20.ここは……並行世界でした。
外に出れば、そこには代わり映えのない風景が広がっていました。進めば進むほど、その思いは強くなります。
人外の者の生活圏で窓から見た景色とはまったく違います。それならどこと代わり映えがないかと言えば、元の世界、厳密に表現するなら私が住んでいた場所とです。
都会ではないけれど完全に田舎でもない。そんな日本のどこにでもある風景がそこにはありました。
適度に家やアパート、マンションがあって、畑や田んぼもあります。路面はアスファルト、建物は木造建築や鉄筋コンクリート造りです。
初めはなんとか動いていた足が、ついに止まりました。
「……ここって、日本ですか?」
路上に立ち尽くした私は、そう明さんに訊ねます。その声がほんの少し、震えていたかもしれません。
自分の目を疑いたくなるほどに、その景色の印象は似通っていました。少し違和感があるとするなら、街路灯はあっても電信柱がありません。
ですが、日本でも景観の関係上、地下に電線を埋めている街もありますから、そういう場所という考えも否定できません。
何より周囲を歩いている方々が人間に見えます。明さん以外に人間の姿を見たのは、ここに来て初めてです。この光景を見てしまうと、この二週間ほどが夢のようです。
もしかして、私はあの時の狸に化かされていたのでしょうか? ちょうど狸を轢きかけていましたし、その可能性も……。
「ない。現実を直視しろ」
突飛な考えにたどり着いた私の思考は、明さんにきっぱりと否定されました。
「直視していますよ、この上なく。明さんの腹の上に正座する直前に、車の運転をしていました。急に飛び出してきた狸を轢きかけたんですよ。それでなんとか避けようとして――気がつけばあの状態です。あの時の狸がもしかして化けて出て」
後から思えば、自分でもそれはないなと思える言葉でしたけど、この時は本気でそうかもとか思っていたんです。
「ないな。普通の狸は化けん。そもそも車に大人しく轢かれて死ぬような狸だったら化けることなどできん」
「いえ、死んでないと思います。そのために避けたんですから、死なれたら私の行動が無駄じゃないですか。そんな後無体なことは、いるかいないかわからない神さまもしないと思います」
この時の私はかなり本気だったんです。ですが、明さんはどこまでも冷静でした。
「いるかいないか言っている時点で信じてないだろ?」
「困った時の神頼み、くらいには信じています」
胸を張って主張すれば、
「……それは威張れることか?」
明さんに呆れたような口調で問われ、これまた呆れたような眼差しを向けられて――撃沈しました。
はっきり言って、威張れることではないです。そして、気づけば私の当初の衝撃と問いからずいぶんと掛け離れた話題になっています。お陰で少し冷静に戻りました。
このままここで立ち話をしていても仕方がないので歩き出せば、私に合わせて立ち止まっていた明さんも再び歩き出します。
「えぇ~と。話を戻しますが、ここは本当に日本ではないんですか?」
「違うな。そんな地名は聞いたこともない」
地名、ですか。地名ではなく国名なのですが。
「ジャパンとか、ジャパニーズという単語は聞いたことないですか?」
日本語を話しているのに、日本を知らないってありですか? いえ、明さんからすればこの言葉は共通語みたいですから、知らない可能性もあるのかもしれません。
「ない。さっきから日本日本と連呼しているが、そこがどうかしたのか?」
心底わかっていない顔に、もどかしさを感じます。どうすれば正確に伝えることができるのでしょう。
「明さん。日本は地名ではなく国名です。私が住んでいた国の名前です。この光景はその国の中にある、私が住んでいた街の雰囲気によく似ています。日本にはたくさんあった光景です。今、私が使っている言葉だって日本語と呼ばれていたんです。ジャパンは日本を別の言葉で呼んだ言い方で、ジャパニーズは日本人という意味です」
これほどそっくりなのに……ここは違うんですか? 本当に?
駅らしき建物が見えました。コンクリート造りの、地方に建つ駅舎です。これが日本のどこかにそのまま建っていたとしても違和感はないはずです。
それでも、違うんですか!?
駅舎の前でまた、足が止まりました。明さんの袖を掴んで、ぎゅっと握り締めます。そうでもしなければ、自分の立っている場所すら見失ってしまいそうです。
本当は衝動のままに掴みかかって叫び出したい気分でした。でも、明さんの顔を見て悟ってしまったんです。ここは違うのだ、と。
これほど同じでなければ、こんな思いは浮かばなかったでしょう。あの異国情緒溢れる人外の者の街にいたなら、ここは完全に別の世界だとあのまま割り切れたかもしれません。
でも、これはきついです。
同じなのに。どうして。どうして違うんです!
同じに見えるのに。どうして。どうしてここは私が育った世界じゃないんですか!!
……わかっています。そう思ったって何も変わらないって。
叫んだって、嘆いたって。私のいる現実はこの似て非なる並行世界にあるってことは。
並行世界なら同じ部分があってもおかしくないんです。むしろ共通部分がまったくなかったら、それは並行世界とは言えません。
自分の中にもう一人、冷静な自分がいます。淡々と事実を羅列して、感情的に叫ぶ自分を観察している自分が。
だから、もう少しだけ待ってくださいね、明さん。
私の心の叫びに対する答えは要りません。むしろ答えてもらっては困ります。
ただ、この衝動を押さえるのに後少しだけ時間をください。それまでに明さんはその顔をなんとかしておいてくださいね。
……化けの皮が剥がれていますよ~。麗しのご尊顔が見え隠れしています。
部屋を出る時に、明さんは自分の顔を隠したんです。
言っておきますが、変装の定番、帽子、サングラス、マスクをしているわけではないですよ。私がとりあえず異質には見えないのと同じような仕組みのようですが、超絶美形が美形に見えるくらいには容貌が違っています。
これくらいの美形なら探せば見つかりますね、くらいまで人外率が落ちているんですよ。
そして、眼鏡。サングラスではなく、度の入っていない透明レンズな眼鏡です。この小道具着用で、雰囲気がインテリ風味になっています。
普段の明さんの容姿ではあまり一緒に出歩きたくないくらい目立つこと間違いなしだったので、この処置は正直助かりました。それでもすれ違う女性が思わず振り向くくらいには目立っていますが、超絶美形顔をさらした明さんなら、性別を超えて見惚れる方が続出すること間違いなしなので威力は格段に落ちています。
その仕様に、明さんも自分の容貌がものすごく目立つという自覚はあったんですね、と思ったものです。
それが今、微妙に剥がれていたんですよ。
霞んでいた美形度が、ちょっと霞む程度にまで――。
やめてくださいよ。無闇矢鱈に注目されるのは面倒ですし、女性の嫉妬は怖いです。
ああ、でも。明さんほど超絶美形だと逆に女性は隣に並ぶことを敬遠するかもしれませんね。自分より美人な彼氏とか、なかなかに複雑です。
まあ自分によほど自信がある方か、周りを気にしない方なら良いかもしれませんが。
「セリは気にしない方だな」
ちょ、明さん。ここは黙って聞き流す部分ですよ。それに――。
「私だって周りの空気くらい気にします」
その部分は主張しておきます。って、明さんの顔が霞んだ美形顔に戻っていますね。
「落ち着いたなら行くか」
ニヤリとインテリな雰囲気が壊れる笑みを浮かべた後、明さんは袖を掴んでいた私の手を外して、なぜかその手を繋ぎます。
意外に手が温かいです。って、違いますよ。
ある意味、明さんのお陰で気持ちは落ち着きました。わざと私の思考が別方向になるよう仕組んだというのなら明さんはとんだ策士ですが、そうではなくて。
「明さん。離してください。どこに手を繋ぐ要素があるんですか。もう落ち着きましたから引っ張られなくても歩けます」
グイグイと明さんに引っ張られるように、私は駅舎に入りました。多少強引だろうとも私の歩幅に合わせて歩いてくれているようで、歩く分には支障はありません。
ですが、そういう問題ではないです。
いい歳した赤の他人の男女が、恋人でもないのに手なんて普通は繋ぎませんよ。
「俺が繋ぎたいから繋いだ。それでいいだろ?」
切符売り場には、しっかりと券売機があります。
「何がどういいんですか? 私はよくないです。どこの誰だろうと事実無根な誤解をする人はいます。明さんだって迷惑でしょう?」
見知らぬ方に何を思われても関係ないのかもしれませんが、どこの誰に見られているかわかりません。私の知り合いはいないでしょうが、明さんの知り合いならいるかもしれません。この方、謎な御方ですからね。
それなのに私の問いに対する明さんの返答はありません。
路線図が券売機の上にある壁に貼られていました。けれど、ザッと目を通しただけでも知っている駅名はありません。
路線図から切符を買う明さんに視線を移せば、彼はちょうど券売機にお札を入れているところでした。
こっちにはお札があるんですか。
変ですね。私が見せてもらったお金は硬貨ばかりでした。しかも、両方の生活圏共用に使えるという話でした。そうなると明さんの使っているお札の説明がつきません。
私の知らない種類のお金でもあるんでしょうか?
……私のこの、流れに流される思考回路はどうにかならないですかね。気にはなりますが、今、もっとも気にすべきことはその部分ではないです。
さすがに自分で自分に呆れました。
ため息を吐けば、その隣では切符を買い終わった明さんがおかしそうに笑っています。
「ほら行くぞ」
いまだに手は繋がれたままで引かれるように改札を通ります。自動改札もありましたが、駅員さんがいる所を通りました。
自動改札だと一人ずつ通過することになりますから、手を離すか、バーより上に手を上げる必要がありますもんね。
って、現状分析をのんきにしている場合ですか。
「迷惑も何も、俺が他人のことなんか気にすると思うか?」
それが先程の私の問いに対する答えなんですね。
明さんの手は絶妙な力加減で私の手を掴んでいます。こっちから解こうとしても解けないんですよね。力を込めて握られているようには感じられないのに不思議です。
「思いません。でも、少しは気にしてください。先程から私にまで妙に視線が来るんです。自分が目立つっていうことを……」
自覚していましたね、この方。どう言えば通じるでしょう。ちょうど良い言葉が見つかりません。
女性の嫉妬混じりの視線も怖いですが、もっと煩わしいのは好奇な視線です。私だって嫌なものは嫌なんです。なのに――。
「これで良いんだ。周りを気にするより、おまえは俺のことを気にしろ」
出ましたね、俺サマ発言。
明さん。それはどうかと思います。
「電車が来た。乗るぞ」
言葉通りホームに電車らしきものが入ってきます。
「め、明さん!」
驚き過ぎてどもりました。
「これが一般的な電車、ですか?」
そう言っている間にも電車と言われた物はホームで止まり、私達の前に入り口を開きます。
「そうだ。これ以外に電車と言われる物はない」
そして、明さんは気にした様子もなくそれに乗ります。ここで愚図っても迷惑をかけるだけなので、手を引かれるままに私もそれに乗り込みました。
さほど間を置かずに入り口は閉まり、それは私達を乗せて走り出します。
内装は普通です。乗り慣れた電車と代わり映えのない様子で、椅子がありつり革があり手すりがあり、とよく馴染んだ雰囲気が漂っています。
広告がつり下がっている部分まで同じです。
それらにホッと息を吐き出しました。
「考えていた姿と違ったようだな?」
「材質は違うかもしれませんが内装の感じは同じです」
興味深そうな明さんの言葉に、手すりに手をそえながら答えます。
「外装は違ったのか」
えぇ、ちょっと予想外でした。確かに鉄の塊と言えますけどね。
「煙の出ないSLもどきって……ありですか。レトロで駅舎とチグハグです」
別にSLが悪いとかではないです。そもそも私は鉄道ファンではないので、そういう物に詳しくもないです。仕組みもよくわかりません。
でも、わざわざ使っているように見えない煙突をつける意味ってあるんでしょうか。素朴な疑問です。そして、もどきってつけたのにはまだ理由があるからです。
一見、レールの上を走っているように見えます。ですが、実際にはレールの上に浮いています。レールの上をレールにそってほんのり飛んでいるようなんです。
おかげでほぼ揺れません。駆動音もほぼ聞こえないので、とても静かです。
慣性の力が掛かるからか、停車時にちょっとだけ身体が勢いを殺しきれませんでしたけど、たいした揺れではありませんでした。車内に立ち乗りでも、一方は手すりに一方は明さんの手にと支えは十分過ぎるほどです。
速度はたぶん、普通の電車より早いです。もしかしたら新幹線並みな速さがあるかもしれません。窓の外の景色がすごい勢いで流れていきます。
外見がレトロなわりに中身は普通、システムはハイテクとか。いったいどういう文化と進化をしたら、こんな物が出来上がるんでしょうか。深く考え過ぎると頭が沸騰しそうです。




