました。


「……家族に会いたくないのか?」


 苛立ちを抑えきれずに明さんを睨みつければ、不意打ちのようにそう訊かれます。ドクンと心臓が妙に大きく脈打った気がしました。

 この期に及んで、なんて問いを投げるんですか。


「会いたい、ですよ。でも、私はもうあの世界に戻れないんです。明さんがそう言ったんじゃないですか。それなのになんで、なんでそんなことを言うんですか!」


 思わず怒鳴ってしまいました。

 それは、今、私が一番触れて欲しくなかった話題です。だって――。

「そう反論するが、おまえの中には正反対の思いもあるな。会いたくない、という」

 ……明さんが指摘したことは図星です。曖昧に、形にしないようにしてきた、もう一つの私の真実です。


「……明さんはひどいです」

 いいえ、違いますね。ひどいのは私です。薄情な、私の心です。


 両手で顔を覆って、その上、ぎゅっと目をつむります。何もかも見たくなくて、こうすれば私の醜い心だって見えなくなるような気がしました。

 実際、そんな都合のいいことなんて起こり得ないと知っているのに。

「どうして認識させたんですか! あのまま曖昧に、ぼんやりとしたまま忘れさせてくれたってよかったじゃないですか!!」

 私に明さんを責める資格なんてありません。完全に八つ当たりです。でも、口から出でくるのはそんな言葉だけでした。本当に情けないことに――。


 昼間、絢くんと紬ちゃんの喧嘩の、あの言葉は私の心にも痛いものでした。ずっと曖昧に、その部分を明白にしないよう考えないでいたことです。

 ただ、あの時は喧嘩を止めることが最優先されましたし、喧嘩の内容自体、捨て置けるようなものではありませんでしたから、それらを言い訳にして心にも止めない隅に追いやって忘れた振りをしました。

 曖昧なものは曖昧なままに。

 わかっていますよ。それが単なる逃げだってことは。


「両親が嫌いなわけじゃないんですよ。でも、いつからかそこに私の居場所はないと感じていました。それでも居座っていましたけど、その思いは消えてはくれなかったんです。だから、あの場所を出ていくことになるなら私は二度とあそこには戻らないと、戻れないとそんな風に思っていたんです、ずっと」


 こうして明さん相手にぽつりぽつりと話している間も、その感情はひどく曖昧です。これといった大きな切っ掛けもなく、たぶん、積み重ねた日々がそんな感情を生んだんだろうと考えられるだけで、なぜなんて問いには答えられません。


 日本には帰りたい。だけど、家族の元に帰りたいかと問われれば、どちらの答えも当てはまってしまうんですよ。帰りたいけど、それと同じくらい帰りたくないんです。


「だから、本当にそんな事態になって――世界すら違ってしまって、私の中は今、とっても複雑なんです。相反する思いに乱れまくっています。あの場所を捨てたくないと思いつつも、結果はどうであれ捨ててきたんだという思いも渦巻いています。――これでいいですか? 明さんの聞きたかったことって、こういうことですよね?」


 情けない顔をしているのはわかっていましたが、それでも覆っていた手を離して顔を上げ、明さんを睨みつけます。

 それが私の精一杯の意地でした。他人に弱い自分をさらすことは苦痛です。一人では生きられないとわかっていても、一人でも生きられるように私は強くありたかったんです。

 なのに、明さんときたら困ったような顔になったかと思うと、その顔に苦笑を浮かべたんですよ。いつもの見慣れた苦笑を。


 ここでなんでその反応なんですか。地団駄を踏みたくなった私は、間違っていないと思います。

 急に明さんの手が私の方に伸びてきたと思ったら、顎をぐいっと捕まれていっそう上向きにされました。

「なんですか、この手は?」

 意外に痛いです。そんなに力を入れなくたって、上を向けというなら自分で上を向きますからこの手は不要ですよ。

「いや、まあ、な。本当に頑固で意地っ張りだな、と」

 右向け左向けと顎を掴んだ手を動かすものですから、それによって私の顔も動くことになります。勝手に無理矢理顔を動かされるこちらとしては、はなはだ不愉快なことでした。


 ただでさえ、今、私は不機嫌なんです。自覚したくもなかったことを自覚させられ、口にしたくなかったことを口にして、とっても機嫌が悪いんです。

 わかっていますか、明さん。いえ、わかってないですよね。だって、明さんの顔も声もとっても楽しそうです。

 わかってやっているとするなら、性格が悪いです。鬼畜です。――ッと。明さんは性格が悪かったですね、そういえば。

 私、マゾッけはないので、いじめられて喜ぶ趣味もないんです。そういう趣味は他所で消化してください。私を巻き込まないでくださいね。


 そんなことを考えていたら、明さんが憮然とした顔になりました。そして、一言。

「阿呆」

 呆れた声で告げられ、顎から手が離されました。

 訳がわかりません。誰か解説してください。

「解説して欲しいのは俺の方だ。おまえの思考回路は、毎回、見事に気勢を削ぐな、色々な意味で」

「それは、私のせいじゃないと思います。そもそも明さんは何がしたかったんですか」

 意味不明なことをしたのは明さんです。私は無実ですよ~。


「泣いているのか思えば見事に予想が裏切られて、それの確認をだな」

 なんですか、それは。

 というか、なぜ私が泣かないといけないんですか。今の会話で私が泣く必要のある要素はどこにもなかったはずです。

「他人のためには泣いていたのに、な。本当は難儀な性格だったんだな、今更だが」


 他人のためには泣いていた? 私、明さんの前で泣いたことなんて一度も……あぁ、ありましたか。いえ、あれは泣いていません。涙じゃないです。極地的な雨が起こしたことです。

 室内でしたが、ここは異世界のような並行世界です。そんな不思議現象の一つや二つ起きたっておかしくないはずです。そうです、そうなんです。それでいいんです。

 あからさまに違うだろって顔をして私を見ないでくださいよ、明さん。無言で訴えられたって、それで押し通します。突っ込み不要です。


「私は昔からこんな性格ですよ」

「筋金入りだな」

「ええ、そうです。昔っからこうで、薄情で――欠陥品なんです。でも、それが私ですから」

 このまま明さんと話していたらまた余分なことまで告げてしまいそうです。

「お話がそれだけでしたら、もう良いですよね。今日は初出勤でしたし、なんだか疲れました。明日も仕事ですし、そろそろ休みたいんですけど――」


 話を切り上げたくてそう告げ、立ち上がった私の手首を明さんの手が捕らえて引っ張ります。軽くでしたから少しバランスを崩す程度で倒れることはありませんでしたけど、不意打ちに予測のつかない行動をするのはやめて欲しいです。

 うっかりこんな場所で倒れたりしたら怪我の元です。


「自分で自分を卑下するのは止めろ。――理沙は俺が認めた、唯一の俺の伴侶だ」


 ……本当に色々不意打ち過ぎます、明さん。腕を捕まれているから逃げられませんし。そんな真剣な顔で、真剣な声で、そんな言葉を囁かないでくださいよ。

 それに、あれだけ言っても一度も呼んでくれなかった私の名前を(こちらでいうところの真名ですか)なんでこのタイミングで呼ぶんですか。

 顔が熱いです。たぶん、赤面しています。それくらいこっ恥ずかしかったんです。

 なのに、明さんはどこまでも明さんでした。私の心境なんて、どこ吹く風です。


「だから、おまえの我が儘ならいくらでも聞いてやる。おまえが本気で望むならな。ただし、おまえを俺に寄越せ」


 これは完璧に悪魔の囁きですね。対価は私自身の命ですか。

 顔に上った血の気が、普通くらいまで戻りました。

「明さんは悪魔だったんですね」

 そういえば悪魔は美形が多いと聞いたか読んだかしたことがあります。その美貌で人間の堕落を促すとか。

 許容量オーバーした私の頭が現実逃避し始めた自覚はあります。でも、このそこはかとなく甘くなったような空気は、今の私には胸焼け対象です。そうでもしないと消化不良を起こしそうでした。


「俺はウイの一族であって、空想の生き物でしかない悪魔なんてものではないんだが?」

 ええ、ええ。わかっていますよ。忘れていません。人外生物的な超絶美形顔ですけど、そのものズバリ人間とは違って人外生物だと覚えています。

 こちらにも悪魔はいないという新発見もありましたが、それはともかく、あの発言は悪魔そのものです。


「明さんは私の命が、いえ魂かもしれませんが。とにかくそれが目的だったんですね!」


 笑っている明さんに捕まれていない方の手を上げ、指を眼前に突きつけます。

 単なる親切心だけではないとわかっていましたが、ようやく目的がハッキリしました。

「少し違うな。おまえの存在そのものが、目的といえば目的か」

 至極冷静に私が突きつけた指を腕ごと下ろさせた明さんは、少しだけ考えるそぶりを見せた後、なんだか微妙な訂正をしてくれました。でも、それってどこがどう違うんですか?

「わかりやすく言葉にするなら、身も心もその魂もすべて欲しい、ということだ」

 眉根を寄せて考え込む私に、明さんがさらっと爆弾を落とします。


 ものすごいことを言われたような気もしますが、明さんの顔はいたっていつも通りです。唖然とする私の顔を、ものわかりの悪い子供を見るような顔で見つめ返してきます。

 こんな告白紛いの、いえ、完璧に告白だと思うんですけど、それ以上な言葉だと思うんですけど!

 なんで告げた当人が、こんなにいつも通りなんですか。おかしいです。この方、本当に言葉の意味をわかって使っていますか!?


「返事は?」

 そして、これまたいつも通りな感じで答えを私に求めてくるんです。

 一度、その頭をかちわって中身を見てみたいような思考回路ですよね。無茶ぶりが激しすぎます。

「寝言は寝てから言ってください。先程も言いましたけど、私はまだ死ぬつもりはないです。なので、明さんにあげるわけにいきません」


 あまりな発言と明さんの態度に、逆に冷静になりました。私達の間に横たわっているのは、色恋の情熱とかそんな熱のあるものではありません。私一人が動揺するだけ、馬鹿みたいじゃないですか。

「死んだら無意味だろうが。生きたままのセリが良いんだが――まあ、今はいいか。おまえが俺の伴侶なことに変わりはないし」

 あっさりと引き下がり、髪をかきあげた明さんが立ち上がります。でも、その言葉は意味不明ですから。

 私、お断りしたはずなんですけど。たまに明さんと意思の疎通ができなくなるのは種族の違いですか。それとも明さんだからですか。


「俺がおまえの居場所になる。だから、独りで泣くなよ」


 額に明さんの手が触れたと思ったら前髪をかき上げられ、頭が現状を理解する前に明さんの顔が近づいてきて、エッと思った時にはそこに触れる柔らかい感触がありました。

 その後、頭をサラリと撫でられ、間近に明さんの微笑みがあって驚きに固まります。

「おやすみ、セリ。良い夢を」

 そうして去っていく明さんの背中が消えるまで、私はそのままの体勢で見送ってしまいました。玄関の扉が閉まる音が聞こえましたから、今回は空間転移とかではなくしっかり出入り口から出ていったみたいです。


 と、とにかく。なんですか、あれは。


 ガックリと力が抜けた身体がソファへと逆戻りしました。

「反則です、あれは」

 天井を向いた顔を手で覆って呻きます。

「それに――危険物です」

 ものすごい破壊力を持った危険物の中の危険物。キングオブ危険物です。


 先程のあの告白を超越した言葉を言っていた時には、いつも通りでしかなかったのに、どうしてあのタイミングであんな甘い顔をするんですか。あれこそ恋人を慈しむような、胸焼けするほどの甘さを含んだ笑みと瞳です。乙女の理想なのかもしれませんが、私に向けられても対応に困ります。本気で胸焼けしかけています。

 それに、あの時おでこに触れたのは、どう考えても明さんの唇です。どうもお休みのキスをされたようなんですが、日本人にはない習慣ですから初体験です。ではなくて、洋顔仕様な明さんですから、そういう文化習慣があってもおかしくないでしょうし、様にもなっていそうなのは確かです。

 でも、ああいうものに普段からご縁のない日本人には高いハードルです。明さんのご尊顔は確かに眼福ですが、度が過ぎれば目の毒です。それに――。


「なんであの方はあんなに自然なんでしょうね~」


 全身脱力して、ぼうっと天井を見上げます。

 ついでに言えば――。


「やっぱり過保護ですね」


 明さんに完全に寄っ掛かってしまえば楽なことはわかっています。今だってだいぶおんぶに抱っこですから。

 でも、そんなのは人間駄目になりますから。たぶん、明さんはそこら辺がわかっていない気がします。種族の違いからくる、相互不理解なのかもしれません。

 ですが、問題はそこではなくて、何よりそういうのは私のガラじゃないんです。そんなことになったら、羞恥心で死ねる気がします。

 だから――。


「一定の節度と距離感を持って対抗しましょう」


 明さんは策士ですし。

 そう。あの方、結構な策士です。


 先程のあの行動も何かの――。

 いえ、私を誘惑することにどんな策が絡むって言うんですか。もしかして――。


「あれが明さんにとっては普通ですか? いえ、違いますね。今まであんな行動一度も出たことないですし。なら、あれは無意識……」


 なんでしょう。なんだか明さんが天然タラシに思えてきました。前々からタラシ疑惑は浮上していましたが、そこに天然がつくとなると――。


「余計、タチが悪いじゃないですか」


 結論が出ても何がどう変わるわけでもないですしね。はぁ。思わずため息が出ちゃったじゃないですか。幸せが逃げてしまいます。

 ……私、今、幸せですか?

 そうですね~。こんなことになってもこうして笑っていられるんですから、きっと幸せなんです。


 色々、考えないといけないこと、考えてもどうしようもないこと、よくわからないこと。問題山積みです。でも、今はなんだかそれらもどうでもいいような気分になってしまいました。

 結局、なるようにしかならないんです。

 これも明さん効果でしょうか、ね?




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