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王宮財務監査局から派遣された事務官たちが伯爵邸で調査を始めてから、三週間が過ぎようとしていた。その間、エレオノーラは王妃からの返事を待ち続けていたが、いっこうに届く気配がない。
学院時代からの親しい友人が困っているというのに、随分と薄情なことだと思う一方で、王妃も自分への返答に慎重になっているのだろうと考えれば、多少は気分もよくなるのだった。
「それにしても、セレスティーヌ様ったら、いつまでわたくしをお待たせになるおつもりなのかしら。昔からそういうところがおありだったけれど、王妃になられてからは、ますますご自分の立場を気になさるようになったのね」
朝食を終えたエレオノーラは、グレゴールが差し出した手紙の束を眺めながら、不満げにため息をついた。そこには商人からの請求書や王宮財務監査局からの通知も含まれていたが、夫人は差出人を確認しただけで、興味のないものを次々と脇へ寄せていった。
「王妃陛下もご公務でお忙しいのでございましょう。奥様へのお返事ともなれば、慎重にお考えになるのも無理はございません」
「まあ、そうでしょうね。わたくしだって、あの方のお立場は理解しておりますもの。ただ、昔のことをいつまでも気になさっているのなら、もう少し大人になっていただきたいわ。わたくしはとっくに許して差し上げているというのに」
グレゴールは心得たように頷いた。王妃が夫人に何を許してもらう必要があるのか、詳しい事情は知らなかったが、今さら尋ねるつもりもなかった。
「ところで、フィリップ様たちはどうなさっているの? 最近はわたくしのところへ、あまりいらっしゃらないようだけれど」
「書庫で帳簿を調べたり、領地の管理者と連絡を取ったりしておられるようでございます」
「まあ、まだそんなことをなさっているの? わたくし、必要なことはすべてお任せすると申し上げたでしょう。それなのに、いつまで経っても仕事が終わらないなんて、王宮の事務官というのも案外頼りないものね」
「まことに、おっしゃるとおりでございます」
「それに、長官からのお詫びもまだなのよ。わたくしがどれほど傷ついたか、少しも理解していらっしゃらないのね。もっとも、あの方もお若いから、女性の気持ちというものがお分かりにならないのかもしれないわ」
エレオノーラはそこで、ふと思いついたように扇を閉じた。
「そうだわ。長官をお食事にお招きしてはどうかしら。王宮でのお仕事ばかりではお疲れでしょうし、わたくしが少しお話し相手になって差し上げれば、きっとお喜びになると思うの」
「それはよろしゅうございますな」
「でしょう? あの方、夜会では随分と堅苦しい態度をなさっていたけれど、周囲の目が気になったのでしょうね。わたくしだって主人のある身ですもの、お立場はよく理解しておりますわ。でも、だからといって、親しくお話しすることまで遠慮なさる必要はありませんでしょう?」
夫人は楽しそうに微笑んだ。オスカーが妻子の存在を明言し、私的な関係を持つ意思はないと告げたことは、彼女の中では既に、周囲への配慮から本心を隠さざるを得なかったという話に変わっていた。
「ただし、あまり大勢をお招きするのも考えものね。せっかくですから、長官とゆっくりお話しできるようにしてちょうだい。そうね、晩餐よりも少し気軽なお食事のほうがよろしいかしら」
「かしこまりました。早速、招待状を用意いたします」
「それから、フィリップ様にもお伝えしておいて。あなたがおっしゃっていたとおり、長官とわたくしが親しくなれば、いろいろとお仕事も進めやすくなるでしょう、と。あの方も、わたくしがここまで気を遣って差し上げていると知れば、きっと感謝なさるわ」
グレゴールは夫人の言葉をそのまま書き留めた。王宮の高官を私的な食事に招くこと自体は珍しいことではないが、現在進行中の財務調査に関わる長官を、調査対象の伯爵家が内密に招待するとなれば話は別である。まして、夫人が何を期待しているのか、少し考えれば分かりそうなものだったが、グレゴールにはそのような判断をする知識も経験もなかった。
***
その日の午後、フィリップは同僚とともに、領地から取り寄せた報告書を確認していた。伯爵邸の帳簿だけでは不明だった支出の内訳も、領地の管理者から直接資料を受け取ることで、少しずつ明らかになってきている。
「用水路の補修費用が、三年続けて承認されていないのか」
「そうなんだ。領地の管理者は毎年申請していたらしいが、伯爵邸から返答がなかったそうだ。去年は収穫にも影響が出ている」
「街道の整備も同じだな。こちらは商人たちからも苦情が来ている。輸送に時間がかかるうえ、荷馬車が通れない場所まであるらしい」
フィリップは報告書をめくり、以前の帳簿と照らし合わせた。前家令が在職していた頃は、領地の維持費が毎年確保されており、必要な補修も計画的に行われていた。ところが、その後は支出の優先順位が曖昧になり、屋敷で使う金が不足するたびに、領地の管理費が削られていたのである。
「これでは収入が減るのも当然だな。必要な補修をしないまま、領民にもっと働けと言っても無理な話だ」
「夫人は、そのあたりを理解していないようだったけど」
「理解していないというより、説明を聞こうとしないんだ。こちらが数字を示しても、使用人が無能だからだとか、領民の努力が足りないとか、話が別の方向へ進んでしまう」
同僚は困ったように笑ったが、フィリップの表情は晴れなかった。調査が進むほど、伯爵家の管理体制そのものに問題があることが明らかになっていた。領地の財政を立て直すには、単に帳簿を整理するだけでは足りず、今後の支出を適切に判断できる者が必要だった。
「それにしても、家令は何をしているんだろうな。以前の帳簿はあれだけ整っていたのに、今は収支の合計すら合わない」
「本人に確認しても、奥様のご指示に従っただけだとしか答えない。支出の理由を聞けば夫人に尋ねろと言うし、夫人に尋ねれば家令に任せていると言われる。これでは、誰が何を決めたのかも分からない」
「前家令が残した記録がなかったら、もっと大変だっただろうな」
「そうだね。あの記録のおかげで、少なくとも以前の管理方法は確認できた。ただ、現在の家令が就任した頃から急に記録が乱れている理由については、もう少し詳しく調べる必要がある」
フィリップはそう言って、別の書類を取り上げた。そこには、使用人の採用と退職に関する記録がまとめられていたが、ここ数年の退職者の多さは異常ともいえるものだった。
「これを見てくれ。三年間で、これだけの人数が辞めている。しかも、採用してから数か月も経たずに退職している者が多い」
「……これはひどいな。何か理由があるのか?」
「退職届には一身上の都合と書かれているものが多い。ただ、前家令がいた頃の記録には、夫人からの叱責や指示の変更について、かなり詳しい報告が残っている」
同僚は書類を受け取り、眉をひそめた。
「これでは、経験のある使用人が集まらなくなるのも無理はないな」
「前家令が退職した事情も確認したい。今の家令は高齢による引退だと説明しているけれど、それだけではないような気がする」
「本人に話を聞けないのか?」
「既に所在を調べてもらっている。応じていただけるようなら、正式に面談を申し込むつもりだ」
二人が話しているところへ、グレゴールが封筒を手に入ってきた。
「フィリップ殿、少々よろしいかな」
「はい。何でしょうか」
「奥様からお預かりしたものがございましてな。こちらを長官様へお渡しいただきたいのです」
フィリップは差し出された封筒を受け取り、宛名を確認した。オスカー・レインフォード長官宛ての私的な招待状らしい。
「長官へのお手紙ですか。正式な連絡でしたら、王宮の窓口を通していただければ確実ですが」
「いやいや、そう堅苦しいものではございません。奥様が長官様をお食事にお招きしたいとおっしゃっておりましてな」
「お食事、ですか」
「ええ。奥様は長官様と親しくお話ししたいと、大変楽しみにしておられます。それに、あなたも以前、長官様と親しくなれば仕事が進めやすくなるとおっしゃっていたそうではありませんか」
フィリップは思わず顔を上げた。「……私が、ですか?」
「ええ。奥様は、あなたのお言葉をよく覚えておいでですぞ。長官様と奥様が親しくなれば、いろいろと都合がよくなるのでしょう?」
グレゴールは得意げに微笑んだが、フィリップはしばらく返事ができなかった。夜会での一件については、既に長官へ事情を説明している。まさか夫人が、今もあの誤解を解いていないとは思わなかったのである。
「家令殿、念のため確認させてください。私は、伯爵夫人と長官が私的に親しくなることを勧めたことはありません。以前の発言は、業務上の相談について同僚と話していたものです」
「いやいや、分かっておりますとも。奥様も、そのような細かいことを気になさる方ではございませんから」
「細かいことではなく、意味がまったく違うのですが」
「まあ、そう難しくお考えにならずとも。奥様は大変お美しい方ですし、長官様もお若いのでしょう? きっとお話が合うと思いますぞ」
フィリップは返答に迷った。相手が王宮の職員であれば、その発言がどれほど不適切か説明するところだが、グレゴールには、そもそも何が問題なのか理解できていない様子だった。
「長官には奥様とお子様がいらっしゃいます。それに、現在は伯爵家の財務調査を担当しておりますので、私的な会食については慎重に判断する必要があります」
「もちろん、長官様にご家族がいらっしゃることは存じております。しかし、奥様にも旦那様がいらっしゃいますからな。お互いに分別のある大人同士、何も問題はございますまい」
グレゴールはそう言って笑った。
フィリップはそれ以上議論しても無駄だと判断し、招待状を正式な窓口へ回すことにした。
受け取った日時と経緯を記録し、長官の判断を仰ぐ。それが最も確実な方法だった。
「では、こちらはお預かりします。ただし、お招きに応じられるかどうかは長官ご本人の判断になりますので、その点はご了承ください」
「ええ、もちろんですとも。奥様もきっとお喜びになるでしょう」
グレゴールは満足げに頷き、部屋を出ていった。その後ろ姿を見送った同僚が、何ともいえない顔でフィリップを見た。
「……あの家令、本当に何も分かっていないんだな」
「どうやら、そのようだね」
「長官に妻子がいることまで知っていて、あの言い方か」
「今の話では、知っているつもりらしい。ただ、いつから知っていたのかは分からないけど」
フィリップは招待状を机の端へ置き、深く息を吐いた。
「とにかく、長官へ報告しよう。こちらは領地の財政を立て直すために来ているんだ。余計な誤解で仕事を止めるわけにはいかない」
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