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投稿順を間違えました。すみません。
王宮での会議から一週間後、ヴァレンシュタイン伯爵領の継承に関する王家の裁可が下りた。
新たな当主となるアレクシスは、領地管理の引き継ぎに先立ち、王宮財務監査局と協議を重ねていたが、提出された資料を確認するほど、伯爵家の惨状に頭を抱えることになった。
「……これは本当に、ヴァレンシュタイン伯爵家の帳簿なのか?」
アレクシスは目の前に積まれた書類を眺め、呆れたように尋ねた。
「残念ながら、間違いございません。こちらが現家令の管理していた帳簿で、隣にあるものが前家令の在職中に作成された記録です」
フィリップの説明を聞き、アレクシスは二つの帳簿を見比べた。前家令が残したものは、収入と支出が細かく分類され、領地の維持費から使用人への給与まで、必要な情報が整理されている。ところが、現家令の記録は費目の分類が曖昧で、領収書の添付もなく、支払いの記録すら抜け落ちているものが多かった。
「これでは帳簿というより、覚え書きだな。いや、覚え書きにしても、もう少しましなものがあるだろう」
「現在、領地の管理者や取引先から資料を取り寄せ、可能な限り照合を進めております。ただ、すべての支出について確認できるわけではございませんので、引き継ぎ後も調査を継続する必要がございます」
「それは構わない。むしろ、曖昧なまま引き継ぐほうが困る。それにしても、前家令が退職してから、わずか数年でここまで管理が崩れるとはな」
アレクシスは深く息を吐いた。ヴァレンシュタイン家の傍系にあたる彼は、以前から伯爵家の内情が芳しくないという噂を耳にしていたものの、まさかこれほどとは思っていなかった。社交界ではエレオノーラが相変わらず華やかな暮らしぶりを自慢していたため、少なくとも財政的には余裕があるものと考えていた者もいたのである。
「使用人への未払い給与については、王宮の監督下で支払いを進めていると伺ったが」
「はい。優先順位を定め、既に一部の支払いを開始しております。残額についても、新たな管理体制のもとで順次支払う予定です」
「分かった。雇用については、現在の使用人たちから希望を聞いてくれ。経験が足りない者もいるだろうが、それだけを理由に解雇するつもりはない。必要な教育を受けられる環境を整えれば、十分に働ける者もいるはずだ」
フィリップは頷いた。
「ありがとうございます。実際、使用人の方々からは、仕事を教えてもらえないまま叱責されることが多かったという証言が出ております」
「それでは、まともに働けるはずがないな。新しい家令には、経験のある人物を迎えるつもりだ。使用人の教育についても、きちんと体制を整えよう」
アレクシスはそう言うと、別の資料へ目を移した。
「それから、現家令のグレゴールについてだが、継続雇用は考えていない。帳簿の管理も使用人の指導もできない人物を、これ以上家令として置いておくわけにはいかないからな」
「承知しました。正式な解任通知については、法務局と調整いたします」
「伯爵夫人については?」
その問いに、フィリップは少し言葉を選んだ。
「現在、アルベルト伯爵との婚姻関係について審査が進められております。居住権についても、法務局が確認しているところです。ただ、伯爵邸は爵位に付随する管理財産ですので、新当主への移行後は、夫人が従来どおり使用することはできません」
「そうか。では、正式な手続きに従って退去を求めることになるな」
「はい。ただし、私物の整理や転居先の確保については、相応の猶予を設ける必要がございます」
「もちろんだ。必要以上に困らせるつもりはない。ただ、屋敷の管理を正常化するためには、現在の体制を改めなければならない」
アレクシスはそう言って、資料を閉じた。
***
その日の午後、ヴァレンシュタイン伯爵邸には、新当主への管理権限移行に関する正式な通知が届けられた。エレオノーラは封筒を受け取ると、またしても不機嫌そうに眉をひそめた。
「まあ、今度は何ですの? 本当に、王宮の方々はお手紙がお好きなのね。わたくしがどれほど忙しいか、少しも考えてくださらないのだから」
グレゴールは書簡を開き、内容を読み始めたが、途中で顔色を変えた。
「お、奥様……」
「何ですの、そんなに慌てて。落ち着いてお読みなさいな」
「その……新しい伯爵様が正式に承認されたとのことでございます」
「まあ、そうなの。では、ようやくエリオットの件も片づいたのね」
「いえ、それが……アレクシス・フォン・ヴァレンシュタイン様が、新たな当主となられるそうで……」
夫人は一瞬、意味が分からないという顔をした。「……誰ですの、それは」
「以前、王宮からの通知にお名前があった方でございます。伯爵家のご親戚だそうで……」
「まあ、またその方なの?」エレオノーラは呆れたように扇を広げた。
「本当に、しつこい方ね。わたくしが何度も認めないと申し上げているのに、まだ諦めていらっしゃらないの? そんなに伯爵家の財産が欲しいのかしら」
「ですが奥様、王家の承認が下りたと書かれております」
「承認ですって? そんなもの、わたくしが認めなければ意味がありませんわ。わたくしはヴァレンシュタイン伯爵夫人なのよ。伯爵家のことを決めるのに、わたくしの意見を無視するなんて、許されるはずがないでしょう」
グレゴールは困ったように書簡を見下ろした。そこには新当主の就任日と管理権限の移行について、正式な手続きが記されている。さらに、伯爵邸の居住者に対して、今後の使用について協議するよう求める一文もあった。
「それから、奥様。屋敷の管理についても、新しい伯爵様へ引き継ぐようにと……」
「まあ、当然でしょう。新しい当主だというのなら、面倒な仕事くらい引き受けていただかなくてはね。わたくしだって、これまで随分と苦労してきたのですもの」夫人は満足げに頷いた。
「それで、そのアレクシスという方は、いつご挨拶にいらっしゃるのかしら。伯爵夫人であるわたくしに、きちんと礼を尽くしていただかなくては困りますわね」
「ええと、来週、屋敷の確認にいらっしゃる予定のようでございます」
「そう。では、応接間を整えておいてちょうだい。もっとも、あの方がどれほど立派な方かは存じませんけれど、わたくしが長年守ってきた屋敷なのだから、少しは感謝していただきたいものだわ」
エレオノーラはそう言うと、書簡をグレゴールへ返した。自分が伯爵夫人として暮らしてきた屋敷を、別の当主へ引き渡すことが何を意味するのか、まだ理解していなかったのである。
**
数日後、アレクシスが伯爵邸を訪れた。新当主は三十代後半の、落ち着いた雰囲気を持つ男性だった。華美な装いは好まないらしく、質のよい礼装を身につけていたが、宝飾品などは必要最小限にとどめている。同行したのは、今後家令を務める予定の経験豊富な執事と、領地管理を担当する数名の事務官だった。
エレオノーラは応接間で彼らを迎えると、いかにも寛大な主人という態度で微笑んだ。
「まあ、ようこそいらっしゃいました。あなたがアレクシス様ね。わたくし、エレオノーラ・フォン・ヴァレンシュタインと申しますの。伯爵家のことなら、何でもお尋ねになってよろしいのよ。何しろ、わたくしが長年取り仕切ってきたのですもの」
「初めまして、エレオノーラ夫人。アレクシス・フォン・ヴァレンシュタインです。このたび、王家より伯爵位の継承を認められました。今後の管理について、ご協力をお願いいたします」
「まあ、そんなに堅苦しくなさらなくてもよろしいのよ。わたくし、昔から若い方には親切にしておりますもの。それに、伯爵家のことは何でも分かっておりますから、安心なさって」
アレクシスは礼儀正しく頷いたが、すぐに本題へ入った。
「ありがとうございます。まずは屋敷の管理状況を確認したいと思います。家令殿、帳簿と使用人の名簿をご用意いただけますか」
「帳簿でございますか。ええと、現在は王宮の事務官の方々が整理されておりまして……」
「では、保管場所をご案内ください。引き継ぎのために、現状を把握する必要があります」
「かしこまりました」
グレゴールが慌てて立ち上がると、エレオノーラは不満そうに眉をひそめた。
「まあ、そんなに急いでお仕事をなさらなくてもよろしいでしょう。せっかくいらしたのだから、まずはお茶でも召し上がってちょうだい。わたくし、昔からお客様をもてなすのが得意ですのよ」
「お気遣いありがとうございます。ただ、本日は確認すべきことが多いため、先に屋敷を拝見したいと思っております」
「まあ、真面目な方なのね。わたくしの息子も、昔からそういうところがありましたわ。隣国の名門学園で、随分と優秀な成績を収めているのよ」
アレクシスは一瞬だけ目を伏せたが、何も言わなかった。エリオットが既に学園を退学し、隣国で家庭を築いていることは、王宮からの資料で確認している。夫人がその事実を受け入れていないことも聞いていたため、今ここで指摘しても意味がないと判断したのである。
「それでは、失礼いたします」
アレクシスは一礼し、同行者たちとともに屋敷の確認へ向かった。
エレオノーラはその後ろ姿を見送りながら、満足げに微笑んだ。
「まあ、なかなか感じのよい方ね。少し堅苦しいところはあるけれど、わたくしがいろいろと教えて差し上げれば、きっと立派な当主になれるでしょう」
ところが、屋敷を一通り確認したアレクシスの表情は、決して明るいものではなかった。廊下の絨毯は擦り切れ、壁の装飾には埃が積もり、客間の家具も手入れが行き届いていない。
厨房では調理器具の管理が不十分で、食材の保管にも問題があった。使用人たちは懸命に働いているものの、誰からも適切な指導を受けていないため、仕事の手順が統一されていなかった。
「……これは、思っていた以上だな」アレクシスは小さく息を吐いた。
「家令殿、屋敷の清掃や備品の管理については、どのように指示されているのですか」
「奥様のご指示に従っております」
「具体的には?」
「ええと、奥様が気になさったところを、その都度きれいにするようにと……」
「定期的な清掃計画はないのですか」
「計画、でございますか?」グレゴールは不思議そうに首を傾げた。
アレクシスはそれ以上尋ねず、同行していた新家令候補へ視線を向けた。相手は静かに頷き、手元の記録に何かを書き加えた。
その後、使用人たちへの聞き取りが行われた。多くの者は最初こそ緊張していたが、今後の雇用について一方的に解雇するつもりはないと説明されると、少しずつ事情を話し始めた。
仕事を教えてもらえないまま、失敗すると叱責されること。夫人の指示が突然変わり、以前の指示に従うと怒られること。家令に相談しても、奥様のおっしゃるとおりにするようにと言われるだけで、具体的な助言が得られないこと。
アレクシスは一人ひとりの話を聞き、必要な記録を残した。
「今後は、新しい家令のもとで仕事の手順を整えます。経験が足りないことを理由に責めるつもりはありません。ただし、必要な教育は受けていただきますし、仕事についても適切な責任を持っていただくことになります」
使用人たちは安堵したように頭を下げた。
その様子を、廊下の向こうからエレオノーラが見ていた。
「まあ、何をなさっているのかしら。わたくしの使用人たちを集めて、勝手にお話しするなんて」
夫人は不満そうに近づいた。
「アレクシス様、少しよろしいかしら。使用人のことなら、わたくしにお尋ねになればよろしいでしょう。何しろ、わたくしが長年教育してきた者たちですもの」
「ありがとうございます。ただ、今後の管理体制を整えるためには、実際に働いている方々からもお話を伺う必要がございますので」
「まあ、そんなことをなさっても、ろくなお話は聞けませんわよ。最近の使用人たちは、本当に仕事ができないのですもの。わたくしがどれほど苦労しているか、あなたには分からないでしょうね」
アレクシスは穏やかに答えた。「その点についても、確認させていただいております」
「そうでしょう? わたくしが厳しく指導しているから、何とか屋敷が保たれているのよ。もしわたくしがいなければ、どうなっていたことか」
夫人は得意げに微笑んだが、アレクシスはそれ以上同意しなかった。
「ところで、エレオノーラ夫人。本日はもう一点、お話ししておきたいことがございます」
「まあ、何かしら」
「王家の承認により、伯爵家の管理権限は正式に私へ移行いたしました。今後、屋敷の運営については、私と新たな家令が責任を持って管理いたします」
「ええ、もちろんですわ。わたくしも、ようやく面倒な仕事から解放されるのね。これで少しはゆっくりできそうだわ」エレオノーラは嬉しそうに頷いた。
「ただし、現在の管理体制については全面的に見直す予定です。グレゴール殿についても、家令としての継続雇用はいたしません」
「……はい?」夫人は一瞬、言葉を失った。
「グレゴールを、ですって?」
「はい。これまでの管理状況を確認した結果、家令として必要な業務を遂行できていないと判断いたしました」
「まあ、何てことをおっしゃるの! グレゴールは、わたくしが直接選んだ家令なのよ。わたくしの目に狂いがあるとでもおっしゃりたいのかしら」
「そのような意図はございません。ただ、今後の屋敷の管理を任せることはできないという判断です」
「そんなこと、わたくしは認めませんわ!」エレオノーラは声を荒らげた。
「わたくしが雇った者を、勝手に解雇するなんて許されるはずがありませんでしょう。あなた、伯爵家のことを何もご存じないくせに、随分と偉そうなことをおっしゃるのね!」
アレクシスは表情を変えなかった。
「エレオノーラ夫人。現在、この屋敷の管理権限を持っているのは私です。使用人の雇用についても、法令と契約に従って判断する責任がございます」
「まあ、管理権限ですって? そんなもの、わたくしが長年この屋敷を守ってきたことに比べれば、何ほどのことがあるというの!」
夫人は扇を握りしめ、怒りに震えた。
「わたくしがいなければ、この屋敷は立ち行かなくなるのよ。使用人たちだって、困ってしまうに決まっておりますわ!」
アレクシスは静かに答えた。
「その点については、既に使用人の方々からお話を伺っております。今後は適切な教育と管理のもとで、安心して働いていただける環境を整えるつもりです」
「……何ですって?」エレオノーラは目を見開いた。
「まるで、わたくしが使用人たちをきちんと扱っていなかったような言い方ではありませんの!」
「そのようなことを申し上げたつもりはございません。ただ、現在の管理体制には改善すべき点が多いことは事実です」
「まあ、何て失礼な!」
夫人は顔を赤くしたが、アレクシスはそれ以上言い争おうとはしなかった。
「それから、伯爵夫人。屋敷の居住についても、今後の手続きを進める必要がございます」
「……居住?」
「はい。現在、アルベルト伯爵との婚姻関係について審査が進められておりますが、屋敷の管理権限は既に私へ移行しております。そのため、今後もこの屋敷にお住まいになることについては、正式な協議が必要です」
エレオノーラはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑い出した。
「まあ、嫌だわ。そんなこと、わざわざ確認する必要があるの? わたくしはヴァレンシュタイン伯爵夫人なのよ。もちろん、今までどおり暮らすに決まっておりますでしょう」
「その点については、法務局から正式な通知が届く予定です」
「まあ、また書類なの? 本当に、皆さま書類がお好きなのね。わたくしが伯爵夫人であることくらい、見れば分かるでしょうに」
夫人は呆れたように首を振った。
「でも、仕方ありませんわね。あなたもまだお若いから、貴族社会のことをよくご存じないのでしょう。わたくしがいろいろと教えて差し上げますわ」
アレクシスは礼儀正しく一礼したが、それ以上何も言わなかった。
その日の夕方、屋敷の管理体制に関する正式な引き継ぎが始まった。新家令は使用人たちを集め、今後の仕事の分担と指導体制について説明した。長年放置されていた帳簿や備品の管理も、順次整理されることになった。
一方、グレゴールは突然の解任通知に困惑し、夫人へ助けを求めた。
「奥様、私はどうすればよろしいのでしょうか。新しい伯爵様から、家令としての仕事を続けることはできないと言われてしまいました」
「まあ、あなたまで何を言っているの? わたくしが認めないと申し上げたでしょう。そんなもの、気にする必要はありませんわ」
「ですが、正式な通知も届いておりまして……」
「本当に、あなたは頼りないのね。少し厳しいことを言われたくらいで、そんなに慌てるなんて。わたくしがどれほど大変な思いをしているか、少しは考えてちょうだい」
グレゴールは何度も頭を下げたが、夫人はそれ以上話を聞こうとしなかった。
その夜、エレオノーラは自室で王妃宛ての新たな書簡を書き始めた。今度こそ、自分がどれほど理不尽な扱いを受けているか理解してもらわなければならない。王宮の長官だけでなく、新しい伯爵まで自分に意地悪をするようになったのだから、もはや黙っているわけにはいかなかった。
夫人は筆を走らせながら、満足げに微笑んだ。
「本当に、皆さまわたくしに嫉妬していらっしゃるのね。わたくしが少しばかり優秀だからといって、こんなに意地悪なさらなくてもよろしいでしょうに」
***
その頃、屋敷の執務室では、新家令が前家令ハロルドの残した帳簿をもとに、使用人の給与と屋敷の維持費を整理していた。必要な支出を優先し、無駄な購入を控え、仕事の手順を整えるだけでも、管理状況は少しずつ改善し始めていた。
使用人たちの表情にも、わずかながら明るさが戻っていた。
そして、新当主アレクシスは、法務局から届いた書類に目を通し、静かに頷いた。
エレオノーラの居住権について、正式な審査が進んでいたのである。
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