42.私という存在。
ユズさんが戻ってきたのは、言葉通りお昼近くになってからでした。
「おや、チビ供は全員お目覚めか」
意外そうな顔でユズさんが私の周りを見てから、私に視線を向けました。
「にしても、本当にセリはずいぶんとまあ懐かれているな」
しみじみとユズさんが呟く声が聞こえます。
私は今、モコモコさん達の中心に座っていました。そして、私の膝の上には子熊姿の紬ちゃんがいます。視覚的にも感触的にも癒しが満載です。
「はあ、まあ。たぶん、せっちゃん効果です」
撫でて撫でてと要求する紬ちゃんの希望に答えるべく、その頭をゆったりと撫でます。
そんな私達の様子にか、それとも私の言葉にか。不思議そうな顔になったユズさんが首を傾げました。
「せっちゃん?」
問うような言葉に、同じように私も首を傾げます。
露さんを知っているようでしたからせっちゃんのことも知っていると思ったのですが、違ったのでしょうか?
「せっちゃんは露さんの子供です。これっくらいのふわっふわでモコっモコな白毛玉の……」
手でせっちゃんの大きさを再現しながら告げれば、真っ直ぐに戻ったはずのユズさんの首が反対側に傾きました。その眉根に、あからさまなほど皺が寄っています。
「あの……?」
なぜ、そんな顔をしているんでしょう。
朱さんはせっちゃんのことを知っていましたし、紬ちゃんも知っているようでしたから、ユズさんも知っているものだとばかり思っていました。でも、この反応は何かが違います。
私、何かまずいことを言ったのでしょうか?
膝の上にいる紬ちゃんは、まったりとした様子でこれといった変化はありません。斜め後ろで私に寄り掛かるようにして子狐姿でいる絢くんは私を見上げていたようですが、目が合った途端にフイッと顔をそらし、目を閉じて丸まってしまいました。
その反応は何か知っていそうですが、私に教えてくれる気はなさそうです。そして、他のモコモコさん達も、答えを教えてくれそうな感じはしません。
「……あの、弾丸娘のことか」
と。他所に答えを探し求めていたら、ユズさんの呻くような呟きが聞こえてきました。その反応は昨日、信さんの所でせっちゃんの話題を出した時と同じです。
ここでもですか、せっちゃん。いったい、何をやったらこういう反応ばかりが返ってくるんでしょうね。
気分的に天を仰ぎたくなりました。
今度、せっちゃんに会ったらお礼も言うつもりですが、その他にもお話すべきことができた模様です。
他人様にどうこう説法できるほど、私だって対人能力があるわけではないんですけどね。でも、こういう反応を返されたことはさすがにないはずです。
将来的にも、このままではせっちゃんのためにならないような気がします。単なる自己満足のお節介でしかないのかもしれませんけど、他人様とのお付き合いについてお話し合いをする必然性を感じました。
「たぶん、その、せっちゃんです。どうもここの子達に話を通してくれていたみたいでして――」
たはははと誤魔化し笑いを浮かべることで、この場をやり過ごすことにします。
ユズさんにせっちゃんがどんな態度を取ったのか知りませんけど、彼女に悪気はないはずです。きっと……、たぶん――。
「露サンのお節介だけかと思っていたが、あの弾丸娘まで世話を焼くとは――セリは本当に稀有な存在だな」
なぜか急に豪快に笑い出したユズさんが、私の頭をクシャクシャと撫でました。
あの、ちょっと、いったい――。
「私、子供じゃありませんよ」
明さん相手だと、止めてくださいってくってかかっているところですけど、ユズさんにはそこまではっきりと言えません。
無意識に顔に出てしまうのは仕方ない部分もありますけど、はっきりとした拒絶の言葉を口にするのは躊躇いがあるんです。ここが職場で、あまり人間関係に波風を立てたくないだけに。
それが日本人の悪い癖なのかもしれませんけど――。
でも、あんな風に素を出してはっきり物を言えたのは、明さんの前だけだった気がします。考えが駄々漏れだってわかっているからこそ、遠慮の文字が完全に頭から抜け落ちていたのかもしれません。
そのことに気づいて愕然としました。
私の中での明さんの扱いって……?
「それは失礼。……セリ? どうかしたか?」
ユズさんが私の顔を覗き込んできました。膝の上でモゾモゾと動いた紬ちゃんが私の手に頭を擦り付けてきます。
「いいえ。なんでもないです。私の髪は絡まりやすいんです。だから――」
要求通りに紬ちゃんを撫で、誤魔化すように顔に笑みを浮かべます。そして、内心に浮かんだ言葉は心の奥へと押し込めました。
「ああ、ごめん。髪が絡まってしまったか」
ユズさんが笑いながら、私の髪に手で触れます。
「髪質が細くて柔らかいから絡まりやすいのか。ゆるく癖がついているのは元から?」
「そうです。だから下手に伸ばせないんですよ」
ユズさんの手は私の髪の絡まりを丁寧にほどきながら整えてくれているようです。自分でやるよりも痛くないので、ありがたくそのままお任せしました。
「まあ、そうだろうな。これ以上伸ばせば今よりも絡んで手入れも大変だし、かといって短くしたらそれはそれでまとまらなくなりそうだ」
ユズさんの言葉はすごく的を射ていました。
「そうなんですよ。よくわかっていますね、ユズさん。でも、持って生まれたものですからね。慣れました」
現代には、くせ毛をサラサラストレートにする技術も普通に存在していますけど、あれも一度やったらずっとってわけでもないですから。その手間隙お金をかける気にまではならなかった私です。
まあ、慣れがあるとはいっても、絡まって痛い思いをするのは嫌ですけどね。
ユズさんの髪はサラサラストレートです。シンプルに後ろでひとまとめに縛っていますが、絡まることなんてなさそうな髪質です。
私からしてみればとてもうらやましいことですが、それなのにユズさんはなんだかくせ毛に理解があります。実体験とはいかなくても、身近に覚えがあるような言い回しです。
「ワタシは医者だよ」
そのことを指摘したら苦笑しながらそう言ってましたが、髪のことまで造形が深いのがこちらのお医者さんなんでしょうか。床屋さんや美容師さんなら疑問にも思わないんですけどね。
「それに、他人観察はワタシの趣味でもある。外観からわかること、というものもあるからな」
「まあ、そうですよね」
相槌を打ちながら、内心ではドキリとしたの内緒です。ユズさんには、私という存在はどんな風に見えているのでしょう。
他人様を観察することは私もよくやります。そこから学べることも多々ありますし、その方がどういう方なのかを知るためには観察することもまた、1つの手段ではありますよね。
でも、現状で私は知られてまずいことを抱えています。それはこの世界で生きていく以上、一生涯、抱えていかなければならない隠し事です。
ユズさんに私が人間として見られていないのはわかっていますが、知られてはまずそうな事柄がバレてしまっては困ります。
面倒に巻き込まれるのは嫌です。私は普通に、平穏に暮らしたいだけです。ささやかな、それが私の望みなんですから――。
その後、無事にモコモコさん達のお昼ご飯の配膳を済まし、自分のお昼ご飯も済ませて、午後はユズさんに色々と教わりながらのお仕事の時間でした。
ちなみに、通信機はやはり例の水晶玉もどきのことでした。使い方も訊いたので、もし使う機会があったとしても今度はバッチリです。意外に単純な使用方法でした。
使い方を訊いた時、ユズさんに呆れたような顔をされ、
「セリは僻地から来たか、箱入り娘だったんだな。覚えは良さそうだし、他にもわからないことがあれば遠慮なく訊くんだよ」
とか言われましたけど、これはもう笑うしかないですよね。
「物知らずですみません」
と謝ったら、苦笑されました。
「あんな過保護でおっかない保護者がいれば、そうなるのかもしれないな」
そして、変な納得をされました。明さんに責任を押し付けるようで申し訳ない気もしましたが、ここで否定して墓穴を掘るのは下策です。なので、これまた笑って流しました。
そんなこんなで無事に仕事を終えれば、言葉通りに明さんが迎えに来ました。
なんだか妙な気分ですが、わざわざ迎えに来てくれたのに文句を言うわけにもいきません。たわいもない話をしながらマンションに戻るのではなく信さんの家である武家屋敷もどきの方に連れていかれ、そこでご飯をご馳走になり、初出勤の感想なんかを話ながら食後のお茶を飲んで、さほど遅くならないうちに明さんに送られてマンションの部屋まで戻りました。
なんだか、ものすごく至れり尽くせりです。上げ膳据え膳です。
そして、現在。
なぜかその部屋で、ソファーに向かい合うようにして明さんと私が座っています。
日も落ちて外も完全に暗くなった時間に、部屋で血の繋がりもない男女が二人きり。
こうして言葉として表すといかがわしい雰囲気があるようにも思えるでしょうが、この場で流れている空気はそんなピンク色な空気とは無縁です。真逆です。
「明さん。お話とはなんですか?」
明さんがしかめ面をしています。そして、話があると言ってソファーに座り、腕組みしてからまったく話し出そうとしません。無言で私を見ているんです。
この微妙な空気と沈黙と視線に耐えられなくなって、私が問い掛けたとしても悪くないですよね。
「ああ、話というかな。今日、何かあったんじゃないかとな。まあ、思ってだな」
明さんにしてはずいぶんと歯切れの悪い、告げることを迷っているような言葉が返ってきました。
しかめ面は変わりませんが、これはもしかして私の心配をしてこんな顔になっているのでしょうか。
「今日は色々ありましたよ。帰る道すがらも、信さんの所でもお話ししたじゃないですか。初出勤ですし、初めての職種です。それにこちらと私の元の世界では勝手が違うことも多々ありますし。でも、皆さん親切で優しいですからなんとかなると思います。大丈夫です」
明さんの気遣いはうれしく、同時に申し訳なくもあったのですが、自然と顔に浮かぶ笑みが堪え切れなくなって笑顔でそう告げました。すると、明さんの眉間に先程よりも深い皺が寄ります。
原因は私の言葉ですか? それとも、堪え切れなかった笑みですか? そのどちらが理由だろうと、あまり気にしませんが。
「明さん。そんなに眉間に皺を寄せていると、せっかくの超絶美形顔がもったいないことになってしまいますよ?」
深そうな皺ですから、跡として残ってしまったら残念なことになりそうです。
そう思って忠告したのに、明さんがため息を吐きました。
ため息はため息であまりよろしくないと思うのですが、はい、そういう問題ではなさそうですね。明さんに睨まれました。
ちょッ、そんな本気で睨まないでくださいよ。
場を和ませようという、ちょっとしたお茶目な言葉じゃないですか。
……すみません。冗談です。本気ではまったくないです。
「あの、何か問題でもあったんですか?」
明さんの言いたいことがまったくわかりません。心当たりがない以上、言葉にしてくれないとこちらとしても答えようがないんです。
困って明さんを見れば、目があった明さんが同じような困った顔をしていました。
「問題というか、な。本当に何もなかったのか?」
「……話した以上のことは。これといって気になったこともないと思うんですけど?」
少し考えてみましたが、これといって思い当たることはやはりありません。ただ、明さんにはずいぶんと迷惑を掛けて甘えているのだと改めて自覚しただけで。
でも、こう面と向かってそのことにお礼を言うのも照れくさいと言いますか――。
「また、しかめ面になっていますよ?」
困りました。明さんが何を言いあぐねているのか、まったくわかりません。どうにもおかしな明さんです。
と、再びため息を吐かれました。
「あのな。俺の前でまで無理をすることはないんだぞ?」
「無理、ですか? 無理なんて――」
さっぱり意味がわかりません。私、無理なんてしていませんよ?
「完全に無自覚なのか、自分にまで嘘をついているのか、ってところだな。口を出すのは俺のガラじゃないし、おまえ以外だったら放っておくところだが――」
明さんが急に立ち上がり、なぜか私の隣へと移動してきました。
「そういう無理……というか、我慢の仕方は心を壊す。この俺が読み違えるとはな、まったく。セリの感情は確かにわかりやすい。表面に出る考えが直結して顔に出る。それがすべての時もあるだろうが、そうじゃない時もある」
それは――意思のある者なら普通のことだと思います。というか、私にだって表に出ない感情もあるはずですよ、たぶん。いくらわかりやすいって言われていても、です。だから――。
「おまえは我慢の仕方を間違っている」
そんなしかめ面で断言されてもですね。私、我慢なんてしていません。
「おまえ、意外に頑固だよな」
「そういう明さんも頑固ですね」
当の本人が否定しているのに、いくら私の考えが駄々漏れだからって。いえ、駄々漏れだからこそ、わかっていると思います。
その思いを胸に、胡乱に明さんを見ます。
「……こちらの世界に来たばかりの頃のことを覚えているか? 俺が寝ていた間のことだ」
唐突に明さんが話題転換しました。なぜだかものすごく真剣な顔になっています。
これは本気で真面目な話のようなので、背筋を伸ばして気分も新たに考えます。
とはいっても、あの時はかなりの衝撃でしたからね。ここがどこか、なぜいきなり見知らぬ場所にいるのか、わからないことだらけで放心していました。で、自分のお腹の音で正気に戻って明さん観察をすることにしたんです。
あの機会があったから、明さんの超絶美形顔に耐性がついたんですよね~。
「いや、そうじゃなくてだな」
しみじみと思い返していたら、明さんの呆れたような声が聞こえてきました。でも、そこからなんだか気まずそうな顔をして黙ってしまいます。
本当に今日の明さんは変ですね~。
「今まで疑問に思わなかった俺も間抜けだったとは思うが、おまえは諦めが良すぎた。この理不尽な状況に泣きも喚きもしない。ただ、仕方ないと諦める。実際、どうにもならないことだ。だが、本来ならもっと揺らぐはずの感情があまりにも静かだった。まったく揺らがないわけじゃない。でも、人間にしては収束が速すぎる」
ようやく口を開いたかと思えば、遠回しに人間であることを否定されました。
いったいなんですか、まったく。
「明さんが何を言いたいのか私にはよくわかりません。でも、私が諦めが良すぎるというなら、それはたぶん癖です。それに泣きも喚きもしないと言いましたけど、私だって無感情ではないですから泣きたい時だって喚きたくなる時だってあります。明さん相手につい八つ当たりをしてしまったことだってありましたよね? でも、どんなことをしたって、目の前に広がっている現実は、事実は変えようがないんです。結局は受け入れるしかないんですよ。この年になれば、そういうことなんて嫌になるほどあります。足掻くよりも諦めてしまった方が楽な時だってあるんです。どう足掻いたって、届かないものはあるんですから」
私はすべてを抱えて生きていけるほど強くありません。
どうしようもなく弱い自分を、私は知っているんですよ。




