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19.決意を一つ、こっそりと。

 ほうっと満足感全開な息を吐き出して……ハッと気づきました。ほのぼのとお茶で和んでいる場合ではないです。侮れないお茶のリラックス効果にうっかり乗せられるところでした。


「要するに、明さんの言う協会とは人外の者が人間の生活圏で暮らすための窓口のような機関ですね?」

「そう思っていれば間違いはない。ま、それだけの機関でもないが、その根は人間の生活圏全土に及ぶからな。影響力は大きい」


 人間の生活圏が世界のどれくらいの規模になるのか、私にはわかりません。それは人外の者の生活圏の大きさも同じなんですが。

 ここは並行世界ですからは、世界の規模までは変わっていないはずです、たぶん。それを元に世界を二分するとして、すべてを二分すると考えるなら世界の半分なんて私には大きすぎる範囲です。とんでもない規模です。


「怖いか?」


 明さんがその顔に笑みを浮かべながら問います。試すような、探るような瞳をして私を観察しています。

 正直なところ、怖くないと言えば嘘になるでしょう。協会という組織の判断一つで、私の今後の平穏な生活がどうなるかわからないという状況ですから、そんな場所に出向くのは怖いですよ。下手したら、人外の者の生活圏に逆戻りです。再び監禁生活とか、本気で勘弁して欲しいです。


 ですが、私の感情は今、関係ありません。行く必要があるのは私で、避けては通れないならさっさと行って終わらせた方が胸のモヤモヤは解消しますし、無闇に怯える必要もありません。


「女は度胸ですよ、明さん」


 にっこり笑って宣言すれば、明さんがため息を吐きました。

「おまえにまともな返答を求めた俺が間違いだった」

 そして、続いた言葉は暴言でした。


 まったく失礼ですね。考えに考えて出した答えに、ケチをつけないでくださいよ。その考えの過程すべて伝わっているんですから。

 でも、指摘された通りよくよく思い返してみると問いと答えがチグハグかもしれません。


「それで、協会とはどこにあるんですか?」

 行くためにも場所を知らなければ行けません。けして、先程の発言を誤魔化すために訊ねているのではありませんからね。

「橘だ」

 地名ですか? 話の流れ的に、たぶん地名ですね。

 でも、地名なんて聞いても土地勘のない私にはわかりません。今度、地図で近辺の地名などを確認しておきましょう。


「どうやって行くんですか?」

 場所がはっきりしなくても、行き方さえわかっていれば行けるはずです。できれば地図を書いて欲しいところですが、無いなら道すがら出会う人に訊ねれば良いだけのことですから支障はないです。

「ここからなら電車で二駅。徒歩で数分の距離だな」

 おぉ、意外にシンプルな道行きです。って、今、意外な単語が聞こえましたよ。


「電車って――明さん、ここには電車が通っているんですか!?」


 驚きです。あの人外の者の生活圏にあった街では、電車も自動車もバイクも自転車も、文明の利器である乗り物系の姿をまったく見ていません。

 だから、そういう物はこの世界に無いんだと今の今まで思っていました。


「セリのいた世界でもあったのか?」


 明さんも私の言葉に意外そうな顔をしています。そこでふと、ある懸念が浮かびました。

 もしかして同じ名前の、まったく違う乗り物という可能性は無いでしょうか?


「電車という物は、敷かれたレールの上を電気で動く列車という名の金属の塊のことですよね?」

 詳しく電車を説明しろと言われても私には不可能です。仕組みを知らなくたって、乗ることはできます。だから、私の知っていることなんてこんなものです。

 私の問いに、明さんが難しそうな何事か考える顔になりました。これは嫌な予感的中かもしれません。

「電車は敷かれたレールの上を走る金属の塊ではある。ただ動力は魔石だな。電気は――電気自体が基本的にあまり使われていない。あれは効率が魔石よりも劣るから、人間の生活圏でも使われているのはほんの一部だな」


 嫌な予感は微妙に外れていたみたいです。それはよかったというべきなのでしょうが、電気の代わりに魔石がエネルギーの主流という事実に衝撃を受けます。

 そう言えば、今まで使っていた家事用具の動力も魔石でしたね。

 さすがファンタジー世界。私の心境はなかなかに複雑です。

 魔石の実物は現在も私の首に掛かっていますけど、これが電気の代わりのエネルギーってどういう仕組みなんでしょう。腑に落ちません。


「……ここでは自動車やバイク、自転車はありますか?」

 乗り物話のついでに、他の乗り物についても訊いておきます。同じ衝撃は一度で済ませてしまった方がまだ立ち直りも早いんです。

「ある。だが自転車はともかく、自動車やバイクの動力も魔石だ。両方とも人間の生活圏でも中央都市部に近い場所ほど使用率が高い」

 明さんの手には紅茶カップがあります。それを飲む姿は絵のように様になっていました。


「中央都市部、ですか。では、地方での主な移動手段はどうなっているんですか?」

 それは素朴な疑問でした。移動手段が徒歩や自転車だけでは不便です。ならば、地方には自動車やバイクの代わりになる乗り物が存在している可能性が高いことになります。

「地方なら獣車か徒歩だな。人間の生活圏限定なら、地方にもそれなりの規模の街なら電車が通っているから、街から街の移動はさほど不便でもない、はずだ。たぶん」


 曖昧な最後の言葉に、訊く相手を少し間違えたかも、と思わないでもなかったですが今更ですね。他に訊ける相手も現在はいませんし、これから住む場所ですから徐々に慣れていけば良いんです。

 それにしても、うっかりしていましたね。明さんには移動手段に空間転移という、危険で便利な手段がありました。この方がそれを使わない手はないですよね。


「獣車ってここに来る前の街でも見掛けた、あの馬車もどきですか?」

 言葉から察するに、それしか思いつきません。

「ああ、あそこの窓から見えたのか。使う獣によって速さは違うが、アレの方が自動車よりも速かったりするからな。さほど手は掛からないし呼べば来るから基本放し飼いで良いんだが、そのための緑地か森が適度に必要だから都市部には向かない」


 なんとも大雑把な世界事情です。というか、機械より早い獣って……やはり元の世界の常識と同じだと思ってはいけませんね。再確認できました。この場合、元の世界の自動車よりこちらの世界の自動車が遅いと考えるべきか、それとも獣の方が元の世界の自動車よりも早いのか、悩ましい問題ですけどね。実際に走らせる様子を目に出来れば、簡単に解決しそうな問題です。

 本当に、元の世界と所々様々に違います。共通部分もあるんですけどね。それ以外の違う部分がとんでもないところに及んでいたりするので、気をつけないといけませんね。


「とりあえずの疑問は解消したので、協会までの地図を書いてくれるとうれしいです」


 口頭で説明されても、最短で目的地にたどり着ける確率は五分です。

 少し方向音痴の気はありますが、地図があれば十分対処可能範囲です。迷いはしても、目的地にはしっかりとたどり着けます。

 なのに、明さんは訝しげな顔をしました。

 おかしいですね。私、それほど変なことを言いましたか?


「地図が欲しいのか?」

 顔と同じく訝しげな声です。

「道すがら人に訊ねながら行くこともできなくはないと思いますけど、できれば」

 見知らぬ場所を行くのですから、地図は必須アイテムですよね。私、間違ってないです。

 どことなく噛み合っていないような気がしたのは、私だけでなく明さんも同じだったようです。そして、明さんの方が私よりも察しが良かったらしく――天井を仰ぎ、額に手を当てて低く呻いています。


「阿呆。俺がおまえを協会へ一人で行かせると思うか? 俺も一緒に行くに決まっているだろうが」

 言葉になった呻き声は、呆れを多分に含んでいるような気がします。

「そもそも電車代はどうするつもりだったんだ?」


「……ッ!」


 寝起きの頭はまだまだ働いていなかったようです。至極根本的なことを失念していました。私、いまだに無一文です。こちらの電車も当然のごとく、運賃が発生するんですね。

 でも――。


「明さんまで協会に行って大丈夫なんですか?」


 私が一人で行くんだ、と思ったのはその部分があったからです。

 露さんが協会と告げた時、明さんは一瞬顔をしかめました。至極嫌そうに。ほんの一瞬でしたから私の見間違いの可能性も捨てきれませんけど、たぶん間違いないと思います。

 だから、明さんは協会と関わりを持ちたくないような、そんな気がしていました。


「おまえは俺を誰だと思っている」


 唯人が言ったら何様ですかと問いたくなる台詞ですけど、明さんが言うと妙に似合っています。元から俺サマ仕様だからですかね。

 ということで、私は正直に思ったことを口にします。


「明さんは明さんですよ」

 どうやら期待していた答えとは違ったようです。明さんが胡乱に私を見ています。

「先程明さんが言ったようなことは、明さんなら絶対に起こらないと思います。明さん自身は協会に行かなくても問題ない。必要ないんですよね? 本心では、明さんは協会と微塵も関わりたくないんじゃないですか?」


 余分なコブのせいで、まったく望まないことをさせてしまうのは気が引けます。私だって子供ではないですから、一人で行けますよ。

 運賃はツケでお願いします。


「望んで関わりたくはないが、これくらいなら制約には引っ掛からない。大丈夫だ。変な気遣いはするな」


 考えが筒抜けなら当然、私の締まらない言葉も聞こえていますよね。ツケ発言がそれほどおかしかったですか。そうですか。

 別に笑いを取りたかったわけではないです。真面目に考えて出した結論です。

 ……そんなに笑わないでくださいよ。


 それにしても、ここにも制約ですか。世界の理と明さんの制約。ウイの一族とはいったいどんな存在なんでしょうね。

 私は元の世界で理なんて意識して暮らしたことはないです。

 明さんが笑っています。先程と同じように見えるのに、その笑みの種類が違う気がします。


 その笑みは哀しいですよ。知っていますか?


 明さんは答えないでしょう。ここで私がウイの一族とは何かと訊いたとしても。だから、私は口にしません。無意味ですから。


「気遣いじゃないですよ。でも、一人で行くのは少し不安だったので、一緒に行ってくれるのはうれしいです。ありがとうございます」

 ここは明さんの好意を素直に受け取りましょう。


 あの笑みは駄目です。させてはいけません。

 私は明さんに笑い掛けながら一つ、決意しました。こっそりと。どうかこれは聞こえていませんようにと願いながら。

 そんな笑みを浮かべることがなくなるようにしよう、と。だから――。


「ああ。それを食べ終わったら行くか」

 私の決意は伝わっているのか、いないのか。明さんの態度からはまったく読み取れません。できれば、本気で伝わって欲しくないんですけど、こればっかりはなんとも。

「そうでした。まだご飯の途中です」

 話と考えることに集中し過ぎて、手元がお留守になっていました。残りちょっとですが、お残しはしませんよ。少し冷めてしまったのが残念ですけど、それでも美味しいことに変わりありませんから。


「そういえばお礼を言っていませんでした。ここまで運んでベッドに寝かせてくれて、ありがとうございます。それでですね。行く前にもう少しだけ時間をください。身支度したいので――」

 一晩寝ていたなら出掛ける前にお風呂に入りたいです。

「良いですか?」


 コテンと首を傾げて問えば、明さんがあからさまに顔をそらしました。

 なんですか、その反応。顔をそらせるほど似合わないことをやったつもりはないです。ジッとその横顔を観察すれば、普段よりほんのりと頬が紅いような気がします。


 もしかしなくても照れています?


「俺は出ているから支度ができたら名を呼べ。呼べば聞こえる」


 慌ただしくそれだけ告げると、明さんの姿は一瞬でその場から消えました。種も仕掛けもなさそうです。

 何が起こったのか理解できない混乱した頭で考えて、なんとか出した結論が、

「空間転移、ですね。たぶん」

 口に出して呟くことで、自分を納得させます。


 今までこうやって私の前から消えることがなかったので、突然のことに頭がついていきませんでした。空間転移とは、見る側からすれば一瞬でその場から姿が消えるんですね。

 もしかして明さんはどこでも現れたり消えたりできるんでしょうか。本当になんて便利な能力でしょう。

 いえ、私は要りませんよ。あんな体験をするのは一度で十分です。懲りました。


 それにしても――。

「もしかして顔に似合わずウブで……やっぱりムッツリなんでしょうか」

 どんな時でも、こういう部分のことを考える私の思考回路は健在です。これはもう、改善の余地無しな末期状態ですね。


「覗かないでくださいよ」


 聞いていたなら猛然と怒られそうな忠告を空中にしてから、最後のお漬け物を咀嚼し嚥下します。

 湯飲みに手を伸ばし冷めてしまったお茶をすべて飲み干してからふうっと息を吐き出し、湯飲みを置き手を合わせて「ごちそうさま」をしました。


 反応は何もないですね。完全にいないようです。

 さて。ではお片付けして、ババッと身支度を整えましょうか。


 明さんを覗き魔扱いしたことは、秘密です。私のためにも、明さんの精神の安定のためにも。

 そして、先程の明さんの反応がちょっと可愛かったかも、とか思ったのも秘密です。こちらは主に、私の精神の安定のために。




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