17.引越しです。
たぶん明さんの告げた言葉の意味の半分も、私は理解できていないです。
傀儡という言葉がどういう意味合いで使われているのか。それが指し示す物事が何かを私は知りません。そもそも、私は明さんのことをほとんど何も知らないんです。
明さんが自ら語ることをしなかったように、私も訊きませんでしたからそれは当然です。だから、この後の言葉は物知らずな私の戯言になるかもしれません。
私は絶対に、そんな明さんに同情はしませんよ。
明さんもそれを望まないでしょう。それだけは確信できるんです。
傲慢だと思われようと、私は考えを改めるつもりはないです。
だって、例えそうだとしても明さんは今、ここに、自分の意思でいるじゃないですか。ここにいることすらなんらかの別の意思が混ざっていたとしても、それがすべてではないはずです。
だから、私は言います。
「それが、なんですか?」
何かの思惑が絡むことなんて普通です。
偶然も必然も、運命も宿命も、日常のほんのちょっとした出来事ですら、なんらかの要因があって誰だかの思惑が意識無意識関係なく関わってくるんです。
それが世界です。それが生きているってことです。
他人より多くのモノをもらって存在しているんですから、他人より多くの柵が発生するのはある意味、公平ですよね。それを本人が望むかは別問題として。
ですが、その比率がどの程度のものかは誰にもわかりません。世の中、不公平でもありますから。でも、そういうものなんですよ。だから――。
「使えるものはありがたく使うんです。感謝はしますが、拒否して使わないのは阿呆のすることです」
持っているヒトの傲慢ですよ、明さん。
厳しい言葉になろうとも、持てないヒトからすればそういう風に思える部分はあるんです。
無い物強請りはしても仕方ないと知っていても、やっぱりしてしまうことってありますから。無ければ無いなりに、あればあるなりに、それぞれを許容して付き合っていくしかないんですよ。
「……セリがいれば、俺は路を踏み外すことも無いかもな」
そこで晴れ晴れと笑わないでください。そして、変な責任を私に押し付けないでください。はっきり言って重いです。
そんなこと言われたって、私には背負い切れる自信なんてありませんよ。
この時ちょっとだけ頬が熱くなったのは、さりげなく隠せたと思います。
満面笑顔よりも心から笑っていることがわかる笑顔で、逆に気まずかったんですよ。偉そうなことを言った自覚も、暴言を吐いた自覚もあったのでいっそうに。
明さんは自分の素の笑顔の威力を自覚してください。美女顔負けです。
「……荷造りは必要ないって言われても、女性には見られたくない代物があります。それくらいはまとめる時間をください」
都合が悪い時は話をぶった切って変えるに限ります。それにこれ、かなり重要です。
買ってきてくれたのが明さんだったとしても、洋服はともかく下着は目に触れて欲しくないです。
「箪笥ごと移動すれば支障はないと思っていたんだが……?」
言葉にしなくてもその続きはわかりますよ、えぇ。洗濯して乾いた物は箪笥に入っています。でも――。
「俺がおまえの荷物を勝手に漁るような変態に見える、と?」
その言葉にはブンブンと思い切り首を横に振って否定します。そんなことは微塵も考えていませんよ。
「なら同じことだ。おまえが手で運ぶのも、俺が術を使って運ぶのもそう違いはない」
結局、明さんに運んでもらうことに違いはありません。
いっそ明さんがその手の変態に見えたらよかったんでしょうか。本当に大丈夫ですか? うっかり箪笥の中身、ぶちまけるなんてことやらないですよね?
チラッと明さんを窺えば、心外とでも言いたそうな様子で腕を組んでいます。
あぁ、ですよね。私でもそういう反応になります。
わかりました。諸々お任せします。ですから、うっかり箪笥の中身を見てもとちらないでくださいよ。アレは私の趣味じゃないです。明さんの趣味でもないと信じていますからね。
スケスケとかフリフリの下着って、なかなかに凶器ですよね。色んな意味で……。自分が身に着けることなど一生ないと思っていましたよ。
あっ。明さんが噴き出しましたね。顔色が心なしか紅いです。
その反応を見て少し安心しました。知っていてわざと私にアレらを渡していたなら、さすがにビンタくらいはお見舞いすべきかと思っていましたから。どうやら本当に下着選びは店員さんにお任せしていたようですね。
疑いもスッキリ晴れたことですし~。
「わかりました。では、お願いします」
にっこり笑顔で頼んだら、微妙に視線をそらされたまま頷かれました。
嫌ですねぇ。もしかして想像でもしたんですか?
明さんはムッツリ助平です。そう心のメモに留めておきましょう。
次の瞬間、明さんの顔が不味い物でも飲み込んだかのように歪みました。
本気で想像していたんでしょうか。冗談でしたのに……。
「紛らわしいことを考えるな」
さすがに黙っていられなかったらしく、明さんのお小言が飛んできました。でも。
「明さんも意外にからかいがいのある性格をしていたんですね」
今の私には効きませんよ。
顔に浮かぶ笑みは押さえられません。だって、本当に楽しいんです。
気がついた時には、明さんがすぐ傍にいました。
えぇ~と、ずいぶんとご機嫌斜めな表情をしていますね。
さすがにこの顔を目の前にして笑えるほど、私の神経は図太くないです。
「あまりおいたが過ぎると――食うぞ」
耳元で囁かれた最後の言葉はどういう意味でしょう。思いつくどちらの意味でも嫌です。
「遠慮します」
それでもそれなりに図太い神経は、お断りの言葉を吐くくらいの余裕はくれました。そして、互いの主張を賭けたにらめっこの開始です。
「……ま、俺の忍耐が持つ間は待ってやる」
勝敗はどちらに分があったのでしょう。
明さんは相変わらず俺サマで、上から目線な宣言をします。その言葉のどこからが本気でどこからが冗談かわかりませんが、どうやら今回は難を逃れたようです。
そこで止めておけば良かったんですよ、私も。
「簡単に食われると思ったら大間違いです」
気分が良かったものですから、大胆になっていたんですね。後から思い返してみれば、どうしてここでその切り返しをしたって感じですけど、後悔とは後で気づくものなんです。
「私をその気にさせたなら食ってもいいですよ」
気がつけば、明さんに真っ向から喧嘩を売っていました。
その後に明さんが見せた表情は、早々に記憶から抹消しましたよ。私の心の平穏のために。
だって、猛獣の尻尾をうっかり踏んづけて餌認定されたような気分に陥る、獰猛できらびやかで艶やかな笑みだったんです。獲物自身に自ら身を差し出させるような魔性の笑みですよ。
あれはこの世のもんじゃないです。まだあの世には逝きたくないので、死ぬ気で忘れました。
見てない、見てない、私はな~にも見ていませんよ。
「じゃあ行くか」
明さんが出発を告げます。了承しましたから私に異存はありません。と思ってから、ふと視界の片隅に露さんとせっちゃんの姿を見つけました。
きゃ~。すっかり二人のことを忘れていましたよ。
露さんがニヤニヤとおかしそうに笑っています。もしかしなくても今までのやり取りって完全に聞かれていましたよね。いるならいるって、もっとしっかり主張してください。黙って見ていないで会話に交ざってくださいよ。
……恥ずかしいです。穴を掘って埋まりたいです。
恨めしげに明さんを見上げれば、不思議そうな顔をされました。
えぇ、ええ、恥ずかしいと思うのは私だけです。明さんに私の羞恥心なんて理解できませんよ。むくれた気分になりましたが、明さんがこの調子なら私が話さないと駄目ですよね。
「露さん。そういうことなのでお引っ越しすることになりました」
すべて見て聞いていた露さんですからわかっているでしょうけど、けじめですので結論を口にします。
「ああ、セリはここにいるよりもその方が良いだろう。明を尻に敷いて存分に使ってやりな」
……なんとも返答に困る餞別の言葉をもらいました。
さすが明さん曰く、女尊男卑主義な集落の族長です。
「今まで泉をありがとう。セリのお陰でこの子は命拾いした。その恩はいつか泉自身がセリに返すだろうよ。それまで元気にやっているんだよ」
ああ、やっぱりそうですよね。せっちゃんともここでお別れというのは淋しいですけど、せっちゃんのためには迎えに来てくれたお母さんと一緒に暮らす方が幸せのはずです。
「お礼を言うのは私の方ですよ。せっちゃんがいたからこの部屋の中でも淋しくなかったんです。ありがとうございます」
せっちゃんがパタパタとゆっくり飛んで私の傍まで来たので、手を伸ばしてその身体をそっと抱きしめます。
温かくて柔らかい、小さな存在。
うん。大丈夫です。
目線の高さに抱き上げれば、円らな茜色の瞳と視線が真正面で交差します。
「せっちゃん。元気でいてくださいね」
その言葉に精一杯の思いを込めました。
また今度。また会いましょうと告げるには私の存在は不確かで、会いに来ようにも私は移動手段を自分で持っていません。ここと私がこれから行く場所がどれほど離れているかも正確には知りませんが、とても遠い場所だとはわかります。
それに私は自分で自分の身を守ることすらままならないんです。
現状、すべて明さん頼みです。そんな曖昧な立場しか持たない私には、先の約束など口にできません。
まっすぐに私を見つめるせっちゃんの瞳からは、強い意思を感じます。
どうかこの瞳が曇ることがありませんように。そう願いながらにっこりと笑い掛け、せっちゃんをそっと解放します。
空中に舞ったせっちゃんは私に何かを告げるように鳴いてから露さんの方へと戻り、その頭に着地しました。
私にはせっちゃんの言葉がわかりません。だから、何を言ったのか教えて欲しかったのですが、露さんも明さんも教えてくれる気はないようです。
ただ、明さんの表情が先程よりも不機嫌そうなので、明さんにとってはあまりよろしくない言葉だったようです。
「そうだ、明。あちらに行くなら協会に顔を出しておいた方が良いよ。おまえさんだけならどうにでもなるだろうけど、セリはそういうわけにいかないだろ? 要らん詮索を受けるよりは、初めに顔だけでも出しておいた方がセリのためでもある。協会の長は今、竜族の先祖返りだからね。私も知らない仲じゃない。まあ、あちらは青龍の流れを組むんだけどね。私も知らせておくけど、話は通る相手だからなるべく早めに行くんだよ。ちなみに相手は雌だから安心おし」
露さんがそう言えば、といった様子で明さんに話し掛けます。
きょうかい。キョウカイ。
教会? それとも、協会?
どちらでしょう。どうやらそこに挨拶に行った方が良いみたいですけど、何をやっている場所なんでしょう。仕事の斡旋とかやっていませんかね?
先祖返りという言葉も初耳です。隔世遺伝とか、そういったものですか? 訊きたいですけど、訊ける雰囲気ではないです。
「……わかった」
明さんが少し考えた後に了承し、いきなり私を引き寄せて抱き締めました。
いきなりは止めてください。心臓に悪いです。驚きでバクバクいっているじゃないですか。寿命が縮んじゃいます。
「じゃあな」
私が心の中で文句を言っている間に簡潔に挨拶を済ませた明さんは、
「死にたくなければ、しっかりしがみついて眼を閉じていろよ。空間の狭間は人間の精神には毒だ」
こんな直前で爆弾発言をかましてくれました。反射的に明さんの背に手を回し、ぎゅっと目を思い切り閉じます。
そんな話、聞いてないですよ~。私にだって心の準備ってものが必要なんです。次にそういう物騒なことをやる時はもっと前もって教えてくださ~い。
そう考えている途中で私は奇妙な浮遊感を体験し、上下の感覚を失って気分が悪くなり――最終的には、気絶しました。
……あらかじめどういうものなのか、正確に教えておいてくださいよ。対処できるかは別問題ですが、心構えがあるとないでは大分違うんですから。
身に染みて、それを実感した瞬間でした。
こうして私は人外の者の生活圏という場所に別れを告げ、人間の生活圏へと居を移すことになります。
まだ、並行世界に来ておよそ二週間足らず。
ほぼ部屋の中だけの生活でしたが、ここはやはり世界が違うのだと思い知らされる日々でした。
~お知らせ~
現在(10/22)、だいぶ下書きストックが少なくなりました。
10月末日までにたぶんあと3話は更新する予定ですが、ここからは今までよりも更新速度が落ちると思います。
ご了承いただければ幸いです。




