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王宮財務監査局から届いた書簡を、グレゴールがまともに読み返したのは、それから四日も経ってからだった。
もっとも、自分から進んで確認したわけではない。フィリップが指定された回答期限について問い合わせてきたため、慌てて机の上を探し回った結果、ようやく見つけたのである。
「家令殿、先日お送りした通知について、伯爵夫人からのご回答はいただけますでしょうか」
「通知でございますか。ええ、もちろん奥様にはお伝えしておりますとも」
「では、当主の管理権限と爵位継承に関する資料をご提出いただけるということでしょうか」
「いや、それは……奥様は、ご子息がいずれ爵位を継がれるとおっしゃっておりますので、特に問題はないかと」
「問題の有無を確認するために、資料をお願いしているのですが」
フィリップは穏やかに説明したが、グレゴールは困ったように笑うばかりだった。
家令という役職に就いていながら、爵位継承に関する書類がどこに保管されているのかも知らず、当主の権限について尋ねられても答えられない。本人はそれを大した問題だと思っていないらしく、何かあれば夫人に聞けばよいと考えているようだった。
「奥様は大変お忙しい方ですからな。細かい書類の確認など、なかなかお時間が取れないのでございます」
「ですが、爵位継承は伯爵家にとって重要な問題です。ご本人に確認していただく必要がございます」
「いやいや、奥様はご子息のことを誰よりもよくご存じですぞ。何しろ、隣国の名門学園で大変優秀な成績を収めておられるそうですから」
「その件についても、確認したいことがございます」
「それでしたら、奥様に直接お尋ねください。きっと喜んでお話しくださるでしょう」
フィリップは一瞬、返答に迷った。エリオットの身分変更については既に正式な記録が揃っており、夫人の説明が事実と異なることも確認できている。
しかし、家令の言葉からは、そのような重要事項を把握している様子がまったく感じられなかった。
「では、改めて伯爵夫人との面談をお願いできますか。今回は爵位継承に関する確認もございますので、できれば家令殿にも同席していただきたいのですが」
「承知いたしました。奥様へお伝えしておきましょう」
グレゴールはようやく話が終わったことに安堵し、フィリップを見送った。
ところが、その日の午後、夫人に面談の件を伝えると、思いがけず機嫌を損ねられることになった。
「またフィリップ様なの? 本当に、あの方もしつこいわね。わたくしが今はお話ししたくないと申し上げているのに、どうして何度も会いにいらっしゃるのかしら」
「今回は、エリオット様の爵位継承について確認したいとのことでございます」
「まあ、あの子のことを?」
エレオノーラは途端に表情を明るくした。
「それなら、最初からそうおっしゃればよろしいのに。きっと王宮でも、エリオットの優秀さが評判になっているのね。あの子は本当に立派ですもの。わたくしがどれほど教育に力を入れたか、皆さまにも知っていただきたいわ」
「さようでございましょうな」
「そうだわ。今度いらしたら、あの子が幼い頃に書いた詩をお見せしましょうかしら。先生方にも随分と褒められたものなのよ。それから、学院で表彰されたときのお話もして差し上げなくてはね」
グレゴールは何度も頷いたが、エレオノーラが息子について語る話の大半は、彼が伯爵家に雇われる前の出来事だった。しかも、話すたびに内容が少しずつ変わるため、何が事実なのか、彼自身もよく分かっていない。
「ただ、フィリップ様には少し反省していただきたいわね。わたくしが親切にして差し上げたというのに、長官との件では随分と失礼な態度を取られましたもの。王妃陛下からのお返事が届くまでは、あまり親しくするつもりはありませんわ」
「では、面談はお断りいたしますか」
「まあ、そんなことをしたら、わたくしが意地悪をしているようではありませんの。仕方がないから、お会いして差し上げましょう。ただし、あまり長くならないようにしてちょうだい。わたくしにも予定がありますもの」
***
翌日、フィリップは上席事務官とともに伯爵夫人との面談に臨んだ。今回は財務だけでなく、当主の管理権限と爵位継承について確認する必要があるため、王宮法務局の担当官も同席している。
エレオノーラは、いつもより華やかなドレスを身につけて現れた。淡い水色の生地には銀糸の刺繍が施され、胸元には大粒の宝石が飾られている。ただし、袖口には小さな染みが残り、裾の飾りも一部ほつれていたが、夫人自身は気づいていないようだった。
「まあ、フィリップ様。今日は随分と大勢でいらしたのね。わたくしにお会いするのに、そんなに緊張なさらなくてもよろしいのよ」
「本日は重要な確認事項がございますので、法務局の担当官にも同席していただいております」
「まあ、法務局まで? エリオットのことでしょう? あの子が優秀だからといって、そんなに大げさになさらなくてもよろしいのに」
夫人は楽しそうに笑い、勧められる前に上座へ腰を下ろした。
「それで、何をお聞きになりたいのかしら。あの子のことなら、何でもお答えできますわよ。幼い頃から本当に優秀で、先生方にも随分と褒められたものですの。隣国の学園でも、特別な研究を任されているそうで、なかなか帰国できないのよ」
フィリップは用意した資料を開いた。
「伯爵夫人、まず確認させてください。エリオット様は、現在も隣国の学園に在籍されているというご認識でよろしいでしょうか」
「もちろんですわ。先ほどからそう申し上げているでしょう?」
「では、最後にご本人から連絡を受けられたのは、いつ頃でしょうか」
「まあ、そんなことまでお聞きになるの? あの子は勉学で忙しいのよ。母親だからといって、しょっちゅう連絡を取るようなことはいたしませんわ。わたくし、子供の自主性を大切にしておりますもの」
「具体的には、いつ頃でしょうか」
夫人は少し眉をひそめた。
「去年だったかしら。それとも一昨年? 細かい日付までは覚えておりませんわ。でも、元気にしていることは分かっておりますのよ」
「どなたからお聞きになったのでしょうか」
「まあ、あなた、先ほどから何なの? まるでわたくしが息子のことを知らないとでもおっしゃりたいのかしら」
「そのような意図はございません。ただ、正式な記録とご説明に相違があるため、確認させていただいております」
「記録? 何の記録ですの?」
フィリップは法務局の担当官へ視線を向けた。担当官は頷き、持参した書類を夫人の前へ差し出した。
「エリオット・フォン・ヴァレンシュタイン様について、隣国の公的機関から正式な身分変更の通知が届いております。三年前に学園を退学され、その後、現地の商家へ婿入りされております」
エレオノーラは一瞬、何を言われたのか理解できなかったらしい。
「……はい?」
「エリオット様は、既に婚姻されております。婚姻に伴って貴族籍から離れ、現在は平民として生活されていることが確認されております」
夫人はしばらく担当官の顔を見つめていたが、やがて小さく笑い出した。
「まあ、嫌だわ。何をおっしゃっているの? そんなはずありませんでしょう。あの子は今も学園で勉強しているのよ。それに、商家へ婿入りだなんて、伯爵家の跡取りがそんなことをするはずありませんわ」
「こちらは隣国の公的機関が発行した記録です。王国側でも照合が完了しております」
「ですから、何かの間違いだと申し上げているでしょう!」
夫人の声が高くなった。
「わたくしの息子は、そんな勝手なことをする子ではありませんのよ。あの子は昔から母親思いで、わたくしの言うことをよく聞く子でしたもの。結婚するなら、当然わたくしに相談するはずですわ!」
「婚姻については、アルベルト伯爵が承認されております」
「……旦那様が?」
エレオノーラの表情が変わった。
「そんなはずありませんわ。主人がわたくしに何も相談せず、そんな大切なことを決めるはずがないでしょう!」
「伯爵ご本人からも、正式な回答をいただいております」
「嘘ですわ!」
夫人は机を叩いた。
「わたくしを馬鹿にしていらっしゃるの? どうして王宮の方々が、わたくしの家族のことを勝手に調べているのかしら。そんなことをする権利が、あなた方にあるとでもお思いなの?」
法務局の担当官は、落ち着いた口調で説明した。
「伯爵家の爵位継承資格を確認するため、必要な範囲で公的な身分登録を照会しております。今回の調査は正式な手続きに基づくものです」
「そんなことは聞いておりませんわ! わたくしが申し上げているのは、どうして息子の結婚を、母親であるわたくしより先にあなた方が知っているのかということです!」
「通知は三年前に伯爵邸へ送達されております。受領記録も確認できました」
「……何ですって?」
「こちらが、その記録でございます」
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