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『勘違いな伯爵夫人』  作者: なみゆき


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6

 王妃宛ての書簡を書き上げるまでに、エレオノーラは三度も便箋を取り替えさせた。

最初の二通は、いずれも自分がどれほど理不尽な扱いを受けたかを訴えるうちに紙面が足りなくなったためで、三通目に至っては、王妃との学院時代の思い出を書き連ねるだけで半分以上を使ってしまったのである。


「やはり、昔からの親しい間柄ですもの。少しは懐かしいお話も添えたほうがよろしいでしょう? セレスティーヌ様も、きっとお喜びになるわ」


「まことに、お心のこもったお手紙でございますな」


「そうでしょう? それに、わたくしがどれほど寛大な気持ちで接して差し上げているかも、分かっていただけると思いますの。昔のことはもう気にしていないと、改めてお伝えしておきましたもの」


グレゴールは満足げに頷いたが、書簡の内容を確認することはなかった。

夫人が王妃に何を書こうと、自分には関係のないことだと思っていたのである。


もっとも、王妃との親密な関係を強調する夫人の言葉を信じていたグレゴールにとっては、これで王宮財務監査局の長官も態度を改めるに違いないという期待があった。

長官が夫人に謝罪すれば、面倒な帳簿の確認も少しは緩くなるかもしれない。そうなれば、自分もこれ以上細かな質問を受けずに済むだろう。


エレオノーラも似たようなことを考えていた。

ただし、彼女の場合はさらに一歩進んで、オスカー長官が自分に対して冷淡な態度を取ったのは、周囲の目を気にしたためだと思い込んでいた。

王妃から一言あれば、きっと長官も素直に自分への好意を認めるだろうし、そうなれば伯爵家の財務についても、こちらの希望を聞いてくれるに違いない。


夫人は封筒に王妃の名を記し、満足そうに封蝋を押した。


「これでよろしいわ。グレゴール、すぐに王宮へ届けてちょうだい。大切なお手紙なのだから、間違っても財務監査局などへ回さないようにね」


「かしこまりました」


「それから、長官にはまだお返事をしなくてよろしいわ。わたくしを疑ったことを、少しは反省していただかなくては」


夫人は優雅に紅茶を口にした。

王妃からの返事が届いたら、どのように長官へ伝えてやろうかと考えるだけで、気分が晴れるようだった。


一方、王宮では、王妃付きの侍女長が届いた書簡を確認し、少々困惑していた。


差出人はヴァレンシュタイン伯爵夫人。王妃の学院時代の同級生であることは記録にも残っていたが、王妃との私的な文通が続いている形跡はなく、近年の面会記録もなかった。


それにもかかわらず、書簡には親しげな呼びかけが並び、学院時代の思い出と称する話が長々と綴られている。

そのうえ、王宮財務監査局長官が自分を不当に扱ったため、王妃から厳重に注意してほしいという要求まで添えられていた。


侍女長は一通り目を通したあと、問題となっている箇所を整理し、王妃へ報告することにした。


「ヴァレンシュタイン伯爵夫人から、お手紙が届いております」


執務を終えたセレスティーヌ王妃は、差し出された書簡を受け取ると、差出人の名前を見て少し考え込んだ。


「ヴァレンシュタイン……ああ、エレオノーラ様ね。確か学院で同じ学年だった方だわ」


「はい。王妃陛下とは大変親しい間柄であったと書かれておりますが」


「そうだったかしら。何度かお話ししたことはあると思うけれど、特別に親しくしていた記憶はないわね」


王妃は不思議そうに首を傾げながら、書簡を読み進めた。途中までは懐かしい学院時代の話が続いていたものの、王太子だった国王から特別に目をかけられていたという記述に差しかかったところで、わずかに眉を上げた。


「……これは、どういう意味なのかしら」


侍女長は答えに窮した。


「さあ、わたくしにも何とも。ただ、伯爵夫人は昔から王妃陛下と親しく競い合っていたと、社交界でお話しになっているそうでございます」


「競い合って?」


王妃はますます不思議そうな顔をした。


「わたくし、あの方と何かを競ったことがあったかしら。学院の試験なら、同じ学年の皆さまと一緒に受けていたけれど」


「そのようでございますね」


「まあ、昔のことだから、覚えていないだけかもしれないわ。それより、オスカーについて何か書かれているようね」


王妃は後半に目を通し、今度ははっきりと眉をひそめた。


書簡には、オスカー長官が夫人の名誉を傷つけたこと、部下の不適切な発言について責任を取ろうとしないこと、さらには王妃の旧友である自分を軽んじる態度が許しがたいことなどが記されていた。

しかし、肝心の出来事については曖昧な説明しかなく、何をもって名誉を傷つけられたと主張しているのか、判然としなかった。


「オスカーが、何か失礼なことをしたというの?」


「詳細は分かりかねます。ただ、財務監査局からは、ヴァレンシュタイン伯爵領の調査が進められていると報告を受けております」


「そう。では、職務に関する問題なのね」


王妃はしばらく考えたあと、書簡を侍女長へ返した。


「まずは正式な経緯を確認してちょうだい。オスカーが不適切な対応をしたのなら、当然改める必要があるわ。ただし、わたくしとの昔の知り合いという理由で、調査の内容に口を出すことはできません」


「承知いたしました」


「それから、伯爵夫人へのお返事は、事実関係が分かってからにしましょう。何か誤解があるのかもしれないもの」


王妃はそれ以上、エレオノーラの書簡について話さなかった。王妃にはほかにも多くの公務があり、学院時代の同級生から届いた一通の手紙に、いつまでも時間を費やすわけにはいかなかったのである。


***

 その頃、オスカーは財務監査局の執務室で、フィリップから夜会での発言について報告を受けていた。


「つまり、君が同僚と話していたのは、私に業務上の相談をしやすくなればよいということだったんだな」


「はい。伯爵家の管理体制に問題が多く、判断に迷うことが増えておりましたので、少し軽口を叩いてしまいました。私の不用意な発言が原因で、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」


「いや、君の発言そのものに問題があったとは思わない。ただ、伯爵夫人がどのように受け取ったのかは確認しておく必要がある」


オスカーは報告書を机に置いた。


「夫人は、君が私と夫人の私的な関係を勧めたと主張している。しかし、君の話を聞く限り、そのような意味はまったくなかったということだな」


「もちろんです。そもそも、長官に奥様とお子様がいらっしゃることは存じておりますし、そのような話をする理由もございません」


「分かった。同席していた者の証言とも一致している。こちらで経緯を整理しておこう」


フィリップは少し安堵したものの、続けて伯爵家の財務状況について報告した。


「それから、領地の件ですが、当主の所在について正式な照会を行ったところ、現在はご実家のある領地に滞在されていることが確認できました。伯爵本人からも、財務調査には協力するとの回答をいただいております」


「そうか。では、当主から直接事情を聞く必要があるな」


「はい。ただ、伯爵は数年前から王都の屋敷には戻っておらず、伯爵夫人ともほとんど連絡を取っていないようです」


オスカーは少し考え込んだ。


「夫人は、夫婦仲は良好だと話していたそうだが」


「そのように伺っております。ただ、実際の状況については、まだ確認できておりません」


「分かった。憶測で判断せず、本人から正式な説明を受けよう。それから、嫡男についてはどうなっている?」


「エリオット様ですね。夫人は隣国の学園に留学中だとおっしゃっていますが、王宮に登録されている在学証明は数年前のものが最後です。現在の状況については、隣国へ照会しております」


「二十四歳だったな」


「はい」


「爵位継承にも関わることだ。身分登録についても確認してくれ」


「承知しました」


 フィリップが退出したあと、オスカーはしばらく伯爵家の資料を見つめていた。

財政の悪化だけでも深刻な問題だが、当主が長期間不在で、嫡男の所在も不明確となれば、領地の管理権限そのものを確認する必要がある。王宮が介入した目的は領民を守ることであり、伯爵夫人の私生活を詮索することではないものの、財産や爵位の継承に関わる事実を放置するわけにはいかなかった。

 

そこへ、王妃付きの侍女長から連絡が入った。


ヴァレンシュタイン伯爵夫人が王妃宛てに書簡を送り、長官の対応について苦情を申し立てているというのである。


オスカーは説明を聞き終えると、静かに息を吐いた。


「……そうか。王妃陛下にまでお手紙を送られたのか」


「はい。陛下は事実関係を確認するようお命じになっております」


「承知した。夜会での発言については、既に記録を残してある。部下からの報告も揃っているので、正式な回答を用意しよう」


オスカーは少しも慌てなかった。

王妃が自分の親戚であることは事実だが、それを理由に職務上の問題を曖昧にするつもりはない。

仮に自分に非があれば責任を取るべきだし、そうでなければ事実を明らかにすればよいだけの話である。


ただ、伯爵夫人が王妃との個人的な関係を持ち出して職務への介入を求めたことについては、看過できない問題だった。


「今後、伯爵夫人との面談は必ず複数名で行うように。それから、職務に関係のない要求があった場合も、内容を記録しておいてくれ」


「承知しました」


「伯爵領の調査は予定どおり進める。こちらの事情で領民への対応を遅らせるわけにはいかないからな」


オスカーはそう告げると、再び帳簿へ目を落とした。


***

 一方、ヴァレンシュタイン伯爵邸では、エレオノーラが王妃からの返事を今か今かと待ちわびていた。


「グレゴール、まだお返事は届かないの?」


「本日は、まだでございます」


「まあ、遅いわね。セレスティーヌ様もお忙しいのでしょうけれど、わたくしからのお手紙なのだから、もう少し早くお返事をくださってもよろしいのに」


「王妃陛下も、きっとお返事の内容を慎重にお考えなのでございましょう」


「そうね。何しろ、昔からの親しい間柄ですもの。わたくしを傷つけた長官をどう扱うべきか、悩んでいらっしゃるのかもしれないわ」


夫人は満足げに頷いた。


「でも、わたくしは別に、長官を罰していただきたいわけではありませんのよ。ただ、きちんと謝罪してくだされば、それで許して差し上げるつもりなの。わたくし、昔から寛大な性格でしょう?」


「まことに、奥様のお心の広さには頭が下がります」


「そうでしょう? ただ、フィリップ様には少し反省していただかなくてはね。あの方が余計なことをおっしゃったせいで、わたくしがこんな不愉快な思いをすることになったのですもの」


グレゴールは深く頷いた。


その日の午後、フィリップたちが再び帳簿の確認を申し入れると、エレオノーラは珍しく面会を断った。


「今はお会いする気分ではありませんわ。わたくしに失礼なことをなさった方々と、どうしてお話ししなければならないのかしら。王妃陛下からお返事が届くまでは、何もお話しすることはございません」


「しかし奥様、領地の支払いについて確認が必要でして……」


「そんなことは、あなた方で何とかすればよろしいでしょう! 王宮から派遣されてきたのでしょう? わたくしにいちいち尋ねなければ何もできないなんて、随分と頼りない方々なのね」


夫人はそう言って、面会を拒絶した。


フィリップは無理に話を続けようとはせず、拒否された日時と内容を記録し、必要な確認事項を文書で残した。改善のための協力を求めても応じてもらえないのであれば、その事実を正式に報告するしかない。


ところが、エレオノーラはそれを、自分の態度が効いている証拠だと受け取った。


「ほら、ご覧なさい。少し厳しく申し上げたら、あの方々も大人しくなったでしょう? やはり、わたくしがきちんと指導して差し上げなければ駄目なのよ」


「まことに、おっしゃるとおりでございます」


「これで長官も、自分がどれほど失礼なことをしたか理解するでしょうね。ふふ、最初から素直にしていらっしゃれば、こんなことにはならなかったのに」


夫人は得意げに微笑んだが、王宮から派遣された事務官たちは、その間も淡々と調査を進めていた。領地の管理者から直接資料を取り寄せ、商人たちへの未払い金を確認し、前家令が残した帳簿をもとに過去の収支を洗い直していたのである。


そして、その過程で、伯爵家の書庫に長年放置されていた書類の中から、見過ごすことのできないものが見つかった。


それは、隣国の公的機関から送られた、エリオットの身分変更に関する通知だった。


封筒にはヴァレンシュタイン伯爵家の家紋が記され、受領印も押されていたが、開封された形跡はない。フィリップは正式な手続きを経て書類を確認すると、その内容を読み進めるうちに、思わず眉を寄せた。


「……これは」


隣にいた同僚が顔を上げた。


「どうした?」


「エリオット様の身分登録に関する通知だ。隣国で婚姻し、商家に婿入りしたことが記されている」


「婚姻? 夫人はまだ留学中だと言っていなかったか?」


「ああ。だが、この書類によれば、学園は数年前に退学している。婚姻に伴う身分変更も、正式に手続きされているようだ」


「ということは、伯爵家の嫡男は……」


「少なくとも、現在の身分について確認が必要だ。爵位継承資格にも関わるから、隣国からの回答と照合しなければならない」


フィリップは書類を丁寧に机へ置いた。


「それにしても、これほど重要な通知が未開封のまま放置されていたとは……」


「家令は何をしていたんだ?」


「本人に確認するしかないな。ただ、今までの様子からすると、内容を把握しているとは思えない」


二人は顔を見合わせた。


伯爵家の財務調査として始まった仕事は、いつの間にか当主の所在と嫡男の身分、さらには爵位継承に関わる問題にまで広がっていた。


***

 その頃、エレオノーラは自室で新しい化粧品を試していた。王妃からの返事が届いたら、長官が謝罪に訪れるかもしれない。そのときには、いつも以上に美しく装って迎えてやろうと考えていたのである。


「本当に、殿方というのは困ったものね。わたくしに興味を持つのは結構だけれど、もう少し素直になってくださればよろしいのに」


鏡に映る自分へ微笑みかけながら、夫人は満足そうに頬を撫でた。


隣国で暮らす息子が既に結婚し、子供までいることも、夫が王都の屋敷へ戻る意思を持っていないことも、彼女はまだ知らない。


もっとも、それらの事実を知ったところで、すぐに受け入れられるかどうかは別の問題だった。エレオノーラにとって、息子はいつまでも自分を尊敬する優秀な跡取りであり、夫は自分を深く愛する伴侶でなければならなかったのだから。


そして、その思い込みを支えてきた伯爵家の屋敷も、今まさに王宮の調査によって、少しずつ実態を明らかにされようとしていた。

お読みいただきありがとうございます。

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