27.マンションの管理人さんは……?
急激に上がった熱にふらついた私を明さんが支えてくれます。それはありがたいことかもしれませんが、ある意味迷惑です。
「一人で歩けるので抱き上げないでください」
明さんは大袈裟です。お姫さま抱っこなんて――更に熱が上がった気がします。本気で勘弁してください。
先程まで普通にしていたんですから、ちょっと熱があるかもと自覚したくらいなら十分動けます。むしろ中途半端な熱よりも、それなりに上がってしまった方がテンションは妙に高くなるので元気です。
私の心の訴えを無視した明さんは、結局、私を抱き上げたままベッドまで強制連行しました。ちなみに、コンロのスイッチは明さんがしっかり切りました。
女性の寝室に異性が侵入するなんて――とか、そういう色気や怪しい雰囲気はゼロです。明さんは甲斐甲斐しく、それはもう良妻のごとく世話を焼いてくれました。
寝間着に着替えるところは、しっかり自分でしましたよ。
明さんを寝室から追い出して。乙女の意地に掛けて、死守しました。
病気になっても、ここまで甲斐甲斐しく世話を焼かれたのは初めてだと思います。
うちの親共はかなり大雑把な人達でしたから。けして完全に放置されていたわけではないですけど、ある程度放置されて育ったんですよね。……過保護とは対極にいる方達でした。
「明さんは良いお嫁さんになりますね」
とか熱で呆けた頭で言ったような気がします。
明さんは男性ですから、ここは良い旦那さんになるが正解ですよね?
私の呆けた言葉に、明さんはなんて答えたんでしょう。何かその後、二、三言話したような気がしないでもないですが。あいにく記憶が曖昧です。その後は気絶したのか眠ったのか、記憶にも残っていません。
そして、現在。
気分スッキリ爽快なお目覚めです。今、何時ですか? というか、私はいったいどのくらい眠っていたんでしょう。
「ああ、目が覚めたのか」
明さんの声がしました。上体を起こしてそちらに視線を向ければ、本を片手に持った明さんが椅子に腰掛けている姿があります。この部屋に椅子は置いていませんでしたから、それは明さんが持ち込んだ物でしょう。たぶん、私の看病をするために。
「えぇと。おはよう、ございます? ご心配とご迷惑をお掛けしました。今、何時ですか?」
「朝の六時だ。規則正しい生活習慣はこんな時でも変わらず、か」
苦笑した明さんが私の額に掛かった前髪を手で払います。そして、徐に顔を近づけて来ました。
これはアレですね。あの頭突きもどきの再来です。
防御するべく手を出します。ですが、それを予測していたらしい明さんに私の手はあっさりと捕まり――額と額はピタリと合わさったのでした。合掌。
「その様子だと大丈夫そうだな」
私のささやかな抵抗を気にしもしないお方が間近で呟きます。
私の体調を気にしてくださるのはとてもありがたいですよ。でも、それならこの体勢を早く解消してください。別の意味で熱が上がります。
下手に首を動かして現状が悪化したら目も当てられません。なので、せめて間近で明さんの顔を直視しないよう視線を泳がしてみました。悪足掻きです。わかっていても、やらずにはいられないんですよ。
「はいはい、わかったわかった。どこか痛いとか、だるいとか、おかしいとかはないか?」
いい加減な相槌を打った明さんでしたが、ようやく私を解放してくれました。この距離なら許容量範囲内です。見慣れた範囲なので、もう大丈夫です。
「これと言ってどこも。昨日の熱が嘘のようにスッキリ爽やかなお目覚めでした。あの熱って知恵熱だったんでしょうか?」
「知恵熱じゃなく、単に慣れないことに身体が音を上げただけだ。空間転移の移動距離が長かったからな。あれは人間の身体には負担のかかる行為だし、それに加えて一昨日の精神的ショック、緊張と不安と。精神的な負荷までかかって、許容量をオーバーしたんだな。まあ当然の結果、か。俺も急ぎ過ぎた。術が直接効かないおまえに治癒術の効果がどの程度あったかはわからんが、体調が良いなら今日は買い物に行くか」
色々、気になる部分満載なお言葉です。
「半分は明さんのせいですか……」
私は苦笑で誤魔化されませんよ。いえ、引っ越しを決行したのは、私の意思も混じっていますが。
「半分でいいのか?」
どういう切り返しですか。私を見くびらないでください。
「自分のケツは自分で拭きます」
「……おまえ、まだ熱があるだろう」
本気で疑いの眼差しを向けないでください。そして、顔を近づけないでください。
再確認は不要ですよ。私は正常運転です。
「選んだ言葉が悪かったのは認めます。でも、熱はないです。自己責任という言葉はなんのためにあると思っているんですか。こういう時のためでしょう」
ドヤ顔で言い切れば、明さんがため息を吐きました。
「やっぱりもう一日寝ていろ」
そして、無情にも先程の言葉を撤回しました。
ちょっと待ってください、明さん。
「嫌です。お買い物行きたいです。後生ですから、撤回しないでください」
明さんはやると言ったらやる方です。しかも、私の考えそうなことは未然に予測して対策するような方です。このままだと今日一日ベッドで寝たきりになってしまいます。
なんという拷問でしょう。
「何もそこまで嫌がるほどのことか?」
「退屈で人は死ねます」
そろそろ買いたい物もありますし、それに――。
「明さん。ここにこれから私は住むんですから、ご近所さんへの挨拶回りはやらないといけません」
最近は近所付き合いというものもずいぶんと希薄になってきていますが、せめてよろしくお願いしますくらいの挨拶はしておきたいです。
ここはマンションですし、ご挨拶はお隣と上下の部屋の方くらいは――。
と考えていたら、明さんがため息を吐きました。
「こちらには引っ越しのご挨拶ってないんですか?」
原因で考えられそうなものはそれだけです。
「いや。土地によってはそういう風習もある。ただこの場では不要だ。逆にそれをされると困る。言ってなかった俺が悪いが、ここは訳あり住人しか住んでいない。だから、互いにここでは干渉しないのがこの建物のルールになる。まあ挨拶くらいはしないでもないけどな」
なるほど。確かにそれだと引っ越しの挨拶は不要ですね。
訳あり住人だけが住むマンション。私も訳ありになるんでしょうけど、そういう分類扱いされるとちょっと複雑な気分になります。まあこの部屋の借り主は明さんなので、明さんが訳あり住人分類なんでしょうけど。
オーナーはいったいどうやって訳あり住人を見分けているんでしょうね? って。
「明さん。素朴に疑問なんですが、ここは賃貸ですよね? ならこの建物自体にオーナーさんがいると思うんですけど、その方は私がここに住むことは知っているんですか?」
そういう物件なら、いきなり許可された住人以外が住み着いたとなると色々問題があるはずです。
「話は通しておいたから心配ないぞ」
明さんがあっさりと告げます。
さすが、明さん。抜かりはないですね。グッジョブです。
「ご挨拶に行きたいです」
話は通っていてもそれはそれ、これはこれ。できればご挨拶しておきたいところです。
明さんは少し考える素振りを見せた後、何事か思い出したのかフムと頷きました。
「これもちょうど良い機会か。実例に会って、どんなモノか自分の目で確かめてみろ」
そして、なんのことかよくわからないことを言います。
「何を確かめるんですか?」
私の問いに、明さんがニヤリと意味ありげに笑いました。
「ここのオーナー兼管理人はな、異人だ」
「………」
異人って――あの、異人ですよね!?
狂人がどうやったらマンションの管理人なんてできるんですか?
「狂人じゃない」
「…………異人、ですよね?」
確かめるように訊けば、明さんが頷きました。
「異人だが、狂人じゃない」
異人=狂人という印象しか残っていなかった私ですが、どうやらそうならなかった珍しい方が意外と近くに存在していたようです。
「……ご挨拶には菓子折りを持っていけば良いですか?」
引っ越しのご挨拶だと引っ越し蕎麦の印象がある私ですが、あれは個人差が大きいです。蕎麦アレルギーを持っている方の場合、持ってこられても非常に困る代物です。
となると、無難なのは菓子折りかタオルくらいしか思いつかないんですよね。タオルもまた、もらいすぎて困るというお宅もあるので微妙ですし、それをいうと菓子もまた甘い物が駄目な方もいるんですが――。
「なんでそうなる?」
不思議そうな顔をされ、私の方こそなんでそんな返答になるのかわからずに首を傾げます。
「ご挨拶に手ぶらはないと思うんですけど……こちらではそういう習慣がないんでしょうか?」
「……ああ、あるかもな?」
なぜそこで疑問符が付くんですか。
「俺がそんなこと気にすると思うか?」
胡乱に明さんを見ていたら、心の声に返事がありました。
なんとも納得のできる、明さんらしい俺サマ発言をありがとうございます。でも、それは威張れることではないです。むしろ恥じてください。
「いいえ、まったく。では、私の好きにして良いですか?」
「ああ、勝手にしろ。あそこは大所帯だから何を持っていっても喜ばれるだろうさ。あいつは甘い物が好きだけどな」
おぉ、明さんにしてはタイムリーな情報をありがとうございます。甘い物がお好きならば、やはり持参する物は菓子折りで大丈夫ですね。
にしても、大所帯ですか。子沢山とかそういったことでしょうか。う~む。明さんの表情からして少し違うような気もします。でも、答える気はないんですね。わかりました。では、その時のお楽しみに取っておきます。
「問題はですね、買い物するにしても手持ちのお金が無いことです。すみませんけど、貸してください。お給料が出たらお返しします」
なんとも締まらないですよね、私って。今までの発言はすべて明さんのお財布を当てにして話していたんですから……。
だからって、明さん。そんな豪快に笑わないでください。わかっていますよ、私のこれまでの言動がいかにチグハグだったかくらいは。
「金のことは気にしなくて良い」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、手櫛で髪を整えながらため息を吐いていると、目の前にスッとカードのような物が差し出されました。まるでキャッシュカードのような大きさと固さです。
「おまえ用に作っておいた。それで足りなければ言えば振り込むから持っていろ」
……う、ん? これってクレジットカードみたいなものですか? カード払いのような文明がこっちにもあったんですね。驚きです。
「人間の生活圏限定でな。大抵の店はそれで支払い可能だ。後、昨日使った紙幣もな。人間の生活圏だと、硬貨でも支払い可能ではあるが、ある程度の額を持ち歩きする場合、紙幣の方が好まれる。脆さが難点だが、あれはあれで持ち運びは便利だからな」
なるほど、なるほど。
そうですよね。硬貨も少しならともかく、額が大きければそれだけかさ張りますもんね。
にしても、脆いですか。製紙技術の問題でしょうか。でも、こちらの本を見る限り、けして技術が未熟とは思えないんですけど?
「紙は水にも火にも弱いし、強度も金属よりどうしたって劣る。人外の者の中には水中を好む奴らもいれば、火口付近を好んで住む奴らもいる。あっちは僻地だと物々売買すらしているくらいだ。紙切れよりも金属の方が物的にも使い道がある」
確かにお金という価値が曖昧では、紙幣は紙屑と同じですよね。しかも、長期的に使用するにはどう考えても不向きな環境とかも多いみたいですし……。
これは生活圏で文化も大分違うと思っていた方が良さそうですね。できれば、こちらが見掛け同様に日本と似ていることを願います。
「さて。なら、仕度しろ。慣れも兼ねて、今日の朝食は買い物に行く前に途中で食べるか」
外食ですか。この世界に来て初めてです。お腹も減りましたし、これは急がなくては。ということで――。
「明さん。ここから出て行ってください」
仕度するためには明さんを追い出す必要があります。
「三十分で済ますので、その時にまた来てくれるとうれしいです」
高熱があったということは、当然、寝汗もかいているわけで、その汗を流したいのが乙女心というものです。そのためには恩人だろうと異性は追い出すのが流儀です。
明さんの顔が引きつりました。
「おまえ、本当に熱はないよな?」
先程嫌がる私を拘束して確認したというのに、まだ疑うんですか? それとも風呂場を覗きたい、ということですか?
そういうのを一昨日来い、と言うんです。
「……いや、おまえの言動がおかしいのは元からだったな」
さっと視線をそらした明さんがそう呟きました。
「わかった。三十分後にまた来る」
そう告げて、その場から文字通り姿を消す明さん。空間転移ができると実践されてから、それすら遠慮なく使ってくるようになりましたね。
いえ、別に支障はないですけどね。ただ、気分的にまだどこかにいるんじゃないかという疑いが浮かんでくるだけで。相手は明さんですから愚問だとも理解していますよ。
ベッドから出て、箪笥を開けます。
にしても、あの言い分は私の追求を避けるために言ったのでしょうか? それとも本気で言ったのでしょうか?
どちらにしても失礼ですね、まったく。
着替えを出して、風呂場に直行します。三十分後と自分で指定した時間は守らないといけません。しかも、朝ご飯はその後。
時間を守れず、朝ご飯が更に遅くなるなんて言語道断です。
ごっはん~。ごっはん~。ごっはんです~。
ここの外食ってどんなものでしょうね。お店も。楽しみです。




