40.外見で中身を判断してはいけません。
………。
幻聴ですか?
顔を上げて周りを確認します。でも、ここにいるのはモコモコさん達と私だけのはずです。
「どこ探してんだよ。正面だ、正面」
正面、ですか? 真っ正面には何もありませんよ。視線の先に壁が見えるだけです。
不思議に思って首を傾げると、先程と同じ色合いのため息が聞こえてきました。
「あんたわざとやってんの? それとも本気で呆けてるんかよ。下だ、下」
わざとでも、呆けているわけでもなく、本気でわからないんです。それにしても口の悪い子ですね。
視線を正面から下へと移せば、そこにはパッチリと目を開いた子狐さん、で、は、ない!?
「どなたですか!?」
モフモフ狐耳+フサフサ尻尾の男の子なんて、どこから現れたんでしょう。布団の上でちょこんと座る姿が、なんとも可愛いです。
狐耳はピクピク動いていますし、尻尾もパッタパッタと布団を叩くように揺れています。そういえば、先程正面を見た時、下の方の端でユラユラと動くものがありました。それがこれですか。
これぞ、萌えです。幼児趣味はないので、怪しい意味はまったくないですよ。それは潔白ですからね。
ただ、純粋にケモ耳尻尾のセットが萌えポイントを刺激するんです。
「聞いたのは俺の方が先だ」
外見年齢は幼児。二、三歳くらいなのにしっかりと文章を話しています。人間だとこのくらいの年齢ならまだ筋の通った文章にはなっていない時期だと思うんですけど、これも種族の違いですか。自然な狐耳と尻尾が生えている時点で、この子は人間ではないはずです。
「私はセリです。それであなたは誰ですか?」
こんな小さな子に不備を指摘されるなんて、大人として恥ずかしい限りです。でも、好奇心が押さえられません。落ち着きがないのは承知で手短に名前だけ告げ、矢継ぎ早に問い掛けました。
「……名を訊いたわけじゃない」
男の子は頭が痛いとでも言いたそうに米神を揉み、またため息を吐きます。
どうして私はこの子に駄目出しされているんでしょうね。初対面のご挨拶に名乗るのは間違っていないと思います。でも、その反応から男の子が聞きたかったことは別のことだとわかりました。
「今日から、ここで保母さんをやることになりました?」
彼が聞きたかったのは、こちらの答えでしょうか。口に出す内に自信がなくなって語尾が疑問系になりました。
「なんで疑問系?」
内容ではなくその部分を男の子に指摘され、私は誤魔化し笑いを浮かべます。そこで悟りました。
この子、外見と中身の年齢がチグハグです。中身は外見よりもよほど大人ですね。
「そんなことよりあなたは誰ですか? 先程まで、その位置には子狐さんがいました。子狐さんはどこに行ったのですか?」
男の子の代わりに、子狐さんがいません。
そのことを口にして告げてから、ふと一つの仮説が浮かびました。
「……あんた、どこの過疎地から来たんだ?」
呆れたような顔で問われても、私は笑うしかありません。
こんな小さな子から過疎地なんて難しい言葉が出てきたことに、ものすごく違和感がありますが、今はそんな些末事よりも――。
「まさか、あの子狐さんはあなたですか?」
これぞ、ファンタジー世界の不思議仕様です。せっちゃんはあの形でしたが、いずれは人型になると明さんが言っていました。そこから推測すると、このモコモコさん達もその可能性があります。
目の前の男の子は狐耳と尻尾があり、消えたのは子狐さんです。
「まさかも何も、そのまんまだ。俺をそこらの畜生と一緒にするな。俺は狐族であって、狐じゃない。そんなこともわかんないなんて、あんた足りないんじゃないか?」
……前言撤回。確かに外見のように幼くはないですが、この子の中身は子供です。口が達者な三歳児で決定です。
相手は子供。相手は子供。
心の中で自分に言い聞かせますが、顔は正直で引きつっています。何事も流せるほど、大人ではない自分がちょっとだけ悲しいです。
私の発言も行動もどこに地雷があるかわからない状態に近いですから、常識外れなことだったのかもしれません。
無自覚に失礼なことを言ったのかもしれません。
でも、こんな風に扱き下ろされるような言葉を向けられるいわれもないはずです。
これだけ達者に言葉を操れるなら、見掛け通りの三歳児と同じ扱いをする必要だけは皆無ですよね。
「私が物を知らないのは事実です。それで失礼なことも、常識外れなことを仕出かすこともあるでしょう。それは私が悪かったと素直に謝ります。すみませんでした。でも、そういう人を貶めるような言葉を使っては駄目です。大人になって社会に出た時に損をするのは自分なんですよ?」
駄目なものは駄目だと言ってやらなくてはいけません。
お節介かもしれませんし、自己満足かもしれません。すべてが親切心から出ている言葉ではなく、イラッとした感情も含まれています。でも、真っ向から言葉の応酬をするつもりもありません。
それでも、このまま互いに不快な感情を積み重ねていく必要はないと思うんです。
言葉は難しいです。そして、いざと言う時、出てくるのは長年染み付いた考え方と言葉遣いです。だからこそ、今はまだよくても最終的に困るのは自分自身だと、私は経験上知っています。
かといって、自分の意見を押し付けてしまうのではいけないんですよね。それはその子の成長の妨げにもなってしまいますから。だから、匙加減が難しいです。
……誰かに何かを手本として教えてあげられるほど、自分が正しいとも偉いとも思ってないですから特に。人生は日々勉強ですよ~。私はまだまだ若輩者です。
私の言葉に、男の子はあからさまなほどムッとした顔をしました。
やっぱり子供ですね。感情を完全に隠す術まではまだ、身に着けていないようです。
「……何、笑ってんだよ。偉そうに説教するな!」
どうやら無意識に私は笑っていたようです。今の言葉でそれを知りました。
目の前の男の子が、なんだか可愛く思えてきます。外見は庇護欲を誘う三歳児ですし、中身からは意外にも素直な印象を受けました。ただ、難点はやはり口の悪さです。
その点さえ目をつぶれれば、話していても不愉快には感じないかもしれません。
元いた世界で腹黒狸親父達を相手取り、社会で揉まれてきた私です。それらからすればよっぽど可愛げがあります。
あれは外見も中身も真っ黒クロで、最悪なんです。何度、蹴り飛ばしたいと思って、我慢に我慢を重ねて拳を握って耐えたことか――。
思い出したらフフフッと不穏な笑い声が口から溢れていました。
それに男の子が引いています。顔が不審物を見るような、そんな表情になっています。
「急に不気味に笑うな。キモいわ!」
……本当に口が悪い子ですね。女性に向かってその発言はないです。
確かに、端から見れば不気味と思われる笑いをもらした自覚はありますけど、そこは良識ある大人なら見ない振りをして何も言わずに流すところですよ。っと、この子はまだ子供でしたね。
「そういう口を利く子にはお仕置きしますよ?」
「ケッ。あんたに何ができるんだよ?」
フンと鼻で笑った男の子は、挑戦的な瞳で私を見上げています。ここで逃げもしないのは良い度胸です。でも、甘いですよ。
大人げないですか? 今だけは、それでも良いです。
下の弟妹がいないのであまり小さな子と接したこともない私ですが、姪がいましたからね。だいたいの加減はわかります。
「そういう子へのお仕置きはグリグリの刑です」
コレ、やられるとかなり痛いです。単に両手をグーにして、頭を挟んでグリグリやるだけなんですけどね。
ズズイと寄って、男の子の頭を挟んで準備オッケー。思わず顔がニヤリとしましたよ。
虐待? いえ。これは真っ当な教育的措置ですから。
ギョッとする男の子を気にすることなく刑の執行です。ものの数秒で逃げられましたが、それでもこの場合は良いんですよ。
「痛かったですか?」
警戒も露に距離を取った男の子が私を睨んでいます。
「何すんだよ、ババア」
それでも口の悪さは変わらないんですね。これは根本的な躾からした方がよさそうです。
「確かにあなたからすれば私はおばさんでしょう。でも、ですね。女性に向かって、ババア、は禁句です。キモいも他人に使ってはいけません。あなたがさっき感じたくらいの痛みよりももっと、私の心はその言葉で痛みました。それでも今はこれくらいで流してあげますが、次に言ったら――覚悟してくださいね。それはさておき、私はセリです。あなたは?」
自己紹介のやり直しをします。
これはなかなかに大変そうです。でも、それで済みます。まだまだこれくらいなら可愛い方です。
「……絢」
渋々といった感じでしたが、男の子は名前を白状、いえ、教えてくれました。
「絢くん、ですか」
なんだか外見同様に可愛らしい名前です。
「なんだよ。文句あっかぁ?」
こちらを睨み付けてくるその顔も可愛らしいものですが、その言葉遣いといい態度といい、やっぱりどうにもなってないです。でも、なんだか精一杯背伸びして、弱味を私に見せないように一生懸命、虚勢を張っている姿のようにも見えました。
そう考えると、なんだか健気な子にも思えてきます。
「いいえ。文句なんてありませんよ。今日からよろしくお願いしますね」
にっこり笑顔でそう告げれば、プイッとそっぽを向かれました。
「ま、いいさ。よろしくしてやるよ」
それでも小さな声でそう言ってくれましたから、ね。上から目線的な言葉ですが、これが今のこの子の精一杯の歩み寄りなのでしょう。ピクピクと動く耳がそのことを示しているようで、今はこれ以上、怒れなくなってしまいました。
「絢くんは他の子と同じように寝ていなくても大丈夫なんですか?」
先程、子狐さんの姿をしていた時に訊いた問いを、もう一度口にします。
他の子は爆睡中です。こうして私達が側で会話をしていようと、起きる気配がありません。
ただ、眠りながら徐々に動いて皆でおしくら饅頭状態になっていました。それでも誰一人起きないんですから、よほど消耗しているか、眠りが深いかだと思います。
とても微笑ましく癒される光景です。
「俺はこいつらよりも年上だから。それにあんたがあのくそ医者の力の残り香を全部取っ払ってくれたから、眠って力を取り戻さないといけないほど消耗しなかった」
ケッと吐き捨てる言葉とその容姿のギャップが激しいです。容姿だけなら、完璧に良家の可愛い坊っちゃんに見えるんですけどね~。
くそ医者って、考えるまでもなくユズさんのことですよね。私も色々思う部分がないわけではないですけど、ユズさんはけして悪い方ではないと思います。ただ、マイペースなだけで――。
「私はあんたではなくセリですよ。それにユズさんはユズさんです」
「また説教か」
絢くんが嫌そうな顔をしましたけど、これは説教とは違います。
「どちらかと言えば、説教ではなくお願いです。名前を呼んでもらえないのは、寂しいものですから。私は絢くんにも名を呼んで欲しいんです」
それが本当の名前ではないとしても、この名前は明さんがくれた私を示す大事な名前であることに変わりはないですから。
「……変な女。わかったよ、セリ」
呼び捨てですか。まあ、良いですけどね。
フイッとそっぽを向いてしまった絢くんの頭に手を伸ばし、ナデナデと撫で回します。モフモフな毛で覆われた耳は意外にしっかりとしていました。もっと、モッフリ柔らかいイメージだったんですけどね~。
これはこれで良い感触です。
「撫でるな!」
怒鳴った絢くんに手を払われ、ふと思います。これってなんだか私と明さんのやり取りに似ていますよ。
なるほど。なんだか撫でたくなるような気分ってこういうことだったんですね。そこにちょうどよく頭があるから、つい手が伸びる。――納得できてしまったではないですか。
そのことがおかしくて、つい笑ってしまいます。そんな私を絢くんが微妙な顔で見ていました。
「そんな顔をしないでください。私は犯罪者ではないですよ」
絢くんの私を見る目が、得体の知れない物体を見る目です。生物ではなく、物体なんですよ。それはちょっとひどいです。
「衝動的に撫でたくなるほど、可愛かったのは否定しませんけど――」
これは私が素直な感想です。邪な思いは微塵も入っていません。
「ちっさいモコモコさんは、それだけでも愛でて可愛がるに値します!」
胸を張って自信を持って宣言したら、あからさまに残念なものを見るような顔をされ、ため息を吐かれました。
呆れを通り越した諦めのため息です。
どうしてそんな反応になるんですか。解せません。
「セリが変なことだけは理解した」
うんうんと頷いて、そんな妙な納得をしないでください。
「勝手に変態扱いしないでください。私は真っ当な神経しか持ち合わせていないです」
私に幼児趣味は皆無です。ただ可愛いものを可愛いと愛でたいだけです。それ以上もそれ以下もありません。
見掛けは三歳児な絢くんに変扱いされて気分はとても複雑でした。なのに――。
「変態と言うより、変人だ」
口が悪いだけでなく、絢くんは容赦のない子でした。
それにしても変態と変人の言葉のニュアンスがわかるとは、侮れない見掛けだけは三歳児な絢くんです。と、ここで感心している場合ではなかったですね。
「どっちの言葉だろうと、あんまりうれしくない納得の仕方です。訂正してください。というか、見掛けは三歳児なのに、絢くんはいったい何歳ですか?」
種族によって外見年齢も精神年齢も成長の仕方も違うことは知っています。でも、実は各々の詳しいことまでは勉強していなかったりします。
種族が多過ぎて、覚えきれなかったんです。暗記モノは苦手です。
どうしてこんなに違うんですか、並行世界のはずなのに。




