13.本題はこれから、なんですね。
「その話を聞いて、気になることが一つあります。明さんも露さんも呼び名ですよね。二人には苗字ってないんですか?」
露さんの説明を聞いて、もしやと思ったんです。
「苗字は今、使われていない。あれはとうに廃れたものだ」
そう答えたのは明さんでした。露さんは不思議そうな顔をしています。
露さんが知らないほど昔のことですか。そうですか……明さんって、いったい何歳になるんでしょう。
――ちょっとお腹の贅肉を摘まないでください。本気でセクハラですよ!
明さんの手をパシンと叩けば、
「痛いな」
まったく痛そうには聞こえない、笑み含んだ声が返ってきました。けれど、その手の動きは止まったので、とりあえずよしとします。
「なら、私が苗字を使うことに問題はありませんね?」
話を続行します。
「苗字も真名の一部に入るだろう」
明さんは難色を示しましたが、私だって考え無しで言っているのではないですよ。
「名前だけで真名と認識できているのなら、私の苗字はこの世界の真名にはならないはずです。真名というものは、欠けていても真名と認識できるものですか?」
「……いや。そうだな。おまえの言う通りだ」
「それなら私、これから高瀬と名乗ることにします。それなら大丈夫ですよね?」
高瀬理沙。それが私の正式な名前です。
「………」
「………」
……なんですか、その沈黙は。
「もしかしなくても、これも真名に聞こえますか? 私、真名かそうでないかの違いなんてサッパリなんですけど」
沈黙とその沈痛そうな視線が痛いですよ、露さん。
明さんがどんな顔をしているかわかりませんけど、無言はやめてください。反応がわかりません。
「……真名だな」
「……真名だね」
心の訴えに反応するように、二人はそれぞれ結論を口にしてくれました。
なんとなく空気が重いです。苗字も真名になるって、面倒以外の何物でもないですね。
「真名が二つとか、面倒だな」
どうやら明さんも私と同じ考えのようです。
そうですよね。こういうものって普通、唯一無二のものだと思うんですよ。ファンタジーのセオリーでもそうです。なのに、二つって――どうしてですか?
苗字ってファミリーネームですよ。私個人を示す名前じゃなくて、家族を表すものです。
これもまた世界の理事情なんでしょうかね。難しいです。
「明。面倒とか言う以前の問題だろう。真名が二つあるなんて、本来ありえないことだ。お嬢さん。無闇矢鱈に名前を他人に告げてはいけないよ」
露さんは真剣な顔をしていますが、その手にぶら下げているせっちゃんはブラブラと揺れながら牙をむいて威嚇しています。私というよりその後ろの明さんに向かってですね、これは。
当事者が諦めたというのに、せっちゃんは私のためにまだ怒ってくれているんですよね。本当に良い子です。
明さんもぜひ見習ってください。
「では、私は元の世界での名前を使ってはいけないんですね?」
「そういうことになるね」
両親からもらった名前ですが、背に腹は変えられません。これらの名前は封印しましょう。少し淋しいですけど、仕方ないですよね。
でも、そうなると今後の名前を考えないといけません。名無しの権兵衛でいるのは、さすがに不便です。
「セリでいいだろう」
明さんの腕がぎゅっと締まります。
「どうしてセリなんですか?」
両親も親しい友人達も理沙呼びでしたし、会社の方々は高瀬呼びでしたから、これといって普段から使っている他の呼び名というものはありません。でも、今までとまったく違う呼び方では私が間違いそうなんです。
呼ばれているのに気づかない、というのは不自然ですよね。
「タカセ、リサだろ。両方の真名の間を取った。セリなら、呼び名としても不自然じゃない」
ああ。そういうことなんですね。
どちらも私の名前です。元の世界と繋がりのある私を示す名前を合わせたもの、だったんですね。納得です。そして、それなら間違えることもないです。
「ありがとうございます、明さん」
答えの変わりに頭をグリグリと撫でられました。
だから、それをやられると髪がくしゃくしゃになるんですってば。止めてくださいってさっきも言いましたよね。
明さんの手を頭から退かします。意外にすんなりと退けられたので、拍子抜けです。
「ということなので、セリと名乗ることにします。お嬢さんではなくセリと呼んでください、露さん」
「では改めて。セリ、よろしく」
「よろしくお願いします、露さん。せっちゃんもよろしくね」
牙をむいて唸っていたせっちゃんはピタリと唸ることを止めてキュルッとした瞳を私に向けると、お返事するように鳴きました。
これぞ胸キュンですよね。可愛い子にひたむきに見つめられるとお姉さん、いちころです。
なんだか明さんが後ろでため息を吐いていますけど、文句ありますか。せっちゃんは誰がどう見ても可愛いんです。
「さて。それじゃあそろそろ本題といこうじゃないか。明。私をわざわざセリに会わせたのは、なにも説明させるためではないんだろう? それだけならいくらおまえさんがものぐさだとしても、相手は大事な伴侶。特にセリは特殊な生い立ちをしている。本音では、なるべく他人に会わせたくないところだろう?」
「否定はしないな」
……私的には、色々と否定して欲しい言葉満載です。
伴侶宣言反対。監禁反対。
というか、本題って――今までの会話は、全部前座だったんですか。驚きです。
「泉の存在を許容したのも、セリのお陰だろう? そうでなければ、いくらあいつに押し付けられたとはいえ、おまえが大人しく泉を側に寄せ付けるはずもない。下手すれば、殺されていてもおかしくなかった」
なんですか、それ。さらりと物騒な言葉を他人事のように告げないでください、露さん。そして、せっちゃん。そこで大人しくコクコクと頷かないでください。
冗談ですよね?
あぁ。でも、その言葉に思うところがあります。
せっちゃんは明さんに警戒心バリバリで、あまり近づかないようにしていたんですよね。牙をむくのも日常茶飯事でした。
まさか、ね。
「それはセリに懐いたからな。同じくセリもそれに懐いていた。さすがに処分すれば、セリが泣くだろう?」
世界が凍りつく音がしました。そこからわき上がってくるのは、先程も感じた怒りです。
むしり取るように明さんの腕を外して自由になった私は、明さんの前に対峙します。
「……明さんは命をなんだと思っているんですか!!」
先程の自分の命を物のように扱う発言も、この発言も根本は同じです。
「私が泣くからって……なんですか、その理由は。死んじゃったら、そこで終わりです。終わりなんですよ」
死者は笑いもしないし、泣きもしない。苦しみもしないけれど、喜びもしない。死んでしまったら、何もないじゃないですか。ここにはゾンビなんてものも出るそうですけど、生きている時とは違いますよね?
生きているからこそ、そういう諸々を感じることだってできるんです。
なのに、なぜ――。
そんな簡単にそれを捨てる発言をするんですか。
それを摘み取る発言ができるんですか。
「私には明さんの考えがわかりません」
元の世界で必死になって生きてきました。
肩肘張ってでも、自分を誤魔化してでも、ただ生きるために必死でした。
たとえ生きるという行為が苦痛に感じても。逃げたい、楽になりたいと切望することがあっても――私にとって、死は望むものではなかったんです。正確には、望めるものではなかったというべきでしょうが。
それぞれいろんな考えがあることはわかります。私の考えを押し付ける権利など無いこともわかっています。それでも、私は思ってしまうんです。望んでしまうんです。
そんな簡単に、命を摘み取るような発言はしないでください。
生きたい人を、生きられる人を殺すような発言はしないでください。
奪われた方も、奪う方も、その周りも。誰も幸せにはなれないじゃないですか。そんな風に失った命には恨み辛み悲しみが残るだけで、何も良いことが無いじゃないですか。
私は明さんにそんなことやって欲しくないですし、言っても欲しくないんです。
……たとえ私のこの考え方がきれい事で、この世界のあり様からすれば異質だとわかっていても。
私の目の前で、明さんが笑っています。困ったような顔で、少し辛そうに見える顔で、それでも笑っていました。
「俺にもセリの考えはわからないな。おまえ以外はどうなろうとどうでもいい。それが俺だ」
淡々と告げられた言葉が、私の怒りに波紋を広げます。
なんですか、それは。無茶苦茶です。
なんですか、それは。なんで、どうして私限定なんです。
極端過ぎです。聞かなかったことにしたいです。
「……その中に、明さん自身は入っていないんですか?」
私の問いに、明さんが不思議そうな顔をしました。
質問の意味が理解できませんか?
「明さん自身すらどうでもいいと聞こえました。私の認識違いですか? と訊きました」
私の告げた言葉の意味が理解できたのか、明さんが苦笑しました。
「どうだろうな。セリに会う前ならどうでもよかったが、今はわからん」
なんですか、それは。話せば話すほど行き先が迷路です。
「……筋金入りの馬鹿ですね」
それしか言葉が見つかりませんでした。
明さんを理解しようとする方が間違っていたような気がします。そう思えてしまった自分が情けないです。
「おまえくらいだよ、俺を馬鹿扱いするのは」
そこで晴れやかに笑って、私を引き寄せるのは止めてください。
明さんの手をペチリと叩き落とします。でも、その様子すら楽しそうに笑っているんですから、やっぱり遊ばれていますね。
精神的に疲れて、仕方なく明さんの隣、元々座っていた場所に座ります。だから、その手は不要ですよ。私の身体を傍に引き寄せようとしないでください。
そういえばまた、話の腰を折ってしまいました。
「露さん、すみません。お話を続けてください」
露さんを見れば、呆気にとられたような顔をしていました。
どうしたんでしょうね。何か驚くほどのことなんてありましたか?
そろそろ本気でせっちゃんを放してあげた方が良いと思いますよ。ブラブラと揺れっぱなしですけど、心なしか先程より勢いがないですし、何よりちょっとクッタリして見えます。
私の視線からせっちゃんの様子に気づいた露さんが、慌ててせっちゃんを膝の上に置きます。やっぱりクテッとなっていますが、居心地の良い体勢を整えるくらいの気力はあるみたいですし大丈夫ですね。
「ああ、そうだね。話を続けようか。明。それで本題は?」
調子を取り戻した露さんが明さんに問い掛けます。
そういえば本題がどうのという話でしたね。話の腰を折った自覚はありましたけど、話の内容がなんだったのか忘れていました。
「これだ」
どこかから取り出された小さな銀色の物体を、明さんは無造作にテーブルの上に置きます。
小さな物とはいえ、いったいどこにしまっていたのでしょうね。手品師のような鮮やかなお手並みです。取り出したところは見えませんでした。
テーブルの上に置かれたそれは、銀鎖のペンダントのようです。トップには明さんの瞳の色に良く似た暗緑色の石があしらわれています。
あまりこういう細工物に興味がないので、何がどうって言えないんですよね。きれいですけど、これがどうかしたんでしょうか。
露さんも明さんが意図するところがわからないらしく困惑顔です。
「この魔石をあしらったペンダントがなんだ?」
これが魔石、というものなんですね。説明は聞きましたけど、実物を見るのは初めてです。
「これを媒体に、中身を誤魔化す術をかけてくれ」
中身を誤魔化す? なんの中身を誤魔化すのでしょう。
私には明さんが言いたかったことは伝わりませんでしたけど、露さんにはそれだけで伝わったようです。ただ、不思議そうな顔で明さんを見て確認しています。
「別に、私でなくてもおまえがやれば良いことじゃないか?」
「直に掛けたら弾かれて失敗した。そうなると物に付与して身に付ける方法が無難になるが、俺の術はそれに適さない。竜族固有の子供に掛ける術があるだろう。アレを掛けてくれ」
「アレか。確かにあの術ならお嬢さんの特異性もある程度なら隠せる。だが、アレは絶対ではないし、何より燃費が悪い。この魔石がいくら純度の高い物だとしても、この大きさならすぐに力を使い果たしてしまうぞ?」
「魔石はそのためのものじゃない。これにはセリの力を引き出し、この世界の理にあった形に変換する術式を入れてある。使うのはセリ自身の力だ」
私には意味がわからない話でしたが、露さんの眉間に皺が寄っています。明さんも見たことが無いほど真剣な顔です。
二人の会話に参加することもできない私の存在は、場違いな気がしてきました。でも、話の内容は私に関わりのあることみたいですし、この場を離れるわけにもいきません。なので、なんとなく神妙な気持ちで、心持ち背筋を正してソファに座り直してみます。
「それはまた――ずいぶんと荒業じゃないか。理屈上ならともかく、実際にできるのか?」
「力の変換なら可能だった。だが、セリ自身は理の大部分が違うせいで、術の媒介にはならない。そういうことだ」
正確なところはよくわかりませんが、ここでも理が問題になっているようです。
世界の理とはいったい全体どういったものなのでしょうね。
「ようするに実際にやってみないと成功するかはわからないってことか。もし失敗したとしても、セリに危害はないね?」
「……こいつは俺の術すら分解して消した奴だ。愚問だな」
そう答えた明さんの声に、少し棘が混じっていたような気がします。
私にはまったく身に覚えがありません。明さんになんだかよくわからないことを仕掛けられていたということすら、今、初めて知りました。
そんな風ですから、私はどちらかというと被害者だと思うんですよ。それなのに――なんだか申し訳無いような、罪悪感があるのはどうしてでしょうね。




