18.現状を説明してください。
人間の生活圏に移動して初めて見たのは、以前の部屋と同じように見える天井の模様でした。
ムクリと起き上がったベッドも、部屋の中の家具も、その配置も何もかも同じに見えます。部屋の中をウロウロと歩き回り確認しますが、違和感がまったくないです。
……って、え?
それは逆におかしいです。私、確か明さんに物騒なことを直前に告げられて、クッツキ虫のごとくピッタリと張り付いて――。うっ、思い出したら気分が~~。
あれは拷問でしたね。例えるなら、ジェットコースターの直下降エンドレスな浮遊感と言いますか。アレ系の乗り物が生理的に受け付けない私にとっては最悪でした。
途中から記憶が途切れていることを考えると、もしかしなくても人生初の気絶体験をしたようです。そして、その後にベッドで寝かされた、と。そう考えるのが妥当でしょう。
着ている服は変わっていませんから、その点だけはホッと一安心です。
私の記憶が正しいなら、ここはあの部屋と別の部屋になるはずなんですけどね。どういうことでしょうか?
このままこの場で突っ立っていても答えは出ません。ならば、答えを得るためにも知っている方を探すべきですよね。この場合、明さんの所在確認です。
向こうで寝室にしていた所とそっくりな部屋から出るべく、出入り口の扉を開ければ――そこには、この部屋と同じように向こうとそっくりな部屋が広がっていました。間取り、家具の配置がすべて同じに見えます。
……私、夢でも見たんでしょうか。
あれが夢だとするなら、期待感があっただけに悪夢です。期待させられた分、それが違ったとなるとそのショックは計り知れないほど甚大になります。
扉を開けたまま、戸惑って初めの一歩を踏み出せずにその場で立ち竦んでいると、
「ああ、ようやく起きたか」
私の周囲で固まっていた空気を、明さんの気の抜けた声が破りました。
この瞬間にわき上がった感情は、怒りでしょうか。
それとも、理不尽な殺意でしょうか。
戸惑ったことなど瞬時に忘れて、私は明さんが悠然と座るソファの傍まで歩いていくと仁王立ちします。
私の姿を確認した明さんが苦笑しました。
「寝起き様にずいぶんとご機嫌斜めだな」
こういう方だってわかっています。けれど、わかっていようともイラっとくる時はあるんですよ。私は聖人君子ではないですからね。
「お陰さまで。色々と言いたいことはありますが、とりあえず後です。ここは、今までの部屋とは別の部屋ですよね?」
まずはその確認です。
気絶するほど気分の悪くなる体験をしたのに、それが無意味だったなんてことになったら――暴れますよ、私。
「おまえが暴れたところでどうにでもなる」
えぇ、ええ、そうでしょうとも。私はどうせ非力です。
キッと睨みつければ、明さんがため息を吐きました。
「だが、ま、説明のために待っていた部分もあるからな。そこに座って飯でも食いながら聞け」
明さんに示されたテーブルの上には――おぉう。本日は和食じゃないですか。
並行世界に来て初めての和食ですよ。白いご飯とお味噌汁。焼き鮭と味海苔に温泉卵、そしてお漬け物。
なんてタイムリーで、私の気勢を削ぐメニューなんでしょう。古き良き日本の伝統的朝ご飯がそこにはありました。
ちなみに、我が家ではここ何年も朝はパンに牛乳です。
サボりではないですよ。単にただでさえバタバタする朝に、睡眠時間を削ってまで朝ご飯を作る気力がないだけです。朝ご飯を抜く気も、睡眠時間を削る気も私にはありませんでしたからね。
我ながら現金です。でも、慣れ親しんだご飯の効力は偉大なんですよ~。
いそいそと座り「いただきます」と手を合わせて挨拶し、久しぶりの白米を堪能します。
あぁ、私はお米に飢えていたんですね~。
今までのご飯も美味しかったですよ。主に洋食中心でしたけど。でも、いくら美味しくとも和食は別枠、特に白米は別格だったんですね。
つやつやふっくら炊きたてご飯は、人生に不可欠です。
それを改めて実感した瞬間でした。
味噌汁は合わせ味噌仕立てです。赤味噌も白味噌も嫌いじゃないですよ。でも、我が家は合わせ味噌のお味噌汁が定番でした。具材もこれまた定番の豆腐とワカメ。
そして、焼き鮭は私好みの甘塩です。身は肉厚で、実に食べ応えのある鮭でした。
幸せを実感ながら三分の二ほど黙々と食べて、ふと正気に戻りました。
私って、もしかしなくても明さんに餌付けされていますか?
ふと浮かんだ考えに――自爆しました。
そろそろっと明さんを窺えば、それはもう楽しそうな顔で私を見ていました。ばっちり目が合って、思い切り顔をそらしちゃいましたよ。
どうしてかって。それはもう、ものすごく気まずかったからに決まっています。
そういえば食べながら話を聞けと言いましたけど、私の意識が和食に釘付けな間、明さんはまったく話し掛けてもきませんでした。まあ、話されてもまともに聞こえていたかは疑問なので、その選択は正しい対処でしたよ。
ただ、一つ苦言を呈するならば、乙女の食事風景を見物するのはあまり良い趣味ではありません。改めるべきです。
明さんの存在をすっかり忘れ、自分が朝ご飯に夢中になっていたことは棚上げです。
「待ちくたびれたからな。これくらいの楽しみがあっても良いだろう? 途中で気絶したと思ったら、そこから本格的に朝まで寝るような奴に言われたくない。おまえは一晩寝ていたんだ」
その間、明さんはずっと私が起きてくるのを待っていたのでしょうか。それはすみませんでした、とここは謝るべきなのでしょうか、ね? それとこれは別問題だと思います。
ですが、待たせたのは事実みたいですし、私の態度にも多少の非はあるようですから、ここでこれ以上強く主張することはできません。
……私は爆睡していたんですね。知りませんでした。
食欲と睡眠欲には勝てないものですから、そのせいですね。
道理で妙にスッキリしているわけです。その代わりにお腹がペコペコでした。結果的に、昨日は夕ご飯を食べていませんものね。納得しました。
ご飯はとっても重要です。抜かすなんて、以ての外です!
「それは、おまえが初めに欠食児童並な食い気と執着を見せた時点でわかった」
明さんが残念な子を見るような表情になりました。
ま、失礼な。それは私に対しても欠食児童に対しても失礼な発言ですよ。断固抗議します。私は事実しか告げていません。
「その状態で言われても信憑性ゼロだな」
……ええ、自分でも少し思いました。
現在、私の口も手も食べるために忙しく動いています。よって、今までの会話は当然、一言も声として口に出していません。明さんが私の思考を読んでこれらの会話は成り立っています。
やっぱり便利ですね~。
こういう時に、しみじみと実感します。
「そういう感想を聞いたのはおまえが初めてだ」
そうですか。そうですよね。考えていることが相手に筒抜けでは居心地が良くないはずです。そう考える私も、明さんでなければ敬遠していたでしょう。
他人様に痛くないお腹を探られるのは、あまり気分の良いことではないです。
ただ――明さんは明さんですからね。
そうならなかった理由なんてそんなもんです。
……よくよく考えてみると、それだと答えじゃないですね。でも、私としてはそれが確固とした結論として根付いていました。自分で言うのも妙ですが、これに関しては思考が迷子になっています。
そこら辺のよくわからない部分は、たぶん、今のまま考えてもこれ以上の答えなんて出てきませんね。そんな気がします。そして、そういう場合は全部後回しです。
頭の片隅にでも押し込んでおきましょう。
「それで説明してくれるんですよね。しっかり聞きますから話してください」
口の中の物をしっかりと飲み下してから、言葉にして現状の説明を催促しました。食べ物が口に入った状態で話すのは、お行儀が悪いですからね。
なのに、そう言った途端に明さんは胡乱な顔になって私を見ました。なんですか、その表情は。瞳が疑いに満ちている気がしますが、そんな風に見られるいわれはないはずです。
「もう大丈夫です。しっかりと聞こえていますし認識して考える思考回路は正常ですから、食べながらでも判断つきますよ」
そう告げても、明さんの表情は芳しくありません。
なぜにここまで信用がないんでしょう。もしかして食べている間に、私が何かやらかしましたか? 記憶のある範囲で心当たりはゼロなんですけど……。
私が内心困っていると、明さんが気分を入れ替えるように息を吐き出しました。
そうしてようやく話す気になった明さんが語ったことをまとめると、ここはやはり人間の生活圏になるようです。しかも、中央都市部と名高い街から比較的近い場所にある街の、ここはその街に建つマンションの中の一つだと言われました。
なぜ内装がまったく同じなのかと訊いたら、途中でチマチマ運ぶのが面倒になって室内空間ごと無理矢理向こう側から移動させた名残だ、とか言われましたけど意味不明です。それはものぐさのなせる業ですか?
私の常識にはありませんけど、それってこちらでは常識なんでしょうか?
話がそれるからか、答える気が初めからなかったのか、心の中でしたその問いは明さんに無視られました。
別に良いですけどね。口に出してみれば答えてくれたかもしれませんけど、話の腰を折るのは私の本意ではありませんし~。
はぐらかされる可能性もあるわけで――今度、誰かに訊く機会があったら訊ねることにしましょう。
それで、ここからが重要です。
今まで外に出ることすら叶わなかった私ですが、この部屋から出ても良いと言うお達しが明さんから出ました。あちらで聞いた言葉に偽りはなかったんです。
ただ、首に掛かったペンダントだけは絶対に何がなんでも外すなと言われました。
「お風呂の時もですか?」と冗談で訊いたのに真顔で「そうだ」と真剣な言葉が返ってきた時には、私の方が訊いたことを後悔しましたよ。そして、その態度から冗談では流せないほど重要なことだと悟りました。
感触が気になりますが、これはもう慣れるしかないですよね。すべては外に出るための試練です。
一人で出掛けても良い、との言葉までもらいました。ただし、という前条件がつきましたが。
「その前に協会へ行く」
そういえば露さんもキョウカイに顔を出せって言っていましたね。
「明さん。キョウカイとは、神さまに祈る教会のことですか? それとも組合という意味での協会ですか?」
初めて聞いた時には、ニュアンス的にどちらかわからなかったんですよね。とても訊ける状況でも雰囲気でもありませんでしたし。
「組合という意味合いでの協会だ」
あぁ、そちらの方の協会ですか。でも、そうなると私が行った方が良いと言うのはどういう意味でしょうね。私がこの世界の人間ではないからでしょうか?
「見える者が見れば、おまえが人間に擬態した人外の者だからだ。並行世界から来たことは、状況が許す限り隠しておけ」
了解です。自分から好んで吹聴する気は初めからありませんから大丈夫です。私の目標は、この世界に埋没するように普通の生活を送ることですから、それを壊すようなことはしませんよ。
「人間の生活圏で人間以外が普通に暮らそうと思ったら、一度はあそこに顔を出した方が後々誤解されて捕まることも、処分されるリスクも減る。完全に目をつけられないように自衛できるならともかく、おまえには無理だろ。そういうことだ」
ながい物には巻かれろ的な考えなのですね。それは納得です。
ですが、別の部分ではちょっと納得したくなかったです。本音ではあまりわかりたくないですけど、これは仕方ないと諦めるしかないんですよね。
私、人間以外の生き物になったつもりは微塵もないんですけどねぇ。
別の世界から来たってだけで、人間の分類から外れるって――理不尽です。
ぶすくれていると、明さんが湯飲みを差し出してきました。デジャブですね。というか、一番初めにご飯を食べた時にも明さんはこうやってお茶を入れてくれました。今回は和食に合わせてか、ほうじ茶です。
食後には煎茶よりもほうじ茶ですよね。わかっていますね、明さん。グッジョブです。
明さんが入れてくれたお茶はやっぱり美味しいです。どうしたらこんな風に美味しく入れられるんでしょう。
これはちょっぴりうらやましいです。




