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投稿順を間違えました。
法務局から届いた書類には、エレオノーラが伯爵邸に居住し続ける権利について、審査の結果が記されていた。ヴァレンシュタイン伯爵邸は爵位に付随する管理財産であり、王家の承認によって新当主へ管理権限が移った以上、前当主の妻が当然に居住を続けられるものではない。アルベルトとの婚姻関係が継続している間は一定の生活保障を受ける権利が認められるものの、それは伯爵邸に住み続ける権利とは別である、というのが法務局の判断だった。
さらに、夫人が長年にわたって伯爵家の財産を私的に使用し、領地の維持管理に必要な支出を圧迫していたことも確認されている。夫人名義の私有財産まで取り上げることはできないが、伯爵家の管理財産を自由に使うことは、もはや認められなかった。
「つまり、夫人には別の住居を用意したうえで、屋敷を明け渡していただくことになるわけですね」
同席していた新家令の問いに、アレクシスは頷いた。
「そういうことだ。アルベルト殿も、生活費の負担については法務局の判断に従うと回答している。住居の候補もいくつか提示されているから、必要以上に困窮することはないだろう。ただし、現在のような生活を続けることはできない」
「承知いたしました。では、退去に向けた手配を進めます」
「グレゴールについても同様だ。家令としての雇用は終了している。本人の私物を整理させ、所定の期日までに退去するよう通知してくれ」
アレクシスは書類を閉じると、窓の外へ目を向けた。庭では使用人たちが手分けして手入れを進めており、長らく放置されていた花壇にも、少しずつ以前の面影が戻りつつあった。屋敷の管理を引き継いでまだ日が浅いものの、仕事の手順を整え、必要な指示を出すだけで、随分と様子が変わるものだと感じていた。
もっとも、エレオノーラはその変化を快く思っていなかった。
「本当に、最近の使用人たちはどうなっているのかしら。わたくしが呼んでも、すぐに来ないことがあるのよ。以前なら、何をおいてもわたくしのところへ駆けつけたものなのに」
夫人は朝食室で紅茶を飲みながら、グレゴールに不満を漏らしていた。新しい家令が就任してからというもの、使用人たちは決められた仕事を優先するようになり、夫人の気まぐれな要求に振り回されることが少なくなっていた。エレオノーラにとって、それは自分が軽んじられている証拠でしかなかった。
「先ほども、侍女に新しいドレスを持ってくるよう申し付けたのに、衣装の購入については新当主の許可が必要だと言うのよ。まあ、何て失礼なのかしら。わたくしは伯爵夫人ですのよ。自分のドレス一着、自由に買えないなんて聞いたことがありませんわ」
「まことに、困ったことでございますな」
「あなたからも、きちんと注意してちょうだい。最近の使用人たちは、あの新しい家令が来てから、すっかり態度が大きくなってしまったのよ」
グレゴールは困ったように目を伏せた。既に家令を解任されているため、使用人へ指示を出す権限などないのだが、夫人にそのことを説明すれば、また叱責されるに決まっている。
「奥様、実は私も、以前のようには指示を出せない立場になっておりまして……」
「まあ、何をおっしゃるの? あなたはわたくしの家令でしょう」
「ですが、新しい伯爵様から正式な解任通知をいただいておりますので」
「そんなもの、わたくしは認めておりませんわ! あなたまで、あの方々の言うことを真に受けるおつもり?」夫人は不機嫌そうに扇を閉じた。
「本当に、あなたは昔から頼りないのね。わたくしがこれほど苦労しているというのに、少しも助けてくださらないのだから。前の家令なら、こんなことはなかったわ」
グレゴールは何も答えなかった。以前は夫人から褒められることも多かったが、最近では何かあるたびに無能だと罵られるようになっている。夫人に気に入られて家令になったときには、こんなことになるとは思ってもいなかった。
その日の午後、エレオノーラのもとへアレクシスと新家令が訪れた。
「エレオノーラ夫人、少しお時間をいただけますでしょうか」
「まあ、アレクシス様。何かしら。屋敷のことで分からないことでもありまして?」
「本日は、今後のご住居についてお話ししたく参りました」
「住居?」
夫人は不思議そうに首を傾げた。
「わたくしの住居なら、こちらでしょう。今さら何をお聞きになるのかしら」
「法務局の審査が終了し、伯爵邸の居住権について正式な判断が出ました。今後は別の住居へお移りいただくことになります」
エレオノーラはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「まあ、嫌だわ。そんな冗談をおっしゃるなんて。わたくしが、この屋敷を出ていくですって?」
「はい。正式な通知はこちらです。転居先についても、いくつか候補をご用意しております」
「……何ですの、これは」
夫人は差し出された書類を受け取ったものの、内容を読む前に机へ置いた。
「わたくしはヴァレンシュタイン伯爵夫人なのよ。この屋敷で何十年も暮らしてきたのに、今さら出ていけだなんて、そんなことが許されるはずありませんわ!」
「伯爵邸は爵位に付随する管理財産です。現在の管理権限は私に移っておりますので、法務局の判断に従っていただく必要がございます」
「まあ、また管理権限ですって? あなた方はそればかりね。わたくしがどれほどこの屋敷に尽くしてきたか、少しも理解していらっしゃらないのだわ」
夫人は勢いよく立ち上がった。
「わたくしがいなくなったら、この屋敷はどうなると思っていらっしゃるの? 使用人たちは何もできないのよ。わたくしが一から十まで指示してあげなければ、まともに仕事もできないのだから!」
「使用人の管理については、既に新しい家令が担当しております。現在のところ、大きな問題はございません」
「それは、わたくしが長年教育してきたからでしょう!」
「その点については、使用人の方々からもお話を伺っております」
アレクシスは穏やかに答えたが、エレオノーラはその言葉にますます腹を立てた。
「まあ! わたくしの使用人たちに、勝手に何をお聞きになったの? あの者たちが何を申し上げたか知りませんけれど、わたくしほど寛大な主人はいませんのよ。少し厳しく注意しただけで、すぐに被害者のような顔をする者ばかりなのだから、話を真に受けてはいけませんわ!」
「承知しております。ただ、今回の判断は使用人の証言だけによるものではございません。伯爵家の財務状況と管理権限、法務局の審査結果を踏まえた正式な決定です」
「そんなもの、わたくしは認めません!」夫人は書類を払いのけた。
「わたくしには王妃陛下という心強い味方がいるのよ。セレスティーヌ様にお話しすれば、こんな理不尽な決定など、すぐに取り消してくださるわ!」
アレクシスはしばらく夫人を見つめていたが、やがて静かに答えた。
「王妃陛下からは、既に正式なご回答が出ております」
「……まあ!」エレオノーラの顔が輝いた。
「やっぱり! わたくし、信じておりましたのよ。セレスティーヌ様が、わたくしを見捨てるはずありませんもの」
「こちらが、その写しでございます」
新家令が書類を差し出すと、夫人は嬉しそうに受け取った。しかし、読み進めるうちに、その表情は次第に険しくなっていった。
王妃からの回答には、学院時代の同級生としてエレオノーラの名前を覚えていること、しかし王宮の正式な調査や爵位継承については、法令と所定の手続きに従って判断されるべきであり、個人的な関係を理由に介入することはできないと記されていた。
さらに、王宮財務監査局長官に対する苦情についても、提出された資料と証言を確認した結果、長官側に不適切な対応は認められなかったことが、丁寧な言葉で説明されていた。
「……何ですの、これは」夫人は震える声で呟いた。
「セレスティーヌ様が、こんなことをおっしゃるはずありませんわ。わたくしたちは学院時代からの親しい友人なのよ。それなのに、まるで他人のような言い方ではありませんの!」
「王妃陛下は、伯爵夫人との個人的な関係について、特別な扱いをなさる意思はないと明確にされております」
「そんな……そんなはずありませんわ!」エレオノーラは顔を赤くした。
「きっと、誰かがわたくしの悪口を吹き込んだのね。そうでなければ、セレスティーヌ様がこんな冷たいことをおっしゃるはずありませんもの!」
アレクシスは何も答えなかった。夫人がどのように解釈しようと、王妃からの正式な回答が変わるわけではないからである。
「それから、伯爵夫人。もう一点、お伝えしておかなければならないことがございます」
「まだ何かありますの!?」
「アルベルト伯爵との婚姻関係について、法務局から審査の結果が通知されております」
エレオノーラは一瞬、言葉を失った。「……旦那様との?」
「はい。長年の別居と婚姻関係の実態、双方から提出された資料を踏まえ、婚姻解消の申立てが認められました。所定の手続きを経て、正式に離婚が成立しております」
「……何ですって?」夫人は椅子の背に手をついた。
「そんなこと、わたくしは認めておりませんわ!」
「ご異議については審査の過程で確認されております。しかし、最終的な判断は既に下されております」
「旦那様が、わたくしと離婚するですって? そんなはずありませんわ。あの方は、わたくしを深く愛していらっしゃるのよ。今でも新婚の頃と変わらず、わたくしを大切になさっているのに!」
アレクシスは静かに答えた。
「アルベルト殿は、既に別の場所で生活を築いておられます。王都の屋敷へ戻る意思も、婚姻生活を再開する意思もないと、正式に表明されております」
「……別の場所?」夫人は眉をひそめた。
「それは、ご実家のある領地でしょう? お仕事の都合で滞在していらっしゃるだけですわ。わたくし、ちゃんと分かっておりますもの」
「伯爵夫人。アルベルト殿は現在、そちらで生活をともにされている女性がおられます」
エレオノーラは、しばらく相手の顔を見つめていた。
「……女性?」
「はい。既にお子様もいらっしゃいます」
夫人の顔から、すっと血の気が引いた。「……何ですって?」
「アルベルト殿は、長年別居されている間に、新たな家庭を築いておられます。現在は、その方々との生活を大切になさっていると伺っております」
「嘘ですわ!」エレオノーラは叫んだ。
「そんなこと、あるはずありません! 旦那様がわたくし以外の女性を愛するなんて、絶対にあり得ませんわ!」
夫人は机を叩き、アレクシスを睨みつけた。
「あなた、わたくしを傷つけるために、そんな嘘をおっしゃっているのでしょう! わたくしが伯爵家を守ってきたことが気に入らなくて、わざと酷いことを言っていらっしゃるのね!」
「そのような意図はございません。確認された事実をお伝えしているだけです」
「事実ですって? わたくしほど美しく、優秀で、主人に愛されている妻がいるというのに、どうしてほかの女性など必要なのかしら! きっと、その女が旦那様を誘惑したのよ。そうでなければ、あの方がわたくしを裏切るはずありませんもの!」
アレクシスは、夫人の言葉が終わるのを待った。
「アルベルト殿の私生活について、これ以上申し上げることはございません。ただ、婚姻関係の解消が正式に成立したこと、そして伯爵邸の居住権について審査が終了したことは、ご理解いただく必要がございます」
「理解ですって? こんな理不尽なことを、どうして理解しなければならないの!」
エレオノーラは怒りに震えながら、グレゴールを振り返った。
「あなたも何かおっしゃい! わたくしがどれほど酷い扱いを受けているか、分かるでしょう!」
グレゴールは慌てて頭を下げた。
「ま、まことに、奥様のおっしゃるとおりでございます」
「それだけなの!? あなたは本当に役に立たないのね! わたくしがこんな目に遭っているというのに、何一つ助けてくださらないなんて!」
グレゴールは口をつぐんだ。これまで何年も夫人の機嫌を取り、言われるままに従ってきたが、いざ重大な問題が起きても、自分には何もできない。そもそも、何をすればよいのかさえ分からなかったのである。
アレクシスは静かに書類を揃えた。
「エレオノーラ夫人。退去までの猶予は一か月ございます。その間に私物を整理し、転居先をお決めください。生活費については、法務局の判断に従って必要な保障がなされます。詳細はこちらの書類に記載しておりますので、ご確認をお願いいたします」
「……一か月?」
「はい」
「わたくしに、一か月でこの屋敷を出ていけとおっしゃるの?」
「正式な決定でございます」
夫人はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑い出した。
「まあ、嫌だわ。皆さま、本当にわたくしに意地悪なさるのね。わたくしが美しくて、優秀で、誰からも愛されているからといって、ここまでなさるなんて。きっと、わたくしが羨ましくて仕方がないのでしょう?」
アレクシスは何も答えなかった。
「でも、残念でしたわね。わたくし、そんなことで負けたりいたしませんのよ。王妃陛下にも、旦那様にも、もう一度きちんとお話しすれば、すぐに元どおりになりますもの」
「ご意見は承りました。ただし、退去の期日は変更されません」
「まあ、何て冷たい方なの!」
エレオノーラは扇を握りしめたが、アレクシスは静かに一礼し、新家令とともに部屋を出ていった。
残された夫人は、しばらく呆然と書類を見つめていたが、やがてグレゴールへ向き直った。
「……あなた、本当に何をしていたの?」
「お、奥様?」
「わたくしがこんな目に遭ったのは、全部あなたのせいでしょう! あなたがきちんと帳簿を管理していれば、王宮の事務官など来なかったのよ。それなのに、何もせず、わたくしにばかり苦労をかけて!」
「ですが奥様、私はいつも奥様のご指示に従って……」
「まあ! 今度はわたくしのせいになさるおつもり?」夫人は怒りに任せて立ち上がった。
「あなたが無能だから、こんなことになったのよ! わたくしは何も悪くありませんわ!」
グレゴールは何も言えなかった。これまで夫人の言葉に従い、機嫌を取ることで家令の地位を保ってきたが、最後に責任を押し付けられるのが自分だとは思っていなかったのである。
「もう結構よ! あなたのような無能な家令など、わたくしには必要ありませんわ!」
夫人はそう言い捨てると、自室へ戻っていった。
その日の夕方、グレゴールは新家令から、正式な退去手続きについて説明を受けた。既に雇用契約は終了しており、屋敷に留まる理由はない。未払い給与などの清算については適切に対応するが、家令としての職務を続けることはできないという。
「……私は、これからどうすればよいのでしょうか」
グレゴールが呟くと、新家令は静かに答えた。
「今後のお仕事については、ご自身でお探しいただくことになります。ただし、家令としての経験をお持ちだとおっしゃるのであれば、実際にどのような業務を担当されていたのか、説明できる必要があるでしょう」
グレゴールは俯いた。帳簿の管理も、使用人の教育も、屋敷の維持も、まともにできなかった。夫人の機嫌を取ることだけは得意だったが、それがほかの貴族家で評価されるとは思えなかったのである。
一方、エレオノーラは自室で、王妃宛ての新たな書簡を書き始めていた。
今度こそ、自分がどれほど不当に扱われているか理解してもらわなければならない。夫にも息子にも、もう一度手紙を送るつもりだった。
しかし、王妃からは既に正式な回答が出ており、アルベルトもエリオットも、自分たちの意思を明確に示している。夫人がどれほど手紙を書き重ねても、相手の判断が変わることはなかった。
それでもエレオノーラは、まだ自分が負けたとは思っていなかった。これまで何十年も、自分に都合の悪いことが起きるたびに、周囲の嫉妬や悪意のせいにしてきたのだから、今回も同じように考えるしかなかったのである。
だが、今度ばかりは、彼女の言葉に頷いてくれる者も、代わりに責任を負ってくれる者も、もうほとんど残っていなかった。
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